#19 陰謀劇場
「やめろ! 離せ、離せぇ!!」
解放軍の会議室で、一人の男が喚いている。
このローズという男は、解放軍で強い影響力を持ち、同軍のトップが誰かという話題になれば、真っ先に名前が挙がるような人物だ。
だがそれも、今日、この瞬間までの話になりそうである。
「誰だ!? 誰だ企んだのは! カーリーか!? サジマイか!? いや違う……ルセリィ、貴様だな!」
兵士二人に取り押さえられながらも、ローズは一人の人物を睨みつけた。
この会議の出席者の一人、ルセリィだ。
「おいたわしい……ローズ殿はパラノイアを患っているようだ。このようなことになって、本当に残念です。どうか気の落ち着ける場所で静養してください」
「き、貴様ぁ……よくもいけしゃあしゃあと……! 貴様ごとき土人を、今日までこの解放軍の末席に加えてやっていたのに、その恩を忘れて!」
殺してやると言わんばかりの視線を受けても、ルセリィはどこ吹く風といった具合である。
他の出席者たちの反応は様々だ。我関せずという者、次は我が身かと青い顔をする者、邪魔者が消えたとほくそ笑む者。色々いるが、現在槍玉に上がっているローズという男を弁護しようという者は、一人としていなかった。
「……ローズ殿、見苦しい真似はお控えなされよ。弁解があるならば、査問委員会で——」
「何度も言っているだろうが! 私は裏切ってなどいない! するはずもない!」
出席者の一人がなだめるようにそう言うが、ローズはそれに対して怒鳴り散らすだけだ。
解放軍における査問委員会。これにかけられた人間がどうなるか、ローズはそれを理解している。他ならぬ彼自身が、今まで何人もの政敵を送りつけたのだから。
今回、彼にかけられた嫌疑は、敵との内通だ。連日のトリルトカトル城攻略失敗の原因は、ローズの裏切りによるものではないかという疑いである。
もちろんローズはそんなことはしていないし、本当にやったと思っている人間も、この会議の出席者にはいないだろう。
だが、査問委員会にかけられれば、もうおしまいだ。真実など関係ない。
運が良ければ、命だけはなんとかなるかもしれない。もはやそういう状況なのだ。
「せいぜい、笑っているがいい! どうせ貴様もこうなる! 謀しかできない小人など、いずれ……!」
最後に、ローズはそんな捨て台詞をルセリィに向けて言い放って、解放軍の兵士たちに連行されていった。
その様子を、涼しい顔をしたままルセリィは見送り、部屋が静かになったところでその小さな口を開いた。
「……さて、少々荒れてしまいましたが、第一の議題は片付きましたね。次の議題に移るとしましょうか」
「ちょっと待て。ローズ殿が欠席で議長不在にはなったが、なぜあなたが仕切るのだ? ルセリィ殿」
「いえいえ。別に、私がこの場を仕切るようなつもりはありませんよ、カーリー殿。何しろ新参者の若輩者ですし、私」
ローズという邪魔者を消したルセリィが、そのままの勢いで会議の進行を執り行おうとするも、早速、横槍が入った。
しかし、これは彼女にとっては想定内だ。しかも、横槍を入れてきたのが、カーリーという人物であるのがことさら都合がいい。
ルセリィは近々、このカーリーという政敵にも消えてもらう予定なのだ。
「まあ、音頭をとる人間が必要なのは確かですね。……どうでしょう? 暫定的にカーリー殿がやられては?」
「……私がか?」
「今日は私の方から、新規の作戦提案がありまして。カーリー殿が会議を取り仕切っていただけると私も安心です」
新規の作戦提案。その言葉が発せられるや否や、この会議室に緊迫した空気が流れた。
すでにルセリィの作戦内容を、彼女の根回しにより知っている者も多い。そんな者たちですら、緊張の面持ちだ。「本気でやるのか?」と、そう顔に書かれている。
この場の異様な空気はカーリーにも察せられたが、だからといって司会進行の座を蹴るのもどうかと思われた。
以前の解放軍であれば、こうした会議の取りまとめ役、議長の役職は各組織のローテーションだった。会議の方向性についての影響力はほとんどない、ただの司会者ともいうべき存在だった。
