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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.6 タクティカル・アトランティカ
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#28 復讐(ユメ)追うコトに、恐れはなくて

 トリルトカトル城の城内を、キミヒコが歩いている。その歩みは常より若干、速い。

 そんな彼の後ろを、人形がついて歩く。


「容態は?」


 目当ての部屋に到着し、その外で待機していた軍医に短く問いかける。


「よくありません。左胸の穿通外傷で肺が傷つき、胸腔に血液が貯留しているようです。出血性のショック状態です。いつ亡くなってもおかしくないかと……。いえ、今も生きているのが不思議なくらいで……」


「助からんか。会話はできる?」


「意識は明瞭です」


「……軍医のお前が、そんな救急患者の傍でなく、どうして部屋の外にいる」


「人を入れるなと、ご本人が……」


「……わかった。外で待機していろ」


 言って、それきり軍医に目をくれず、キミヒコは部屋へと入っていく。


 まったく、あれで医者かよ。素人が……。


 そんな理不尽なことを思いながら、後からホワイトが入室したのを確認して、ドアを閉じる。


「ホワイト。盗聴の警戒を頼む。盗み聞きをするようなネズミがいれば、生かして帰すな。許可なしで殺っていい」


 キミヒコが小声で指示を出すと、すぐさま「畏まりました」と返事がくる。これからするであろう会話は、他人に聞かれてはならないものだ。


 「ん……」とだけ口にして扉の前に待機する人形に頷いてから、キミヒコはベッドの方へと歩いていく。

 胸中に陰鬱な何かがあるのを自覚しつつも、それを表にはしないよう意識して、キミヒコは口を開いた。


「よう、ルセリィ。元気そうだな」


 その軽快な言い方に、ベッドの上の半死人がジトっとした視線を向けてくる。


「……元気に、見えるの?」


「思ってたよりかは、な。俺がここに来るまでには、とっくにくたばってると思ってた。まさか、生きたままの皇帝陛下に拝謁できるとは……なぁ?」


「あぁ、そう……」


 億劫そうに、ルセリィが言う。顔は青く、その口元には生乾きの血が付着している。


 黙って様子を観察していると、彼女はシーツを口に当ててケホケホと咳をする。しばらくして、咳が落ち着いてから彼女が口元からシーツを離すと、そこには鮮烈な赤色が滲んでいた。

