#34 政治劇場
ドゴーラ市にあるカイラリィの総督府。
その長である総督の執務室、その部屋の空気は澱んでいた。この部屋にいるのは総督ただ一人きり。彼の纏う空気はとにかく暗かった。
無理もない。
現在、反旗を翻した現地人たちの手によってこのガルグイユ島のほぼ全てが奪われ、島のカイラリィの拠点は、ここドゴーラ市だけ。
この島どころか大陸の本国も落とされているため、もはやカイラリィ帝国という国家の領土はこの都市だけなのである。
滅亡。破滅。絶望。そういった悲観的な二文字が、総督の脳裏にこびりついて離れてくれない。
そんな陰鬱な雰囲気の執務室に、ドアのノック音が響いた。その後に聞こえるのは、部下の男の来室の言葉だ。「入りたまえ」と総督が言うと、ドアは開かれた。
「ご無沙汰しております、総督」
「君か。何かあったのか?」
「実は——」
入室するなり、部下の男はすぐさま本題を切り出した。
この絶望的状況で何事だろうかと思っていた総督だが、話を聞くにつれ、その顔はどんどんとこわばっていく。
「……確かか?」
「はい。メッセンジャーを連れてきています。呼びますか?」
「…………本国から来た連中には、気取られていないな?」
「もちろんです」
「……呼んでくれ」
総督の指示を受け、男は黙って頷く。
そうして部屋を出て行って、しばらく。再び部屋をノックする音が響いた。
「驚いた。まさか人形遣いのメッセンジャーが、我が総督府の職員とはな……」
先程の部下と共に入ってきたのは、総督も知っている人間だった。彼はこの総督府で、渉外を担当している部署の職員の一人。総督の記憶では、特に役職などはない、ごく普通の若手の一人だったはずだ。
彼は青い顔をして、総督の前へと立つ。
「そ、総督……」
「落ち着け。別に君を非難する気はない。ただ、先に、人形遣いとどういうつながりなのかを教えてくれ」
「つながり……というほど確かな関係ではありません。顔見知り程度です」
そう言ってから、彼はとつとつと話し始めた。
以前、彼は南部と北部に分かれていた反乱勢力の北側に赴いていた。捕虜交換の交渉のためだ。
人形遣いと会ったのは、その時のこと。キミヒコという男と、彼に寄り添う白い自動人形。それから、今現在、解放軍の最高指導者に就いているエミリアという少女にも会った。
当時は、あの純朴そうな少女が、まさかあんな立場になるなどまるで想像していなかったという。
「——私は、ただ、捕虜交換の話がまとまってからの食事会に参加して彼と話をしました。互いに名乗って、顔をつないで、酒を飲んで……それだけでした」
「それでどうして、この状況でメッセンジャーなどができる?」
「昨晩、私の自室に、これが……」
総督の問いに対して、彼はそう言って懐からあるものを取り出す。
花だ。
小さい、青い花。勿忘草の花である。
開花時期からずれた季節外れのそれは、小さいながらも可憐な花だった。
そんな勿忘草が、花弁を震わせた。
『どうも総督。初めまして、キミヒコと申します。人形遣い、と言った方が通りが良いですかね』
花弁から聞こえる若い男の声に、総督は息をのむ。
無言のまま、若手職員の男に目をやると、彼は黙って頷いた。人形遣いの声で間違いないらしい。
『アポイントもなしで申し訳ない。しかし、総督も一度、私に突然の遣いを送ってきましたから。お互い様ということで、どうかご容赦ください』
人形遣いの言うところの、総督の遣い。それは、彼の暗殺を目的に送った人員だった。
刺客はあっさりと返り討ちにされ、その後に人形遣いは反乱軍に加わった。総督は己の失策を後悔したものだ。
「いや、構わない。私は今、君と会話できるこの機会に感謝している。……君たち、外してくれ」
総督がそう言うと、二人の部下はおとなしくそれに従い、部屋を後にした。
ただ一人で残った総督の前、デスクの上に置かれた勿忘草の花弁がひらひらと揺れる。
『さて、言うまでもないことと思いますが……ここからの話は内密にお願いします』
「本国の騎士と、その配下の耳に入らぬように。そういうことでよろしいか」
『結構です』
現在、ドゴーラ市内に立てこもっているカイラリィ勢力であるが、内部での関係はうまくいっていない。
本国から落ち延びてきた騎士をはじめとする正規軍残党と、元からこの島にいた総督府の植民人たち。レガリクスという皇室最後の生き残りについてのことで、この両者には溝があった。
