#21 ダークナイト・カレン
グラモストラ城内部では、どこか緊迫した空気が流れていた。
勝手に解放軍と話をつけて、カレンたち陸上部隊に無断で出撃した竜騎兵たちから、不審な情報が届いたのだ。
トリルトカトル城を空母の航空支援の下で攻め込む手筈だったが、城を攻めているのは解放軍の一部だけ。トリルトカトル城を別方向より攻撃するかのように機動していた部隊が、事前に通達された進軍経路を外れ、北上している。
これらの部隊が北上を続けた場合、辿り着く場所は、このグラモストラ城である。
大佐の警告……やはり、そういうことなの……?
執務室で一人、カレンが物思いに耽っていると、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「失礼します!」
「慌ただしいな。ノックもせずに入室することか」
「はっ! 急報であります!」
入ってきた兵士の言葉に、カレンは微かに目を細めた。
そのまま続きを促すと、すぐさま報告が始まる。簡潔に要点だけまとめられたそれは、確かに急報と呼べるものだった。
解放軍の裏切りがほぼ確定し、ここを攻撃するためと思われる軍勢が向かってきている。そういう内容だ。
「そうか。連中の狙いはやはりここか。……なかなか、大胆なことをするものだな」
カレンは少しの動揺も見せずにそう言った。
兵の手前、ということもあるが、予想はしていた事態なので、彼女にとってはそれほど衝撃はない。
「我が将兵に伝達し、戦闘準備をさせろ。他の守備隊には伝えるな。それと、ピナイダーとレオナルドをここに呼べ」
カレンの短い指示に、伝令の兵は敬礼をしてから退室した。
彼が出ていくのを確認してから、カレンは机や棚にある文書の類を暖炉に放り捨て始めた。ある程度の紙の束が暖炉を満たすと、今度はそこに火をつける。
焚べられた機密文書たちはよく燃え、室内の気温が上昇する。それに構わず、カレンは書類を暖炉の中に放り込み続けた。
暖炉の炎がパチパチと音を鳴らし書類を燃やしていく。
その炎に照らされる、女の顔。つい数刻前まで、組織人としてのストレスにより物憂げだったその顔は、冷酷極まる帝国軍人のそれへと変わっていた。
キミヒコが祖父と同じだと評したカレンの気質。必要とあれば、戦争マシンへと変貌できるという性質によるものだ。今の彼女は、どんな残酷なことでも平然と実行するだろう。
だが、それだけではない。
カレンの瞳にはどこか、暴力的で嗜虐的な何かが滲んでいる。ただただ冷酷で、淡々と、非情のままに軍務を遂行するだけの祖父とは異なる彼女の一面が垣間見えた。
しばらく暖炉の炎が燃え続け、ようやく執務室を綺麗な状態にできたタイミングで、扉をノックする音がカレンの耳に入る。入る前から、そしてノックがされる前から、誰が来たのかが、カレンにはわかっていた。
戦と死の気配が、彼女に昏い高揚感を与え、その感覚をより鋭敏にさせている。
「ピナイダー、レオナルド。入りたまえ」
カレンの許可を受けて、二人の暗黒騎士が入室する。両名ともに、漆黒の全身鎧を身にまとい、いつでも戦闘可能な状態だ。
「グラモストラ城は放棄する」
入室した部下二人の前で、カレンは単刀直入に言った。
あっさりとした言いようのためか、二人の魔力がやや乱れた。動揺が一瞬魔力の流れに影響したらしい。
それは、非常に微細なものだったが、カレンには知覚できた。
「……よろしいので?」
「構わんさ。解放軍の進軍経路に蓋をするため、ここを占拠はしたが……連中がドゴーラ市に向かうのなら、やり方を変えるだけだ」
カレンの任務は、ギリ家の生き残りの捜索と抹殺である。このガルグイユ島の覇権の行方などどうでもいいし、島民の生き死になどカレンは関心がない。
「しかし、一戦も交えないわけにはいかない。私が弱腰だと将兵に思われれば、今後の士気に関わる」
「それでは?」
「それなりに抵抗はする。それなりに、な。良い機会だから、北部のガルグイユ人は使い潰せ。どうせ、連中が呼び込んだ敵だろう。反抗したなら躊躇なく斬れ」
ガルグイユ人の北部勢力、ゲニキュラータ司教から預かっている兵に対して無情なことをカレンは言う。部下二人も、さも当然だとばかりに頷くだけだ。
カレンを含めた帝国軍将校で、北部のガルグイユ人たちを仲間と考える者などいやしない。こんな狭い島の中で、まとまることもできずに争い合う愚かな土人。それくらいの認識である。
「それと、エンプレスゲルトルードに、航空支援を要請しろ」
「……先程の出撃で、竜騎兵の即応は難しいのでは?」
「知っている。それが敵の狙いだろうからな。重要なのは、私に連絡もなく竜騎兵を動かし、肝心な時に支援をできなかったという事実だ」
「……今後のためでありますか」
