#37 地ずり残月
城郭を力攻めする場合、主な攻略方法は三つある。
城壁を登って突入する登城。城壁を崩してしまう破城。城門を破る破門。
この中であれば、破門作戦こそ最も迅速かつ効率が良い方法だ。城門は堅牢な城郭においての弱点である。破城槌や騎士の攻撃で破壊したり、城門が木製ならば火も有効な手段。強力な魔術師集団がいるのであれば、攻性魔法陣による砲撃でもいい。
しかし、城門が弱点であるのは防衛側にとっても百も承知のことである。特にこの場所に兵力を集中させたり、防衛施設が設けられたりもする。
解放軍は当然、この城門にも攻撃を集中させているが、並行して他の策も実行していた。
城壁を破壊する破城作戦の実行は、今の解放軍では厳しい。
十分な威力の攻性魔法陣を組むには、魔術師の数も練度も足りていない。騎士級戦力による破壊もほぼ不可能。エミリア単騎では、あの城壁は分が悪い。
城門を破る以外で、解放軍が城壁の突破に選んだ方法は登城だった。
登城は最も危険な攻略方法だ。敵の矢やら魔術やらが飛んでくる中、梯子や攻城塔でどうにか乗り込まなくてはならない。
そんな登城を、単独で試みている人間がいる。
エミリアだ。
『ちょ、おま……何やってんの!? いやほんと何やってんの!? 将たるもの、後方でふんぞり返って偉そうにしていれば良いんだ!! 後退しろ!』
「耳元で怒鳴らないでください!」
事前の予定にないエミリアの行動に、キミヒコの悲鳴じみた声が通信回線から響いてくる。それを頭の隅に寄せて、エミリアは正面を見据えた。駆けながら前を見ている彼女の視界の先には、青空が広がっている。
エミリアは今、ドゴーラ市城壁を駆け上がっていた。垂直に。
『いやいやいや! 勝算あんの!?』
「あります! というか好機です! 今やらずにいつやるんです!? 全軍に私の活躍を見せるんですよね!?」
『あ、はい』
エミリアの返しに、キミヒコは素直に矛を収めた。
壁を駆け上がりながら、エミリアはチラリと横を見る。
視線の先では攻城塔の一基が、燃え盛っていた。敵魔術師の魔術をもろに受けたためだ。解放軍の兵士たちが火だるまになっている。
勇敢にも城壁突破の一番乗りを目指して突出した彼らの、無惨な結末。だが、それは無駄にはならなかった。
彼らに敵の攻撃と意識が集中した隙を突いて、エミリアは一気に単独登城を仕掛けたのだ。
「例の魔人だ! 落とせ落とせ!!」
「どうやって壁を走ってくるんだ!?」
敵兵の悲鳴じみた怒号と共に矢と石とが飛んでくる。熱湯や煮えた油も降り注ぐ。魔力弾が直撃して爆炎が広がる。
それらをものともせずに、エミリアはドゴーラ市を覆う大城壁を単独で登り切った。城壁の上に立った彼女を、城壁の上にいた兵たちは、化け物を見る目をしたまま動けない。
そんな彼らに、エミリアは遠慮せずに剣を振るった。近場にいた三人の敵兵が、驚愕の表情のままに絶命する。
断末魔と返り血に顔を歪ませるエミリアだったが、その目の端ではしっかりと敵の姿を捉えていた。
エミリアの現在地からは離れた、正門の真上。そこに騎士デュクスがいた。
相手も当然、こちらを認識している。かの騎士から放たれるビリビリとした殺気が、エミリア身体を抜けていく。
あれが騎士デュクス……でも、今倒すべきは彼じゃない。まずは城壁突破のための、橋頭堡を築かないと。それが、全軍に向けてのパフォーマンスになる……!
