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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.3 アビスの病床
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#22 旋律の誘い

 教会の奥まった一室、そこでたどたどしいピアノの音色が響いている。

 メヌエットト長調らしいその演奏は、ゆっくりでおぼつかないものではあったが、曲の最後まで奏でられた。


「な、なんとか最後まで弾けました……」


「お上手。この期間でこれだけできれば、大したもんだ。もう両手で弾けるんだからな」


「ふふ、ありがとうございます」


 アデラインを相手に、キミヒコはなぜかピアノの先生をやっていた。今の彼女は、天体観測のときのような、妖しい雰囲気はない。一見して純朴な、普段の大司教様だ。


 こんなことをやっていていいのだろうか。キミヒコはそう思う。


 厚生局での話からは、既に丸一日経過している。

 彼女は殺人容疑がかけられた、危険人物である。あの話以来、アデラインと二人きりで会うのは避けることに決めていた。今この場にもホワイトがいる。


 ホワイトは特にアデラインに対して気にした様子はない。今のところ、キミヒコに危険はないらしかった。


「……どうか、されましたか?」


 少し考え込んでいたら、不安そうな声がかかった。


「いや、まあ……。このところ、いろいろあったからな」


「ブラムド司教のことですか? 意外ですね」


 故人について考えることを意外と言われ、キミヒコは胡乱な目を向ける。


「キミヒコさんは、あまりそういったことを気にしない人だと思ってました」


「……腕一本残して、消えちゃったからな。そりゃ、他の部分がどうなったとか、気にはなるだろ。アデラインはどうなんだ? 司教とはそれなりに付き合いがあったんじゃないの?」


「ブラムド司教ですか……。彼は父に、よく仕えてくれました。大柄で一見怖そうなんですけど、優しい鳶色の瞳を持った人でしたね……」


 アデラインは自身の髪飾りを、しきりにその手でいじりながら、そんなことを言った。


 人となりについては言及しても、本人に対してどう思っているかは口にしない。おそらく、どうでもいいと思っているのだろう。


「キミヒコさん。私、あなたにお礼をしたいです」


 唐突に話を切って、アデラインが言った。


「……お礼?」


「ええ。ピアノの先生をやってくれているじゃないですか。ようやく一曲弾けるようになりましたからね」


 ピアノの先生は、最近に始めたことではない。今も呑気にこうして続けているのは、急に態度を変えることで、アデラインへの疑いを気取られたくないからだ。


「……どうです? 今晩、私の家で夕食でも。私、料理には自信があるんです」


 ピアノの先生のお礼に、自宅に招いて手料理を振る舞うとアデラインは言う。

 この手の誘いは今までも何度かあったが、キミヒコはいつも断っていた。


「……そうだな。たまには、いいかもしれないな」


 だが今回、キミヒコは初めて、アデラインの誘いに乗った。


 断られると思っていたのか、アデラインはポカンとした表情を浮かべている。だがそれも一瞬のことで、その顔がパアッと明るくなる。


「ええ! 是非、是非来てくださいね! 私、頑張りますから!」


 声を弾ませて、アデラインが言う。


 表面上、本当に嬉しいような雰囲気にキミヒコには見えた。頬は紅潮し、耳まで赤く染まっている。


 こいつ……いったい、なにを考えてるんだ……? これも演技なのか? 俺を招き寄せて、殺す気か?


 何の裏もなさそうなアデラインの純朴な様子に、キミヒコの心中で疑念が渦巻く。


 そんなキミヒコの心など、知ってか知らずかアデラインは手料理のメニューをどうするか考えているらしかった。

 キミヒコの好物や嫌いなものを慎重に聞いてくる彼女は、恋に恋する少女のようだ。普段の凛々しい姿とも、キミヒコにだけ時折見せる妖艶な姿とも違っていた。


 いったいどれが、アデラインの素顔なのか。キミヒコにはわからなかった。



 ピアノ教室が終わり、キミヒコはホワイトを連れて市内を歩いていた。


 アデラインは夕食の準備のため、買い出しに出掛けている。


「貴方、どうされるおつもりで?」


「どうって、なにがだよ」


「貴方の目的がわかりません。役所に突き出すための証拠集めですか? それともあの女を抱くため?」


 ホワイトが、キミヒコの目的を問いかける。

 言うまでもなく、今晩のことだろう。


「……前者だ。お前も連れていく。あの女が怪しい素振りを見せたら、容赦するな。俺の指示を待たず即座に殺れ」


 冷酷な声色で、ホワイトに指示を出す。


 異性の家に招かれているのに、この人形を連れていくのもどうかと思われたが、仕方がない。アデラインに殺意がある可能性を思えば、ホワイト抜きでノコノコと一人で行くなど考えられないことだ。


「それは本心なので?」


 キミヒコの指示に対して、この人形は重ねて問いかけてきた。


「……どういう意味だ?」


「そのままです。最近の貴方の行動はなんともチグハグで、私には理解が及びませんが……。まあ、貴方がやりたいようにすればいいでしょう」


 ホワイトはそれだけ言って、話を終えた。


 なんだよこいつ。人形のくせに、わかったふうな口をききやがって……。


 そうも思うが、ホワイトの言うところの意味もキミヒコにはわかっていた。今の自分の行動は、合理的ではない。

 厚生局の依頼など無視して、アデラインとの関係もスッパリと絶って、この都市から出ていくのが賢い選択というものだ。


 馬鹿なことをしていると自嘲しながら、キミヒコは歩き続ける。


 その後、キミヒコはそのまま厚生局に顔を出し、先日の話を受けることを伝えた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  分からない事ばかりですね。  アデラインが(×怪しい/○妖しい)という事だけは 確かですが。
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