「そうだ。明確な失点としてこの事実を突きつければ、艦隊司令のスーべレーンもおとなしくなるだろうさ」
敵が迫るこの状況下で、帝国軍内部での政治的アドバンテージを拾おうとするカレンの姿勢に、ピナイダーとレオナルドは感心したように頷く。彼らも、伊達や酔狂で十近くも歳下の小娘を上司と仰いではいない。軍人として、カレンの能力に相応の信頼を置いていた。
どんな状況でも、マイナスだけということはない。騙し討ちの奇襲を受けたとしてもだ。私にとっての有利な点、不利な点を即座に把握し、適切な行動に移さねば……。
指示を飛ばしつつ、頭の隅でカレンはそう考えていた。
あらかたの命令を終えて、この執務室を後にしようとした時、カレンの知覚範囲の中に誰かが入ってくるのが感じられた。
この歩き方……男が三人……帝国軍の兵士ではないな。
向かってくる人間に当たりをつけると、カレンは無言のまま、ハンドサインを部下に送る。それを受け、暗黒騎士二名は黙って指示に従う。招かれざる客は、カレンに任せる姿勢だ。
「ウォーターマン中佐! 失礼します!」
「無礼だな。ノックすらできないのか、貴様」
「し、失礼しました。ですが、その、本当に緊急の案件が……一刻を争うのです!」
入ってきたのは、ゲニキュラータから預けられた、北部勢力のガルグイユ人の男たちだった。いずれも、一兵卒ではなく部隊を指揮するような立場の人間だ。
「……それで、どうしたのだ? 簡潔に言え」
カレンの尊大な物言いに、男たちは一瞬険しい顔をするが、すぐに用件を話し始める。
迂遠な表現が多いものの、その内容は先程カレンが受けたものとほぼ同一だ。南部の解放軍が裏切って、こちらに軍を差し向けてきた。そういう内容である。
ただ、妙な点もある。情報ソースだ。
カレンは空母の艦載竜騎兵による航空偵察で情報を得た。対して、このガルグイユ人の男は自らの手勢による斥候で情報を得たと言う。
だが果たして、ガルグイユ人たちの斥候が、空を飛ぶ竜騎兵とほぼ同じスピードでの情報伝達は可能なのだろうか。精神感応能力を持つ精神魔術師ならば可能だろうが、そんな高度な魔術師が彼らの手勢にいるわけもない。
カレンの中でそういう推察がされていることに、男たちは全く勘付いていないらしい。饒舌に、そしてどこか得意げに、話の続きを切り出してくる。
「勝手ながら、私の動かせる兵を各要所に配置しました。なにぶん、緊急事態ですので、事後承諾にはなりましたが……」
「ほぉ……迅速だな。感心する」
さも本当に感心したような表情を浮かべてみせるカレンだったが、腹の内には、漆黒の意思が満ちている。
「ところで……貴公らの動き、ゲニキュラータ司教の知るところなのか?」
「は? いえ、司教とは——」
男が言い終える前、キンッ……と、薄くて硬質な金属音が、室内を抜けた。
そこから一瞬の間を空けて、ガルグイユ人の男たち三人の首が、落ちた。三人とも一様に、首から下の身体が膝をついてから仰向けに倒れ込む。首の切断面から噴き出る鮮血が、執務室の絨毯を鮮烈な赤色に彩った。
凶行に及んだのは、カレンである。彼女の得物、特徴的なあの鋭利な刀剣が、いつの間にか鞘から抜き放たれていた。
カレンの神速の居合い抜きは、死んだことすら知覚させずに三人をまとめて葬り去ったのだ。
「……お見事です」
「世辞はいい。貴官らもガルグイユ人どもが怪しい動きを見せたら即座に殺れ。北部も南部も関係ないし、推定無罪だとかも気にするな」
「死体は?」
「放っておけ。……自らの息のかかった兵を許可なく各要所に配置……内応の前準備を、わざわざ報告にきたようなものだな。愚劣な奴らだ」
そう言って、カレンはもう死体となった男たちに目をくれることもない。もはや意識の外だ。
彼女の頭にあるのは、いかに帝国軍の損耗を減らしつつ、この場を切り抜けられるかということに尽きる。
「ガルグイユ人の守備隊は全て配置転換。内応を試みた集団がいるはずだが、それらが共謀できぬよう分散させるのだ。そのうえで、死守命令を出す。我が方の兵に督戦させろ」
「直ちに伝達します」
部下たちの反応にカレンは満足したように頷いた。
猟兵隊が他の部隊を指揮することは稀ではあるが、隊員の階級は皆佐官以上であるため、彼らの統率能力はきちんと担保されている。
カレンも安心して、彼らを使うことができた。
「中佐、鎧の着用を……」
おずおずと、部下の一人、レオナルドが言う。
「いらん。時間が惜しい。私にはこの刀さえあれば十分だ」
部下の進言に、流麗な動作で納刀しながらカレンは言った。
またこの上司の困ったところが出たと、二人の暗黒騎士は揃って嫌な顔をするが、顔を覆う黒い兜により、彼らの表情はわからない。
部下の内心を知ってか知らでか、カレンは獰猛な笑みを浮かべていた。




