#16 ハレルヤ
雲の下へと姿を現した特十七号は、そのまま旋回しながら、さらに下へと降りてきていた。
その巨体は確かに凄まじい。が、全長の半分近くは尻尾の長さだ。体長で考えれば、実際のところは三十メートルほどだろう。
それでも十分な化け物ではあるのだが、事前に聞いていたほどの絶望的な状況ではないようにキミヒコには思えた。
「貴方、入らないんですか?」
いつまでたっても防空壕に入らないキミヒコに、ホワイトが問いかける。
「……入らなくても、大丈夫そうだ。特十七号は西側に行った」
キミヒコの言ったとおり、特十七号は旋回しながらも都市の西側へと舞い降りていく。バリスタから放たれた大矢や、魔法と思わしき光線を浴びているが意に介した様子はない。
そのまま降りていき、建物の陰に入ってその姿が見えなくなると、地響きがキミヒコの下まで伝わってきた。どうやら地に降り立ったようだ。
「……いったん、ギルドの連中の下に戻るぞ。状況を把握したい」
言って、キミヒコはホワイトを連れて、公園の中央へと戻っていく。
中央の噴水広場には、どこかホッとした様子のハンターたちと、渋い顔をしたギルド職員たちがいた。
「キ、キミヒコさん! どこに行ってたんですか!?」
「どこって、防空壕に入るって言ったろうが。 特十七号がこっちに来なかったから、戻ってきたんだよ。……状況は?」
のんびりとした様子で姿を現したキミヒコたちに、先程のギルド職員が詰め寄ってくる。だが、キミヒコはそれを気にも留めない。
他のハンターたちと異なり、キミヒコは契約の際にゴネたのが功を奏して、この公園内にさえいればフリーハンドで動ける。いちいち指図を受けるいわれはないのだ。
「……特十七号は四区に降り立ったようです。すぐに応援を出さなければ……!」
「ふぅん……応援ねぇ……。そりゃあご苦労なことで」
「なに他人事みたいに言ってんですか!?」
実際、他人事だろ。口には出さないが、そういう態度をキミヒコは隠そうともしない。
「そんなに心配しなくても、あちらだって熟達が揃ってるだろうが。なんなら、もう退治してるかもしれんぞ。なあホワイト」
「いや、無理そうですよ」
楽観論を口にするキミヒコだったが、相方の見解は異なったようだ。
「……そういうこと言うなよ。お前ほどじゃなくても、連中の実力を信じてやれ」
「はあ。じゃあ実際、どうなってるか聞いてみます?」
そう言って、ホワイトは石畳の上の水たまりを指差した。
その瞬間、水たまりの表面が揺れて、咆哮や絶叫、なにかが破壊される音が響き渡る。どうやら、特十七号が降り立った地点とあの水たまりに、糸電話による通信を繋げたらしい。
いったい何事かと、周囲の視線がキミヒコらに集まった。
轟音の中、やけにクリアに人の声も聞こえる。ホワイトがわざわざ、人の声を拾ってくれているのだろう。
――助けてくれ! 誰でもいい! 誰か、誰かぁ!!
――おい!? 逃げるな! 戦うんだよ!!
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にた……。
――許してくれ。許してくれ。食べないで……お願いだよ……。
「切れ」
「はい」
キミヒコが通信の切断を命じ、水たまりは静かになる。
広場は再び、雨の音が支配した。
こ、こいつ……余計なことを……。
キミヒコは心中で舌打ちする。
ホワイトが都市全域に密かに糸を張っていたこと。そしてそれにより音声を拾えること。この二点が周囲に露見してしまった。
あとでホワイトに説教してやると決心しつつ、平静を装いながらキミヒコは口を開く。
「……いやはや。あちらは大変みたいですなぁ」
「言ってる場合ですか!? 早く助けに行かないと!」
地獄のような状況を理解しながら呑気にしているキミヒコに、ギルド職員が食ってかかる。
「助けにって……どうやって?」
「なっ!? あなたの人形なら、特十七号と渡り合えるのではありませんか!? 地上に降りてきたのだから今がチャンスです。すぐに向かわせてくださいよ!」
「え、嫌だけど」
にべもなく断るキミヒコに、ギルド職員は唖然とする。
「な、な、な……なんでですか!?」
「なんでって……四区って結構離れてるじゃん? ホワイトを向かわせても、到着するまでに飛び立たれたら意味ないぞ。それどころか、こっちに向かってきたらどうすんの? ……結んだ契約では、ホワイトを動かす裁量は俺にあるはずだ。俺を……というか、ここを危険に晒すような命令は拒否させてもらう」
