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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.6 タクティカル・アトランティカ
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#33 シリアル・エクスペリメンツ・ホワイト

 ホモ・フローエンシスは、真世界東南アジアにあるフローレス島にてその骨が発見された、霊長目ヒト科ヒト属の絶滅種である。

 真世界に現存する唯一のヒト属、ホモ・サピエンスと比較して非常に小柄であり、身長は一メートル程度。脳の容量はホモ・サピエンスの三分の一ほどとなる。

 ホモ・フローエンシスの体格は、ガルグイユ島に生息する先住民族と一致する。


「ぴーぴー……がー……ぴーがー」


 この幻影世界において、霊長目はヒト科ヒト属しか確認されておらず、サルと呼ばれる動物種は発見されていない。主として繁栄しているヒト属は、真世界のホモ・サピエンスと同一種であると考えられるものの、真世界の現存種に比べその遺伝子的多様性は豊富である。

 これは、トバカタストロフ等により絶滅に瀕した一部の人種が、大いなる意思によりこの幻影世界に落とされたことに起因するというのが、言語教会学術会の通説である。

 この説での類似例に、アドラステアに生息する別種のヒト属が挙げられる。この生物はゲドラフ市ゲノム解析センターでの調査から、真世界の絶滅種、ネアンデルタール人と考えられている。


「ぴー……とぅるるるる……とぅるるるる……ぴーがががががが」


 ガルグイユ島先住民族も、この通説どおりであると推察される。

 すなわち、彼らもまた、絶滅に瀕したホモ・サピエンスの一部人種や、ネアンデルタール人のように、大いなる意思により、種の絶滅前に幻影世界に落とされたということである。

 ヒト属ではないが、このガルグイユ島にはモーリシャスドードーという真世界で絶滅している鳥類の存在もある。

 ホモ・フローエンシスとモーリシャスドードーには、真世界における接点はない。ホモ・フローエンシスは前述のとおりに東南アジアの孤島に生息し、モーリシャスドードーはインド洋のモーリシャス島に生息していた。


「が、が、が……ぴー」


 大いなる意思がここ幻影世界に生物を落とす傾向として、真世界において生命の危機に瀕した生物を選定しているものとみられる。のみならず、それは種全体だけでなく、単一の個体についても——。


「ん……興味深いレポートだな。……これは君が書いたのか?」


 今まで目を落としていた資料を、ヒラヒラと振ってキミヒコが言う。

 言葉を向けた先には、言語協会の見習い聖職者の格好をした人物がいた。ゲニキュラータに囲われている、美少女のような容貌をした少年の一人だ。


「はい。ゲニキュラータ司教の命令でした。もっとも、司教は生物調査と報告書の作成を私に命じましたが、その内容にあまり関心はありませんでしたが……」


「ふぅん……こいつの、ね」


 そう言うキミヒコの視線の先。そこには、ゲニキュラータがいた。


「ぴ、ぴ、ぴ……がーがーがーぴー……」


 虚な目で、涎を垂らしながら、機械音のような変な音を口から垂れ流している。

 明らかに常軌を逸した状態だ。エミリアや他の解放軍高官にも秘匿されていることだが、少し前から司教はこんな状態に陥っていた。


「なあ、ホワイト」


「はい。なんでしょう、貴方」


「これヤバくね……? 明らかに、ネットワークシステムを稼働してからこうなったよな……」


 傍で控える人形にキミヒコは言う。


 キミヒコとホワイトの訪れているこの部屋は、解放軍の最高機密を管理する場所だ。ホワイトの糸電話を、不特定多数の人間が同時に利用できるように構築した、ネットワークシステムの中枢コントロールルームである。

