#30 ドントストップ・キャリーオン
「——というわけで、俺たち異世界人は教会には気を付けなければならん。まして、ルーマニア出身だとか、日本出身だとか、そんなのは口外厳禁だ。わかった?」
異世界人についてや、アマルテアの現在の国際情勢についての説明をキミヒコがして、それを聴き終えたエミリアは重々しく頷いた。
「じゃ、そういうことで、異世界人の世渡り講義は終了。これからは今後のことだな」
そう言って、キミヒコは語り始めた。
「メドーザ市って所は教会の直轄都市みたいな場所でな。戦火はまず及ばない。そこにある喫茶店のオーナーを俺がやってるから、お前、そこで従業員として働くといい。教会とは距離を置いてな。で、戦乱が落ち着いたなら、どこへでも——」
「待ってください」
先程までの、エミリアの主張を聞かなかったことにしての提案に、待ったがかかる。
それに対してキミヒコは露骨に舌打ちをする。が、彼女がそれに臆することはなかった。
「私は、この島に残ります。そして——」
「ルセリィの派閥を継いで、戦いを継続する。か?」
今度はエミリアの言葉をキミヒコが遮る。先に言いたいことを言われたエミリアは、キミヒコに黙って頷いてみせた。
「なんでだ? はっきり言うが、帝国軍にもカイラリィにも、そして解放軍にも、正義なんぞありはしない。ていうか、この世のどこにも正義なんてものはありはしないさ。どいつもこいつも、手前勝手な都合のためにこの戦乱を利用している。ルセリィだってそうだったし、俺だってそうだ。それが普通だ」
キミヒコの言葉を、エミリアは静かに聞いている。その表情にも、キミヒコに向ける視線にも、特に反発している様子は見られない。
「エミリア……お前は、民衆だとか兵士たちに慕われてるからな。それで、そいつらの期待に応えたいとかそんな理由なら、やめろ」
「それが理由では、不足ですか?」
「……大衆というのはな、風見鶏だ。風向きが変われば、すぐにそっちを向く。今はお前を応援している連中だって、風向きが変わればすぐに手のひらを返して、罵って石を投げてくる。だが、それを悪いとは思わない。大衆ってのはそういうもんさ。誰だって我が身が可愛い。家族だとか、誰か他人の生活に気を配れるのなら、それでもう上等な部類だ」
おとなしく聞く姿勢のエミリアに、キミヒコは自説を展開する。
このエミリアという少女は、市井の人々や解放軍の末端の兵士たちからは人気がある。
単純な強さや戦場での活躍ぶり、そしてそれらをうまく宣伝したルセリィの手腕。そういったことも一因ではあるが、ここ最近、キミヒコはそれだけが理由ではないというのを感じていた。
こいつ、民草への優しさとか戦場での強靭さとは別に、脆くて儚い雰囲気があるというかなんというか……。放って置けない危うさみたいな空気が、逆に、人を惹きつけるのかもな……。
存外、彼女がトップに立っても、本人がお飾りに徹して、かつ、ブレーンとなる部下さえ確保できれば、うまく組織の運営はできるかもしれない。そうも考えつくが、それをキミヒコが口にすることはない。エミリアが軍に残るのをやめさせようとしているのだから当然だ。
「……だからお前や俺みたいな、この島どころかこの世界にすら縁もゆかりもない人間が、連中のために苦労する理由なんてない。不毛だ。自分の能力や時間だとかは、自分のためだけに使え。まして、血の一滴すら流してやる必要はないぞ」
そう言って、キミヒコは話をしめた。
エミリアは黙っている。キミヒコの理屈全てに納得したわけではないだろうが、彼女はそれを否定することもなかった。
「……前にも、似たようなことを言ってましたね。この世の中に正義は存在しないし、善人もいないって」
「そうだな。前にも言ったな」
「あなたがそう言った理由。今は、なんとなくわかります。けど……だけど……」
