#26 ラストエンペラー
『あの女の過去について知りたい』
雨の日の、とある小さい家の小さい部屋。雨風がゆらす窓ガラスも、椅子も、テーブルも、その上に乗っている水の入ったグラスも、なんでも小さい。
この小さい部屋の主は、ガルグイユ島の先住民族の長だった。
彼は空模様よりもさらに陰鬱な面持ちで、テーブル上のグラスに視線を注いでいる。
『黙秘はためにならない。あの女にとっても、あなたにとっても、先住民族全体からしても……な。こちらも、ある程度のことは把握している。必要なのは確証だけだ』
グラスから響くのは、人形遣いと呼ばれる男の声だ。抜け目ない、冷酷なエゴイストと評判の人物である。
彼が何をどこまで知っているのか。ある程度のことは知っているなどと言っているが、ブラフではないのか。そんな疑念はある。だが、もし、彼が事の真相についてあたりをつけているのならば、まずいことになる。
頭の中が、先行き不安な思考に支配され、族長の額に脂汗が滲んだ。
『あの女が、カイラリィ皇室の秘宝を手中に納めた』
人形遣いの底冷えするような声色で紡がれた言葉に、族長の男は戦慄する。
あの子がとうとうそこまでやったのかと、複雑な思いが胸に広がる。
『知っているだろうが、私は、帝国軍の人間でもある。邪推かもしれないが、あの女が我らが帝国の妨げになるようならば——』
「待ってくれ! 頼む! あの子は、あの……子、は……」
『なら、正確なところを教えてほしいな。私は少々、心配性なところがあってね。どうも、物事を悪い方へ悪い方へと解釈してしまうんだ』
人形遣いは、帝国軍大佐の肩書きを持つ男だ。どういうわけか軍に協力的でないらしいが、限度というものがあるだろう。
族長の家族、ルセリィという娘には秘密がある。そしてそれに人形遣いは勘づいている。
「……キミヒコ殿。娘はあなたのことを信用しています。どうか、力になってやってくれませんか?」
『無論、そのつもりだ。この戦乱の世を、共に駆け抜ける同志なのだから』
「な、なら——」
『だが、それはそれとして、私は帝国軍大佐でもある、ということだ。ご承知の事と思うが、帝国軍人は職務への服従を美徳としているのでな』
にべもない返事に族長は黙り込む。
シュバーデン帝国軍という組織が冷酷非情であるというのは有名な話だ。こんな南の島の、マイノリティな民族ですら知っている。
この人形遣いも、きっとそうなのだろう。泣き落としは通用しそうにない。
族長にはそんなふうに思えて、二の句を継げなくなってしまった。
『……まだるっこしいな。おい、さっさと言えよ。俺もあんたの娘を殺したいだなんて思ってない。が、俺や軍を欺こうというのなら話は別だ』
黙っている族長に、人形遣いは態度を変えた。
先程までの、淡々とした軍人口調はやめて、露骨に脅しをかけてくる。
『はっきり言うが、これ以上、情報提供に非協力的な態度を続けるようなら、あんたの娘の命は保障できない』
「では、私が協力的なら——」
『それは、お前の態度次第で、こちらが決めることだ。このまま黙っているのなら、あの女の正体については憶測で判断させてもらうが……娘の命が惜しくないのか?』
沈黙が降り、部屋には雨の音が響く。
「今日みたいな、雨の日でした。妻と娘が、死んだのは」
しばらくして、族長はようやく口を開いた。
ゆっくりゆっくりと、静かな語り口で話すのは、彼の家族のことだ。
一人の男の話としては、悲劇的な部類だろう。
先住民族という、島内において軽んじられる立場。より悪く表現するのであれば被差別階級。そんな、身体的にも権力的にも小さい民の、弱者ゆえの惨事。族長の口から紡がれるのはそういう話だった。
もう、随分と昔のことだ。カイラリィの総督府に納めるための税の横領。その嫌疑を、里全体でかけられたことがあった。
アマルテアにおいて、税のちょろまかしは極刑である国が大半で、当時カイラリィの支配下にあったこの島でもそうだった。脱税は殺人と同等かそれ以上の重罪なのだ。組織ぐるみでの税金逃れともなれば、見せしめも兼ねて血の雨が降ること必至である。