 もうあまり、時間はなさそうだ。キミヒコがそう考えていると、ルセリィが意を決したように視線を向けてくる。


「聞きたいことが、あるんじゃないの?」


「まーね。レガリクスちゃんに聞きたいことはあるにはあるけど……」


「けど……?」


今際(いまわ)(きわ)だし、言いたくないなら何も言わんでいいさ。喋りたいなら聞き手にはなるし、独りになりたいなら出てくよ。……どーする?」


 キミヒコの言葉に、ルセリィはしばらく黙ったままだった。

 ヒューヒューという掠れたような呼吸音だけが、キミヒコの耳に聞こえる。


「……ハプスブルク家って、知ってる?」


 ルセリィが沈黙を破り、そんな問いかけをしてくる。

 突飛な質問だったが、キミヒコには聞き覚えのある内容だった。


「昔の、ヨーロッパの名門一族だな。神聖ローマ帝国の皇帝を輩出したり、オーストリアとかスペインを支配したり、そんな感じだったか」


「やっぱ、異世界人なんだ……」


「で? そんなんどうでもいいだろ。事ここに至ってはさ」


 本当にどうでも良さげにキミヒコは言う。

 本来、異世界人という情報は秘匿すべきではあるのだが、死人に口なしである。もはやルセリィ相手に隠すようなことではない。


「デルヘッジ司教は……以前、ギリ家はスペイン・ハプスブルク家のようだって言ってた」


 ルセリィはキミヒコの出自について、それ以上追及することはなく、話の本筋を切り出してくる。


「どういう意味でだ?」


「血が、濃くなり過ぎたんだよ。スペインのハプスブルク家は、身体異常……顎が突き出すような異常が一族でみられた。近親婚のやりすぎでね。ギリ家も、そう」


「ほぉ……」


「あいつらの場合……おかしくなったのは、ここだけどね」


 ここ、と言いながら、ルセリィは自らの頭を指差す。


「マジで頭おかしくてさ。会話が通じれば上等な部類。常によだれを垂らしてたり、奇声をあげ続けたり、こっちの頭がおかしくなりそうだった」


「そんなんで、皇帝ができるのか?」


「十人に一人くらい……ギリギリ、政務が出来そうなのがいて、そういうのが皇帝になってた。政務が出来ても、頭はおかしいけどね。倫理観とか……」


 そこまで言って、ルセリィはいったん言葉を切り、呼吸を整える。ゼェゼェと、苦しそうに。

 喋りすぎで、負荷がかかったらしい。


 キミヒコが「休憩するか?」と聞くと、彼女は力なく首を振る。


「……続きだけど……国家としてはさ、いい加減にやばいってことになって、外部の血を入れることになった。それが私の母親、らしい」


「らしい?」


「会ったことないし。庶民の中から選定されて、皇室に入ったけど……まあ、あの頭おかしい連中の相手をさせられたからね。散々無茶苦茶やられて、私を産んで、死んだみたい」


「ふーん」


「無茶苦茶やられたのは、私もだった」


 ルセリィのその目に、憎悪の火が宿る。

 ドス黒くも鮮烈な、憎しみの炎だ。それは、以前にカイラリィ兵士の死体に無体な仕打ちをしていた時の彼女が、キミヒコに見せたものと同質のものだ。


「信じられる? 十歳にもならない、血のつながった娘とか姪とか異母妹を、玩具にしてさぁ……。宮内省の役人どもも止めろよ……! 外部の血を入れるために特例で皇室に入れたって、まだ子供なんて産める歳じゃねぇんだよ!!」


