#20 小娘ふたり
解放軍で例の作戦が決定されてから数日後。
グラモストラ方面へ向かう準備を進める兵士たちの中に、エミリアの姿があった。
解放軍の指揮官用マントを羽織り、ずいぶんと凛々しい装いだ。解放軍に参加した初期に見られた、少女然としたあどけなさは鳴りを潜め、まるで騎士のような佇まいである。
そんな彼女は、今や解放軍の兵士たちの間で知らぬ者はいない有名人で、人気者だった。
今も大勢に囲まれ、「頑張ってください!」だとか、「応援してます!」だとか、そんな応援の言葉をかけられている。
エミリアも手慣れたもので、彼ら彼女らを相手に笑顔で応対をしていた。
そんな一団の下へと近づく影が、二つ。
二つの影に気が付いた者の反応は、概ねネガティブなものだった。彼らは皆、露骨に嫌な顔をする。特に二人のうちの小さい方を見れば、その顔は恐怖で歪んだ。
なんともないのはエミリアだけだ。
「あ。キミヒコさんとホワイトちゃん」
「おーっす。エミリア、ちょっとツラ貸せよ」
「いいですけど……なんです?」
「ま、いいからちょっと来な」
その誘いに素直に頷き、エミリアは周囲の人々に手を振ってから、キミヒコと一緒に歩き出した。
並んで歩いていく二人のすぐ後ろに、ホワイトが続く。
「……すっかり人気者だな。エミリア」
しばらく歩いて、周囲に人気がなくなってから、キミヒコが呟く。
「ええ。ルセリィさんの言うとおりに振る舞っていたら、いつの間にか……」
「やれやれ……。嫌なら嫌と、ルセリィにはちゃんと言っとけよ」
「そんなこと……あ! もしかして、助け舟のつもりで、声をかけてくれたんですか?」
エミリアのそんな弾んだ声に、キミヒコは返事をせずに肩をすくめるだけだった。
「それで、どこに向かってるんです? 私、一応これから、グラモストラ方面軍の司令官に挨拶の予定ですけど」
「司令? ああ、カーリー派のあいつか。……奴に挨拶はいらんよ」
「え? そんなわけにはいかないでしょう。顔をつなぐのは大事って、いつも言ってたじゃないですか」
「……そうか。そうだな。ま、それなら、後で時間があれば行ってくるといい」
キミヒコの歯切れの悪い言葉に、エミリアは怪訝な顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。
……この奇襲作戦の指令に抜擢されたはいいけど、この作戦が成功しようが失敗しようが、どうせ死ぬだろうからなぁ……。意味のない挨拶だよ。むしろマイナスか。知ってる相手だと、こいつ変な同情とかしそうだし……。
グラモストラ方面軍の司令官が今後どうなるか。その予定を、キミヒコは知っていた。
帝国軍に楯突いた責任を、カーリー派に全てなすりつける。そういう計画が、すでにルセリィを中心とした解放軍上層部の間で立てられ、その一部はすでに実行されている。
今回の奇襲作戦の人事もそうだ。騙し討ち作戦の実行者として司令官は吊るされ、帝国軍への供物とされる手筈になっている。
そしてそうした後ろ暗い陰謀は、エミリアの耳には入らないようになっていた。キミヒコも伝える気はない。
「それで結局、どちらに……」
「ルセリィのとこ」
キミヒコの返事に、エミリアはパアッと顔を明るくする。が、その表情はすぐに憂いを帯びた。
「ルセリィさん、忙しいんじゃ……。迷惑にならないかな?」
「……無理をさせられてるんだから、気にするな。むしろもっと我儘を言っていいんだぞ?」
「でも……」
確かにルセリィは忙しい。派閥の取りまとめをやったり、他派閥との折衝をやったり、碌でもない陰謀の準備をしたりと、常に誰かと会談をしているような状態だ。
しかし、エミリアはそんなルセリィのために、その性格上、どう考えても向いてない役割を振られて頑張っていた。キミヒコが彼女の立場なら、即座に逃げ出している。
こいつ、なんでルセリィを慕ってるんだろうな……。あいつの邪悪な本性、察してると思うが……わからんな……。ま、どうでもいいか。
二人の関係性について、キミヒコはそれほど気にしていない。
気にしているのは、異世界人としてのエミリアのスペックと、ルセリィの真意。そして、今後の自らの身の振り方だ。
