#21 都落ち
連合王国国家警備局。主に国家体制を脅かす事案に対応する組織で、秘密警察とも呼ばれている。連合王国内の反体制分子や外国の工作員からは恐れられている存在だ。
その警備局のゾロアート市支局の一室で、恰幅のいい男が葉巻を嗜んでいた。高価な調度品が揃えられたその部屋には、男の他に誰もいない。
時間が静止したかのような空間の中で、男の葉巻の煙と目の前に置かれたティーカップから立ち上る湯気だけが、ゆらゆらと揺れ動いている。
「……ふむ。おおむね首尾よくいったようだな、キミヒコ殿」
その誰もいない部屋で、部屋の主である騎士ヴァレンタインがそうひとりごちた。
『そう仰っていただけるのはありがたいですが、レオニードという男の捕縛には失敗してしまいました……』
ヴァレンタインの独り言に返事があった。
ティーカップの紅茶が波紋を作りながら、声を発している。見るものが見れば、カップの取っ手から魔力で作られた糸が伸び、不気味な光を明滅させているのが見えただろう。
「構わないよ。話を聞くに、襲撃をかけたのは分断派の騎士だろう。そいつを処分できたことの方がよほど重要だ。遺体は?」
『従騎士の方に引き渡しました。騎士武装と思われる槍も一緒です』
「結構だ。のちほど検分させてもらおう。……貴公、今どこにいる?」
『……』
「……信用がないな。まあ無理からぬことか」
自嘲するようにヴァレンタインが言った。
キミヒコに不当な扱いはさせないと言いつつ、結局彼は陰謀に巻き込まれ裁判にかけられる羽目になった。
もっとも、ヴァレンタイン自身はキミヒコが無罪だったとは毛ほども思っていない。娼婦を殺めたのは、キミヒコたちであろうことは知っていた。
『ヴァレンタイン卿ほどの方を相手に心苦しいのですが、これも性分でして……』
キミヒコもまた、心にもないようなことを言う。
「そうか。……報酬は受け取ってくれたかな?」
『ええ、ありがたく頂戴しました。早速、使わせていただいています』
今回の分断派の摘発において、キミヒコの協力にヴァレンタインは報酬を用意していた。
彼の凍結された資産を移動させた王立中央銀行の口座に、国内をフリーパスで移動できる通行証書。
キミヒコは早速通行証書を利用したらしい。鉄道を使って、この都市から出ていく算段のようだ。おそらく連合王国からも出ていく気だろう。
裁判で無罪になったとはいえ、キミヒコたちは分断派に目をつけられている。この国で安穏と暮らすことはもはや不可能だ。
『まあこの国ではいろいろとありましたが、最後に正義のお手伝いをさせていただけてよかったですよ』
正義のお手伝いなどと嘯くが、キミヒコがやったのは警備局の後ろ暗い汚れ仕事だ。
分断派摘発ののための目眩しとして連中の目を引きつけつつ、警備局の目の上のたんこぶである衛兵隊長アルフレートの粛清も行なった。
彼の方から警備局へと接近し協力を申し出たのは、私怨が多分に含まれているであろうことはヴァレンタインも察していた。
「正義など、この世の中に存在しないよ」
乾いた声でヴァレンタインがぼやく。
『ほう、警備局の方が言われると含蓄がありますな。心に留めておきましょう』
「ふっ、いいのか貴公。正義の味方だったのだろう?」
そう、冗談めかして笑うヴァレンタイン。
最初にキミヒコに会ったとき、彼は正義の味方が信条だなどと放言していた。とんだ正義の味方である。
『誤解があるようなのですが、あのとき私の言った正義というのは、強い者のことです。ま、言ってみれば強い者の味方、というわけですね』
「……なるほど。強き者が正義、か。まあ、一つの見解として、それも正しいのだろうな」
あまりに堂々とした物言いに、ここまでくると呆れを通り越して感心してしまう。
『……そろそろ時間のようです。短い間ですが、お世話になりました』
「こちらこそ、だよ。……貴公、息災でな」
『ええ、ヴァレンタイン卿もお元気で。……残りのお仕事がうまくいくよう、願っています』
それだけ言うと、ティーカップは静かになった。
はて、今くらいの時間に出発する便は、どこ行きだったか……。
ヴァレンタインはそう思って、鉄道ダイヤ表を取り出そうとして、やめた。もう、あの男とはなんの関わりもない。これからもそうだ。
ため息をひとつついて、今度はティーカップに手を伸ばす。紅茶はすっかり冷めていた。
◇
ゾロアート市唯一の鉄道駅。
そこで発車を待つ車両の一つに、キミヒコたちがいた。
「――お仕事がうまくいくよう、願っています」
それだけ言い終わると、キミヒコは目の前にいるホワイトにハンドサインを送る。
「……はい、通信は切断しました」
「ん、ご苦労さん」
ホワイトを労い、コンパートメントの小さなテーブルの上に置かれた、ワインの注がれたグラスをその手にとる。
「……ほら」
「はいはい」
キミヒコが促し、ホワイトもまたワイングラスをその小さな手にとる。
