#25 キラークイーン
ブルッケン城謁見の間。以前、あのアルフォンソ王による恩賞の授与式が執り行われた場で、キミヒコたちはまた跪いていた。
現在玉座にいるのは、女王ヘンリエッタだ。
跪きつつ、キミヒコは視線を玉座に這わす。新しい女王は前評判のとおりの優しげな美人だったが、その表情は陰りを帯びているように感じられた。
以前にあの玉座に座っていた暗君とは違って、真面目な性格ということなので、粛々と儀式を執り行なってくれることだろう。
実際に戴冠式はつつがなく終わり、今は戦勝式典が執り行われている。
この式典で王弟派についた武官に文官、そして騎士の処遇が女王から言い渡される。
とはいえ、事前に相手方の実質的な指導者である騎士サジタリオから処遇については聞いているため、儀礼的な意味合いしかない。
多少待遇は悪くなるだろうが、ほぼ全員が実質的にはお咎めなしということだ。
そしてキミヒコは僭王アルフォンソを討った褒賞をいくらか貰い、その後は寛大にも仕官を勧めてくれる女王の誘いを断って、この国をあとにするという段取りになっていた。
要するに国外追放のための茶番ということだ。王殺しをやった危険人物など、国に置いとくわけにはいかないのだから、妥当な判断といえる。
そういった次第で、王女派に危害を及ぼされることがないとわかったため、キミヒコとホワイトはこうしてこの国に留まって、この式典に参加する運びとなった。
……はあ、やれやれだ。まあ、そんなに悪くはない結末か。金はもらったし、な。
思い描いていた最上の結果ではないが、やらかしたことを考えれば、これで済んでよかったのだとキミヒコは安堵していた。
実際、追われる身になる可能性すらあったのに、穏便にこの国を出ていけるうえに、多くはないが報酬ももらえるのだ。十分すぎる結果と言えた。
ウーデットやハインケル、キミヒコの知り合いの武官たちの処遇が淡々と言い渡され、とうとうキミヒコの順番が回ってきた。名を呼ばれ、ホワイトと共に所定の場所までゆっくりと歩き、そこで女王に跪く。
そうして、新たなる女王の言葉を黙して待つ。
「……」
黙して、待つ。
「……?」
だが、キミヒコが待てども待てども、女王からの言葉がかからない。本来なら「面を上げなさい」というセリフで顔を上げる予定だった。
……なんだか、以前もこんなことがあった気がするんだが。いったい、どうなってるんだ……?
嫌な予感が、冷や汗となってキミヒコの背を伝った。
顔を上げることもできずに、そのまま跪いているキミヒコの耳に誰かの咳払いが聞こえる。おそらくはサジタリオのものだろう。式の進行を促しているらしかった。
「……面を上げなさい」
「ははっ」
ようやく声がかかって、キミヒコは安堵した。
ああ、よかった。やっぱり女王様はあの狂王とは違うんだよな。
そんなふうなことを考えながら、キミヒコは顔を上げて、見た。
女王ヘンリエッタの凄まじい形相を。憎悪に歪んだ、その顔を。
いったいどうして、そんな顔で見られているのか、キミヒコには見当もつかなかった。気付かないうちに、なにか無礼を働いただろうか。
「人形遣いのキミヒコにその人形ホワイト。あなたたちの沙汰を言い渡す前に、聞きたいことがあります」
抑揚のない声で、そう言葉を発する女王。
声は平坦なものだが、キミヒコたちに向けている感情は明白だった。その顔は憎しみを隠そうともしない。
怖いよ、なんだよその顔。十代の女の子のしていい顔じゃないぞ。そして聞きたいことってなんだよ……。
ウーデットやハインケルのときには、このようなやりとりはなかった。なぜ自分だけ。
キミヒコが動揺して固まっていると、女王の傍に控えていた騎士サジタリオが口を開く。
「女王陛下。今は式典の進行を優先すべきかと……」
「黙れ」
騎士の忠言は、ひと言で封殺された。
女王ヘンリエッタは公正で慈愛に満ちた、素晴らしい方。キミヒコはそう聞いていたのだが、この高圧的な態度は前評判とあまりに違いすぎた。
な、なんなんだ……この女は。叔父が叔父なら、姪も姪か。血は争えないらしいが、勘弁してくれ。
キミヒコは愕然としながらも、横目で騎士たちの様子を窺う。
ウーデットとハインケルは明らかに狼狽した様子を見せている。サジタリオは焦ったような様子で、なにかを言おうとしているが言葉が出てこないらしい。ヴェルトロは特に動じていないが、どことなく呆れたような雰囲気だった。
式典は静まりかえってしまい、キミヒコはいったいどうしていいのかわからない。だが、女王は憎悪を込めた視線をキミヒコに注ぎ続けている。
騎士たちはあてにできそうにない。これは、自分が答えなくては駄目か。キミヒコはそう覚悟を決めた。
「……女王陛下。私に答えられることでしたら、なんなりと」
「あなたたちが殺した者のことを、覚えていますか?」
殺した者のこと。女王の言葉に、キミヒコは戦慄した。
これはヤバイやつだ。もしや俺たちのことを恨んでいらっしゃる? いったい、どいつのことで……?