人形遣いの接触は、カイラリィ勢力間の離間工作で間違いない。
この男が、いつの間にやら反乱軍を牛耳っているというのは、総督も知るところだ。音に聞く、悪魔の人形の暴力に頼ってそこまで上り詰めたわけではない。今、総督に仕掛けているような工作活動や権謀術数を駆使したのだろう。
敵ながらうまくやるものだと、総督は感心していた。
「それで、反乱軍の陰の支配者が、敵である私にいかな用件かな?」
『大仰な物言いですね。好きでこんな立場をやってるわけでもないのですが……』
「なるほど、仕事でやっているということだな。シュバーデン帝国軍名誉大佐の称号は、やはり飾りではないということか」
総督のその言葉に、人形遣いは『まあ、そういうことにしておいてください』と言うだけにとどめる。
いまいち、真意の読みにくい態度である。
訝しむ総督をよそに、勿忘草の花弁がゆれ動く。
『ま、私の勤労意欲についてはともかく……本題に入りましょうか』
人形遣いの言葉に、総督は無言で続きを促す。もっとも、ある程度の推測は立っている。
『早い話が、私と手を組まないかと、そういうことです』
「……手を組むとは、どういう意味で?」
『言葉どおりです。この後、十数時間後にはドゴーラ市は戦火に包まれます。……あなたとて死にたくはないでしょう? 私に協力していただけたなら、戦後、あなたと家族を島から脱出する手引きをします。お望みならば亡命先に就職先もね』
人形遣いの提案、その内容に驚く点はない。
この土壇場で裏切りをやれ。そうすれば便宜を図ってやる。ただそれだけの話だ。
「……私と家族か。それだけかね?」
『ふふ……まあ望むのであれば、あなたの部下たちの助命はします。全員亡命させるのは無理ですが』
「シュバーデン帝国が、我々を受け入れるのか?」
『そこでは肩身が狭いでしょう。……リシテア市は知っていますね?』
勿忘草の花弁から、意外な都市の名前が出てくる。
リシテア市は総督も知っている。かつては、カイラリィ帝国の一部であった都市だ。版図を維持できずに縮小するに従い、あの都市は本国と切り離された飛地となり、とうとう独立してしまった。
そして独立都市国家となったリシテア市は、しばらくの繁栄の後、壊滅した。詳しい顛末は知らないものの、新種魔獣によるものだと総督は聞いている。
『リシテア市復興は現在、言語教会主導でやっています。私は復興委員会の人事で、いくつかのポストを用意できるコネクションがある。この島の総督として振るった辣腕を、同市の復興に役立てる気はありませんか?』
総督は押し黙る。
人形遣いの提案は想像以上に魅力的ではある。
だが、しかし、この提案が実行される保証がない。現状においては絵に描いた餅にすぎないのだ。
しかも、総督は人形遣いに殺し屋を送った前科がある。一度は殺そうとした相手の持ってきた話を、鵜呑みにはできない。約束を反故にされたあげくに殺される恐れもある。
『おや、お気に召さない?』
「君の話には、保証がないからな」
『それはまったくそのとおりですね』
人形遣いの声色には、少しの動揺も感じられない。
無理もないだろう。圧倒的に彼の方が優位なのだから。
騎士たち正規軍残党と総督府。決戦前にこの二つを分断できれば彼らは楽をできるだろうが、それができなくともどうにでもなる。
「……なぜ、私に接触を?」
『デュクス卿と彼の一派には死んでもらう必要があるのですが、別に総督府の皆様方はそうではないのでね。無益な争いを減らすため、こうしてあなたと平和的交渉を……と、そういうわけです』
「……よくもそんなことを言える。これから始まる戦闘は、君たちの権力を確かなものにするための政治ショーだろう」
総督はこれからの戦いは、ある種のショーであると看破していた。
ドゴーラ市が落ちて、総督府が崩壊し、カイラリィの支配から脱却したとして、この島の住民たちは統一的な政府を作ることはできない。長年、ここの統治をやってきた総督にはそれがわかっていた。
ガルグイユ人はまとまることはない。普通に戦い、普通に苦戦して、普通に攻め落とす。そういうことをやっていては、戦後に待つのは反乱軍の分裂。そして訪れるのは群雄割拠の戦国時代である。