 この通信システムは、真世界におけるインターネットを参考に構築されており、この部屋はいわばデータセンターのようなものだ。


 部屋に浮いているいくつもの魔力糸の塊、データの集積体であるそれがせわしなく明滅を繰り返している。


「ヤバい……? いったい何がです? システムは問題なく稼働中ですよ、貴方」


「いや、うん。通信システムはそうなんだけどさぁ……。司教のこれは、ちょっと……」


 キミヒコの言うことの意味がわからないらしく、ホワイトはコテンと首を傾げる。


 ゲニキュラータ司教は、システム構築のために必要な人員だった。ネットワークの稼働において、神聖言語が、システムを構築するソフトウェアの一部を担っている。

 それゆえに、嫌がる司教をホワイトの魔力糸が溢れるこの部屋に閉じ込めて仕事をさせていたのだが、彼はこんなふうになってしまった。


「システムの稼働を止めれば、元に戻るか……?」


 司教の惨状に、キミヒコの口からそんな言葉が漏れる。

 その言葉に鋭く反応する者たちがいた。司教の囲っていた美少年たちだ。


「な、な、なんてことを言うんですか!? キミヒコ様ともあろう、明敏なお方の発言とは思えません!」


「男の子を女装させて、下半身で遊ぶだけのこの老人が、産まれて初めて社会の役に立ちそうなんですよ!?」


「まったくそのとおりです! 元に戻すなんて、とんでもない!!」


 彼らの剣幕に押されて、キミヒコは「お、おう。そうだな……」と言うだけだった。


 こ、このジジイ……この人望で、よく権力を握れたな……。もうこれ逆にすごいよ……。


 少年たちからの慕われっぷりに、改めてゲニキュラータという老人の経歴についてキミヒコは感服した。


「あ、そうだ。例の事件、調査の進捗はどう?」


 ゲニキュラータから意識を外して、キミヒコが問いかける。

 例の事件とは、その原因がこの通信ネットワークと疑われているものだ。


「……調査は継続していますが、例の自殺との因果関係は未だ不明です」


「確かに、あの四名の自殺には不審なものがありますが……やはり、このネットワークシステムとは無関係なのでは?」


「私見にはなりますが、私も同意見です。この老人はシステム構築のために、神聖言語の奇跡を行使してその立ち上げに寄与しました。件の四名は、ネットのヘビーユーザーではありましたが、その立ち上げには関わっていません。同列にはみなせないかと」


 少年たちが口々に、意見を述べる。いずれも、このネットワークシステムを擁護するものだ。


 通信ネットワークを立ち上げてから、謎の不審死が四件、発生していた。

 死んだ四名ともが、このシステムにどっぷりとハマって、日常的に使い続けていたヘビーユーザーだ。遺書も兆候もなく、彼らは突然に自殺を遂げた。


「そうか。……君たち、報告はもういいから、それぞれネットワークの保守作業に戻ってくれ。……あ、このドードー鳥と先住民族の資料はもらってくから」


「はい! では何かございましたら、いつでもお声掛けください、キミヒコ様!」


 少年たちは元気よく返事をして、各々の仕事に戻っていった。

 ゲニキュラータが元気だった頃には目が死んでいたのに、今では元気いっぱいに仕事に勤しんでいる。

 彼らの有様に、キミヒコはため息を漏らした。


「……ホワイトくん」


「はぁ。なんでしょう? 貴方」


「君、こいつに何かした?」


 少年たちを遠ざけてから、キミヒコがホワイトに問う。

 こいつ、とは当然ゲニキュラータ司教のことだ。


「別に何も。指示された以上のことはやってませんよ」


 ホワイトはそう言うが、キミヒコは胡乱な目だ。

 この人形の言う「何もやってない」は、キミヒコや普通の人間の思う「何もやってない」とイコールではない。それを、今までの経験でキミヒコは骨身に染みていた。


「……お前の糸は、人間性を否定するからな。サイコパスなら平気だが……常人がストレス過多で、発狂したか……?」


「そうでしょうか? 私の糸のそうした性質は、システム運用の糸では薄くなっています。利用者たちの、エゴに塗れた魔力が反映されてますからね」


 この人形の言うとおり、システムの利用者たちは通信糸に対して忌避感を抱いていない。


 全軍に張り巡らせてある糸は、利用者たちが各々の私物に括り付けて利用している。だが、彼らから不満の声は聞こえてこない。

 ホワイトと直接対峙したなら、間違いなく顔を青くするような者たち、魔力の扱いに長じている正規兵や魔術師たちでさえそうだった。


 ……他人に嫌悪感を植え付ける魔力糸の性質は、システムで稼働する糸では薄まっている。ていうか、ほぼなくなった。だが、このジジイは廃人になって、システムのヘビーユーザー四人が自殺した……。


 部屋の宙に浮かぶ魔力糸の塊を眺めながら、キミヒコは考えにふける。


「何を心配しているのかわかりませんが、まあ、この老人はもう不要ですよ。システムはこの聖職者の神聖言語を利用することで正常に起動しました。私の魔力糸球が、神聖言語の術式を模倣して稼働を続けています。だから、それはもういらないです」


 思案にふける主人に対して、ホワイトが言う。


 解放軍という組織は、適齢の島民をかき集めてできたもので、その練度は低い。分不相応に膨張したこの組織の統制に、この通信システムは必要不可欠な存在となっている。


 このシステムのアイデアを出したのはキミヒコだ。だが、そのアイデアを基に誕生したこのネットワークシステムは、すでにキミヒコの手を離れて、勝手に進化を続けている。キミヒコが、恐怖に近い感情を覚えるほどに。


「このシステム、大丈夫なのか……? もはや、俺には仕組みもわからないんだが」


「私の魔力糸網をインターネットに、脳の認知能力に言葉の意味を直接入力する神聖言語を応用したハイパーテキストシステムをWWW(ワールドワイドウェブ)に見立てる。そして通信糸に接続されたユーザーの脳波パターンを、IPアドレスの役割とする。そして——」


