#24 呪いの声を、老帝国に
解放軍の手に落ちた、グラモストラ城。ここは城と呼ぶにはあまりに無骨な要塞で、政治や権威とは全く無縁な城だった。
ここで帝国軍と北部のガルグイユ人勢力を相手にした戦闘を終えてから、幾日も経っていない。そんな城内で、慌ただしく動く一団があった。
その集団の中には、一際小さい女性の姿がある。ルセリィだ。
「杖は、まだ見つからないのかい……?」
「え、ええ。ルセリィさんのおっしゃる特徴の、杖は、まだ……」
ルセリィの派閥の兵士が、恐る恐る返事をする。
今のルセリィにはいつもの飄々とした雰囲気はなく、張り詰めたような圧迫感があった。部下たちにかかるプレッシャーはなかなかのものだ。
普段は自ら現場に出ることのないルセリィの、普段と異なる雰囲気。それに気圧されたのか、兵士たちはひたすら居心地が悪そうだった。
「よお、ルセリィ」
そんな一団に朗らかに声をかける人間が一人。キミヒコである。いつもの白い自動人形を引き連れ、ルセリィたちのそばまで歩いてきた。
キミヒコの背後にピタリと寄り添うホワイトは、何やら、布で覆われた棒状のものを背負っている。人形の背にある何か。それを認めると同時、ルセリィの顔が険しくなった。
「お前が外で動き回るなんて、珍しいじゃないか。それも、こんな、制圧したばかりの城でさ」
「……そういうキミヒコさんも、珍しいじゃない。まさか、グラモストラ城に来ていると思わなかった。いつも安全が確保されてから——」
「お探しのブツは、もしかしてこれかぁ?」
キミヒコがそう言って、ホワイトの方を指差す。人形はそれを受けて、その手のものを掲げてみせた。
それを覆っていた麻布がひらりと落ちて、中身があらわになる。先端に多くの鈴がつけられた錫杖、『カイラリィの王笏』がそこにはあった。
それを見た途端に、ルセリィの心臓が早鐘を打つかのように鼓動する。ホワイトの糸により、キミヒコにはそれがわかった。
「ルセリィくん。これが何か、知ってるみたいだね?」
本人は表情を崩さないよう努めているらしいが、その顔が若干引き攣るのが、キミヒコにはわかった。
「……みんな。見つかったから、解散」
ルセリィが言うと、兵士たちは戸惑いながらも散っていった。
「あ。俺も帰る感じ?」
「違う。……わかるでしょ? ついてきて」
キミヒコの冗談に、ルセリィはつれない返しをする。
その様子に、キミヒコはわざとらしく肩をすくめてみせてから、返事を待たずに歩き出した彼女の後ろに続いた。そのさらに後ろを、ホワイトも続く。
しばらく歩いて、城内の倉庫のような部屋へと来た。
「……どう? ここ、人気はある?」
ルセリィに聞かれ、キミヒコはホワイトに目をやる。主人に水を向けられた人形は「盗聴の心配はありません」と答えた。
「……ホワイト、そのまま警戒しておけ。誰か近づいてきたら教えろ」
「畏まりました」
「と、いうことだそうだ。密談に支障はない」
キミヒコのその言葉に、ルセリィは黙って頷いた。
が、それきり彼女は何も言わない。
彼女の要求はキミヒコにもわかっている。ホワイトの手にあるアーティファクトをよこせ、ということだろう。
このアーティファクトをキミヒコがどうしたいのか、そもそもこれについて何をどこまで知っているのか。それをルセリィは計りかねているようだ。それで、どう切り出せばいいかがわからないらしい。
だがそれについてはキミヒコも同様で、ルセリィがなぜ、この『カイラリィの王笏』を欲しているのかわからない。
グラモストラ城奇襲作戦の結果について方々から情報を収集し、このアーティファクトの紛失を知ったキミヒコは、ホワイトを使っていち早くこれを回収した。どうやらルセリィもこれを探しているらしいと知ったのは、回収する直前のことだ。
……この女、怪しい怪しいと思っていたが、まさかこのアーティファクトを狙っていたとはな。奇襲作戦を推し進めたのも、これが理由か? エミリアを使って、帝国軍から強奪するために手を回したのか……?