現在、人形遣いが支配する反乱軍がドゴーラ市を攻めるのは、単にカイラリィ勢力の駆逐のためではない。一人の英雄が長年にわたり島を支配してきた圧政者の打倒するという、俗人どもにとってわかりやすい物語を作るためだ。それも、必要以上にガルグイユ人を集めて、それらを率いて大勝利するという筋書きに沿ってである。
誰にも文句を言わせないその功績をもって、島を支配する正当性を確保し、戦後の権勢を確立する。そういう腹づもりを、総督は理解できていた。
『政治ショー、おおいに結構ではありませんか。愚かな民衆というものは、苛烈な見せ物が大好きですからね。それに、これが大衆向けのショーであるというのは、総督にも悪いことではないでしょう?」
「なんだと……?」
『ショーというのは、シナリオどおりに進行するものです。そしてそのシナリオは、まだ修正のきく段階……と、いうことです』
人形遣いの言葉に、総督は沈黙する。
彼の言葉どおりなら、この後のドゴーラ市防衛戦、いや、攻略戦の段取りに総督を一枚噛ませても良いということだ。総督の庇護しなければならない植民人たちの安全を、完全には無理にしても、ある程度は確保できるかもしれない。
少なくとも、このままでは大量の市民が亡くなるだろう。
「……シナリオライターが多くなったり、後から筋書きを捻じ曲げたりすると、ショーとしての弊害もあると思うが」
『問題ありません。そこは演者のアドリブでどうにかしてもらいます。私の所の主演女優は優秀ですよ』
「騎士だか魔人だかわからない、エミリアとかいう、あの娘か……」
総督がうめく。
表向きの反乱軍の首魁。出自の怪しい謎の少女、エミリア。彼女についてもわかっていることは少ない。
最初はネイティブ・オーダーなる島の先住民族の弱小レジスタンスに所属。戦局が動くにつれて頭角を現し、反乱軍内部で絶大な人気を獲得。その後は軍内の有力派閥の幹部を経て、最後には最高指導者にまで上り詰めた。
彼女もまた、人形遣いの操り人形だろうと総督は踏んでいる。実際、当の人形遣いは彼女を女優と表現している。
『それで、どうするんです? 私が何を言っても、約束を守るという証明にはなりません。あえて言うなら、あなたを殺したところで私には何の得もないですから。特に恨みもないですし』
「……刺客を送ったが、それについて思うことはないと?」
『ないこともないですが、恨み、と呼べるものではないですね。愚かなことをするものだな、と。それくらいです。殺し屋さんは、気の毒なことになりましたからねぇ……』
冷酷な声でそう言って、人形遣いは笑う。
送った殺し屋の末路は、きっと、悲惨だっただろう。うまくいけば儲け物。それくらいの気持ちで許可を出したこの件を、総督は改めて後悔した。
『総督。別に私は、あなたが協力する気がないというのなら、その意思を尊重しますよ。その決意なら、今日はもう帰って、家族団欒の時を過ごすことをお勧めします。その後の運命を思えばね』
「なんだと……?」
『ふふ……総督は今年で十五になる娘さんがいらっしゃるとか』
「娘は関係ないだろう」
『確かに。しかし、ね。すでに聞き及んでいるでしょうが、ガルグイユ人どもは、カイラリィの植民人に必要以上に恨みを抱いています。ドゴーラ市周辺の植民地人たちの末路、知っているでしょう?』
人形遣いの言うことは知っている。
カイラリィの植民地人たちが、反乱軍によって虐殺を受けているという話だ。男は殺され、女は犯され、財産は奪われる。
だがそれは、今まで列強の武力を盾にして、カイラリィがさんざんやってきたことでもある。力を失えば、やり返される。
そうした世の道理を、総督はわきまえてはいる。だが、そんな彼といえど、一人の父親として家族は大切だった。
『大事な一人娘に、世の中にある悲惨な現実など、体験させたくないのでは?』
「貴様……!」
『おやおや。何か誤解があるようですが、私もこのような蛮行には心を痛めているのです』
どこからどう聞いても、まったく心など痛めていなさそうな声色だ。
この男なら、ドゴーラ市でどんな残酷なことが行なわれても平然としているに違いない。総督にはそう思えて、身震いした。
「私に、どうしろと言うのだ……」
『都市防衛計画について、あなたが知りうる限りの情報を提供していただきたい。特に、騎士デュクスの配置をね』