 ルセリィが感情を露わにして怒りに任せて叫ぶが、すぐさまゲホゲホと咳き込む。

 血と空気とを、口に当てたシーツにひとしきり吐き出してから、彼女はゼエゼエと肩で息をする。


 このまま、死ぬのかな。

 そんなことをキミヒコが思っていると、徐々に徐々に彼女は呼吸を落ち着かせてきた。そうしてから、再び、キミヒコの方へと顔を向ける。

 その顔には執念の形相が張り付いていた。


「散々、陵辱されて、身体に無理がきて……私は子供を産めなくなった。……十歳でだぞ!? 私は——」


 再びヒートアップしそうになるルセリィの口に、キミヒコは手を当てて、その言葉を遮った。


「少し落ち着けよ。全部話す前にあの世に逝っちまうぞ。喋る時は、ゆっくりと……な」


 優しく、諭すように、彼女の口に手を当てたまま、キミヒコが耳元で囁くように言う。それを受けてルセリィは、おとなしく黙って、キミヒコを見ていた。


「それで……お役御免になって、ここに島流しか?」


 手に当たるルセリィの息遣いが規則正しくなったのを確認してから、キミヒコは会話を再開させた。


「……もうワンクッションあるよ」


「マジかよ。もう陰鬱なのは聞きたくねぇんだけど……」


「いや聞けよ!」


 再び声を荒らげる彼女に、キミヒコは「わかったわかった」となだめるように言って、その背をさする。

 そうしてやると、多少は苦痛が和らぐらしい。彼女の表情に、ほんの少し、安らぎが感じられる。


 しばらくそうしていて、落ち着いたタイミングを見計らって背をさするのをやめようとすると、ルセリィがキミヒコの胸にそっと手を当ててきた。

 そうしてから、「背中さするの、続けてよ……」などと、恥じらうように言う。彼女のそんな様子に、キミヒコは苦笑しながら背中をさするのを続けてやる。


「ん……。どこまで話したっけ?」


「島流しになる前に、まだなんか不幸話があるらしいってところまで」


「ああ……そうか。……今度は実験体だよ。不老不死の人体実験だってさ」


「なるほど。そこで登場するのが、デルヘッジのジジイか……」


 キミヒコの発言に、ルセリィはハッとしたように顔を上げる。


「……知り合いだったんだ?」


「おう。リシテア市で、ちょっとな。ぶっ殺しちゃったけど」


「ひ、ひひ……それは重畳。地獄に落ちる前に、いいニュースを聞けた……」


 言いながら、ルセリィは頭をキミヒコの身体へと寄せてきた。小さな頭が、キミヒコの胸に収まる。


「で……まあ、不老不死? というか歳を取らなくなるための実験をするために、言語教会からアーティファクトを盗んできたんだよ。あの司教。ギリ家の支援も受けてさ」


「アーティファクト『ディアボロス』か」


「……なんでも知ってるんだね」


 キミヒコの胸に顔を押し付けながら喋ってくるため、ルセリィの息遣いがこそばゆい。

 それを意識しないように気を付けながら、キミヒコは先を促す。


「あの黒い剣を取り返してこいって、教会にコキ使われたんだよ。リシテア市で。……まあこの話はいいだろ。んで?」


「……言語教会枢機卿の一人に、空間を操る魔術師がいるんだって。で、その人、歳を取らないらしいよ」


 その枢機卿が誰なのか。キミヒコは知っていたが、話の腰を折りたくなくて、それに反応はしなかった。キミヒコのその心の動きを知ってか知らでか、ルセリィは特に気にする様子もなく話を続ける。


「人為的に空間とか時間の操作をして、その歪みに晒され続けた影響なんだとか。それの再現実験を私の身体を使ってやったんだ」


「あの黒い剣。時を止めたりできたから、それでか」


「そ……実験っていうか、ほぼ拷問だね。新月の夜に、あれでグサグサ刺されまくって、剣に血を吸われまくるんだ。で……今度は満月の夜に、時間を加速させたり減速させたり。意識とか見える世界とかがグラグラして、気持ち悪かったな……。たまに失敗して、時の摩擦とやらで焼死しかけたこともあったし……」


 当時のことを思い出したのか、ルセリィはいっそう強く、キミヒコの方へと頭を押しつけてきた。いつの間にか、両手が背に回されており、抱きつくような形になっている。


「わざわざお前を実験体にする理由は?」


「あの剣、適合した人間の血を吸って時を操る力を発揮するんだけど……たまたま、私が適合したんだよ。適合した人間に対しての方が、力を発揮しやすいらしい。それと……」


「それと?」


「私、疎まれてたからね。尊い尊いギリ家の血に、私みたいな不純物が混じっているのが我慢ならない。そういうのが結構いてさ。ちょうどいいから、実験がてらに処分しようぜ、みたいな感じ。外の血を皇室に入れるって役目も、もう、できない身体だった……し……」


 ルセリィの声が震え、やがて、嗚咽へと変わる。

 キミヒコの背に回された両手に力が込められ、その顔がぎゅっと押しつけられる。ルセリィの目から溢れる涙が、自身の服を濡らしていくのをキミヒコは感じた。


 しばらくして。ようやくすすり泣きは止んで、キミヒコの身体から彼女が離れた。


「……ま。そんな感じで、この身体ってわけよ」


 ルセリィが言う。

 その声色も、表情も、どう見ても虚勢によって作られている。だが、キミヒコはそれに触れたり、ましてや指摘することはない。


「実験は成功したのか? 寿命の研究は失敗したとかあのジジイは抜かしてたけど」


「部分的に成功したけど、再現性はなかったみたい。他の皇族でも試したけど、そいつは死んだ。急激に老衰してね」


 ルセリィの言葉に、キミヒコは「そうだろうな」と頷いた。


 デルヘッジのジジイは、あの人造魔獣、羽根蟲(はねむし)の寿命を延ばしたかったが、うまくいかなかったと言っていた。テロメアがどうこうとか言って……。おそらく、それより前の実験なんだろうな、この話は……。


 あの狂った老人の、狂った実験。それらについて思い返している間にも、ルセリィの話は続く。


「……そんなことやってるうちに、色々あってリシテア市が独立して……そのどさくさに紛れて司教がアーティファクトを持ち逃げして、研究は頓挫した」


「追いかけなかったわけ?」


「落ち目の老帝国に、そんな余裕ないよ。騎士も官僚も、皇室のお遊びに付き合ってられる情勢じゃなかった。それで、私はもう用済みだとかなんとかで島流し。はい終了。あはは……」


 へにゃっと表情を崩して、彼女は笑う。

 だが、それに対して、キミヒコは何も言わない。ただ黙って、その背をさすってやる。


「あはは、あは、あは……ははは……。憎い……憎いよ畜生……!」


 堰を切ったように、ルセリィの、最後の皇帝レガリクスの口から、呪いの言葉が溢れ出る。


「私がやめてって叫んでも、泣いても、あいつらは笑っていやがった。……屈辱的な懇願を何度もした! やらされた! そんな惨めな姿を侮辱されて嘲笑された!! 私は、私は……!」