心中でそんな疑念を抱えながら、キミヒコはルセリィをただじっと見つめる。
しばらくして、ルセリィは大きく息を吐いてから、口を開いた。
「もうさ。色々と省いて言うんだけど、それ、くれない?」
「省きすぎ。理由くらい言えや」
「あー……んー……いずれ言うから。そのうち、後で。……それじゃ駄目?」
「駄目ですな。つーか、真っ当に考えるのなら、俺経由でカレンに返した方が良くない? この後すぐにドゴーラ市攻略に軍を差し向けるんだから、帝国軍に横槍を入れられないようにするための交渉材料にできるだろ。これ」
キミヒコの言葉にルセリィは黙り込む。
このアーティファクト『カイラリィの王笏』は、カイラリィの皇室、ギリ家の血統の捜索と証明ができる。逆に言えば、それだけだ。強力な兵器として使用できるわけでもない。
カイラリィ皇室の抹殺を目論む帝国軍や、カイラリィ復興を狙う残党たちにとっては必要不可欠の代物であるが、ルセリィがこれを狙う理由がキミヒコにはわからない。
あえて言うなら、帝国軍との交渉材料には使えるのだが、そういう理由でもないらしい。
「キミヒコさん。それの使い方、知ってるの?」
「さあ? 知らんよ」
とぼけてみせたように言うキミヒコだったが、実際に知らないことだ。
この錫杖の鈴の音で、血統の判別や探知ができるということは知っている。だが、その鈴の音で何をどう判別するのかまで、キミヒコは聞いていなかった。
そして、キミヒコがアーティファクトの使用方法を知らないと言った途端に、ルセリィの心臓の音が少し落ち着いた。ホワイトの魔力糸により、キミヒコにはそれが聞き取れた。
……これを使用されると、困るってこと……? こいつ実は、カイラリィに通じているとかか?
ヘラヘラした態度のその裏で、キミヒコはルセリィという人間のバックボーンに考えを巡らす。
先住民族の族長の娘。キミヒコと同い歳くらい。野心家で秘密主義者で冷酷。カイラリィを憎んでいる。エミリアには妙な優しさを見せることがある。
キミヒコが知るルセリィとは、こんなところだ。
「お願い。それを私に渡してほしい」
キミヒコがあれこれ考えていると、改めてそんなお願いをされる。
……どうしようかなー。別にこれを渡したところで、俺の懐が痛むわけでもないしな。くれてやっても、俺の不利益になることはないだろう。カレンに恩を売る機会を逸するから、得にもならないけど。
さてどうするかと思い悩むキミヒコを、ルセリィはただじっと見つめている。
「そうだなー。お前が何か、面白い話でも聞かせてくれたら、いいよ」
キミヒコが言うと、ルセリィは怪訝な顔をする。
「……面白い話?」
「そう。例えば、この幻影の世界とは異なる、尊い真なる世界の話、とかさ」
言った瞬間、ルセリィの顔にぎこちない何かが浮かぶ。
「エミリアは——」
「あいつじゃなくて、ルセリィの知ってることを聞きたいな。なーんかちょっと知ってる雰囲気だったじゃん。誰から、いつ、どんなことを教えられたか。聞かせろよ」
キミヒコの出した交換条件、真世界について知っていることや言語教会との繋がりについて、ルセリィに白状しろという内容だ。
エミリアをダシにしてキミヒコを仲間に引き入れたルセリィだったが、未だに異世界や言語教会については腹の底から話をしていない。キミヒコにはそう思えた。
ルセリィの動向については、同じ異世界人であるエミリアの観察と監視に重点を置いているため、今まで二の次にして放置してきた。だが、ここ数日の彼女の不審な動きは、キミヒコの猜疑心を刺激するには十分だった。
「異なる世界については、言語教会の司教から教わったって言ってたな。誰だ? まさか、ゲニキュラータじゃないだろう?」
差し当たり、アーティファクトをダシにして、ルセリィと言語教会の関わりについて聞き出そうとする。ろくな情報もなかったり嘘をついていると感じたなら、アーティファクトは渡さない。そういう腹づもりだ。
キミヒコのそうした内心をルセリィは察しているらしく、慎重に言葉を選んでいるらしい。すぐには答えずに、悩むようなそぶりを見せている。
「…………デルヘッジ司教から聞いた」
「知らん司教だな。いつ、どこの教区の担当だった司教なんだ?」
たっぷりと時間を置かれてからルセリィが言った司教の名前に、キミヒコは心当たりがある。が、それを悟られぬよう、ノータイムで知らないと言ってみせた。
……あのイカれたジジイの名前が、ここで出るとはな。天使学派の、リシテア市を壊滅させた、あのマッド野郎。あいつのおかげで、俺は散々な目に遭った……。