エミリアはいったん言葉を切って、金色の眼光に強い意志を込め、キミヒコを見つめてくる。
「仮に、本当の意味での正義にも善人にもなれなくても、そうであろうとする行為は、善くあろうとする意思は、きっと大切な事なんです。だから、私は……」
この世に正義はなく、善なる人も存在しない。そう言うキミヒコを否定はしないが、彼女はそこに向かう意思と行為とが大切だと言う。
それを、キミヒコは鼻で笑った。
「軍隊に残って敵を殺すのが、善くあろうとする行為か? 正義なのか?」
「……この戦争で、いっぱい人が死んでいきました。私が好ましく思う人、嫌いな人。逆に、私を好いてくれる人、嫌う人。……どんな思いを抱えていようが関係なく、死んでいった……」
「そいつらのためだとでも? 傲慢な物言いだな」
「いいえ。死んでいった人たちのためになんて……私がしてあげられることはないでしょう。きっと。だからこれは私のため……私自身の納得のためです。みんなが、無意味に死んでいったと、そうは思いたくないんです。あなたのさっき言ったとおり、自分自身のために、能力も時間も使うんですよ」
「……仮に、仮にの話だが。お前が解放軍に残ったとして、どうしたいんだよ?」
エミリアが意外にも頑固なので、キミヒコは話題を転換した。
「この島に、安寧を」
「……別にお前が軍に残らずとも、カイラリィの総督府崩壊は時間の問題だ。帝国軍にやらせりゃあいいだろう」
「その場合、この島に安寧は訪れると思いますか?」
エミリアの問いかけ。その答えは、否である。
キミヒコはこのガルグイユ島は、今後も乱世が続くだろうと思っていた。無論、絶対の予測ではないが、この島に平和が訪れる可能性は低いと見積もっている。
「……この城。トリルトカトル城は、大陸からやってきた、カイラリィの植民人が建築したものだ。知ってるか?」
正直に自分の考えを言うのが癪な気がして、キミヒコは例え話を始めた。
「多少は。グラモストラ城とは、趣が違いますよね。この城は優美な感じがします」
「そうだな。要塞としての機能ももちろんあるが、それ以上に、外見も重視して建てられている。威圧のためだ。この島の先住民族やガルグイユ人に、カイラリィ帝国の格の違いを見せつけるためだな」
キミヒコの言葉どおり、このトリルトカトル城は白を基調とした、美しい城である。戦で傷ついた様子もない。実際、トリルトカトル城が戦場となったのは、今回の戦乱が初めてのことだという。
「対して、お前がカレンとも戦ったグラモストラ城。あそこは、カイラリィがここにやってくる前から存在した。ガルグイユ人どもが建造した城だ。違い、わかるか?」
「あの城はとにかく実戦的な要塞でした。ここみたいに、玉座の間とかはないですし、装飾とかも最小限です」
「そう。あそこは戦争用の要塞だ。それだけの存在だ。そしてそこは、ガルグイユ人が建てた。ちなみに、ガルグイユ人が建造した城はそんなんばっかだ」
それで、キミヒコは言いたいことを終えた。
「列強……強い存在に支配され、統一されるまで、ガルグイユ人はこの島で戦乱を続けていた。そういうことですよね?」
「そうだな」
「そして、帝国軍は、この島の支配に興味はない。つまり……」
「ま……支配に興味があったとしても、カイラリィより良いわけではない。てか、むしろ悪い。超苛烈な圧政を敷くだろうなぁ……。でも、それでも、この島の連中に統治を委ねるよりマシそうなんだが」
そう言って、キミヒコはそれまで吸っていた葉巻をテーブルの灰皿に押し付けて火を消した。
「らしからぬ迂遠な説明ですが、キミヒコさんも、この島の未来は明るくないと、そう思っているんですよね?」
「まあ、そうだ。ガルグイユ人どもは、あまりにまとまりがなさすぎる。自力での統一なんて夢のまた夢だ。ここがいい感じのリゾート地だったのは、結局、カイラリィという外圧によってなされたものだったんだ。そうと知ってりゃ、こんな終わってる島には来なかったんだが……」