しかし、今は少し違う。
解放軍はカイラリィの本拠地、ドゴーラ市に近づくにつれ、軍組織として洗練されていった。それにともない、議長の権限も増大。軍の方針を好きにできるほどではないにしろ、議長という肩書きにも、それなりの権力というものが付随するようになった。
ローズという男が消えた今、議長の椅子は、この会議を自らの望む方向に持っていくための一助となる。カーリーという男には、そういう思惑があった。
「……わかった。他に立候補者がいなければ、私がこの場は議長代行を務めようと思うが……諸君はいかがだろうか?」
カーリーのその言葉に、ルセリィは笑みを浮かべて拍手をする。それに釣られてか、会議のテーブルを囲む人間の全てが拍手をした。
全会一致で、カーリーがこの場を仕切ることを認められたということだ。
「では、この会議では私が議長代行を務める。ただし、これはあくまで暫定的な処置であり、正式な議長は後日改めて選出しよう」
改まったカーリーの宣言に、出席者たちは全員で「異議なし」と答えた。
「では早速だが、現状、我々解放軍は手詰まりに近い状況だ。内通の被疑者を排除したものの、トリルトカトル城の守りは強固で、正攻法での攻略は難しいだろう。そこで、だ。どうもルセリィ殿から、新規の作戦提案があるとのことだ。私としても期待せざるを得ないが……どうかな? ルセリィ殿」
議長代行に収まったカーリーは、早速会議を進めようとした。
先程、ルセリィが言っていた作戦とやらを、その内容を聞く前から、プレッシャーをかけている。カーリーはルセリィの作戦とやらで、トリルトカトル城を攻略できるとは思っていない。上げて落とすための前振りだ。
元々、ルセリィとカーリーは相入れない立場の人間である。ルセリィは露骨な親シュバーデン帝国のスタンスなのだが、対してカーリーは解放軍内の極右派閥の長という立場。つまり、帝国軍の排斥を強硬に訴える派閥の人間だった。
「ふふ……もちろんです。閉塞しつつある現状を打破する作戦であると、自負しています」
ルセリィは笑みを浮かべて、そう言った。
カーリーのかけてきたプレッシャーなど、まるで気にしていない。
「……ほう。心強いことだな。では、頼む」
「はい。それではこれより、私の作戦案をこの場でご説明いたします」
そうしてルセリィの説明が始まった。
彼女がまず説明したのは、帝国軍への航空支援を要請する話だ。
帝国軍の艦隊司令部に接触する段取りは、すでについている。この会議で承認されれば、すぐにでも話を通しにいく。要約すればそんな内容である。
そこまで話をしたところで、「フン」と不快げに鼻を鳴らす音がした。ルセリィが視線をやれば、何人かの出席者たちが露骨に不機嫌な顔をしている。いずれもカーリーの派閥の人間だ。彼らは熱烈な反シュバーデン帝国のスタンスだ。
「おや、まだ説明途中ですが……。何かご不明な点でも?」
「不明な点などない。相変わらず、帝国軍を信用し依存するあなたに呆れているだけだ」
カーリー派の一人がそう言うと、我も我もと不満の声が続出した。
「航空支援だと? あの日和見主義者どもが動いたとして、それが決定打になりえるかは疑問だよ」
「もっともな意見だ。ルセリィ殿は帝国軍をずいぶんと信用しているらしいが、我々は連中の下部組織でもなんでもない。むしろ、奴らこそ敵だ。カーリー議長代行、最後まで聞かずとも、このような案は論外ですぞ」
「……そうだな。帝国軍は我々の敵だ。そもそも奴らが東進してグラモストラ城を制圧したのも、解放軍がドゴーラ市へ向かうのを阻害する目的だろう。あの悪辣な連中は、いずれこの島から追い出さなければならない」
自派閥の人間から水を向けられ、カーリーはそのように返しつつも、彼はルセリィを訝しんでいた。
何かが変だ。
ルセリィの提案はいつもどおり、彼女らしい、親帝国軍的なものだ。だが、それだけでは説明がつかないのが、出席者たちの表情である。出席者たちの何人かの顔がこわばっている。