身に覚えのない嫌疑をかけられた際、族長はこの里の潔白を証明するため奔走した。帳簿を全てチェックして、何年にも遡って金の流れを追っても、不審な点はない。総督府の課した税は、少しの漏れもなく納められていた。
その事実を総督府から派遣された役人に訴えたが、それが聞き入れられることはなかった。
総督府からはすぐさま軍が送られてきて、里は散々に荒らされた。
族長の妻と娘は、彼の目の前で暴力を振るわれた。これ以上、妻と娘を酷い目に合わせたくないのなら素直に吐けと、そう言われた。
だが、知らないものは知らないし、なんの覚えもない。涙ながらにそう訴えても、暴力は止まなかった。
結局、里の部族の何人かが殺され、家財も破壊され、税金がわりに略奪もやられて、それでようやく彼らは去っていった。
族長の妻と娘も、彼らが去る頃には物言わぬ骸となっていた。
「その後、しばらくして、事件の真相がわかりました。消えた税金は、近隣の町のガルグイユ人が横領していました。嘘の密告をしたのも彼らです」
震える声で語られる話を、人形遣いは黙って聞いている。糸電話なる通信術で繋がっているグラスの水には、波一つたっていない。
「……死んだ者は、もう帰ってこない。ですが、不当に収奪された財産だけでもと思い、私は収税官吏の下まで行きました」
『ぶっ殺してやろうとか、思わなかったのか?』
「思いました。思いましたよ! しかし、逆らえるはずもないじゃないですか!? あの収税官吏は、乗り込んできた私に、なんと言ったと思います?」
感情を昂らせてそう尋ねれば、人形遣いはしばしの沈黙の後に『さあな』とだけ言った。
「不幸な行き違いがあったが、君たちをはめた犯罪者たちには報いを受けさせた。……そう言ったんです。それだけでした。まるで仇討ちをしてやったかのように言って、それだけでした……」
『報い……ね』
「税金逃れをやったガルグイユ人は、町の広場で吊るされていましたよ。やった本人だけじゃない。一族郎党、全部の死体が、吊るされていた……」
族長は震える声で、そう言った。
本来であれば、こんな事件は起こり得ない。総督府の収税官吏が先住民族相手だからと、いい加減な仕事をしたのが原因だ。
『それで? 正直、同情心がないでもないが、この不幸話は、俺の質問への回答になっていない』
情を感じさせない冷たい声色で、人形遣いが言う。
『娘が死んだ。で、その死んだ娘の名前は?』
「ルセリィ……です」
『……つまり、ルセリィは死んだと。あんたの妻と一緒に、すでに』
「はい……」
『なら……あれは、誰だ?』
人形遣いの言葉には、圧がかかっている。
族長はゴクリと喉を鳴らしてから、口を開いた。
「養子として私が引き取りました。あの事件で、この里で親を殺された子供は多くて——」
『はいはいはいはい、なるほどね。あいつもこの事件で家族を失って、あんたの養子になった。理由は知らんが名前も変えた。で、カイラリィへの恨みが忘れられずに、島の混乱に乗じて一旗あげた。復讐のために』
族長の言いたいことを察して、人形遣いが先んじて言ってくれる。
それに対して、族長は沈黙で答えた。肯定の意味と受け取ってもらえるように。しかし、人形遣いという男は、そこまで甘くはない。
『でもこれ違わない? 違うよなぁ?』
底冷えするような、猜疑心に満ちた言葉に、族長は青ざめる。
「そ、そんな、私は誓って嘘は——」
『嘘は言ってねーだろうが、誤解を誘導するような言い回しもよくないな』
人形遣いの言葉は図星そのもので、族長は絶句した。
今までの話に嘘はない。だが、おそらく人形遣いが知りたがっている核心を突いていない。
『……やつが先住民族の出身でないのはわかってる。おそらく島の外からやってきたであろうこともな』
「なぜ、そう思うのです? あの子は、あなたがた大陸人とは、背丈がまるで違いますが……」
『あれは、種族として背が小さいままというより、子供のまま成長していないんじゃねーのか?』
人形遣いの推察に、族長は沈黙で答えることしかできない。
