#26 花殻
ブルッケン王国北東部の上空を一騎の竜騎兵が駆けていた。
「さ、寒い……」
「もう少しの辛抱です。国境まで、あと少しですよ」
キミヒコはハインケルの従騎士の飛竜に乗り、ブルッケン王国からの脱出を図っていた。
高速で空を進む飛竜の背は、キミヒコの想像以上に寒い。
式典に出席するために借り受けた儀礼服の上にローブを羽織っているが、それでも体が凍え歯の根がガチガチと音を鳴らした。
ちなみにホワイトはキミヒコの背にしがみついている。
キミヒコたちが謁見の間から抜け出し、王城から脱出しようと城門に向かっていたとき、ハインケルの従騎士だと言う彼女に声をかけられた。
ハインケルの使いで脱出の手引きをすると話す彼女についていき、こうして飛竜で王都から逃げている。
「……しかし、よくすんなりと私についてきてくれましたね。戦勝式典では散々な目にあったと聞いていますが」
「そりゃ、騎士たちからすれば俺たちを攻撃する理由はないからな。確実に殺せるならともかく、危険が大きいだろう? こいつの相手はさ」
従騎士を殺され、同僚の騎士二人をも殺されたヴェルトロでさえ、キミヒコの逃亡をさりげなく手助けした。
さっさとこの国から出ていってほしい。そういうことだろうと、キミヒコは理解していた。
「まあそれは否定しませんが、閣下やウーデット卿があなたに一目置いていたのは本当ですよ。こういう結果にこそ終わりしましたが、共に戦った仲間でもありますし……」
「……そう思ってくれていたなら、ありがたいことだな」
そんな会話をしているうちに目的地までついたらしい。飛竜がゆっくりと旋回しながら地面へと降りていく。
地上には鉄のレールが敷かれ、東へと延びていた。
「ここは?」
「ここは計画が頓挫して、敷設途中で放棄された鉄道路線です」
「ほぉ……。帝国まで続いてる、というわけかな?」
「……」
キミヒコの探るような問いかけに対し、従騎士は沈黙で答える。
ブルッケン王国には、鉄道を敷設して維持管理できるような国力はない。そういうことができるのは、列強の国々だけだ。
計画が頓挫したとはいえ、ここまでの敷設を援助した国はどこか。シュバーデン帝国以外にありえないだろう。ウーデットは以前、キミヒコに対して帝国とは内戦以前から繋がりがあったとだけ教えてくれていた。
「すまない。意地の悪い質問だったな。ウーデット卿からは釘を刺されていたんだが」
つい問いかけてしまったものの、これはかなりデリケートな話題であるということもキミヒコは知っていた。
逃亡の手引きをしてくれた恩人を困らせるのも本意ではないので、すぐさま話を切り上げる。
「いえ……。これに沿って歩いていけば、街道まで抜けられます。その先にある宿場町まで着けばもう王国の外側です。……それでは、ここでお別れですね」
「ああ、ありがとう。ハインケル卿にもよろしく言っておいてくれ」
短く別れの挨拶をして、竜騎兵は飛び立っていった。
その姿が見えなくなるまで手を振って見送る。
「……はあぁぁ。助かった……死ぬかと思ったぞ……」
見送り終わると、キミヒコは深く息を吐き出して、その場にへたりこんだ。
「貴方、行かないんですか?」
「ちょっと休ませろ。疲れたんだよ、もう……」
キミヒコの声色は疲労困憊といった有り様だ。
どうにか逃げ出せはしたものの、荷物は置き去りにしてしまった。現金はもちろん、銀行の印章なども喪失したため、キミヒコの財産はほとんどなくなった。
こんなことなら欲をかかずに、さっさと逃げていればよかった。そう後悔するが、嘆いてばかりもいられない。
「ホワイト、隠し金を出してくれ」
キミヒコに言われ、ホワイトは「はいはい」と返事をしつつ、自身の右眼球を取り外した。そしてそのまま、眼窩に指を潜り込ませて、ゴソゴソとまさぐる。
眼窩の奥から目当てのものを取り出し、眼球を再び装着しながら、キミヒコに手渡す。
数枚の硬貨が、キミヒコの手のひらへと落ちた。
「これが俺たちの全財産、か」
受け取った硬貨を手の上で転がしながら、呟く。
ささやかな野心とちょっとした欲望を満たすため、あれこれやってきた結果がこの始末。
改めて現実を突きつけられて、キミヒコはガックリと肩を落とした。
「貴方、あれを見てください。貴方の好きな、ヒマワリですよ」
気落ちした主人を慰めようとしているのか、ホワイトがそんなことを言う。