「……乾杯。ククク、アルフレートめ、ざまあみろだ」
グラスを軽くぶつけ合い、祝杯をあげるキミヒコとホワイト。
キミヒコはワインを飲みつつ、自身を嵌めた連中の筆頭格であるアルフレートへの呪詛を呟く。
「そんなにあの男に腹を立てていましたか?」
「ああ。あの野郎のおかげで、こうしてこの都市を追われる羽目になったからな……。資産もほぼほぼ失ったし……」
「資産でしたら、王立中央銀行に移されているのでは? 引き出すための印章は受け取っていましたよね?」
ホワイトの言うとおりで、裁判が終わって間もないキミヒコの銀行口座はいまだに凍結されたままだが、ヴァレンタインの計らいで中央銀行にその資産を移し、引き出しは可能となっていた。
「中央銀行の口座はそのままにしておく。下手に引き出すと足がつくからな……。分断派の連中がどこに潜んでいるかわからん以上、目立つ真似は避けたい」
「ずいぶん警戒されていますね」
ホワイトがそう言った瞬間、列車の発車のベルが鳴り響く。
キミヒコが車窓の外を見れば、向かい側のホームの列車が動き始めていた。
「……この列車の発車までにまだ間があります。なんであの列車のチケットも購入したんですか? 口座の資金を引き出せない以上、無駄な出費は控えるべきだと思いますが。というか、どうせ国外に出るのが目的ならば、あの列車に乗ってもよかったのでは?」
ホワイトが疑念を口にする。
キミヒコは今出発した列車のチケットも購入していた。それに早急に国外へ行きたいのであれば、あの列車に乗るのが最速の手段だ。
「念の為の偽装工作だ。購入履歴から行き先を調べられるかもしれんだろ。いくつも買っておけば、どの便を利用したか割り出しにくくなる」
意味があるかもわからない偽装工作だが、疑り深いキミヒコはそのためになけなしの資金を投じていた。
「それに、だ。さっきの会話をやめたタイミングで発車する便に乗っていたら、鉄道ダイヤを調べられれば一発で行き先がバレるからな。あの列車に乗るのはない。というか、あの列車に乗っているように見せかけるためにあのタイミングで会話を打ち切ったんだ」
キミヒコはそれまで確かに味方であったはずのヴァレンタインにも、彼の所属する警備局にも信用を置いていなかった。
「警備局は一応味方……なのでは?」
「んなことわかるかい。ヴァレンタイン卿も言ってたろ? この世に正義はないってな。必要があれば容赦なく裏切るだろうよ」
誰も彼もが裏切る。
唯一裏切らないと確信しているのは、目の前の可憐な殺戮人形だけだ。
「ははあ……なるほど……。いろいろ面倒を考えるものですね。まあ確かに、我ら以外の存在はすべて敵、そう仮定した方が対処は容易かもしれません」
その手に持つワイングラスを弄びながら、ホワイトが言った。
グラスの中の赤ワインがゆらゆらと揺れる。
「あのハンターもそうでしたものね。あの男が勧めたあのホテルの従業員も怪しいものです。この都市はどこもかしこも敵だらけ、というわけですね」
あのハンター。ホワイトが言うのはクリスのことだ。
ホワイトの言葉に対して、キミヒコは歯切れが悪く、そうだな、と答えるだけだった。
「どうしました?」
「いや……。そういえば、お前はあいつが怪しいって最初から思っていたのか? 出会ったときから妙に警戒していたよな? 最初から騎士だとわかってたとか?」
自身の態度をごまかすかのように、キミヒコが矢継ぎ早に問いかける。
「いえ。騎士だとはわかりませんでしたよ。あのとき持っていた槍には、魔核晶が入っていませんでしたし。ただ、武装なしでも地力が他のハンターを圧倒していましたので」
「……そう、か」
独り言のように呟いて、ワインを飲み干す。
グラスが空になったことを確認し、車内販売に追加で注文をしようとして、やめた。なんとなく、そういう気分ではなかった。
ホワイトを見れば、グラスのワインはそのまま残り、その手に揺すられるまま、透明なガラスの中で波立っている。
案外、はしたないことをするなとキミヒコは思ったが、ホワイトの好きなようにさせることにした。
この人形の行動はひたすらにシステマチックで、こうした遊ぶような動作は珍しい。どういう意図なのかはキミヒコにもわからない。もしかしたら、キミヒコにそういう一面を見せるためだけに、そうしているのかもしれない。
そんな考えにふけり、ぼんやりと時間が過ぎるのを待つ。開けはなたれた車窓から吹き込む風が心地よい。
半分夢の中にいるような気分だったキミヒコの耳に、けたたましいベルの音が鳴り響いた。列車の発車時刻の合図だ。
いつの間にそんなに時間がたっていたのかとキミヒコは驚く。
「……時間か。案外、早かったな」
「……? 定刻どおりですよ。寸分の狂いもありません」
「ふふ……。そうか、そうだな……」
人形のとぼけた返しに、キミヒコは笑って答えた。




