#35 ネヴァーマインド
カイラリィ帝国は長きに渡り、このガルグイユ島を支配してきた。かの老帝国が島を植民地として統治するために置いた総督府。その本拠地であるドゴーラ市を、エミリアはその目に捉えていた。
解放軍の軍旗がはためく小高い丘の上、エミリアは軍馬に跨り、眼下に広がる光景を静かに眺めている。解放軍士官用のコートをマントのように羽織り、その額には白いヘアバンドが巻かれていた。
『——先頃、帝国軍から報せがあった。航空支援として、空母による全力出撃でドゴーラ市を空爆するらしい』
エミリアの耳に、そんな声が聞こえる。キミヒコの声だ。
ドゴーラ市を攻めるための布陣を眺めながら、エミリアはこの後の戦闘について、キミヒコと最終打ち合わせをやっていた。
「航空支援……ですか。それは、純粋にこちらを支援するものではありませんね?」
『当然、そうだ』
「艦隊の目的は?」
『空母機動部隊の威力検証。空母一隻で、都市をどこまで破壊できるかテストするんだろ。こちらが市内に突入できても、おそらく無差別にやる気だな』
「なるほど。……これは、艦隊の独自行動でしょうか? 暗黒騎士たち……カレンの意図はあると思えますか?」
エミリアはそう問いかけつつも、彼女自身、わかっていた。この空襲には、暗黒騎士カレンの意思が介在していると。
かつて剣を交えた際に視えた、あの暗黒騎士の内面。表面上の悪辣さと冷酷さ、ただそれだけではない、カレンという人物の複雑な内側。それを、エミリアは理解したつもりになっていた。
『……カレンの作為がある……と、お前はそう思うか』
キミヒコも深くは聞いてはこないものの、エミリアの考えを容易に汲み取ってくれる。それが少し嬉しくて、エミリアの声は若干、弾む。
「はい。カレンがただ、指を咥えて見ているとは思えません」
『カレンが何かする気なら、それはおそらくアレの奪還だろう』
「アーティファクト『カイラリィの王笏』……ですね」
『俺らがゲットしても、最終的に帝国軍の手には渡るんだが……まあ、一回裏切りをやってるからなぁ……。あいつの意地もあるだろうし……空挺降下で直接乗り込んでくるかもな』
キミヒコの言葉に、エミリアの心中に、複雑な思いが広がる。
カレン……グラモストラ城での、あの時の続きを、私とするつもりなのね。騎士デュクスだけでなく、結局、彼女とも殺し殺され……か……。
再びの死闘を予感したためか、白いヘアバンドで隠された額の傷が変にうずく。カレンにつけられた、横一文字の傷跡が、熱を持っているように感じられる。
自らの額に手をやるエミリアの顔に、どこか寂しげな表情が混ざった。
『……アーティファクトの確保は、絶対条件じゃない。無理そうなら、くれてやれ』
糸電話の先のキミヒコに、エミリアの表情の変化はわからないはず。だが、キミヒコの声色はどこか気遣うものになっていた。
「しかしそれだと、戦後の帝国軍との交渉が……」
『まー多少の無理は、どうにか押し通すさ。カレンとは仲良しだし、俺。だからお前は気楽にやればいい』
その言葉は心強いが、同時に申し訳ないともエミリアは思う。
しかし、その思いを口にしたとして、キミヒコは「気にするな」という趣旨の返事しかしないだろう。彼はこうした配慮を、素直な表現で口にはしない。そういう人間だとエミリアは認識している。
彼へ報いるには、言葉でなく結果で返すしかない。エミリアは強く、そう思う。
「……この空襲、どう見ます? 我々は予定どおりで良いのでしょうか」
『いまさら予定変更は無理だ。空襲を止める手立てもない。このまま行け』
「了解です。……それで、キミヒコさんはこの空襲、どう見ますか?」
再びの問いかけに、この糸電話の回線にしばしの沈黙が流れる。
帝国軍による空爆を、キミヒコはそれほど嫌なものと認識していない。それを、エミリアは感じ取っていた。
『……攻め込んでる最中に爆弾を落とされるんだから、兵どもには悲惨だな。それに、ドゴーラ市は戦後には政権の本拠地にする予定だ。だから、あまり破壊はされたくない』
「ですが、メリットもあると」
『ん……まあ、な。空襲って、解放軍にとっても恐怖だが、敵の守備隊にはそれ以上だ』
「それ以外に、何かあるのでは?」
