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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.3 アビスの病床
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#4 ホテルメドーザ

 ここメドーザ市へ来てからというもの、キミヒコは今のところうまくやれていた。

 ホワイトはなんのトラブルを起こすこともなく、キミヒコの想定通りの働きをしてくれている。


 今現在も金銭的には余裕があり、さらにギルドとは大口の契約を結ぶこともできた。キミヒコの懐は、これからさらに潤うことだろう。

 おかげで、こうして都市で一番の高級宿で、優雅な夕食を楽しむこともできる。


「ふふふ……。まったく順調だな。なんなら、この都市に腰を落ち着けてもいいかもしれないな」


 順風満帆といえる現状に、キミヒコはそんなことを呟きながら、グラスのワインを口に含んだ。


「それはそれは。満足しているようで、なによりです。ですが、貴方はいつも詰めが甘いというか、最後はうまくいかないんですよね」


 満足気にワインに舌鼓を打つキミヒコに、相席のホワイトがそんなことを言う。

 乾杯の際に注がれたであろうワインは、人形の喉を潤すことはなく、その手に持つグラスの中で揺れていた。


「水を差すようなことを言うなよ……。詰めが甘いのは確かにそうだったかもしれんが、俺だけのせいじゃないだろ。どっかの誰かが唐突に人殺しをやるからだろうが」


「どっかの誰か……?」


「て、てめぇ……」


 ホワイトと戯れていると、本日のディナーのメインディッシュが運ばれてきた。


「キミヒコ様、お待たせをいたしました。本日のメインディッシュとなります。こちらは――」


 料理を運んできたウェイターが、メインディッシュの解説を丁寧に行なう。キミヒコは半分も聞いていないが、なかなか上等そうな肉料理だった。


「ん、では頂こうか。……君、これを取っておいてくれ」


 そう言って、手慣れた仕草でウェイターにチップを手渡す。ウェイターはそれをうやうやしく受け取り、一礼して戻っていった。


 この世界に来た当初、チップ文化はキミヒコには馴染みがないものだったが、今では慣れたものだった。従業員たちの給料はチップを前提としたものなので、これをやっておかないとかなりの顰蹙を買う。

 知らぬこととはいえ、この世界に来た当初はそんなことをしていなかった。それゆえに、余計な悪印象を抱かれていたのではあるが、今はこうしてスマートに対応できている。


 チップの話に限らず、この世界における文化や常識に自身が順応してきていることに、キミヒコは満足していた。


 できる範囲で、余計なトラブルの種は潰しておくに限る。すでにホワイトという特大のトラブルの種を抱えているのだから、これ以上はキミヒコの許容量を超えていた。


 現在宿泊しているような高級宿に泊まるのも、その一環である。単純によい生活をしたいというのもあったが、キミヒコが重視したのは客層だった。

 高級宿だけあって、ここの宿泊客は基本的に裕福な人間が多い。そして、金のゆとりは心のゆとりである。ここに宿泊できるような人間であれば、キミヒコやホワイトに変なやっかみをすることはないだろうという目算だった。


 一見して苦労しているふうでもないのに金満であるキミヒコに対する妬みや、ホワイトの美貌と能力に釣られて、ちょっかいをかけてくる人間はあとを絶たない。

 陰であれこれ言われるくらいならば問題はない。だが、世の中にはとんでもない馬鹿もいるもので、そういった輩が直接的な行動を起こしてくることもあった。


 メインディッシュの肉料理を堪能しながら、そんなことを思い返していると、先程のウェイターがキミヒコたちのテーブルまで来るのが見えた。


 はて、デザートにはまだ早いのに何用なのか。キミヒコがそう疑問に思っていると、ウェイターは申し訳なさげに口を開いた。


「キミヒコ様、その……お食事中に大変恐縮なのですが、当ホテルの者が、あなたとお話をしたいと……」


「……食事中だぞ。待たせろ」


「あの、それがですね――」


「待たせろ、と言ったんだが?」


 またか、とキミヒコは心中で舌打ちする。


 この宿の従業員、おそらくは管理職の立場であろう人間が、ホワイトにご執心であるらしいことは知っていた。

 彼女について話がしたい、といった要望をそれとなく伝えられることは何度かあった。だが、キミヒコはそれを無視していた。面倒ごとの予感しかしなかったからだ。


 ホワイトのことを「人形」ではなく「彼女」と表現するような人間に、キミヒコはいい思い出がない。


 馬鹿の相手をしたくないから、高い金払ってここに宿泊してるのに……。誰だか知らんが、ふざけた野郎だ。


 変な正義感を拗らせた馬鹿か、はたまた惚れっぽい馬鹿なのか。いずれにせよ、話はしなければならないだろう。相手はそれなりの立場を笠に、こうして強引に話に持ち込もうとするような人間だ。場合によっては宿を変えることを検討しなければならない。