「……それを教えれば、ドゴーラ市への略奪はやめてくれるのか?」
『あなたも言ったとおり、これは政治ショーですから。無益な殺戮を止めたいのなら、こちらが指示する然るべきタイミングで全面降伏もお願いします』
「なら今からでも降伏の使者をそちらに——」
『然るべきタイミング、と言ったはずですが? ……これは政治ショーです。愚かな大衆に、勝利の美酒を十分に振る舞うまで、降伏は認められない。こちらの権力基盤が整ってないと戦後の保証も不確かとなりますが……それでいいのですか?』
冷酷極まる人形遣いの言い草に、総督は言葉もない。
ドゴーラ市の城壁は堅牢で、ここを攻めるとなれば、反乱軍にも大きな犠牲がでるだろう。人形遣いだってそんなことは百も承知のはずだ。それでも彼は、ここを強攻すると言う。政治的な理由によってだ。
この冷酷非情さは、典型的なシュバーデンの将そのものである。
やはりこの男は、帝国軍からの刺客だったのだと、改めて総督は思った。
「……裏切れというのか……私に」
しばしの沈黙の後、総督が悔いるように呟いた。
言葉だけ聞けば、迷いがあるような雰囲気だが、実際には違う。もうすでに、総督は人形遣いに与するのもやむなしと思っている。
ここで彼の要求を突っぱねたところで、ドゴーラ市は、カイラリィ総督府の運命は決まっている。シュバーデン帝国軍が島に来た時点で、すでに破滅の未来は避けようがないのだ。
唯一の心配事は、皇室のことだ。だが、今のところ、これに関連する要求はない。
そんな総督の心を見透かし、嘲るかのように、勿忘草が揺れ動く。
『裏切る? これはこれは、妙なおっしゃりようですな。裏切る相手とは、誰なんです?』
「……祖国、いや皇帝陛下だ。私は陛下からの信任を得て、ガルグイユ島総督に就任した。本国失陥の折に亡くなったと聞くが……」
後継者がいる以上、その陛下の意に背くなどできない。続く予定の、その文言は総督の口から出なかった。
シュバーデンの手先であろう人形遣いに、あえて伝えることではない。皇室最後の生き残り、レガリクス・ギリの身柄や情報を提供しろ、などと言われれば、総督は自らを含むドゴーラ市の全住民の命と天秤にかけても拒否していた。
総督は根っからの王党派であり、その血族を重んじている。
しかし、人形遣いはそんな総督以上に皇室の事情に通じていた。
『千年帝国の最後の皇帝、レガリクス帝はもう崩御されましたよ。よもや、ご存知でない?』
「な、なんだと……!?」
まったく知らない、想像もしていなかった話に、総督は驚愕の声を漏らした。
『皇室、ギリ家の血統は断絶しました。あなたの重んじる陛下の意など、もうこの世から失われたのです』
知りたくもないし、信じたくない事柄を、人形遣いは淡々と告げてくる。
『ちなみに皇帝殺しの下手人は、騎士アルキテウティスです』
さらにとんでもないことを、人形遣いは口にする。
騎士が、皇室たるギリ家の血族を殺害。それも、最後の一人をである。
レガリクスという最後の皇位継承者は、総督の希望だった。この人物を主君として戴くことができたのなら。このドゴーラ市、いやこのガルグイユ島を失陥したとしても、地下に潜ってゲリラでもなんでも続けることもできる。その覚悟が総督にはあった。
ガルグイユ人たちには、まともな統一政権などできはしない。今、そういう機運があるのは、シュバーデン帝国からの刺客である人形遣いの手腕によるものだ。
その彼をもってしても、戦後の安定は確実ではない。そもそも仕事が終われば、彼は島を見捨ててシュバーデン帝国に帰るかもしれない。そして、島の情勢が不安定ならばチャンスはある。
仮に、今この場で人形遣いに与したとしても、配下とともにどうにか生き延びて、帝位継承者レガリクスを迎え入れる機を窺うこともできるだろう。
そういう心算だったのに、人形遣いの言うことを信じるのなら、全ては無意味だ。
『トリルトカトル城にいたレガリクス・ギリに、皇位継承の儀を施し、アルキテウティス卿は彼女を殺害しました』
「馬鹿な話はやめてもらおう。そんなことがあるものか……! それとも、証拠でもあるのか?」
『そちらにいるデュクス卿が、『カイラリィの王笏』を持っています。それはご存知で?』
人形遣いの言葉に、総督は黙り込む。