 血反吐と共に、怨嗟の叫びが吐き出され、キミヒコの上着を染めていく。

 ゲホゲホと時折むせ返りながらも、彼女の言葉は止まらない。


「あいつらみんな、この手で八つ裂きにしてやりたかった! 私にシたこと、全部後悔させて、命乞いさせて、それを嘲笑って殺してやりたかった……!」


 そこまで叫んでから、言葉は途切れた。

 ゲホゲホ、ゴホゴホと、血を吐きながら咳き込む彼女の背を、キミヒコは優しくさすってやる。


「殺してやりたい、か。だが、いまさらそんなこと言ってもな……。そいつら全員、すでに地獄に送られてるよ」


「そう……だよ。ゲホッ。だから、あなたや、シュバーデン帝国には感謝してる。でも、それだけで溜飲は下がらなかった。私が引導を渡したかったんだ……!」


「それで、このガルグイユ島の戦乱に首を突っ込んだ……と」


 キミヒコがそう言うと、彼女はコクリと頷いた。

 もはや言葉はなく、ヒューヒューという死を感じさせる呼吸音だけが、部屋にはあった。


 こいつの恨みは、ギリ家に向けられたものであって、国家そのものとか、そこの国民とかを恨むのは筋違いだよな。でも、まあ、人間なんてそんなものか……。感情の行き先がなくなって、カイラリィ帝国そのものに恨みをぶつける事にしたんだろうな、こいつ……。


 ルセリィの弱々しい息遣いを感じながら、キミヒコはそう思った。


「……私の死体、どうとでも使ってくれていいよ。シュバーデン帝国が、欲しがってるんでしょ?」


 しばしの沈黙を破って、彼女からなされた提案は、自らの死の先のことだった。


「ま……そりゃ、帝国軍の目的くらいは承知しているか」


「シュバーデン帝国の目的は、カイラリィ皇室……ギリ家の完全抹殺。私が、ギリ家最後の血族だから……」


 息も絶え絶えに、彼女は言葉を紡ぐ。


 まー確かに、帝国軍の目標はこいつの死だ。だが、しかし……今は、ギリ家の血統を証明する手段がない。『カイラリィの王笏』は、ドゴーラ市にある……。


 キミヒコの考えていることを察したのか、彼女は申し訳なさそうな顔をする。


「ごめん。最後の最後で、足を引っ張った……。王笏は、騎士デュクスが持ち去った……。もし、あれが島外に持ち出されれば、まずい……」


「……? 確かに、島外に持ち出されれば、ギリ家断絶の証明は面倒にはなるが……」


「いや……私も知らなかったんだけど、あのアーティファクト、思ってたよりポンコツでさ。あれの判別って、三親等でさえあれば、ギリ家の血筋でなくとも構わないんだって……」


「何……? 『カイラリィの王笏』なんて名前なのにか。てことは、お前の母方の血でも……?」


 キミヒコの言葉に、彼女は小さく頷いた。


 ……なるほど。あの場で、レガリクスが帝位を継いで、そのレガリクスの母は、庶民だった。ギリ家とは縁もゆかりもないが、あのアーティファクトが指し示す帝位継承権を持つ人間が、増えてしまったか……。


 確かに、彼女の言うとおり、帝国軍の目標はカイラリィ帝国の復活の目を摘むことなので、王笏が島外に持ち出されるのはまずい事態だ。

 しかし、キミヒコとしては、割とどうでも良いことではある。任務を帯びた、カレンたち帝国軍の面々は困るだろうが、別にキミヒコ自身は困らない。それに、帝国軍にしても、アーティファクトさえ島外に出さなければ問題はない。今のところ海上封鎖は完璧だ。この島からの脱出は至難の業である。