 せっかくのディナーがまずくなるようなことを考えながら、キミヒコは黙々と食事を進める。


 目の前の皿の上が空となると、タイミングを見計らったかのように、二人の男がキミヒコの前に現れた。


 一人は顔見知りだ。キミヒコの宿泊する部屋の専属スタッフ。ベテラン執事といった風貌の男で、その仕事ぶりもなかなかのもの。キミヒコは彼を高く評価し、贔屓にしていた。

 彼は非礼を承知でこの場に来たらしく、なんとも申し訳なさそうな表情をしている。


 もう一人は見覚えのない若い男。キミヒコと同じか年下くらいの印象だ。おそらくこちらが、今回の面倒ごとの原因だろうとキミヒコはあたりをつけた。


「……デザートがまだなんだが?」


「これは失礼。ですが、どうしてもあなたとお話がしたかったものでね、キミヒコさん。今までも何度かそうお伝えしたんですが、袖にされ続けてしまったものですから」


 男は飄々とそんなことを言う。


 袖にされてるのがわかってるなら、食事中に押しかけてくるんじゃねえよ。

 そう怒鳴りつけてやりたいのを、キミヒコはグッと堪えた。この程度、喧嘩をして騒ぎにするほどのことではない。さらに上の立場の人間にクレームを入れてやれば済む話だ。


「君ねぇ……。どういうつもりか知らないが、客にしていい態度じゃないだろう、それは。支配人を呼んでくれ」


「呼ぶ必要はありませんよ。私が支配人です」


 男の言葉にキミヒコは瞠目する。


 支配人だと? こんな若輩者が? そんな馬鹿な……。


 思わず視線を付き添いの男に向ける。なんとも困り果てた様子で、付き添いの男は小さく頷いた。どうやら支配人というのは妄言ではないらしい。


「……支配人? 君が? これはこれは……。いい宿だと思っていたんだがね。どうやら買い被りだったらしいな」


「それはこちらのセリフでもありますよ。……あなたの噂は聞いていますよ、人形遣いさん」


 客であるキミヒコの怒りを滲ませた言葉に、支配人はそう返した。


「噂、ねえ……」


「ずいぶんと、各地でアコギな真似をしているらしいですね」


「それで? この宿の支配人ともあろう立場のお方が、そんな噂を聞きつけて、いったい私になにを言う気なんだい?」


 アコギな真似、と言われてキミヒコにはいくつも心当たりはあった。


 軽いものなら、現在もやっていたようなギルドとの揉め事。こんなことはあちこちでやっている。魔獣被害でどんなに困っていようと、要求する金額が支払えないなら見捨てることもしばしばだった。


 重いものなら、ホワイトが引き起こした傷害事件。これは大抵、金にものを言わせて解決するのが基本だった。大抵は被害者相手に示談金として支払うが、ゴネるようなら弁護士を雇ったり官憲への賄賂を駆使してどうにかしていた。


 知られてはならないものなら、殺人事件を引き起こしたこと。だがこれは、確証となるようなものは絶対にない。そうでなければ、アマルテア全土に情報ネットワークを張り巡らすギルドで、こんなに簡単に仕事を受けることなどできはしないだろう。


「……わからないんですか? 私はあなたが知られたくないような情報を持っているんですよ?」


「だから、それがどうしたと言うんだ?」


 脅しをかけているつもりらしい支配人に、キミヒコは平然とそう返した。


 馬鹿が……。どんな話を聞いたのか知らないが、致命的な情報じゃないのは確かだ。傷害事件はちょっと嫌だが、それはどれも解決済みの話だ。蒸し返したところでなんになる?


 心中で嘲りながら、キミヒコは支配人がどんな話をするのかを待った。


「……いい加減、その子を解放したらどうなんです? あなたの低俗な欲望を満たすために、彼女がいいように使われているのは、見ていて気分のいいものではない」


 どうやら眼前の男は惚れっぽい馬鹿だったらしい。正義感も拗らせてはいそうだが、こういう手合いはホワイトが不細工だったなら、きっとなにも言ってはこないだろう。


 そして、どうやら大した情報も持っていなさそうだということも、キミヒコは察した。キミヒコにとって本当に都合の悪い情報なら、少しくらいは匂わせてきそうなものである。そうでなければ駆け引きにならない。