デルヘッジという男を、キミヒコは知っている。かの老人について、キミヒコは最悪の印象を持っていた。
「どこの担当とか、知らないよ。ただ……ずいぶん昔、もう十年以上も前に、あの司教は私に色々と話をしてくれたことがある」
「……この島でか?」
「他にどこかある?」
適当な会話を続けつつ、キミヒコはあの老司教について思いを巡らす。
かつて、カイラリィ帝国の飛び地として存在した古都、リシテア市。デルヘッジはそこで、司教として教区長をしていた。
リシテア市がカイラリィから独立したのは、約十年前……。デルヘッジはそれより前からあの都市に赴任していた。あのクソジジイはカイラリィとの繋がりがあっただろう。そもそも、奴が言語教会からアーティファクト『ディアボロス』を盗んだのも、カイラリィと結託してのことという可能性も……。
デルヘッジ司教、リシテア市、カイラリィ帝国、そしてルセリィ。それらが朧げながら繋がりそうな気配をキミヒコは感じていた。
「ねえ、もういいかな? その杖、私にくれない?」
焦れたように、不安そうに、ルセリィが言う。キミヒコはそれに対して沈黙で答えた。まだ、考え途中だ。
とりあえず、ルセリィが明確な嘘を言っている雰囲気はない。デルヘッジの名前は、彼女は出したくなかったろうことは、見てわかる。
だが、この島で会ったということはなさそうだ。彼女も明確に否定はしていない。「他にどこかある?」と聞き返しただけだ。
そしてそれに対して、キミヒコは本当はこう聞き返したかった。「カイラリィ本国で、デルヘッジと会ったことがあるんじゃないか?」と。
だが、この場で直接、キミヒコは問うことはなかった。
この女、幼い風貌だ。この島の先住民族だからだと、そう思ってた……。だが、デルヘッジのやつは、確か、寿命についての研究をやっていたな。あいつは副次的な研究だとか抜かしていたが……それに、いつまでも歳を取らないエーハイム枢機卿とか時を操るアーティファクト『ディアボロス』という事例も……ある……。
キミヒコの胸の内で膨らむ疑念。それについて勘づいているのか、ルセリィの表情に、ますます不安な色が混じっていく。
「ね、ねえ……キミヒコさん。本当にお願い。それを私に——」
「いいよ」
キミヒコの唐突な了承に、ルセリィは目を瞬かせる。
「え。マジ……?」
「マジですけど。いらんなら別に——」
「いやいる! 超いる! 頂戴頂戴頂戴!」
ルセリィの必死の懇願に、キミヒコはホワイトに目配せをする。それを受け、人形がその手のアーティファクトをルセリィの方へと放り投げる。
彼女は危なげなくそれをキャッチし、手中に収めたアーティファクトに視線を這わす。
その瞳は、目当ての物を手に入れた喜びではなく、何かドス黒い負の感情のようなものに染まっている。
それについて見て見ぬふりをしつつ、キミヒコは口を開いた。
「戦後、期待しているからな。キリキリ働いて、俺に美味い汁を吸わせろよ」
「もっちろん! 任せてよ!」
朗らかな雰囲気でそう言うルセリィだが、その奥底には底知れない憎悪と悪意が滲んでいる。キミヒコにはそう思えた。
その後、キミヒコに重ねて礼を言ってから、ルセリィはそそくさとこの部屋を出ていった。
それを見送ってから、静かで薄暗いこの部屋で佇む、自身の人形へとキミヒコは視線を向ける。
「ホワイト。スミシーに糸電話を繋げ」
「はい」
特に理由を聞くこともなく、人形は主人の意を受け、その身に纏う糸を明滅させた。
数秒後、ホワイトの糸電話が、目当ての人物へと開通した。
「スミシー。出張中で悪いんだが、追加の仕事だ」
回線が繋がるとすぐさま、キミヒコが言った。
いきなりそう言われて、スミシーは「は……? え?」と、言葉にならない声をあげている。キミヒコはそれに構わず、続けて指示を飛ばす。
「先住民どもの里に行け。ルセリィの親父と話がしたい。アポを取ってくれ」
『え……? 族長は里にいますが……キミヒコさんが出向くので? それとも——』
「行かないし、連れてこいとも言わんよ。遠いからな。……糸電話を使う」
『いいんですか? 糸電話については、いつも秘密にしろ秘密にしろって……』
「いいよ。急ぎだから仕方ない。ただし、糸電話について教えるのは族長にだけだ。口止めもしておけ。……それから、俺が族長に接触すること、ルセリィに気取られるなよ」
この後も、スミシーに何点か注文をつけてから、キミヒコは通信を切る。
通話を終え、疲れたようにため息を漏らすキミヒコの横顔を、人形はずっと見つめていた。