先のトリルトカトル城襲撃の折に、騎士兄弟の兄は戦死して、弟が帰還した。その際に弟の方は、あのアーティファクトを回収してきた。それは、総督も知っていることだ。だが、その件について、総督も不審に感じていることはある。
『王笏を起動すれば良いでしょう。帝位が継承されたこともわかりますし、他の候補がいつの間にか増えてますよ』
「……継承権を持つ者は、レガリクス様だけと聞いているが?」
『あの錫杖ができるのは、三親等までの判別だけです。ギリ家でなくとも良い』
「……なんだと? なぜ、そんなことを知っている?」
『レガリクス帝の臨終に立ちあいましてね。彼女から聞きました。ま……デュクス卿がアーティファクト起動を拒否されたのなら、そういうことだと思ってください』
そういうこともなにも、総督はすでに、アーティファクト『カイラリィの王笏』の真贋を確かめるため、その起動を要請していた。騎士デュクスがそれを持ち帰ってすぐの時にだ。
だが、それは拒否された。
つまりは、そういうことなのだろう。
「……なるほど。レガリクス様は、もうすでに、君の手の内にあったのか。それを、本国から来た一党が……」
『細かい部分については、ご想像にお任せします』
相も変わらず、真意の読みにくい声色で、人形遣いはそう言った。
『とりあえず、返事は後にして、デュクス卿に問いただしてみては? その花の通信回線はオープンにしておきますので』
「……良いのかね?」
『構いませんよ。ただし、夜明け前に返事がない場合は、もうそういうことだと私は判断しますが……よろしいか?』
「……わかった」
精も根も尽き果てた。そんな顔をして、総督はうめくような返事をする。
人形遣いにはその顔は見えていないはずだが、どうにも全てが見透かされているような気がして、総督は落ち着かなかった。
「……これで、この戦乱の趨勢は決まったろうな。君は、この後……勝って、それでどうするつもりなのだ?」
『根っからの平和主義者でしてね。リゾートでバカンスをしたいだけの男ですよ、私は。暗殺者には、もう怯えたくないのでね』
「我々がいなくなったところで、あなた宛の暗殺者は多いと思うが……」
人形遣いは、エミリアという指導者の陰で強権を振るい続け、それによって軍内部から疎まれているというのは、総督も知るところだ。さらに、現在の最高指導者であるエミリアという少女は彼の傀儡であり、政治能力は皆無であろうことは想像に難くない。
つまり、人形遣いさえ排除すれば、解放軍の全権を手中に収められる。そういう考えの強欲者は必ずいるだろう。
『……困った話です。いや、本当に』
人形遣いの態度は、つかみどころがない。その言葉の裏に悪意と策謀が隠れていようと、それを見抜くのは難しいだろう。冷酷な秘密主義者という話だが、それは本当だと総督は思う。
だが、彼の今の言葉。本当に困ったといわんばかりのそれは、妙な実感が込められている。総督にはそう感じられた。
◇
「つ、疲れた……」
「お疲れ様です。貴方」
「総督から通信があったら、最優先で繋いでくれ……」
「畏まりました」
人形とそんな会話を交わして、ドゴーラ市の総督への通信を終えたキミヒコはソファに突っ伏し、そのまま同じソファに腰掛けているホワイトの膝に頭をうずめる。膝枕というには、硬くて冷たい感触だ。
そんなキミヒコに人形は特に何を言うでもなく、膝の上の主人の頭を優しく撫でた。
「おかしいだろ。……軍事作戦の立案、承認。戦後の利益分配と各地の有力者どもの利害調整。挙げ句の果てには敵への調略までほぼ俺がやってんだけど。過労で死んでしまう……」
ホワイトに頭を撫でてもらいながら、キミヒコがうめく。連日の疲れが、キミヒコに蓄積していた。
仕事は山積み……考えることが多くて、頭が痛い。それに、例の通信ネットワークのせいか、また自殺者がでた。追加で八人……これで合計十二人。だが、今、通信システムを止めるわけにはいかない。どうにか隠蔽して、この件の後始末はドゴーラ市の占領後だな……。
人形の硬い膝に頭を置きながらも、キミヒコの脳裏には面倒な仕事内容ばかりが浮かぶ。その目の下には、くっきりとクマができていた。
そして、同じく徹夜続きで目の下にクマができている人物が、もう一人いる。スミシーだ。
書類の山の前で、明らかに常軌を逸した様子でヘラヘラとしている。