人形の小さな手が指差す先には、確かにヒマワリがあった。人の手によらずに自生していたらしい。
しかし、今はもう夏どころか秋が終わろうとしている時期だ。ヒマワリの花はすっかりと枯れ果てていた。
華やかであったであろう花弁は萎れて下を向いている。まるで、自分たちの前途を表しているように見えて、キミヒコはまた気が滅入った。
◇
「やれやれ、あの人形には最後まで冷や汗をかかされたな……」
「……女王陛下にもね。サジタリオ卿は苦労してるでしょうよ」
「含蓄があるな。卿もアルフォンソ様の相手は苦労したからな」
王都ブルッケンの王城で、二人の騎士が暇を持て余して雑談していた。騎士ウーデットと騎士ハインケルである。
彼らは戦勝式典の混乱の後、監視付きでこの一室に押し込まれていた。
「卿、帝国の誘いはよかったのか? 騎士位は国に返すこととなるだろうが、帝国でも騎士として取り立てるという話だと聞いていたが……。卿ほどの竜騎兵であれば、例の航空兵団ではさぞ重用されるだろうに」
「……別にいいよ。この調子じゃ、ここもまた荒れるだろうからさ。今度こそ竜騎兵の強さを、この国の連中に思い知らせてやろうってものだよ」
そんな話をつらつらとしていると、急に扉が開けられて、大柄な男が入ってきた。騎士ヴェルトロだ。
「失礼するぞ」
「ノックくらいしたらどうなの? ヴェルトロ卿」
「俘虜の騎士にそこまで気を使う必要があるか? ハインケル卿」
二人の様子に、相変わらず仲が悪いなとウーデットは苦笑した。
「卿がここに来たということは、一段落ついたか」
キミヒコたちの捜索が終了したかと、ヴェルトロに問いかけるウーデット。
ウーデットとハインケルがここに押し込められたのは、キミヒコと親しかった彼らが、逃亡に手を貸すのではないかというヘンリエッタの邪推のためだ。実際、ハインケルは従騎士をキミヒコの逃亡のために差し向けている。
「ああ、とりあえずはな。人形遣いはもう城下には影も形もない。どこぞの竜騎兵が逃したんじゃないかと俺などは思ってるが、どうかなハインケル卿?」
「そりゃあ、顔に似合わず想像力豊かなことだね。私の見たところ、どこかの誰かが扉を粉砕したせいで逃げられたように見えたけどね」
「卿の従騎士、姿が見えないようだが?」
「サジタリオ卿に人形遣いの捜索依頼をされたからだよ。今頃、王国中の空を飛び回っているんじゃない? まったく、女王陛下のわがままには参ってしまうね」
実際のところは、騎士四人の暗黙の了解のうちにキミヒコとホワイトを逃すこととなったのだが、二人は無駄な嫌味をぶつけあう。
戦前からそりの合わない二人だったが、内戦で双方敵方に回り、そして内戦が終わりこうしてまた同僚になることになっても、その様子にまったく変わりはなかった。
「……女王陛下はどのようなご様子だ?」
ウーデットがヴェルトロに状況を尋ねる。
もはや殺戮人形の脅威はこの国を去った。騎士たちにとっての目下の問題は、戦勝式典で狂態を晒した女王ヘンリエッタだ。
おとなしく、心優しい彼女を知っているウーデットとハインケルは、あの様子には度肝を抜かれたものである。
「相変わらず、喚き散らしているよ。フォルゴーレの仇討ちをしろとさ。まったくやれやれだ。いつまで小娘のつもりでいるんだか」
「卿、ヘンリエッタ様のためにその麾下に入ったのではないのか?」
ヴェルトロの不敬な言い草に、ウーデットが思わず問いかけた。
もともとヴェルトロは直情的で、目上の人間にもはっきりと物を言う男だったが、あまりの言いようである。ヘンリエッタの旗揚げの際には迷うことなく馳せ参じたというのに。
「俺はアルフォンソが嫌いだっただけだ。敵対派閥なら、担ぐ神輿は誰でも構わなかったよ」
返ってきた答えもあんまりな内容であった。
ウーデットはため息を漏らしたが、ハインケルはわからんでもないといったふうに頷いた。
「まあ、アルフォンソ様も大概だったからねぇ……」
ハインケルがしみじみと言う。
「珍しく気が合うな。あの男も好き放題やって、挙げ句の果てには、あの化物に手を出しての自爆なのだから世話ないな」
ヴェルトロの発言を受けて、その化物を自陣に引き入れたウーデットが肩を落とす。
アルフォンソの暗君ぶりを甘く見積もっていたことが招いた、彼の痛恨の失敗である。
その後も騎士三人は、愚痴に嫌味にと話に花を咲かせた。これから訪れるであろう、ブルッケン王国の苦難から目を逸らすように……。