必死に頭を回転させて、思い至った。アインラード市の戦闘でホワイトが殺害した騎士フォルゴーレは、王女ヘンリエッタといい仲であると、キミヒコは聞いたことがあった。
「覚えていますが、それは戦場でのことです。私たちは――」
「騎士フォルゴーレを覚えていますか?」
戦場でのことを持ち出さないでくれ。そう言おうとしたキミヒコだったが、上から言葉を被せられてそれは叶わなかった。
そして、案の定、あの新人騎士のことでの逆恨みらしいことを理解して、身震いする。
クソが……! そんなに大事な愛人なら、戦場になんて出すんじゃねえよ。
自分は雇われて戦争に参加しただけだ。戦場でのことで恨みをぶつけるなど、逆恨みもいいところだ。だいたい、国外追放にするのだから、これ以上の追求はしないという話ではなかったのか。
そういった自己弁護を心中で重ねるキミヒコだったが、それでこの最悪の状況が好転するわけもない。
どうにかして、騎士フォルゴーレの戦死は自分たちのせいではないと、言い訳をしなければならない。だが、女王ヘンリエッタは余計な答弁を許してくれそうにはなかった。
「アインラード市でのことでしたら、報告は受けています」
「彼を殺したのは、あなたたちですか?」
「我が自動人形、ホワイトからは交戦の報告は受けていますが、詳細は存じません」
ホワイトが下手人であることをキミヒコは当然知っていたが、どうにか明言を避けようと言葉を濁す。
「女王陛下。アインラード市でのことでしたらホワイトは最後まで残り、どうにか撤退に成功しただけです。詳細なことを知りたいのであれば、サジタリオ卿に――」
「すでに報告は受けています。白い自動人形がフォルゴーレを殺したと、そう聞きました。あなたの人形が彼の首を持って、この城に入ったとも聞いています」
当然といえば当然の話ではあるのだが、ヘンリエッタもホワイトのやったことの報告は受けていたようだ。これでは、有耶無耶にはできそうになかった。
ク、クソッタレめ……! だが、俺たちがあのイケメン野郎を殺したからって、どうすりゃいいんだよ。まさか、命で償えとか言わないだろうな……?
もはや、これ以上の答弁はまずい。ヘンリエッタの雰囲気は尋常ではない。
命の危険すら感じていたキミヒコは、どうにか助かろうとサジタリオに視線を送った。
王女派の筆頭騎士であるこの男であれば、どうにかとりなしてくれるのではないか。そんな期待を込めてのことだ。
キミヒコのすがるような視線を受けて、サジタリオが女王へと進言する。
「女王陛下。すべては戦場での出来事です。キミヒコ殿は戦働きをしていただけのこと。それを咎めることは――」
「黙れと言ったでしょう。今は人形遣いと話しているのです」
女王の有無を言わせぬ物言いに、サジタリオはすごすごと引き下がった。
その様を見て、キミヒコは呆然とする。生意気な小娘に、ガツンと言ってくれることを期待していたのに、なんと頼りにならない騎士だろうか。
「……キミヒコ、あなたが直接は見ていないというなら、あなたの人形に聞きましょうか」
相変わらずの抑揚のない声でヘンリエッタがそんなことを言う。
キミヒコはそれを聞いて生きた心地がしなかった。
ホワイトはとにかく人間の感情の機微には疎い。ヘンリエッタに敵視されていることを理解してはいないだろう。
一対一で会話をしようものなら、どんな失言が飛び出すかわからなかった。
しかもこの状況では詳細な指示をキミヒコが出すこともできない。糸電話の交信状態は維持されているが、指示を出すキミヒコも注視されているので、隠れて指示を出すのは不可能だ。
「ホワイト、あなたがフォルゴーレを殺したのですか?」
「……」
女王からの問いかけに、ホワイトは答えなかった。
キミヒコはホッと息をつく。不敬ではあるが、変な発言をされるよりは余程いい。
「……なぜ答えないのですか?」
「女王陛下。ホワイトは自動人形です。それゆえ、誰にも彼にも会話ができるわけではないのです。発言はご容赦願いたい」
ここぞとばかりに、キミヒコがフォローを入れる。
「なら、喋らせるようにしなさい」
キミヒコのいい加減な誤魔化しは通用しなかった。
どうしたものかと黙っていると、さらに圧がかかる。
「これは頼んでいるのではありません。王としての命令です。あなたはそれを拒否するのですか?」
ヘンリエッタの高圧的な要求に、キミヒコも苛立ちを募らせ始めていた。
この女……調子に乗りすぎだろ。玉座についた途端にこれかよ。そもそも俺はこの国の人間じゃないから、王命なんぞ知ったことかよ……!