 そんな冷めた考察をしているキミヒコに、すがるような視線が向けられている。


「ねえ、キミヒコさん。お願いが……あるんだ……」


 彼女が何事か、頼んでくる。


 おおよそ、頼み事の内容は、キミヒコには見当がついた。カイラリィを復活させないでほしい。そういう内容だろう。

 先程まで散々に聞いてきた、彼女の恨み節を考えれば、それは自然な考察だった。


「エミリアを……エミリアを頼むよ……。お願い……」


 しかし、彼女の願いは、キミヒコの予想の外だった。

 想定外の頼み事に、キミヒコが返事をできないでいると、彼女はさらに縋り付いてくる。


「エミリアは、いい娘なんだよ、本当に。なのに、あんな酷い目に遭って……。これ以上、不幸なことになってほしくないんだ……」


「……酷い目? この戦乱で、あいつに明らかに向いてない兵士の仕事をやっていることか? それは、お前がやらせたんだぞ。個人的な復讐のために」


「痛いとこを突いてくれるね……。そんな私だから、こんな末路なのかな……」


 弱々しく言う彼女の言葉の端に、キミヒコは違和感を覚えた。

 あんな酷い目に遭った。その酷い目というのは、現状のエミリアの兵隊仕事によるものではないような気がしたのだ。


「……酷い目ってのは、具体的に、なんだ?」


「……」


「お前があいつに妙に優しいのと、あいつがお前を妙に慕っているのと、関係があるのか?」


「それ、全部を知っていて……言ってるの……? それとも、勘がいいのかな……?」


 そう言う彼女を、キミヒコはじっと見つめる。

 しかし、彼女はこれ以上を語ることはなかった。キミヒコはやれやれとため息をつく。


「最期の最期まで、どこまでも勝手な女だな……。俺を強引にスカウトしたのに、道半ばでドロップアウト。今際の際にはろくに事情も説明しないでお願い事、か」


 そんなことを言いながらも、彼女の背や頭を撫でるキミヒコの手つきは優しい。


「冷たくするのか、優しくするのか、どっちかにしてほしい……。キミヒコさん。私、苦しいよ……」


「もう、寝ろ。疲れたろ? ……何も不安に思うことはない。お前の願い……頼み事は確かに聞いた。ついでに、あのジャラジャラうるさい杖の処分も任せておけよ」


 死の淵にある彼女の弱音に、キミヒコはそう答えた。


「憎んでばかりじゃ、疲れるだろう? 寝て、起きれば、今までの嫌なことや辛いこととは無縁の世界だ。……実際、俺はそうだった」


「うん……」


 彼女の息遣いがいっそう弱々しくなるのを感じながら、安心させるように、慈しむように、ポンポンと優しくその背を叩く。

 それを堪能するように、彼女の顔は安らいだ。


「ねえ。またお願い事をしてもいい?」


「えぇ……この流れで、まだ何かあんの……?」


「抱きしめてくれない? ギュッて」


 なんともなお願いに、キミヒコは苦笑いだ。

 それでも、望みどおりにしてやろうと彼女を両腕の中に収めようとした途端、彼女が身を引いた。


「……ごめん、やっぱなし」


「なんでさ」


「ほら、私って、その……穢されちゃってるからさ。あいつらに、散々……。汚いんだ。だから——」


 自らのコンプレックスなのだろう。それを理由に遠慮する彼女を、キミヒコは強引に抱き寄せた。今度は抵抗しない彼女を、壊れ物を扱うように優しく抱きしめる。


「ん……。こうやって誰かに抱きしめてもらうのって、安心することなんだね……知らなかった、な……」


 ほうっと、息を吐いて、どこか感動したように彼女は言う。

 そして、モゾモゾとキミヒコの腕の中で動き、その身をさらに寄せてくる。しかし、その動作ひとつひとつが、どんどんか細く、弱くなっていくのがキミヒコには感じ取れた。


「……私が眠るまで、こうしていてほしい」


「はいはい。贅沢なお姫様だ」


「うん。ごめんね……」


「謝んなくていいよ。おやすみ、ルセリィ」


 キミヒコが優しくそう言うが、もう返事はなかった。



「……どうです?」


 部屋を出るなり、外で待機していた軍医にそう尋ねられた。キミヒコは「亡くなった」とだけ端的に答える。

 そしてそのまま、懐から葉巻を取り出し、ホワイトに火をつけさせて一服した。


 それきり何も言わないキミヒコに一礼し、軍医が入室しようとする。


「……遺体は丁重に保管しろ」


 軍医が遺体を確認に行く前に、キミヒコが注文をつけた。


「保管……? 葬儀は——」


「しない。本人の遺志だ。氷の魔法を使える魔術師を常につけて、遺体を冷蔵保管しろ」


「戦える魔術師は貴重ですよ? 今の解放軍にそんな余裕は——」