「ふへへ。ルセリィさんもそうでしたけど、それだけ仕事ができるのすごいっすね。よっ、終身名誉独裁者!」
「殺すぞ」
「ひぇ……」
徹夜明けで、すっかりおかしくなったテンションで煽ってくるスミシーを、キミヒコは睨みつける。だが、すぐにその視線を逸らして、「はぁ……」と大きくため息をついた。
解放軍の中で、キミヒコの味方は少ない。
エミリアに権力を握らせるために、本来なら彼女に向くであろう悪感情は全てキミヒコが引き受けていた。エミリアに全権を掌握させた後も、その権限を容赦無く振るったがために、軍内部からの恨みはかなり買っている。
そうした状況下で、遠慮なく仕事を任せられるスミシーのような部下は貴重だった。
……このオーバーワークは、サラリーマン時代を思い出させるな。「君ならできるから」とかあのクソ上司から言われて、山のように仕事を振られた。俺、あんだけ仕事したのに、飲み会で騒ぐことしかできない無能どもと同じ給料……いや、俺は高卒だったからあいつら以下か。だが、今度は、見返りがある……はず……。
ホワイトに頭を撫でられながら、今度は部屋の隅の方へと視線を向ける。
そこには、所在なさげにたたずむエミリアがいた。
「あ、あの……私にできることがあれば……」
キミヒコと目が合い、エミリアがそんなことを言う。
不夜城と化した解放軍最高司令室で、彼女はキミヒコやスミシーに申し訳なさそうにしている。
「ない。休んでろ。明日、お前は戦場送りだからな」
エミリアに気をかけてもらいつつも、キミヒコの返答はにべもない。
実際、ここで彼女にできることはもうない。エミリアの仕事は、明日のドゴーラ市攻略戦だ。この戦いの準備がために、キミヒコたちはあれこれやって備えている。
その明日の決戦のためにも、戦いの主役を担う彼女はさっさと寝て英気を養えと、キミヒコは何度も言っている。だが、エミリアはエミリアでなかなか気が落ち着かないらしい。
特に邪魔にもなってはいないのだが、この部屋でただ、キミヒコたちの仕事を眺めている。
「眠れないなら、ここに居たっていいけどさ。……外は、落ち着かないのか?」
「正直……そうですね。みんな、私に気を使ってくれてはいますが……」
彼女の言い分に、キミヒコはため息を漏らす。
身体的疲労を考えると無理にでも横になっていろと言いたいが、彼女の場合は精神的疲労も問題がある。
神より授かった神秘を身体に纏っても、しょせん、彼女は少女だった。この世界では十代半ばで大人とする地域もあるにはあるが、キミヒコからすれば子供だ。
こんな子供に一軍を率いろというのが、土台無理な話なんだとキミヒコは思う。本人にやる気があったとしてもだ。
「キミヒコさん。明日、私——」
「死ぬな。勝て。愚民どもの前で英雄的活躍を披露しろ。『カイラリィの王笏』を手に入れてこい。騎士デュクスを始末しろ。それと奴の騎士武装を奪え。今言った順が優先順位だ。これだけ覚えてろ」
明日、死地へ赴くエミリアにキミヒコが言ってやる。今日この時まで、何度も何度も言い含めていたことだ。ちょっとしつこかったかな、などとキミヒコは自分で言っておきながら思うのだが、彼女は素直に頷いてくれた。
「それにしても……」
「なんだよ?」
「その格好ですと、真面目な話をしても締まらないですね」
そう言って、エミリアは苦笑いだ。
彼女の指摘のとおり、キミヒコはこんな会話をしている最中も頭をホワイトの膝に乗せたまま、人形に手に顔を委ねている。
エミリアはその様子を、生暖かい目で見ていた。
「……エミリア。お前はこいつを……ホワイトをどう思う? こいつの魔力、もう見えてるんだろう?」
ホワイトに意識を向けているエミリアに対して、キミヒコが言う。
彼女は魔力操作を会得した。つまり、多くの人間が嫌悪し恐怖する、ホワイトの糸も見えるようになったということだ。
しかしエミリアは今のところ、ホワイトへの対応に表面上は変化がない。
「そうですね。皆が、ホワイトちゃんを恐れる理由。今はわかります」
「そうか。まあ、そうだろうな」
「でも……私は、いいと思いますよ。そんな願いがあったとしても。……それが、あなたへの慰めになるのなら……きっと……」
独白するかのように、エミリアはそう呟く。
そんな彼女に、キミヒコはただ「そうか」とだけ言って、瞼を閉じた。