単騎で城壁を駆け上がり、敵も味方も、エミリアに注目している。
兵の前で英雄的活躍を披露しろ。
キミヒコに言われていたこの指示を、エミリアはすぐにでも完遂する腹づもりだった。
『でかした! そのまま周辺の敵を掃討しろ。攻城塔がそこに取り付くまでどうにか——』
唐突にキミヒコの声が途切れた。
敵の正規兵の槍が、エミリアの耳元にまで伸びていた魔力糸を切断したのだ。あの声が聞こえなくなったことで、エミリアは急に心細くなった。
だが、そんな侘しい気持ちを意識する間もなく、エミリアの体は動く。魔力糸を、キミヒコとの通信を切ってくれた敵兵、重厚な鎧を身につけたその兵に、エミリアは即座に肉薄。剣を振るうまでもなく、苛立ちを滲ませた拳をその胸当てに叩き込んだ。
胸甲はひしゃげ、その内部にまで衝撃が浸透したことで肋骨やら肺腑やらが致命的に破壊されたらしい。敵兵はおびただしい量の血を吐き散らしながら、城壁の下へと落ちていった。
「私の前に出てこなければ、死なずにすんだものを……!」
手に残る嫌な感触を意識しながら、エミリアはそう吐き捨てた。
ここの守備兵からすればあまりに身勝手なその言い草に、彼らの殺意はさらに高まる。
「魔人の分際で、よくもほざいたな!!」
「貴様こそ死ね! 地獄に堕ちろ!」
敵兵は怯むことなくエミリアへと立ち向かってくる。
シュバーデン帝国との戦争が始まってから、敗北に敗北を重ねて、本国が落とされてなお兵士を続けている面々だ。幾度となく死線を越えて、戦士としての経験を重ねてきた彼らは、とうとうその命運を散らすこととなった。
エミリアの振るう剣は、あっという間に彼らを惨殺せしめたのだ。
……努力して練り上げた技術でも、苦しい鍛錬を重ねて得た身体能力でもない。突然に降って湧いたような、意味不明なチカラで、私は人殺しをやっている……。
陰鬱な思いが心中で鎌首をもたげるが、それから目を背けるように身体を動かす。
周囲の敵の掃討を確認し、背負ってきた縄梯子の先端を城壁に引っ掛け、城壁の外側に落とした。
味方が登ってくるまで、あるいは攻城塔が取り付くまで死守できれば、ここを橋頭堡にできる。
「たとえ人殺しになろうと……負けられないのよ。私は……!」
自らへの苛立ちから、エミリアはそんなことを口走る。一軍の長という立場になっても、彼女は変わらず、殺人に慣れることができずにいた。
気を紛らわすように城壁の下を見れば、解放軍の兵士たちが急いで登ってきている。
エミリアなりに、機を見計らったうえでの勝算あっての行動だったが、慌てふためく兵士たちに、少し悪いことしたな、などといまさらながらに思う。
そして、味方の状況を確認しつつも、敵への意識もエミリアは途切れさせてはない。
「待っていたよ。よくも来てくれたな、魔人の小娘!」
放たれた騎士の一撃を、エミリアは剣でいなす。騎士デュクスが、単身でエミリアの下まで来ていた。
兄の形見の騎士武装であるグレイブ。長い柄の穂先の、大きな剣状の刃が、デュクスの魔力に震えている。
騎士デュクス……あの武器、兄である騎士アルキテウティスの遺品で、彼自身の騎士武装ではない。けど……性能は十全に引き出せていると見るべきか。
相対する敵の実力をエミリアは見積もる。兄であるアルキテウティスとは何度か刃を交えたこともあったが、デュクスとの戦闘は初めてのことだった。
「デュクス卿。カイラリィ帝国の命運はもう尽きた。抵抗は無意味だ。卿の御身と民を想うのなら——」
甲高い金属音が鳴り響き、エミリアの言葉は途切れた。
デュクスの横なぎの一撃を、エミリアがその手の剣で払ったのだ。
「魔人の分際で、騎士ごっこか? 鬱陶しいからさっさと死ね」
言って、デュクスが仕掛けてくる。
エミリアとしてもデュクスとの戦いは望むところではある。
今、エミリアたちは全軍の注目の的だ。ここでデュクスを討つことができたなら、それは大きなパフォーマンスとなるだろう。騎士を討ち果たした場面を、多くの将兵の目に焼き付けることができる。
しかし、事はそう簡単ではない。
——なに……!? 竜騎兵か!?