「俺の人形が騎士アルキテウティスを屠ったんだぞ? この功績でうるさい奴らは黙らせる。いいから、さっさと魔術師を選定してこい」


 有無を言わさぬキミヒコの口調に、「どうして私が……」と文句を言いならも、軍医はおとなしく従った。

 魔術師を手配するためこの場を後にする軍医には目もくれず、キミヒコは、ただ自身が吐き出した煙が宙を漂うのを見つめている。


「……貴方。何か気になりますか?」


 キミヒコの漂わせている、どこかメランコリーな空気に反応してか、ホワイトが問いかけてくる。


「ふふ……そう見えるか?」


「はい」


「ま……気にしないでくれよ。お前がよくやってくれるおかげで、状況的に、俺たちに不利はない」


「その割には、考えることが多いようですね? 貴方」


 湿った声質で、ホワイトはなお問いかけてくる。

 それに対して黙っていると、人形はさらに口を開く。


「何か、後悔がありますか……?」


「……そうだな。レガリクスを奪われるのを阻止しろと指示したわけだが……敵の狙いを読み違えた。まさか、皇帝を即座に殺しにかかるとは……。だが、お前の働きで、その遺体は俺たちの手中にある」


 キミヒコのその返事に、人形は黙って見つめてくる。


 今口にした言葉は、ホワイトの問いに対してずれた返答になっている。それはキミヒコも自覚していた。

 だが主人のそんな対応に、この人形は、これ以上の追及をすることも、非難をすることもない。


「死を意識すると、人は心変わりをするようですね」


 また、人形が唐突なことを言い出す。

 キミヒコは一瞬呆けて、その意図するところに思い至った。


「……さっきの、ルセリィのことか」


 ルセリィは復讐のために生きてきた。最後の最後までそうだった。

 だが、今際の際で、彼女がキミヒコに縋り付いて頼んできたのは、エミリアのことだ。自身の復讐のために散々利用してきた、あの少女のことを案じて、頼ってきた。


「それもありますし、始末したあの騎士もそのようでした」


「アルキテウティスがか?」


 意外な人物が話題に上がり、キミヒコは怪訝な顔をする。


 騎士アルキテウティスは、カイラリィ帝国の復活に奔走していたというのは、キミヒコも知るところだ。

 詳しく話を聞くと、彼は最期、祖国のことでなくもう一人の騎士、デュクスについて気にかけている様子であったという。


「あー……そうか。デュクスとは兄弟らしいから、そういうことね……。てかお前、あんだけグチャグチャになるまで残虐に殺しておいて、よく見てるのな……」


 もはや人の形を留めていないほどの有様だった、騎士アルキテウティスの遺体。亡骸に対して執拗なまでの破壊を加えたホワイトだったが、騎士の意思とそれが向かう先については、よく観察していたようだ。


 ……やれやれ。崩壊したあの老帝国の復興なんて無理筋、最初っから諦めててくれれば、弟騎士も苦労しねーだろうし、俺も面倒がなかったのにさ。ルセリィもそうだけど、どいつもこいつも……まったく……。


 キミヒコにとっては面倒かつ迷惑な生き方をやっている人間たちに対して、思うところはある。

 なんとも言えない顔をしながら、自身の考えを人形に教えてやるため、キミヒコは口を開いた。


「あいつらはな、騎士のプライドとか怨敵への復讐とか、そういうことを目的に生きてきたわけだが……最後の最後で地が出たわけだ。疲れるからな、そういう生き方」


「なるほど。……なんだか、実感があるようですね? 貴方……」


 自身の願いの産物であろうこの人形の、どこか湿り気を帯びた囁きに、キミヒコは押し黙った。

 この世界に来る直前、キミヒコは何かを願って、この人形はやってきた。そして、その願いをした時、キミヒコはおそらく死の淵にいた。


 人が、今際の際に思うこと。願うこと。


 キミヒコはどこか上の空な様子で、それらについて思いを巡らす。そんな主人を、ホワイトはただ静かに見つめていた。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます! ルセリィは産まれた街(世界)とサヨナラ決めたってね 騎士アルキテウティスはルセリィの過去知ってたけどデュクスはどうだったんだろう? 知らなくても元から老帝国の皇族は神輿で…
この稀に見る素晴らしい作品の特徴として殆どのキャラクター(特に女キャラ)は不幸になるのでエミリアの末路に期待
キミヒコ最後の瞬間だけ優しいんだよなぁ…そこがマジでクズ野郎。エミリアは助けられるんでしょうか。
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