キミヒコは心中で悪態をつくが、ことここに至ってはもう拒否はできないことも理解していた。
もうどうなっても知らない。そんな捨て鉢な気分で、キミヒコはホワイトに指示を出す。
「……わかりました。ホワイト、女王陛下の質問にお答えしろ」
「はあ、構いませんが。仰るとおり、あの騎士でしたら私が始末しましたよ。心臓を抉り取って、首をはねました」
ホワイトの取り繕わないストレートな返答により、元から冷え込んでいた謁見の間の空気は、さらに冷たくなった。
誰もが固唾を飲んで、成り行きを見守っている。
「そうでしたか。フォルゴーレは私にとって、とてもとても大切な人でした。あなたは、彼を殺して、どう思っていますか?」
「別に、なにも思いませんが」
能面のような顔をして問いかける女王に、人形もまた無表情のまま平然とそう返した。
「なにも思わない……? この場に至って、罪悪感だとか、申し訳ないとか、そういった感情はないのですか?」
「罪の意識? 申し訳ない? 愚劣なことを言いますね。殺人は悪いことですが、これは戦争です。国家事業なんですよ。国家ぐるみなら、なにをやっても罪にはなりません。こんなの常識ですよ。知らないんですか?」
場の空気はさらに冷え切って、凍った。
「ちょ、おま……なんで今そんなこと言うの!?」
ホワイトのあまりの言い草に、キミヒコが思わず声を上げる。
だがこれは、完全に失敗だった。
「貴方が言っていたのではないですか。国家ぐるみなら、なにをやっても犯罪にはならないと。だいたい、貴方が他の騎士は放っておいてあの騎士を始末しろと命じたんじゃありませんか」
ホワイトはさらに、キミヒコが言葉にしてほしくないことを、そのよくとおる声で言い放つ。
国家ぐるみなら無罪発言に巻き込まれたうえに、騎士フォルゴーレを狙って殺したことまで完全に露見した。
「ふふっ、そうですね。国家のやることに罪はない。まったくそのとおりですよね」
いつの間にか、女王は穏やかな微笑を浮かべていた。
だが、その瞳はどろりとした汚泥のように濁っている。キミヒコにはそう感じられた。
「そ、そうですよね! この悲惨な戦争も終わって、これからは太平の世ですからね! そのためにも――」
「殺せ」
キミヒコの媚びた発言を遮って、女王は短くそう告げた。
「忠勇なる我が兵士たちよ、殺せっ! 悪逆の徒どもの首を、我が面前に捧げよ!!」
狂った女王の叫びが、謁見の間に木霊する。
女王の命を受けて、王女派所属だった兵士たちが武器を構えた。剣、槍、そして弩がキミヒコたちに向けられる。
だが、兵士たちの顔にはまだ迷いがあるようにキミヒコには見えた。まだ大丈夫だ。自身にそう言い聞かせ、声を張り上げる。
「やめろ兵士ども! ホワイトも動くなよ。……全員聞け! もし、俺を殺したなら、こいつはもう制御不能だ。城内にいる全員を殺し尽くすまで止まらねえぞ!」
キミヒコの必死の叫びに、兵士たちの動きが止まる。それを受けて、ウーデットとハインケルが援護とばかりに声を張り上げてくれた。
「キミヒコ殿、ホワイト殿を抑えていてくれ!」
「サジタリオ卿、女王陛下を止めろ! あの人形は私たちじゃ手に負えない。このままじゃ血の雨が降る!」
ウーデットの言葉どおり、キミヒコはホワイトを抱き上げ制止の言葉を聞かせ続ける。そして、ハインケルの言葉を受けて、サジタリオが兵士たちを制止した。