唐突にそんな言葉がエミリアの頭に響いた。その言葉で、エミリアは気が付く。デュクスと相対しながら、目の端でドゴーラ市の海側を確認すれば、それは見えた。
今の声、デュクス卿の……? それにしても、予想よりずっと早い……。カレン……もう来たのね……。
心中でそう独りごちるエミリアの目には、竜騎兵の編隊が映っている。
あの爆撃用の編隊の中には、きっと暗黒騎士たちもいるのだろう。それがエミリアには理解できていた。
「デュクス卿!! 海から敵の航空隊が……!」
「わかってる!」
遠くから叫ぶ守備兵の言葉で、デュクスの意識が一瞬逸れた瞬間、エミリアは動いていた。
デュクスとの距離を詰めて、剣を振り上げる。だが、遠い。
騎士の得物は長物のグレイブ。それよりも僅かに外の位置どりだ。剣に乗っている魔力からして、遠距離攻撃でもない。
エミリアの位置どりに不審な顔をしつつも、デュクスは迎撃の構えをとった。エミリアの攻撃を空振りさせてから、返しの一撃をお見舞いする腹だ。
そんな騎士の腹づもりを知ってか知らでか、エミリアはそのまま剣を振り下ろした。
「……チッ! そういうことかい。目のいい小娘だな……!」
舌打ちとともにそう吐き捨てて、騎士が飛び退いた。直後、城壁の一部が崩れ、城郭の内側にガレキが落ちていく。
ドゴーラ市城壁は堅牢ではあったが、脆い箇所が、特に内側には幾つかあった。エミリアはそこを見抜いて、攻撃したのだ。
……あそこを攻撃すれば崩れるって、私、どうしてわかったんだろう……? それに、何故か、相対したヒトの考えが、頭に入ってくる気がする……。
金色の眼を光らせながら、エミリアは思う。
このところ、妙だった。最初に感じたのはカレンと戦った時。それに近頃はキミヒコを相手にしていた時にも感じることだが、どうにも、相手の考えや心の中が視える気がした。
「ブラキペルマ卿!! お待たせしました!」
エミリアの思考を遮るように、背後の下方からそんな声がした。
落とした縄梯子から、兵士たちが登ってきている。攻城塔も一基が、あと少しでここに取り付ける距離まで来ている。
「このまま突入せよ。敵の数、決して多くはない。ここを突破口とすれば、敵は分散する。城門も破れよう」
息も絶え絶えの兵士に、そう指示を飛ばしつつ、エミリアは視線を敵に向ける。
騎士デュクスと、目が合った。
——殺す! 今日、絶対に……! あの小娘さえ始末できれば……ここが落とされても、反乱軍はきっと分裂する。そうすれば、まだどうとでもできる……!
殺気を感じると同時に、彼の騎士の思念も知覚できる。
敵の狙いが、想像以上に自分に向いていることを自覚して、エミリアは一計を案じた。
「……ここを離れれば、奴は私を追うだろう。私が敵騎士をここから引き剥がす。後は任せるぞ」
「はっ! ブラキペルマ卿、どうかご武運を……!」
「ふふ……。うん、ありがとう」
そう言って、兵に笑いかける。
戦場には不釣り合いなその笑みに、あっけに取られる兵を横目に、エミリアは城壁を飛び降りた。
城郭の内側、先程エミリアが崩したガレキが落下した場所だ。落下したガレキが巻き上げた土埃が、彼女を覆い隠して、着地の隙を消してくれた。
追ってきた……!