『……戦後、邪魔者になりそうな人間には戦死してもらいたい。そのために帝国軍の空爆は都合がいい。うやむやにできるからな、色々と』
戦後の邪魔者を謀殺するための計画。それのために、帝国軍の空爆は好都合。キミヒコのその発想に、エミリアの目がスッと鋭くなる。
「邪魔者……ですか」
『そうだ。戦後、仕事のない兵隊崩れが賊になって、それで治安が悪化するなんてよくある話だ。まあ賊になるくらいならいいんだけど、反体制分子になりそうなのも、うじゃうじゃいるからな。そういう連中が戦死してくれれば、後腐れがない。ていうかすでに、率先して戦死するような配置にしてある。総督と話をして、激戦区になりそうな場所は設定済みだ』
キミヒコの言葉に、エミリアはただ黙って前を見据えている。
『……とはいえ死人が多すぎると、今度は総大将のお前さんの責任問題になるんだが……これなら帝国軍のせいにして、ある程度なら誤魔化せる』
「……そう、ですか」
冷酷な話は気が滅入るものの、一方で嬉しいという思いもあった。今まで完全に子供扱いであった自分にも、こういう話をしても良いという信頼を感じるのだ。
「戦死者が多い責任を帝国軍に押し付ける……それはわかりましたが、もっと良い……犠牲の少ない方法とか、作戦はないのですか? 敵の予想外の場所とか時間に攻撃するとか……敵主力をどうにか引っ張り出して野戦で決着をつけるとか……」
言いながら、エミリアは解放軍の陣容に視線をやる。
この日の決戦のために組み立てられた攻城兵器の数々。城門を突破するための破城槌や兵が城壁内部に乗り込むための攻城塔。それらが、エミリアの目を引いた。
あれらは、数に物を言わせての正攻法で城壁を突破するための用意である。
『そういう、奇策みたいなのは、追い詰められた側が仕方なくやることだ。勝てる兵数、勝てる兵器、勝てる兵站、勝てる戦場、勝てる時期。それらを設定して、用意して、順当に戦って順当に勝つ。それが一番良い。名将の名采配だとか、勇者の個人的武勇に頼るってのは、健全な戦争ではないな』
「……キミヒコさん。本当に素人なんですか?」
思わずそんな言葉が口から漏れる。
キミヒコという男は、兵士でも軍人でもないというのが本人の弁だ。この世界に来る前には、民間の会社に勤めていて、そこをクビになってこんな所にまで落ちてきた。そう言っていた。
『一応、帝国軍名誉大佐だからな。俺が閲覧できる軍学校の資料は全てホワイトに記憶させてあるし、戦訓とかはそれなりに目をとおしてある。ま、素人の生兵法というやつだ。あまり当てにはしてくれるなよ』
冗談めかしてキミヒコが言うが、実際のところどうなのか。エミリアには測りかねていた。
この人の経歴……言ってること、本当なのかしら……。手際が良すぎるように思えるけど……。
エミリアの心中で、キミヒコに対する疑いが鎌首をもたげる。
だが、それはすぐに霧散した。キミヒコに対して疑いを向けるなど、無意味なことだ。もう、信頼するしかない、裏切られたなら死ぬしかないと、エミリアは腹を括っている。
『将の仕事のひとつは、兵たちに勝利を確信させること。お前についていけば勝てると、錯覚でいいから思わせろ。それが士気に繋がる』
エミリアの覚悟を知ってか知らでか、キミヒコが話を続けてくる。
「そのためのパフォーマンスをやれと」
『それと、戦後のための人気取りも兼ねている。あくまで、人気取りと士気のためだ。お前の活躍だけで戦場の趨勢は決まらないし、それで決まるような戦いはするべきじゃない』
キミヒコは口にしないが、その言葉の続きはエミリアにはわかっていた。
だから無理はするな。
彼が言いたいのは、そういうことだ。
『エミリア。悪いが、ホワイトは動かせん』
「わかっています。通信ネットワークの維持はお頼みします」
『ん……いや、正直に言うとだな、ホワイトはネットワークの維持をしながらでも、戦闘は可能だ』
どこか後ろめたさを感じさせる声色で、キミヒコが言う。
珍しいこともあるものだと、エミリアはフッと笑った。
「ふふ……いいんですよ。それをやると、キミヒコさんの身が危ないでしょう?」
エミリアの発言のとおりで、キミヒコの解放軍における立場は非常に危うい。