「武器を収めよ! 騎士命令だ。全員、武器を収めよ! ……女王陛下、お心を鎮めてください。このようなことでは、王国を治めることはとても――」
「黙れっ! 貴様も騎士なら我が勅命を果たせ! ヴェルトロもだ。なにをしている、早く務めを果たせ!」
女王が喚き散らすが、サジタリオはなんとか場を収めようと説得を続ける。ヴェルトロは仏頂面で素知らぬ振りだ。兵士たちもどうしたらよいかわからずに右往左往している。
状況は今のところは膠着状態だ。
逃げるなら、状況が混沌としている今しかない。キミヒコはホワイトを前に抱えながら、一歩一歩ゆっくりと後ずさり、出口へと近づいていく。
もう少し、もう少しだ。もう少し後退してから、一気に駆け出してここから逃げてやる……!
今すぐに駆け出したい気持ちを抑えながら、キミヒコは後退していく。
他の参列者は壁際に避難しており、兵士たちもキミヒコたちの周囲にはまだ近づいていないため、出口まで障害はない。扉付近は兵士が陣取っているが、ホワイトで脅してどうにかする心算だ。
十分に距離を稼ぎ、いざ駆け出そうと体を反転させると、一人の兵士と目が合った。
弩をキミヒコらに向けたまま、驚愕の表情で固まっている。
彼がなにを考えたかはわからない。キミヒコが逃げるのを阻止しようと思ったのかもしれないし、ホワイトに殺されると思って錯乱したのかもしれない。
とにかくそれはわからないが、彼の持つ弩から矢が放たれた。そしてそれはキミヒコの顔面直前で静止した。ホワイトが右手で矢を掴んで止めていたからだ。
ホワイトは矢を掴んだまま手首を回転させ、相手に矢尻を向けて投擲。矢は持ち主の首元に突き刺さり、その体を壁に縫い付けた。
喧騒に包まれていた謁見の間が、再び静まりかえった。女王とサジタリオの言い争いも静止している。
皆が死んだ兵士とキミヒコの方へと視線を向けていた。
一瞬間を空けて、誰のものかわからない悲鳴が響きわたる。兵士たちは迷いを捨てた様子で戦闘態勢に移行した。
「クソったれが! 逃げるぞホワイト!」
抱えていたホワイトを床に下ろして、キミヒコは一気に駆け出した。背後から風切り音となにかが弾かれる音がする。ホワイトが放たれた矢を払い除けてくれたらしいが、キミヒコに気にしている余裕はない。
扉までどうにか辿り着き、武器を構える兵士に怒鳴り散らす。
「寄るんじゃない! 近づけば殺す!」
兵士たちは、退かない。
馬鹿どもが! 仕事熱心で結構だが、こっちも命がかかってるんだ。もう殺すしかない……!
殺しの覚悟を決めたキミヒコの前に、ホワイトが出る。そのまま兵士たちに突撃するのかと思いきや、瞬時になにかに反応してキミヒコを庇うように床に押し倒す。
キミヒコが床に倒れると同時に、轟音が響きわたった。
「おっと、外したか」
ヴェルトロのものと思わしき声がした。前を見れば扉は完全に粉砕され、外側に彼の得物と思わしき大槌が転がっている。
兵士たちも扉周辺から退避しており、ここから抜け出す絶好のチャンスだ。
……さっさと逃げろと、そういうことか。
会話もしたことのない騎士ヴェルトロが、なぜ自分を逃がしてくれるのか。一瞬疑問に思ったキミヒコだったが、今はそんなことを考えている場合ではないと思い直す。
「ホワイト、外に出るぞ! 他へは目をくれるな! 余計な殺しはするんじゃないぞ!」
「了解」
キミヒコたちは謁見の間を後にして城内を走り出した。