カレンを含む帝国軍との対立は避けつつ、うまくこの戦乱が収まったのなら、その時には美味しい汁を吸えるポジションにいたい。
そのためには、今後どう立ち回ろうか。そんな思いを巡らしているうちに、キミヒコたちは目的に着いた。
「よーっす。人気者の英雄様を連れてきたぞー」
ノックもせず入室するなり、キミヒコは言った。
狭い事務室では、ルセリィが一人でコーヒーを飲んでいた。
「お。きたきた。待ってたよーん」
入室してきたキミヒコにエミリア、ついでにホワイトにも気が付いたルセリィが笑みを浮かべてそう言った。
顔こそ朗らかだが、その目の下にはうっすらとクマがある。化粧で隠してあるはずのそれを、魔眼により強化された視力によりキミヒコは見ることができた。ここが踏ん張りどころと、彼女は不眠不休で陰謀合戦に勤しんでいる。
エミリアがそれに気がつくことはない。表面上は元気な様子のルセリィにホッとしたのか、嬉しそうに彼女の会話に興じている。
キミヒコは少し離れて、その様子を冷めた目で見つめていた。
「そういえば、スミシーさんは? 最近見ませんけど……」
不意にエミリアが、キミヒコの方を向いてそんなことを聞いてきた。
「あいつは出張中だよ」
「出張?」
「ああ。俺の仕事でな」
キミヒコのその返答に、ルセリィは人の悪い笑みを浮かべている。
「出張ねぇ……また何か、悪いことでもやらせてるのかな?」
「まーそんな感じ」
「へぇ……」
ルセリィの探るような視線に、キミヒコはどこ吹く風だ。
スミシーは現在、キミヒコの直属の部下としてグラモストラ城に行っている。今頃は、カレンとの面会を終えて、城を出たあたりだろうか。
彼に任せた仕事はルセリィにとっては良いものではないので、悟られるわけにはいかない。
「ま……キミヒコさんが悪いことを考えてるのはいつものこととして、ちょっと聞きたいことがあるんだよね」
「聞きたいこと?」
「暗黒騎士カレン・ウォーターマンについて」
ルセリィの言葉に、キミヒコの目がスッと細まる。
場の空気が少し冷え込んだことが、その辺の機微に疎いエミリアでも察せられたらしい。彼女の喉がコクリと鳴った。
「いやさ。この後、グラモストラ城に殴り込みをかけるわけじゃん? 鉄火場に飛び込むエミリアに、色々教えといてほしいんだよ」
「具体的には?」
「キミヒコさんって、ウォーターマン中佐と仲良しでしょ。彼女の戦闘能力とか、性格とか、持ってる武器とか。城に突入した後に接敵する可能性があるから、その対策になりそうなことをエミリアに教えといてよ」
「……俺もそんなには知らんよ。あくまで、表面上の付き合いだからな。どっちかっていうと、あいつ自身よりもあいつの爺さんとの知り合いって感じだし」
キミヒコのあまり喋りたくなさそうな雰囲気に、ルセリィはニヤニヤしている。「言いたくないってことは、やっぱり仲良しなんじゃん」と、その目が語っていた。
二人の会話を黙って聞いているエミリアも、どことなく白い目を向けてきている。
「ただ、まぁ、そうだな……。今回の作戦で投入された猟兵隊は四人だが、カレンはその中で一番強い。個人の戦闘力での話だけどな。正面から戦いを挑むのはやめといた方が無難かな」
場の雰囲気に押されて、渋々と口にしたキミヒコのその言葉に、エミリアが露骨に不機嫌な顔をした。自らの実力がカレンに劣ると、そう言われたようで、いい気がしなかったのだろう。
「一番強いって言ってもさ……暗黒騎士って、みんな同じ黒い鎧で、顔も見えないじゃん。そもそも見分けがつかないよ」
「見分けはつくぞ。武器を見ればいい」
「暗黒騎士の騎士武装って、剣なら剣で全部同じ規格なんじゃなかった? ウォーターマン中佐の得物は剣だったよね。他の暗黒騎士もだいたい剣だったような」
ルセリィの言うように、帝国軍猟兵隊の武装は統一されている。暗黒騎士と呼ばれる由来であるあの漆黒の全身鎧もそうだし、各々の得物もそうだ。
通常、騎士武装と呼ばれる魔核晶が内蔵された武器は、それぞれの騎士に合わせて製造されるワンオフの品である。アマルテアに存在するシュバーデン帝国以外の全ての国でそうだ。しかし、暗黒騎士たちの武器は、剣や槍、槌などのバリエーションはあるものの、その規格は統一されている。
騎士に合わせて武器を製造するのではなく、武器に合わせてその使い手を訓練する。それが帝国流だった。