キミヒコが契約を盾にする。
表面上は毅然とした態度をとっているが、内心ではゴネておいてよかったと安堵の息をついていた。
「こ、この緊急時にそんなこと言ってられますか!?」
「ふーん、そう。でもこれは、俺だけの意見じゃなさそうだけどな」
そう言いながら、周囲に視線を這わせる。
ハンターたちはここの戦力の要が、ホワイトであることを理解していた。その肝心要の戦力を他へ回すのに忌避感があるらしく、ホワイトを応援に向かわせようとするギルド職員に刺すような視線を向けている。
針のむしろのような状況を察してか、ギルド職員は萎縮してしまった。
ま、当然だわな。だいたい、ギルドの連中が特十七号の詳細な情報を俺たちに回してないのが悪いんだよ。逃げるとでも思ったんだろうがな……。
現実問題、特十七号のサイズを知っていれば、職を失うこととなろうが逃げ出すハンターは多かっただろう。職どころか、命を失いかねないからだ。
公園内にはギルドへの不信感と嫌悪感が渦巻いている。
「君、勝手な真似はするんじゃない。職務に戻りたまえ」
「班長……。いや、しかし……」
「戻れ、と言ったんだ。彼とは私が話しておく」
この区画の現場リーダー、班長の男にそう言われて、キミヒコに食ってかかっていたギルド職員はすごすごと退散した。
「で、あなたはどんな話をされるので?」
「話すことなど、特にはないな。キミヒコ殿は現状維持で、契約を果たしてくれればそれでいい」
班長は話のわかる男だった。
キミヒコは笑みを浮かべて、その意見に同調する。
「ですよね。助けに行きたくても、行けない理由がありますからね。わざわざ、ここを危険に晒すような真似をするなんて、まったく馬鹿げてる」
「理由、か。……これは口実というのだ。四区を見捨てるためのな」
煮え切らないような表情で、班長が言った。
どうやら後ろ髪を引かれる思いがあるらしい。
「そんな言葉遊びに、なんの意味があるんですか? あなたは賢い選択をしてますよ」
「……引き続き、キミヒコ殿にはこの区域の警戒に当たっていただく。もしあれがこちらに来たなら、わかっているな?」
もう話はないとばかりに、班長は去っていった。
その様子をキミヒコは肩をすくめて見送る。
「貴方、よろしいので? 行けと言われれば、行って始末してきますが」
「必要ない。お前は俺の隣にいればいい」
ホワイトとそんなやりとりをしていると、ドラゴンの咆哮が聞こえた。それに釣られるように西の空へと目を向ければ、特十七号が瓦礫を巻き上げながら再び飛翔するのがキミヒコにも見えた。
「おー飛んでる飛んでる。まだやる気満々らしいな……。ホワイト、奴がこっちに来たなら、始末は任せたぞ。俺はまた防空壕に行ってるからな」
そう言って移動を開始しようとするキミヒコに、ホワイトから声がかかる。
「こっちに来てからでいいんですか? どうせなら、先手を打って始末しましょう」
「……どうやってだ? お前、遠距離攻撃なんてできないだろ?」
「槍かなにかを投擲すればいいでしょう。ここから投げつけて、撃墜します」
ホワイトの言葉に、キミヒコは怪訝な顔をする。
周囲にまだ人がいるのを確認して、口に手を当てる。糸電話で内緒話をするときの合図だ。
そのまま、声量を絞って言葉を紡ぐ。
「おい。敵の位置を把握できないのに、どうやって撃墜するんだよ?」
キミヒコの疑問はこれだった。ホワイトに視力はないため、飛翔した目標に向けての投擲など不可能に思えた。
ちなみに、糸電話で交信しているのは、ホワイトの弱点となり得るこの情報を秘匿するためだ。当然、ギルドにもこのことは伝えていない。
『さっき地上に降りたった際に、糸を括り付けました。位置は把握できてます』
「お、さすが。抜け目ないな。じゃあ、それでいこうか」
得心がいったキミヒコは、ホワイトの提案にゴーサインを出す。
「おい、誰か槍をくれ! こいつが投げて、あいつを撃墜するってさ!」
「ここの人間が持ってるようなのじゃ、無理ですよ」
「はあ? じゃあ、どうすんの?」
「あれを使います」
槍を調達しようとするキミヒコに、ホワイトが指差したのはこの公園のシンボル、英雄クワンリーの巨大な像だ。