 わざわざキミヒコの故郷、真世界のシステム用語を交えながら、ホワイトが説明をしてくれる。

 だが、キミヒコにはもう理解が及ばない。ホワイトの眠くなりそうな説明を右から左に聞き流している。


「——こうして我々の通信システムは稼働しています。何度も説明しましたが、お忘れで?」


「……聞いてはいるし、覚えてもいるがな……」


「本当に覚えてますか?」


「ごめん。嘘。聞いて三秒で忘れた」


「えぇ……」


 呆れましたという声をあげるホワイトに、キミヒコは「わかんねーものはわかんねーんだよ」などと言って肩をすくめる。

 そんなキミヒコであるが、インターネットやWWW、そしてIPアドレスなどという単語には聞き覚えはある。だが、真世界出身のキミヒコですら理解不能なシステムについて、興味津々でここに来た者もいる。


「……例の客は、お前の説明で理解したのか?」


「さあ? 貴方がレクチャーしろと言ったから、私はそうしただけです」


 例の客。帝国軍参謀本部直属、通信科と呼ばれる部署に所属する魔術師のことだ。

 それまで、キミヒコに通信科との接点はなかったのだが、彼はどこから聞きつけたのか、システムについて興味があると言って接触してきた。


 通信科とのコネクション形成の足がかりにするため、キミヒコはこれを了承。何度かこの部屋に招いて、人形にシステムのレクチャーをさせたというわけだった。


「あの精神魔術師。最初はお前にビビり散らかしてゲロとか吐いてたのに、後の方になると、スゲー熱心に講釈に聴き入ってたよな……。ちゃんと理解してたのか、あれ……」


「だから、それは私に聞かれてもわかりません」


「ああ。そうだったな」


 それだけ言って、キミヒコは件の客について考えるのをやめた。

 参謀本部や通信科に恩を売れるのであれば、それだけでいい。帝国軍がこの通信システムを模倣して、大陸の戦争で活用しようがどうしようが、キミヒコたちには関係がないことだ。


「……帝国軍は放っておいていいが……問題はやっぱり、これか」


 言って、視線をゲニキュラータに移す。

 老人の様子は相変わらずだ。口から「ぴーぴーがーがー」と変な声を垂れ流し続けている。完全に正気を失っていた。


「……神聖言語は、言葉の意味を音声や文字によって、脳の認知機能に直接インプットする。耳で聞いたり目で読んだりであれば、何も問題なかった。だが、魔力糸を利用したシステムを介したことで、異常が出たか……? それで、自我が消失したり、変質したりして自殺を……」


「自我が消失……? そうでしょうか?」


 独り言のようなキミヒコの推論に、ホワイトが異議を唱えた。


 この人形には、倫理や道徳といったものが理解できない。一見してそれらしく振る舞うこともあるが、人間という存在への知見が世の常識とは隔絶しているのだ。

 そんなホワイトの異論であるので、どうせまたトンチンカンな説だろうとキミヒコは高を括る。


「おいおい、このジジイはもうどう見ても自我なんてねーだろ。完璧に廃人になってんじゃん」


「まあ……そこの、血と肉とが皮でくるまっただけの物体を指しているのなら、そうでしょうね」


「……はぁ?」


 案の定、よく意味のわからないことを人形は言い始めた。

 その様を、キミヒコは笑い飛ばそうとしたが、しかし、できない。ホワイトの纏う異質な空気が、そうさせた。


「アレのエゴは、未だ連続して存在している。そういうことです」


「存在……? 馬鹿を言うな。そこの司教の頭の中にないなら、自我はどこにあると言うんだよ」


「ネットの中に」


「……ネットの……中……?」


「ええ、そうです。物質世界ではなく、情報世界に、です。……先程に話題になった四人も、そうですよ」


 そう言うホワイトの顔は、いつもどおりの無表情。だが、空気感がいつもと違う。いつもと違うが、この感じにキミヒコは覚えもあった。

 いつだったか、川のほとりで、ホワイトと『死』について話したことがある。その時と似た雰囲気だ。


「肉体を喪失しても、世界から忘れ去られなければ、『死』ではない。……ね、そうでしょう? 貴方……」


 ホワイトのその言葉に、キミヒコは沈黙で応えるだけだった。

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― 新着の感想 ―
〉ぴーぴー……がー……ぴーがー ADSLじゃん。懐かし 司教の利用料も深夜は安くなったりするんかね
こういう生体そのものを科学技術に利用するSF描写ほんとすき 「皆勤の徒」というハードSF小説で、神代言葉という算譜(プログラミング)言語と、鳥居という通信中継器を使って、学生達の脳を、玉鏡という立体…
モデムの声真似ができる知り合いがいたからどうしてもそいつで脳内再生してしまう
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