これにより、武装の整備性は向上したし、武器を喪失してもすぐさま替えの武器が支給できる体制を構築できた。そして、暗黒騎士たちの能力の均一化もされた。
この施策により、突出して強い騎士は生まれにくいものの、安定して同じくらいの強さの騎士を揃えることを可能とした。こうして組織されたのが、猟兵隊という部隊である。
「お前の言うとおり、この島にいる猟兵隊は四人中三人が剣で一人だけ槍だったな。だが、カレンの武装は旧式の刀剣タイプで、しかも派生型なんだよ。他二人とは形状が違う」
帝国軍猟兵武装刀剣タイプ。魔核晶が内蔵された剣状の武装。暗黒騎士の得物としては最も多い武器だ。現在ではこの刀剣タイプは規格が統一され、両刃の直剣しか生産がない。
しかし、カレンの剣は他とは形状が異なっている。
カレンの愛用品は、かつて試験的に極小数が生産された派生型。細身で反り返った刀身の片刃の長刀だ。装飾などは異なるが、キミヒコには日本刀のように見えた。
その見た目どおりに、現在主流の刀剣タイプの武装に比べて打ち叩くのは苦手だが、切り裂く能力に長けているらしい。扱いが難しいうえに生産性が悪かったため正式採用は見送られ、帝国軍の工廠ではもう製造されていない。
そういう説明を、キミヒコはルセリィとエミリアに聞かせた。
「あいつ、結構我儘なところあるからなぁ……。実家の権力使って、自由に武器を選んだんじゃねーかな」
「……つまり、カレンを見つけるなら、細身で反り返った刀身の剣を持っている暗黒騎士を探せば……」
それまで黙って話を聞いていたエミリアが、ポツリとこぼした。
まるで狙ってカレンに挑もうとするような言葉に、キミヒコは眉をひそめた。
「カレンとの戦いは、おすすめしないが……。せめて、他の暗黒騎士に狙いを定めた方がいいぞ」
「なぜです? 気が引けますか?」
「そうじゃないけどさ」
「……なら、私が、暗黒騎士カレンを討ち取っても、構わないですね?」
エミリアの強気な発言に、キミヒコは「ほぉ」と感心したような声を漏らす。
彼女のこんなに好戦的な態度は珍しい。少なくともキミヒコは初めて見た。
「別にいいよ。できるものならな」
「私が負けるって言うんですか?」
エミリアの不満げな言葉にキミヒコは返事をせず、ホワイトの方を見る。ずっと黙って、影のように寄り添うこの人形は、突然の主人の視線にコテンと首を傾げた。
ホワイトの見立てだと……カレンとエミリアがタイマンをやれば、カレンがほぼ勝つらしい。おまけに今回は一対一に持ち込めるかも微妙だ。猟兵隊がグラモストラ城に何人いるかはわからんが、カレン単独ってことはないだろう……。
人形の白い顔を眺めながらそう考えるキミヒコだが、正直なところをエミリアに言う気はなかった。
言ったところでどうしようもない。勝ち目があろうがなかろうが、エミリアはチャンスがあれば一戦を交える覚悟らしい。
「キミヒコさん……?」
「……ま、勝敗は兵家の常だ。ここで死ぬのなら、カレンもそれまでの奴だってこと。……お前もそうだぞ、エミリア。ここで死ぬなら、しょせんはそれまでの人間だ」
「言ってくれますね。私はこんなところで終わりませんよ」
そう言ってから、エミリアは席を立った。
「……行くのかい?」
「はい。……吉報をお待ちください。必ず、ルセリィさんの期待に応えてみせます」
ルセリィとそれだけの短いやり取りをして、エミリアは部屋を出ていった。
エミリア……あいつめ、騎士アルキテウティスと何度か闘りあって増長したか? カレンは、そんな軽い気持ちで戦える相手じゃないぞ……。
そんな思いでエミリアを無言で見送ったキミヒコだったが、ふとルセリィがこちらをじっと見つめているのに気が付く。
「なんだよ?」
「素直に死ぬなよって、言ってやればいいのに」
「うるさい大将だな……」
ルセリィの口出しに、キミヒコは嫌そうにそう言った。
◇
「空母の竜騎兵が? 艦隊からそんな連絡は受けていないが」
グラモストラ城の一室。そこで、暗黒騎士カレンが部下からの報告を聞いていた。
「おおよそ三十騎程度の艦載竜騎兵の出撃が確認されています。いずれも爆装されていたようです」
「行方は?」
「南南西の方角へ、爆撃用の編隊を組んで向かった模様です」
