#40 オカルティック・レイヤー
死神は、白い少女の姿をしている。
このところ、解放軍内部で流れている変な噂を、エミリアは思い出していた。
解放軍の全軍を覆う、通信ネットワーク。死神はこの中に潜んでいて、魂を引き摺り込む。魂を取られた人間は、自殺する。
よくある怪談だ。冗談まじりに語られる、よくあるオカルト話。本来、ただそれだけの話なのだが、不審な点もある。
まず、ネットワーク上でこの話題を出すことができない。NGワードとして指定されているらしく、この話題をネットワーク上で口にすれば即座に切断されてしまう。キミヒコにそれとなく尋ねたこともあるが、はぐらかされた。
そして、自殺者は実在するという点だ。それも、普通の自殺ではない。常軌を逸した方法だったらしい。ドアノブに頭を打ちつけ続けて頭蓋を割って、その割れ目から取手を頭の中に突っ込み、自身の脳を掻き回す。自殺自体が普通でない話なのだが、それに輪をかけて普通ではない話になっている。
明らかに尾ひれがついたような話だが、とにかく頭を自分で打ち付けて死んだのは確からしい。そして、この自殺をした人間はメッセージを残していた。
『あの白いヤツに監視されている。金色の瞳で、ずっと——てる。あの女の子に、——される、される。——によ——と、愛だから。だからだからだからだから私は——』
死体の横に落ちていたメモ。ひどい殴り書きで、この先の後半部分は判読不能であったらしい。
自殺方法もメッセージも、すぐに緘口令が敷かれた。仮にも組織のトップであったエミリアでさえ、知っているのはここまでで、これ以上の詳細はわからない。
まさしく怪談なのだが、なぜ今、死にかけのエミリアがこの話を思い出しているのか。その理由は、件の死神の姿を幻視したからだ。
礼拝室の白い壁に寄りかかりながら立ち上がるエミリアの、ぼやける視界の中でそれは見えた。
「……ホワイト……ちゃん?」
あの白い自動人形の名前が、思わず口から出る。あの人形が、金色の瞳でエミリアを見ていた。
今まで、ホワイトがキミヒコの指示なしに、エミリアに視線を向けることなどなかった。手を振っても、話しかけても、完全に無視。一瞥さえしない。
そんな人形が、見ている。この礼拝室の中央に立ち、こちらを見据えている。
靄がかかったような視界の中で、あの白い自動人形だけがくっきりと映り、その金色の瞳はエミリアへと向けられていた。
ホワイトに声をかけようとした瞬間、轟音が鳴り響く。どうやら近くに帝国軍の爆弾が落ちたらしい。
礼拝室が揺れ、一瞬、人形から目をはなす。揺れる室内を眺めるが、視界はぼやけて、判然としない。そして、視線を元に戻すと、すでに人形の姿は消えていた。
……消えた。ホワイトちゃんだったの……? それとも、死神の幻影……か。
幻が消えると、それまでぼんやりしていた視界がクリアになる。
ホワイトの幻影はいなくなったが、部屋にはカレンとデュクスがいる。二人して、驚愕の表情でこちらを見ていた。
騎士たちは動かないが、エミリアも動かない。いや、動けない。
そもそも、自分はいつの間に立ち上がったのか。どうして立っていられるのか。何をどう考えても、血を失いすぎているこの身体で、その足で立っていられるのがすでにおかしい。
エミリア自身でさえそう思うのだから、デュクスとカレンがそう感じているのは想像に難くない。
だが、場の硬直は唐突に終わった。
爆発の音がする。航空爆弾の着弾、直上だ。
「スーベレーンめ! ここは爆撃するなと、あれほど……!」
カレンの声がするが、姿は見えない。
礼拝室の天井が崩れ、ガレキによる粉塵で視界は埋まっていた。
窮地を脱する、絶好のチャンスである。
もうエミリアには、騎士を相手に戦う力など残っていない。アーティファクトを持って、どうにか逃げる。それしかない。
だが、エミリアの足は動いてくれなかった。
そもそも立っていることすら、異常なのだ。崩れ落ちるこの聖堂から脱出など、できようはずもない。
ガラガラと建物が崩れる音を聴きながら、エミリアはとうとう意識を失った。