おそらく、彼らはルセリィの根回しにより、彼女の提唱する作戦とやらを事前に聞かされていると見るのが自然だ。
すると、ルセリィの提案は、ただ単に帝国軍の力を借りようなどというものではないのではないか。
カーリーはそう思い至った。
「ふふ……」
「何がおかしい?」
「いえ、失礼。カーリー議長代行も含め、皆々様方、ずいぶんと結論を急ぐものだな、と」
余裕たっぷりのルセリィの言葉、そしてその表情に、カーリーの警戒感はさらに強くなった。
「この作戦の目標は、トリルトカトル城ではありません。……グラモストラ城です」
ルセリィの言葉に、先程まで威勢よく意見していた面々に困惑の表情が浮かぶ。彼女の発言の意味が理解できないのだろう。
「……グラモストラ? 確かにあそこを通過できれば、ドゴーラ市への道は拓ける。しかしあの城は、暗黒騎士たちの支配下にあるんだぞ……?」
「知っています。奇襲により、あの城を帝国軍から奪取します」
親シュバーデン派の急先鋒、ルセリィから飛び出したまさかの爆弾発言に、会議室は静まり返った。
グラモストラ城を奇襲により奪取。これはつまり、帝国軍を騙し討ちにする、ということだ。
誰もが絶句しているその状況下、ルセリィは淡々と作戦説明を続ける。
「空母の艦載竜騎兵を出撃させれば、その後の再出撃には時間を要します。この隙を突きます。……併せて、グラモストラ城内部の、反帝国軍派の勢力に内応をさせます」
「空爆の要請は、トリルトカトル城を攻略するためでなく、空母の動きを縛るためか……」
うめくようにそう反応する者に、ルセリィはニヤリと笑いかける。
「そうです。現在、航空母艦エンプレスゲルトルードは、グラモストラ城北西の洋上にあります。これをどうにかせねば、奇襲といえど、グラモストラ城の攻略は困難です。それに加え、この要請自体が欺瞞工作になり、こちらの軍を自然に動すことも可能にします。トリルトカトル方面を助攻、グラモストラ方面を主攻として、軍を二つに分けるのです」
淡々と述べる、先住民族の、小柄で幼い容貌をした女に、誰もが驚愕の視線を送っている。
「……勝算は十分にあります。どうぞ採決を、カーリー議長代行」
「正気なのか……?」
「無論です」
「馬鹿な! 帝国軍を敵に回す意味、知らんはずあるまい!」
思わず声を荒らげるカーリーに、ルセリィは不敵な笑みを浮かべている。
「問題ありませんよ。ドゴーラ市さえ手中に収めれば、あそこだここだではなく、我々、解放軍にこのガルグイユ島の主権はあります。そうなれば、帝国軍とも交渉のテーブルにつくことは可能です」
「そんなにうまい話があるものか! だいたい、ドゴーラ市を制圧できること自体が机上の空論に過ぎんだろうが!」
「グラモストラ方面に差し向けた軍を、そのまますぐにドゴーラ市攻略に向かわせましょう。カイラリィ主力はトリルトカトル城に集中しています。トリルトカトル方面の軍は陽動が主任務ですが、敵がドゴーラ市に退却する動きを見せたならそのまま追撃をさせます。うまくすれば、ドゴーラ市の防備が整う間もなく、同市を制圧できます」
「それまで帝国軍はどうする!? 確かに、素早くドゴーラ市を落とせるかもしれん。だがその間、帝国軍が黙って見ていると思うのか!? 連中の空母は、竜騎兵でいつでもこちらを、空の上から一方的に爆撃できるんだぞ!」
ついさっきまでは、帝国軍は敵だとか、追い出すだとか、そんな発言ばかりしていたカーリーが必死の形相で、食ってかかってくる。
その有様が、ルセリィにはおかしくてたまらない。
「それなら、これを使って時間を稼ぐのはどうです?」
内心の嘲りを表に出さぬよう努めながら、ルセリィは席を離れて歩き出した。
向かう先は、カーリーの席だ。ルセリィの小さいその手には、手紙らしきものがある。
「……北部の方々の中で、こちらに内応する者がいる。そう話したでしょう?」
言って、カーリーの下まできたルセリィはその手の手紙を差し出した。