「目標はトリルトカトル城か」
「おそらくは」
兵士の報告に、カレンはため息をつきたくなるのを堪え、平静な表情なまま頷く。
「ん……報告ご苦労。貴官は下がれ」
「はっ! それでは失礼します!」
敬礼をして報告した兵士は退出した。
それを無表情に見送ってから、カレンは室内にいる二人の部下、猟兵隊の隊員二名へと顔を向ける。
「ピナイダー、レオナルド。貴官らはどう思う?」
「……艦隊司令部は、航空母艦の試験運用が主目的です。現状、それを満足に行なえない我々の方針に反発したのでは……」
「同意見です。スーべレーン提督は、再三にわたって空爆の具申を我々にしていました。痺れを切らして、というのはあり得る話です」
隊員二名の意見に、カレンの胸の中に心労が積もっていく。
「スーべレーン提督の独断か。だが、艦隊は私の指揮下にないし、提督は将官……私の方針に従う法的根拠もない……か」
弱音とも取られかねないカレンの言葉は、静かな執務室で嫌に響いた。暗黒騎士ピナイダー、レオナルドの両名は黙したままで、それには反応しない。
カレンは現状、カイラリィ皇室の最後の生き残り、レガリクスの捜索を順当にこなしていた。目標こそ未発見ではあるが、アーティファクト『カイラリィの王笏』を用いて、被疑者となる歳頃の島民を片端から検査にかけている。
北部勢力を率いて東進したのも、島の西側の疑わしき人間は全て調査完了したからだ。それと同時に南部の解放軍の進撃をストップさせる思惑もある。
帝国軍が補給や件の調査協力を、現地人にやらせることができているのは、武力で脅しているのも当然あるが、カイラリィという敵の存在も大きい。
総督府が解放軍に潰され、島民たちから積年の恨みを買っているカイラリィ勢力がいなくなればどうなるか。少なくとも、今やっているような効率的な調査はできなくなるだろう。
「空爆でトリルトカトル城は落としてはならない。少なくとも、今はまだ。スーべレーン提督も、それくらいは心得ているはずですよ、中佐」
部下の一人、ピナイダーの言葉に、カレンは「そうだといいがな……」とこぼした。
話題に上がった人物、スーべレーン。彼がトップの艦隊司令部との関係は、カレンにとっての頭痛の種だった。
カレンは中佐でスーベレーンよりも階級は下、しかも若すぎる。
直属の猟兵隊はともかくとして、歴戦の将校たちから、そして階級が将軍である艦隊司令官スーべレーンから侮られるのは仕方がないことともいえた。むしろ今まで、よくおとなしく従ってくれていたものだ。
おまけに今回の作戦では、カレンら島内で活動する上陸部隊と、海上で活動する艦隊で、指揮系統が統一されていない。
将来、帝国軍は陸海空の三つに軍を分ける構想があるらしい。今の上陸部隊と海上部隊の関係は、それを見越しての実験であるとカレンは聞かされていた。
組織運用における実験的試みは結構なのだが、何のノウハウもないままにそれをやらされる現場の辛さに、カレンはため息が出そうになる。
気が滅入るのを自覚して、カレンはそれを部下二名に悟られぬよう、視線を手元に落とした。
カレンの細い指、それに摘まれているのは手紙だった。解放軍に紛れ込んでいる帝国軍名誉大佐、キミヒコが送ってきたものだ。
解放軍に不穏な動き……か。でも、具体的な内容は書かれていない……大佐は解放軍で自由に動けない? この警告は、艦隊の勝手な動きのこと? 南部のガルグイユ人どもが、私に悟られずに艦隊司令部と接触できるとは……それとも、スーべレーンの方から連中に……?
思考が堂々巡りして、明瞭にならない。
キミヒコという男は、カレンの祖父のお気に入りだ。家督を継いだ父の反対を押し切り、祖父が今回の作戦に無理やり同行させたのだ。
なぜ大佐を同行させるのか。孫娘の能力に信を置けないのか。
カレンはそう詰め寄ったが、祖父は黙して語らなかった。ただ、有事の際には大佐を頼れと、それだけだった。
「人形遣い……キミヒコ大佐、か……」
カレンの口から漏れた独り言は、無意識のものだった。カレン自身、言葉を口にしたことに気が付いていない。
部下二名の耳には当然入っていたが、妙な情感のこもったそのセリフに、彼らは聞こえない振りをするだけだった。