 元からよく思っていなかった俺の他所での悪評を聞きつけて、そのまま突撃してきたってことか。これで本当に支配人か? 誰だよこんな直情的な馬鹿を任命した奴は……。


 本当にくだらない話で食事を邪魔されたことに、キミヒコは苛立つ。


「これは驚いた。この宿では、客にありがたい説教をしてくれるサービスもあるのか。……大きなお世話だ、とっとと失せろ」


 さっさとこの茶番を終わらせるため、強い口調でキミヒコは言い放つ。

 もはやキミヒコの心中にあるのは眼前の男のことではなく、このあとに運ばれてくるデザートについてと、次の宿をどこにするかということだった。


「……強気なんですね。宿にだって客を選ぶ権利はあるんですよ?」


「なら別の宿に移るだけだ。だが、前払いで会計は済ませてあるんだぞ。払った分は仕事をしてもらおうか。……メインディッシュの皿が空になってるんだから、早くデザートを持ってこいよ」


 そう言って、まだこの場に残っていたウェイターを睨みつける。

 彼は慌てて皿を片付けて、厨房へ戻っていった。


「あなたという人は――」


「あーもう、うるさいな。こいつじゃ話にならないから、もっと上の立場の人間を呼べ」


 支配人の言葉を遮って、付き添いの男にキミヒコは命じた。

 こんな馬鹿の相手はしてられない。明白にそんな態度をしてみせたことで、支配人の顔に赤みが差した。


「私がその最も上の立場の人間だ」


「あんたみたいな客に無礼を働く人間が、こんな高級宿の支配人になれるはずがないだろうが。大方、親の七光りってところか。お前のパパかママを呼んでこいって言ってんの」


 キミヒコは支配人の言葉を鼻で笑い、煽るようにそんなことを言う。


「……七光りだと? その言葉、取り消してもらおうか」


「おいおい図星か? だとしたら気の毒なことを言ったな、すまなかった」


 少しも申し訳ないとは思っていなさそうに、キミヒコは謝罪の言葉を口にする。


「しかし、ご両親はずいぶんとご立派なようだな。息子可愛さに不相応の地位を用意してやるとはね。羨ましい限りだよ」


 キミヒコがさらに煽る。


 本来なら無視を決め込むのが一番なのは理解していたが、ついついやってしまった。どうやら自分はそれなりに頭にきているらしいと、キミヒコはいまさらながらに自覚した。


「あなたが、そんなことを言えるのか? 荒事を彼女に押し付けて、その報酬でこうして飲み食いしているような、あなたが」


「言えるとも。俺は魔獣使いだぞ。魔獣に仕事をさせて、なにが悪い? 七光りのお前と一緒にするな」


 親の七光りという言葉は、よほどこの支配人には応えるらしく、その顔は怒りで真っ赤に染まっている。


「あなたという人はッ!」


 支配人が乱暴にテーブルを叩き、その上の食器やグラスが音を鳴らした。

 その様を見て、キミヒコはみっともない男だと嘲笑しようとして、できなかった。見てはいけないものを見て、凍りついたからだ。


 ホワイトが、テーブルを叩いた支配人の腕を、掴んでいた。


「……ッ!? ホワイトやめろッ!」


 キミヒコは声を荒らげて叫んだが、遅かった。

 支配人の腕は、ホワイトが掴んだ先からが、肩の方へと折り畳まれるようにして曲がっていた。


 一拍間を置いて、絶叫が食堂ホールに響き渡る。


 腕が腕がと喚きながら、支配人が床に蹲っている。場は騒然となり、従業員たちが次から次へと集まってくる。


「あーあ……またかよ……。やっちまった……」


「やめましたけど、殺さないんですか?」


「こんなくだらないことで、殺すわけねーだろ。ちょっと、しばらく黙っててくれ」


 ホワイトが余計なことを言わないように黙らせる。このあとは官憲を挟んでの取り調べになるだろう。殺意のあるなしの話になったときに、不利になるような言質をとられないようにするためだ。


 せっかく今まで上手くいっていたのに、ままならないものだとキミヒコはため息をつく。


 そうしてぼんやりと状況を眺めていると、集まってきた従業員の中に、先程のウェイターがいるのがキミヒコの目についた。彼もこちらに見られていることに気が付いたらしく、ギョッとしたような表情をする。


 その様がどうにも腹立たしく思えて、キミヒコは怒鳴り散らした。


「おいっ! いつまで待たせるんだ! デザートを持ってこいって言ったろうが。官憲の取り調べまでに食べておきたいから、早くしろ!」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  あ、いつものキミヒコさんに戻ったw
[良い点] 最後のキミヒコの台詞が手慣れた感があって 笑えました。
[一言] 色んな意味で順応してきたキミヒコ。心強いなぁ。 ホワイトが腕を折ったのはキミヒコには見えなかった何かがあったのか、単に主を馬鹿にした馬鹿への怒りなのか……。
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