エミリアが権力を掌握できたのは、彼女自身に政治力というものが絶無であるというのが理由としてある。何もできない小娘を神輿にするというのは、解放軍の幹部たちにとって悪い話ではない。裏から操れば、実質的な支配者になれるからだ。
だから、解放軍の有力者たちはエミリアがトップに立つことをそれほど妨害してこなかった。そして、今、エミリアを裏から操っているのはキミヒコである。それが、軍上層部の共通認識だ。
エミリアに実権を握らせたままキミヒコを排除し、そのポジションにつくことができれば、解放軍という組織を意のままにできる。そのように考えている者は山ほどいる。彼らはその機会を、虎視眈々と狙っていることだろう。
『……なんだ、意外と聡いな』
「意外と、は余計です。……大丈夫。私は、やれます。……あなたに散々、無理をさせてしまいました。だから……今度は私が、無理を通してみせます」
懺悔するかのようなエミリアの呟きに、キミヒコは何も答えない。
戦後に美味い汁を吸わせろだとか、特権階級として私腹を肥やすだとか、キミヒコという男はそんなことばかり言う。その発言に嘘はないが、しかし、それでこの戦乱を利用しようなどという意思が彼にはまるでないことをエミリアは知っている。無理やりにエミリアに引き込まれて、渋々やっているに過ぎないのだ。
翻って、他の面々はどうだろうか。
解放軍の幹部たちは、ガルグイユ人の自治独立だとかこの島の平和のためなどと宣いながら、この戦乱を利用して自らの権勢を高めることが第一優先だ。
カイラリィ正規軍の残党たちは祖国の復活などという妄想に取り憑かれているし、この島を搾取し続けてきた総督府は自らの生き残りのために解放軍と通じようとしている。
シュバーデン帝国から派遣された暗黒騎士たちと艦隊は、下された任務に邁進するのみで、そのためだけに戦乱を煽り続けた。
エミリアが今なお慕っているルセリィも、祖国への復讐鬼と化して、この戦乱を好き勝手に利用した。
それぞれに共通していることは、この島の未来や民草の幸福など、彼らにとっては二の次、三の次どころか、まったく眼中にもないということだ。
だが、そんな彼らを非難する資格は自分にはない。エミリアはそう思う。
結局、同じ穴のムジナなのだ。
善き人間でありたい。そうであろうとするために、正義の道を歩みたい。そんな志で戦争を指導する立場にいるくせに、心の奥底ではこう思っている。
正義など、きっとこの世のどこにもないのだろう……と。
『死ぬなよ、エミリア』
絶望じみた諦観に沈むエミリアの頭の中に、その言葉は響いた。
『人間、死ねば終わりだ。お前は……お前はまだ、十分に生きちゃいない。人生を終わらせるには、早すぎる』
キミヒコがいつもは口にしない、ストレートに気遣うような言葉。それは、エミリアの胸にスッと入って、心に染みた。
「はい……!」
力強くそう返事をしてから、「行ってきます」と呟くように口にして、エミリアはその手の手綱を強く握りしめた。
前へとゆったりと進む軍馬の背にまたがり、注目を集めるための楽隊のラッパの音を背中で聴きながら、小高い丘の上から前を見据える。
彼女の瞳に映るのは、人形の糸の連絡網により、見事な布陣を敷く解放軍。そして、その向こうにあるガルグイユ島最大の都市、ドゴーラ市を囲う大城壁。
金色に輝くその瞳は、布陣中の解放軍の面々、そして城壁にいるカイラリィの兵にも見えたようだ。
解放軍からは歓声が聞こえる。皆がエミリアに期待している。それを感じる。
ドゴーラ市城壁からは恐怖や殺意、そういった負の意志からなるプレッシャーが、エミリアの感覚を刺激した。
だが、エミリアはそれらに対して特に反応を示さない。ただ、悠然と軍馬を進ませた。
あの大城壁を、真正面から攻める……。私が号令をかければ、戦いが始まる。大勢の人たちが、死ぬ。敵も味方も、大勢……。みんな、家族も友達もいる。そんな人たちがたくさん、私の号令で、死ぬ……。
心に巣食う、鉛のように重たい何か。それを意識せぬよう、表には出さぬよう、エミリアはその手の剣を空へと掲げた。
味方も敵も、みんなが見ている、その高く掲げられた剣先を、振り下ろす。鋒が向くのは、正面に見据えるドゴーラ市。
それが、開戦の合図となった。