◇
「クソ、これまでか。もう離脱するしか……すまねぇ兄貴……」
崩落する聖堂の中で、デュクスが悔しそうに呟く。
あの魔人の娘と、アーティファクトは完全に見失った。もはや回収は不可能。
外の戦況も趨勢は決しているだろう。ただでさえ防衛側は兵数的にギリギリだったのに、あの魔人単独で登城をやられて、そこを橋頭堡にされた。そこの手当てのために兵が分散したので、城門の防衛も怪しい。おまけに帝国軍の空爆まである。
苦しい戦況は承知していたが、それでもデュクスは魔人の抹殺を優先した。反乱軍の組織的脆弱性を理解していたからだ。トップが消えれば分裂する。
そういう見込みで、城壁を離れてでも魔人を追ったのに、彼女を見失ったうえにアーティファクトまで喪失した。
もはやこれまで。
そんな失意に沈むデュクスだったが、その視界の端の粉塵に微妙な変化があることに気が付いた。
咄嗟にグレイブを盾にして構えた瞬間、凶刃が振るわれた。兄の形見である騎士武装の柄が、あっさりと切断される。
「……離脱、ね。それは、この世から?」
いつの間にか、暗黒騎士がそこにいた。暗い桃色の髪をした女が、嘲笑を浮かべている。
デュクスは知らぬうちに、死の間合いに入っていたのだ。
「な、てめ——」
横一閃が走る。
後ろへ跳んで回避を試みるも間に合わず、暗黒騎士の剣はデュクスの胸部を斬り裂いた。
胸から鮮血が舞う。が、まだ致命傷ではない。
暗黒騎士の女も当然それを理解していて、追い討ちをかけようとしてくるのが目に入る。しかし、騎士武装の魔核晶は無事なものの、柄を切断されたグレイブでは対応は難しい。
来るであろう苛烈な追撃を、どうにか凌がなければ。
そんなふうにデュクスは考えていたのだが、意外なことに、これ以上の追撃はなかった。
好機であるはずなのに、暗黒騎士が何か別のものに反応したのだ。アーティファクトを発見したわけではないだろう。露骨に嫌な顔をして、舌打ちまでして、彼女はデュクスを追うことなく、土煙の中へと消えていった。
理由は不明だが、デュクスは九死に一生を得たらしい。
胸の傷は……浅くはないが、致命的ではないか。移動に支障は……ない、な。手当は後にして、先にここを抜け出さねーと……。
胸の裂傷を手で押さえながら、その胸中でひとりごちる。
暗黒騎士がいなくとも、この聖堂の崩落に巻き込まれれば、それまでだ。視界はなきに等しい状況だが、聖堂の見取り図を脳裏に描き、どうにか脱出すべくデュクスは出入り口を探し始める。
デュクスがここに入ってきた、礼拝室裏口。そこを探し当て、くぐり抜けたその時、騎士の耳に声が聞こえた。
「……称え……よ……」
微かな声。
掠れて、弱々しい。しかし、どこか荘厳さを感じられる声がする。
「称え、よ……その、名を……称えよ。栄光に満ち……た、口に……できぬ、名……」
頭からつま先まで、何かに圧迫されるような感覚がして、動けない。
蛇に見込まれた蛙。まさしくそんな状態に、デュクスは陥った。
じゅ、呪言か……? 身体が、動かない……。この、声は……あの魔人の……。
周囲の音が消え、ナニカを称える声が響く。それは、デュクスの脳に直接入ってくるようだった。
「アルパなり、オメガ……なり。最先なり、最後なり。並ぶ者なき、比類な……き……その名を、称え——」
声が、途切れた。唐突に。
それと同時、デュクスの金縛りが解けて、大きく息を吐いた。
それまでの息苦しさから解放され、身体が酸素を求めて思い切り空気を吸う。だが、動揺のあまり、肺の中に粉塵もいっしょに吸い込み、デュクスはむせた。
なんだ……なんだってんだよ。近頃、ロクなやつと戦ってない。悪魔の人形に、エミリアとかいう魔人に、それに……なんなんだよ、化け物どもが……。あの暗黒騎士の方が、まだ、ずっとマトモだ……。
超常的な存在。理解できぬ神秘。オカルトな現象。
そうした、理解不能な力を、騎士は肌で感じている。こんなものを感じ続けては、気が狂いそうになる。
己が生命よりも、己が信じる正気を守るため。ただそのために、デュクスは駆け出した。