『珍しいが、ああいう体質の人間が、いないわけでもない。俺の知り合いに、半世紀以上も子供の姿のまま、というのもいる』
「……それは、どなたです?」
『言語教会枢機卿の一人、エーハイムという女だ』
「す、枢機卿……」
思わぬ大物が話に上り、族長がうめく。
『で……養子にとったらしいのは本当だろうが、それは、どこからだ? その事件のせいで発生した孤児ではないのなら、あの女はどこからやってきた?』
「わからない。本当にわからないんです。あの時、メチャクチャになってしまった里に、あの娘はフラリと現れたんですよ。でも、どこの誰ともわからない子供でしたが、親を亡くした子供も多かったので、誰も不審には思わなかったし、詮索することもなかった……背も小さいままで、私たちの同胞だと皆が信じました。ただ……」
『ただ?』
「あの娘の、カイラリィへの憎悪は本物だった。だから、私は……」
彼女の望みどおりに、新しい名前と居場所を提供した。妻と娘の無念を託すために、死んだ愛娘のルセリィという名前まで与えて。
続くはずのその言葉は、族長の口からは出なかった。赤の他人に、身勝手な復讐心を期待していた自分を恥じたのだ。長く共に暮らすうちに、本当の娘のように感じてきている現在からすると、尚のことだった。
『……話が逸れたな。それで……あいつの、本当の名前は?』
人形遣いがどこまで族長の心情を読み取ったのかはわからないが、彼は詳しく聞いてこようとはしない。代わりに、話の核心について、急かしてきた。
『言え。死んだあんたの娘じゃない。ルセリィと名乗っている、あの女の本名は?』
「……レガリクス。レガリクス・ギリと、そう聞いています……」
◇
グラモストラ城から離れた場所にある、集落。そこに、キミヒコの調達したセーフハウスがあった。解放軍の誰にも知られていない、完全なる隠れ家だ。
「なるほど。見つからねーわけだ。歳を取らない体質……それを利用して、先住民族のチビどもに紛れていたとはな……」
雨漏りのする古民家の一室で、キミヒコがぼやく。糸電話の通信はすでに切れている。
ルセリィの容貌が、他の先住民族に比べ幼い雰囲気だったことにずっと違和感を持っていたキミヒコだったが、その疑問はようやく解けた。ルセリィは単純に、歳を取っていなかったのだ。
歳を取らない女、エーハイム。寿命についての研究をしていたデルヘッジ。そして、ルセリィとデルヘッジに接点があったらしい事実。これらがなければ、思い至ることはなかっただろう。
彼女の歳を取らない体質、これはそうあるのもではない。魔法やらアーティファクトが存在するこの幻影世界でも、一般的ではない。まず間違いなく、デルヘッジ司教が噛んでいるとキミヒコは思う。
デルヘッジは一時、言語教会総本山ゲドラフ市にいた。派閥は違うが、エーハイムとの接点もあったかもしれない。そして、デルヘッジはカリストからアマルテアへと渡ってきて、リシテア市に赴任した。カイラリィの一部であったリシテア市に、だ。
……エーハイムの身体の秘密は未だ不明……。だが、それに近い処理を、もしかしたらルセリィに……いや、カイラリィ皇族のレガリクスに施したのか……? 皇族であるギリ家が、あのジジイのパトロンになってたってのは、いかにもありそうな話だ。あのジジイは、寿命を延ばす研究は失敗したとか抜かしていたが……。
かつて、キミヒコを巻き込んだ大事件、リシテア市壊滅。その主犯であるマッドサイエンティスト、デルヘッジ司教について、キミヒコは考えを巡らす。
そんなキミヒコのそばで、黙って寄り添っていたホワイトが、口を開いた。
「殺しますか?」
目的語の抜けた、人形の短い一言。
誰を対象とした提案なのか、キミヒコが聞き返すまでもない。
「いや……まだ、いい。あの女には聞くことがある」
「では、捕らえて拷問ですね」
「いらん。やめろ」
即座に拒絶の意思を示したキミヒコに、人形は「はい」と返事をするだけだ。
先程の先住民族の族長との話。その中にあった、彼の妻と娘の悲惨な末路。族長との会話の最中では一切の同情を示さなかったキミヒコだが、思うところがないでもなかった。