おずおずと受け取り、その内容を見ると、カーリーの顔に本日何度目かになる驚愕の表情が浮かぶ。
「あ、あのゲニキュラータが、帝国軍に、反旗を翻すことが……まさか……」
震える声で、カーリーがこぼした。その呟きに、会議室にどよめきが起こる。
カーリーが見ているのは、ガルグイユ人の北部勢力のトップ、ゲニキュラータ司教からの密書だった。
俗物で、日和見主義者で、臆病。そんな前評判だったゲニキュラータがこんな大胆な行動を起こすとは、にわかに信じられない。皆がそう思っていた。
「その手紙の印影と筆跡……見覚えはありませんか?」
「た、確かに、この印影は……それに、この筆跡もサインも司教の直筆に見える……」
「ふふ……まあ、かの聖職者の評判を考えれば信じ難いでしょうが……あちらにも事情があるんでしょうね。きっと」
ルセリィはそう嘯くが、もちろんゲニキュラータ司教に帝国軍を裏切る度胸などあるはずもない。
手紙は偽造文書だった。
キミヒコがホワイトに書かせたものだ。印章も筆跡も、インクと紙さえあれば、精密動作が可能なあの自動人形には簡単に模倣ができた。
「ご存知でしょうが、私には帝国軍とのパイプがあります」
「……人形遣いか」
「そのとおり。……事が済んだら、この手紙を暗黒騎士カレン・ウォーターマンに暴露しましょう。帝国軍は補給を北部に頼っています。その北部の元締めがこんな手紙を書いていたことを知ったら……彼女は足元の整理を優先するはずですよ」
ルセリィの発言に、いい案だとばかりの感嘆の声が上がる。
毎日毎日、政敵を貶めようと足の引っ張り合いをやっている解放軍幹部の面々だ。まして、相手はあの悪名高いゲニキュラータである。あの老人を嵌めようとするのに、抵抗感のある者はこの場にいなかった。
もっとも……帝国軍の足を鈍らせるための生贄は、あの俗物司教の首だけでは足りないでしょうけどね……。ローズにはすでに消えてもらった。ゲニキュラータも、カーリーも、私の邪魔になるヤツは全員消えてもらう。
ルセリィの本音は、これである。彼女はこの偽手紙でゲニキュラータを嵌めるつもりだが、この奇襲作戦を会議で採決した責任者として、カーリーの首も帝国軍に差し出す気でいた。
解放軍の進軍経路の確保と政敵の抹殺を同時にやる、一石二鳥の作戦である。
その後は土下座外交で時間を稼ぎ、ドゴーラ市を落とす。これが、ルセリィの計画だ。
「良いではありませんか。カーリー殿は特に、帝国軍の排斥を訴えていましたよね? 先程にも、帝国軍はいずれ、追い出さねばならないと、そう発言していたと記憶していますが」
「い、言った……確かに言ったが、このような性急な形で、しかも、騙し討ちでは……」
「おや? おやおやおやおや……おかしいですねぇ。普段から、帝国軍をどうにかせねばと唱えるあなたらしくもない。カーリー殿を慕う面々が今のあなたを見たら、さぞ落胆するのでは?」
カーリーに採決を行なうように、ルセリィが迫る。
背の低い彼女は立ったままで、椅子に座るカーリーとちょうど目線の高さが同じくらい。カーリーの席のすぐそばに立つルセリィの悪意のこもった囁きに、カーリーは怯えた顔をしている。
カーリーに限らず、彼の派閥の出席者たちは、すっかり声が小さくなってしまっていた。普段から帝国軍の排斥を訴えてきた彼らだったが、しょせんはそれも、パフォーマンスに過ぎなかったということだ。結局、帝国軍を敵に回して戦う度胸などありはしない。
しかし、ある意味現実が見えている彼らに比べて、派閥の末端構成員たちはそうではない。
彼らカーリー派と呼ばれる面々が、散々帝国軍への反感を煽って、派閥としてまとめていたのだ。ここにきて、やっぱり帝国軍は怖いので彼らと戦うための提案を否決しました、というわけにはいかない。それをやれば、彼らは立場を失うだろう。
この後、ルセリィの思惑通りこの奇襲作戦は賛成多数で可決されることになる。
採決を行なった議長代行の顔は、終始青いままだった。