キミヒコがなにか言う前に、ホワイトは羽織っていたレインコートを脱ぎ捨て、石像の下へと跳んだ。
ホワイトは石像に取り付くなり、その両手首を破壊し、その手に持っていた槍を奪い取る。そのまま、槍をその手に掲げて、地面へと降り立った。着地と同時、ズシンと重みのある音が公園内に響く。あの石槍だけでも、かなりの質量のようだ。
ホワイトは槍を両手で掲げたまま、のしのしと歩き、十分なスペースのある広場中央まで足を運んだ。そして、槍を持つ部位を後ろへずらしていき、石突付近の柄を握って投擲態勢を取る。槍の穂先は上空へと向けられた。
十メートル以上はある長大な石槍と、ホワイトの小柄な体格がひどくアンバランスな光景だ。
ホワイトと槍の質量差を考えれば、あんな体勢でいられるはずはない。おそらく、お得意の魔力糸を使って地面と身体の固定でもしているのだろう。その影響か、ホワイトから逃げるように距離をとるハンターたちの、その顔色はひどいものだった。
機をうかがっているのか、ホワイトは投擲態勢のまま微動だにしない。上空を旋回する特十七号もまた、次の獲物を探しているのか、くるくると同じ場所を飛び続けている。
雨がホワイトの髪を濡らし、その白い顔に張り付く。そして、ドレスもまた水分を吸って透け、ホワイトの非人間的な球体関節をさらけ出していた。
皆が固唾を飲んで見守っている中、不意に雨脚が弱まり雲の隙間から光が差した。
それと同時、ホワイトが動く。
一歩、二歩、三歩。投擲の勢いをつけるため、人形の小さな足が地を踏みしめる。
踏み出した三歩目は、いったいどれほどの力が込められていたのか。左足で踏み締めた地点を中心にして、広場の石畳に亀裂が走り、キミヒコの足元にまで到達する。
そして、ホワイトの手から、槍は放たれた。猛烈な勢いでもって、冷たい雨をはらいながら、まっすぐに飛ぶ。
ホワイトは、特十七号の飛行速度とその進行方向をきちんと計算に入れて投擲したらしい。槍の進行方向に特十七号の巨体が重なった。特十七号もそれに気が付いたのか、その身を翻そうとしたが、間に合わない。
槍は特十七号の首元へと吸い込まれるように命中。その首をはね飛ばし、それでなお止まらず、遥か彼方へと飛び去っていった。
飛び続ける槍と対照的に、ドラゴンの巨体は力を失い、落ちていく。雨が上がり、薄陽がその様を照らし出した。
首を無くした巨体が地面に叩きつけられ、轟音が鳴り響く。そこから一拍間を置いて、遠くで歓声が上がるのがキミヒコの耳に入った。
近くからは聞こえない。近場のハンターたちがそれどころではないからだ。
ホワイトは相当な魔力を込めて、あの投擲を行なったらしい。それを直に見たハンターたちの顔色は、青色を通り越して土色になっていた。その場で蹲り、嘔吐している者もいる。
「撃墜しましたが、とどめを刺してきましょうか?」
ホワイトがキミヒコの下へ寄ってきて、そんなことを言う。
敵の首をはね飛ばしたうえでの、このとぼけた発言。
この人形にとって生死の境は曖昧で、確実に殺したと判断するには首をはねるだけでは足りない。首を落としたうえに、臓腑を引きずり出すまでが基本だった。多くの場合は心臓を抉り取られることとなる。
「いや、いらんだろ。もう絶対死んでるよ。……十分働いたから、ここでゆっくりしてろ」
「そうですか? まあ、貴方が言うなら、そうしますか」
そんな会話をしながら、キミヒコは傘を閉じた。
もうすっかり雨は上がり、冬の寒空に虹がかかっているのが見える。
「しかし、あっさりと終わるもんだな。案ずるより産むが易し、か」
キミヒコがしみじみと言う。
全長五十メートルの怪獣が相手と聞いたときには、どうなることかと気を揉んでいたものだが、ホワイトにかかればなんのことはなかった。
安堵の息をついていると、ホワイトにじっと見つめられていることに、気が付く。
「……惚れ直しましたか?」
ホワイトが、そんなことを言う。雨に濡れた白い顔も相まって、ひどく蠱惑的な響きがした。
ホワイトはごく稀に、こうした冗談とも本気ともつかないようなことを、唐突に言うことがある。
「いまさらだな。俺は毎日、お前を見るたびに惚れ直してるよ。最初に出会ってから、ずっとな」
キミヒコは、そう冗談で返した。
だが言ってしまったあと、自身の言葉は半ば本気だったかもしれないと気が付く。頬を撫でる冬の空気が、よりいっそう熱を奪っていくのをキミヒコは感じた。