「とはいえ、な……。帝国軍に伝えるか、ルセリィに問いただすか、どうするかな……」
キミヒコは今まで、この島の戦乱に対して傍観者に徹していた。
ルセリィに自身の持つ情報やコネクションを提供はするが、戦闘への直接介入は断固拒否。そういう立ち位置を維持しつつ、戦後に美味しい立場になれれば儲け物。そういう考えだ。
帝国軍の任務についても、基本的には我関せずである。将軍との約束もあるし、カレンとの仲も悪くないので、彼女が命の危機に瀕すれば助けには動く。だが、カレンがそこまでのピンチになることはそうそうないとキミヒコは踏んでいた。先のグラモストラ城の奇襲作戦でも、カレンが死ぬことはないという目算だった。あとは、彼女が直接キミヒコを頼ってくれば、それには最低限応えるつもりだが、現状はそれもない。
しかし、今回、キミヒコは帝国軍の作戦目標、ギリ家の最後の生き残りの所在を知ってしまった。正体を知ってしまえば、カレンたちが正攻法で見つけるのは困難な相手であることがわかる。
レガリクスは童女の姿で、この島の先住民族に扮している。しかも、帝国軍はアーティファクト『カイラリィの王笏』を奪われている状況だ。ルセリィがこれを海に沈めるなりして処分した場合、自力での発見はまず不可能となるだろう。可能性があるとすれば、騎士アルキテウティスをどうにか生け捕りにしての拷問か、総督府と正規軍残党の確執を煽って彼ら自身にレガリクスを擁立させるなどの搦手を駆使する他はない。
「指示を頂ければ、トリルトカトル城へ行って生け捕りにしてきますが」
今後の立ち回りについて考えているキミヒコに、人形が提案してくる。いつもどおりの、暴力に物を言わせた提言だ。
相変わらずな調子の人形に、キミヒコは笑いかけようとして、止まった。その目に、人形の糸が不穏な色に明滅するのが映ったのだ。
「貴方、急報です」
魔力糸により、何事かを感知した人形が言う。
「トリルトカトル城が攻撃を受けています」
「……帝国軍か?」
「いえ、カイラリィの手勢のようです」
「完全に撤退したと見せかけて、兵を伏せていたか……悪あがきだな。面倒な真似をしてくれる」
うんざりしたように言うキミヒコだったが、それに続くホワイトの報告に驚愕することになる。
「騎士もいます」
「なんだとッ!? アルキテウティスとデュクスのどっちだ!?」
「両方です」
ホワイトの短い返しに、キミヒコは絶句した。トリルトカトル城には、ルセリィがいる。ホワイトもエミリアもいない、単独の状態だ。
……カイラリィの連中の拠点は、もうドゴーラ市しか残ってない。そんな状況にまで追い詰められて、虎の子の騎士を二人も投入してきただと? これは、機動防御だとかの遅滞戦術じゃない。……カイラリィ帝国の、最後の皇帝を取り返しにきたってわけか。
そんな想像をすると同時、キミヒコは決断した。この島に来てから、ずっとそばから動かさなかった、絶対の信頼を置く、この殺人人形を使う決断だ。
レガリクスがその正体を隠しとおすか、帝国軍に捕まるか。この二つのパターンのいずれかであるなら、キミヒコにとっての利益となる対応もしやすい。だが、カイラリィに取られるのは、あまり面白くない事態だった。
「ホワイト、行ってこい。騎士アルキテウティスの狙いはレガリクスだ。やつらに奪われる前に、必ず生かして……いや、もう最悪死体でもいい。とにかく連中に奪われるのを阻止しろ」
「障害となる者は、殺していいですよね?」
ホワイトが意味のない問いかけをしてくる。
邪魔者の末路など、キミヒコの許可があろうがなかろうが、この人形がどうするかなど決まっている。
やれやれと肩をすくめてから、キミヒコはこの無意味な許可を出してやることにした。
「当然、殺していい。カイラリィの連中だろうが、解放軍の連中だろうが、遠慮するな。邪魔する奴は、お前の実力で全て排除しろ」
「畏まりました」
言うが早いが、人形は屋外へと飛び出していく。
外から響く雨の音と、室内に滴る雨漏りの音が、キミヒコの耳に残った。