視界のきかない土煙の中でも、エミリアは騎士の殺意を感知していた。どうやら、彼もこちらを追って、城壁を飛び降りたらしい。狙いどおりだ。
さて、どこで戦うのが良いだろうか。
それを考えようとするエミリアの耳に、爆発の音が連続して響いた。帝国軍の空爆だ。
……早い。もう始まったのね。なら……。
デュクスとは付かず離れず。そうした距離を保ちながら、エミリアは移動する。
目的地はドゴーラ市大聖堂。キミヒコが総督から引き出した情報によれば、言語教会の施設であるそこに、目当ての品がある。
アーティファクト『カイラリィの王笏』。それを手に入れるべく、エミリアは動き出した。
◇
ドゴーラ市上空。
空母から発艦した竜騎兵たちが好き放題に爆弾を落としているその空で、四騎の竜騎兵の編隊が悠然と飛行を続けている。
この編隊だけ、他の竜騎兵と異なり爆撃のための装備ではない。複座の格闘戦装備で、後部には漆黒の鎧の騎士を乗せている。
編隊の先頭の竜騎兵には、カレンがいた。
……あれは、エミリアか。単独で市内に潜入するとは……それに、騎士デュクスに追われている? いや、あの動きには明確な意図が感じられるな。
無差別爆撃によりパニック状態の市街の喧騒の中、彼女はエミリアの姿を捉えていた。エミリアの後方には、騎士デュクスの姿もある。
アーティファクト確保のため、市街を焼き払う焼夷弾こそ使われていないものの、ドゴーラ市には帝国軍による容赦のない爆撃が続いている。都市の建築物は次々とガレキに変貌しているし、市民たちはただひたすらに逃げ惑うばかりだ。
そんな中、エミリアは明確な目的地を目指しているようにカレンには見えた。
エミリアが何か目的を持って向かう方向と、帝国軍の工作員が調査したアーティファクトの保管場所の候補地。それらを勘案して、カレンは目的地の見当をつけた。
ドゴーラ市言語教会の聖堂。そこに、アーティファクト『カイラリィの王笏』がある公算は高い。
そう結論づけるや否や、カレンは自身の前で飛竜を操る騎手に指示を出した。
「言語教会の聖堂近く……あの穀物貯蔵庫の屋上を降下ポイントとする」
降下時間も場所も、事前の計画と異なるカレンの指示に、騎手はただ「了解です」と答えて飛竜を操る。
ほどなくして、四騎の飛竜はカレンの指示のあった建物の真上に到達。そのまま、ホバリング飛行を開始した。
「中佐、どうかご武運を!」
そう言いながら親指を立てるジェスチャーをしてくれる騎手に、カレンもまた、無言のまま親指を立てて見せてから座席を離れた。
飛竜から垂らされたワイヤー。そこについているリングに足を引っ掛け、片手でワイヤーを掴みながら、カレンはラペリング降下を開始する。下降するリングとワイヤーが摩擦により火花を散らし、カレンはその身を降下させていく。
他三騎の飛竜からも同様に、カレンの部下の暗黒騎士たちが降下を開始していた。
ワイヤーの端、そこまでカレンが足を置いてあるリングが到達すると、ガキンという金属音と共に、暗黒騎士の身体が空中で静止した。
その状態のまま、カレンは身体を宙へと投げ出す。しばらくの落下の後、カレンは目的の建物へと着地した。
「あ、暗黒騎士……!?」
カレンの降り立った屋上には、青ざめた顔でそんなことを言う男がいた。空襲の状況を確認していた役人か何かだろう。兵士ではない。
彼は慌てた様子で、屋上から階下へ行くための扉に向かうが、それは叶わなかった。
空より飛来した黒い槍が、彼の身体を刺し貫いたのだ。
衝撃のあまり声をあげることもできずに、男は地面と身体とを縫い付けた槍に手を這わす。そのすぐそばに、下手人が降り立った。
暗黒騎士デルタである。
彼は地面に突き刺さっていた自身の得物を引き抜き、槍に貫かれたままの男をゴミか何かのように振り払った。胸の下あたりが引きちぎれ、血と臓物とを撒き散らしながら、男は建物の外へと落ちていく。
デルタがそれを一瞥し、上司の下へと向かうと、すでに他ニ名の隊員も降下を完了して集合していた。
「計画変更だ。私は聖堂に向かう。事前計画の私の担当箇所は、デルタに一任する」
部下たちが全員揃うなり、カレンが言う。
事前に計画された作戦とは異なる指示だが、異を唱える者はいない。
「了解。中佐、お気をつけて」
「ん……。撤収のタイミングを誤るなよ。では、行け!」
カレンの指示を受けた暗黒騎士たちは、それぞれの目的地に向け動き出した。
屋根から屋根へと飛び移るように移動し、その姿はすぐに見えなくなる。
「ふ、ふふ……ずっとこの時を待っていた。エミリア、私の邪魔をしてくれると嬉しい……そうすれば、遠慮なく殺してあげられる……」
部下たちがいなくなってから、暗黒騎士カレンは、獰猛な笑みを浮かべて独りごちる。
漆黒の兜に覆い隠されたその顔は、ドゴーラ市聖堂に向いていた。