キミヒコのその言葉に、よくわかる話だといった具合に、エミリアは頷いてみせた。
「悪い圧政者を排除すれば、それで全てが良い方向に向かうわけではないですものね」
「……実体験か」
「はい。私の故郷の独裁者……チャウシェスク書記長は排除されました。あのクリスマスの日に。それ自体は、きっと、良い事だったと思います。でも、私は……私たちのような孤児は結局……」
悪の圧政者を打ち倒して、それでハッピーエンド。世の中、そういった事例もないではないが、そうでないことの方が多いものだ。
エミリアは身をもって、それを体感していたのだろう。
だから、どうにか良い方向に持っていくことができないか、それを考えている。その思考と、そしてこれから実行に移す行動が、彼女にとっての善や正義に近づく行為ということだ。
エミリアの心算が理解できたところで、さてどうやって説得するか、諦めさせるか、それについてキミヒコは考える。テーブル上の灰皿から昇る、一筋の煙を眺めながら、思案にふける。
「いつか、私に教えてくれましたね。上に立つと言っても、自分でできないとわかってることは、できる人間にやらせばいい。あの時は、北部との交渉の全部をキミヒコさんがやってくれました」
キミヒコが口を開く前、エミリアが言ってきた。
どうやら逆に、説得を受けているらしい。
「私は、ルセリィさんの野心を継ぐことはできません。でも、あの人の残した派閥と、戦後の計画を受け継ぐことができれば……この島の未来も、多少は良いものにできるのではないでしょうか?」
「……ルセリィ派の組織運用を正しく行ない、解放軍の実権を手中に収め、ドゴーラ市攻略を理想的な形で片付け、島全土を支配するに足る求心力を手に入れてなおかつ、帝国軍との戦後交渉をうまくまとめる。これを全部できて、ようやく戦後復興と統治のスタートライン。ま、現実的ではないかな」
「そうは思いません。あなたが協力してくれたのなら、きっとできます」
自信満々にそう言い切るエミリアを、キミヒコはまじまじと見つめる。
どうも、本気らしい。爛々と金色に輝く瞳に、一切の曇りがない。
「……あのな。派閥の他の面々もそうだったけど、買い被りすぎなんだよ。俺はホワイトを——」
「ホワイトちゃんを動かさなくてもいいです。戦いは……いえ、カレンやデュクスとの殺し合いは全部、私が引き受けます」
ホワイトを当てにするな。そう言おうとして、エミリアの覚悟を決めたようなセリフに遮られた。
戦いではなく、殺し合い。それも、カレンとデュクスと名指しにしての宣言だ。
初陣で錯乱していた少女も、仲間の無惨な亡骸を見つけて嘔吐していた少女も、もはやそこにはいない。戦士の顔をした女がそこにいた。
「正気じゃねぇよ……何もかも……」
「かもしれません」
「考え直せ」
「無理です」
キミヒコは天を仰いだ。これは説得は無理そうだ、と。
な、なんでこんなことに……。それもこれも、全部ルセリィが悪い。あいつが俺を引きこんだから、勝手に死ぬから、中途半端に天下が取れそうな席を残していくから、最期に変なことを俺に頼むから……だから、こんなことに……。
もうここまできたのなら、キミヒコの選択肢は二つ。エミリアの頼みを聞いてやるか、彼女を見捨てて帝国軍と合流するか。
キミヒコの理性は、どう考えても後者を選べと言っている。
だから、キミヒコの口からは「じゃあ俺は帝国軍と合流するから。勝手にやってろバイバイ」というようなセリフが、何度も出そうになる。
が、出ない。
口を開いては閉じてを繰り返している。
いや、なんで、こんな馬鹿ガキに俺が付き合わないといけないんだよ。言え、俺! 言ってやれ! 付き合いきれないって、そう言ってやれ……!
そんな胸中の思いとは裏腹に、いつまで経っても拒絶の言葉はキミヒコの口からは出なかった。




