#16 騎士兄弟
カイラリィ帝国ガルグイユ島総督府。
ガルグイユ島の最大の都市、ドゴーラ市に本拠を置くこの総督府には現在、重苦しい空気が漂っていた。
無理もない。
本国がシュバーデン帝国との戦争で崩壊し、このガルグイユ島でも現地人たちによる反乱が頻発。このうえ、シュバーデン帝国が軍を差し向けてきた。
絶体絶命の状況と言わざるを得ない。
そんな誰も彼もが暗い顔をしている総督府庁舎の廊下を、その中でもいっとう暗い顔で歩く男の姿があった。
歳の頃は、四十ほど。今は亡き老帝国、カイラリィの擁した騎士の一人、アルキテウティスである。
「兄貴、どうだった?」
陰鬱な雰囲気の騎士アルキテウティスに、そんな言葉がかかる。
アルキテウティスが声のしたほうに目をやれば、見知った顔があった。
若々しくも、精悍な顔つきの男。騎士デュクスである。
「相変わらずだ。……それと、ここでは兄と呼ぶな、デュクス卿」
「固いねぇ、アルキテウティス卿。呼びにくいんだけどなぁ、その騎士の名前はさ」
歳は二十も離れているが、二人は兄弟だった。
同僚であり、家族でもある男の軽い調子に、アルキテウティスは呆れたように笑った。その表情に纏わりついていた、先ほどまでの陰鬱な空気は、幾分か和らいでいる。
「しかし、総督も頑なだな。シュバーデンのヤツらの狙い、レガリクス様で間違いないのに」
「言ってやるな。総督も必死なんだ。本国が落とされて、よくここまで持たせてくれている」
「……まさか、教えてないよな?」
「ああ。総督には悪いが、何も教えるわけにはいかん」
デュクスの懸念のとおり、アルキテウティスは先ほどまで、この総督府のトップと会談をしていた。
このところ連日行なわれる会談だが、内容は毎回変わらない。
カイラリィ皇室の最後の生き残り、レガリクス・ギリの居場所を教えろ。それだけだ。
アルキテウティスとて、総督がそう言う理由はわかる。もう、この総督府は限界が近い。
組織としての体を成すための求心力が、尽きかけている。このままでは、この島のカイラリィ勢力は空中分解しかねない状況だ。
しかし、それでも、教えるわけにはいかなかった。たとえ総督府が潰れても、レガリクスを隠すことが最優先だ。
アルキテウティスは、カイラリィ帝国の復活をまだ諦めていない。そのために必要なのは、この総督府ではなく、皇室最後の生き残りの方だった。
「もっとも、私も、あのお方の正確な居場所はわからないが」
自嘲するように呟いた兄に、弟は苦笑する。
「ははっ。そのセリフ、総督が聞いたら泣くだろうな。レガリクス様の居場所を唯一知ってるってことで、恥も外聞も捨てて、兄貴に縋りついてたのにさ」
言いながら、デュクスはやれやれという大袈裟なジェスチャーをしてみせる。
弟の軽口に、兄の方はため息で応えるだけだ。
「……でもよ、それで実際、いざって時は大丈夫か?」
「おおよその居場所は、予測できる。あのお方の事情に鑑みればな……」
カイラリィ帝国の皇室、ギリ家の最後の生き残り、レガリクス。
この人物の居場所を唯一知っているとされるのが、騎士アルキテウティスである。弟の騎士デュクスですら知らない。総督府の人間に至っては、アルキテウティス麾下の正規軍残党が流入するまで、この島に皇族がいることすら知らなかった。
「閣下。緊急の報告が」
静かな廊下を歩きながら話す二人の騎士の前に、アルキテウティスの従騎士が足早に向かってきてそう言った。
従騎士の様子に、アルキテウティスは周辺の気配を探る。
「……場所を移すか?」
「いえ。南部の戦況のことです」
従騎士の言葉に、アルキテウティスはこの場で報告を受けることにする。
南部でやっている、反乱軍との戦況のことであれば、総督府の誰に聞かれても問題ない。むしろすぐに情報共有がなされるだろう。
「南部反乱軍がブラキ川を突破……。あの砦が落ちたか」
報告を聞いて、アルキテウティスはそう漏らした。あまり良いニュースではない。デュクスなどは露骨にため息を漏らしている。
「シュバーデンの動きはどうか?」
「暗黒騎士も艦隊も、島北西の拠点から動く様子はありません」
「南部戦線に手を出した様子はないと?」
「攻略戦時に、シュバーデンの軍勢の姿は認められなかったようです。ですが、歳若い女性の戦士が、ほぼ単独で城門を破ったという情報もあります」
妙な情報にアルキテウティスは一瞬目を丸くした後に、「続けろ」と短く言う。
それを受けて続けられた、従騎士の報告内容は異様なものだった。
砦を落とされた件の戦闘で、一人の兵が英雄的な活躍をした。言葉にすればそれだけのことだが、その兵の容貌も、その活躍の内容も、普通ではなかった。
いかにもまったく素人ですといわんばかりの風貌の少女が、魔力を用いることもなく、ブラキ川を一人で突出して渡河。守備隊を相手に単独で奮戦し、砦の門も破壊して侵入。砦の陥落に大いに貢献した。
「どう考えても、そいつは暗黒騎士だろう。あの黒い鎧を脱いで、助っ人で参戦したんだ」
報告を隣で聞いていたデュクスが、そう漏らす。
その推察が妥当であるとは、アルキテウティスも認めるところだ。
件の少女の戦績は、この報告を話半分で聞いたとしても、常人では不可能である。
これを可能とするのは、騎士くらいのもの。すなわち、この場にいる二人の騎士か、シュバーデン帝国の暗黒騎士。
あるいは、それ以上の怪物。そんな存在が、この島にはいる。
「……その少女、例の人形ではないんだな?」
主の緊張感を滲ませた問いかけに、従騎士は「はい、白い自動人形でないのは確実です」と答えた。
その返答にアルキテウティスはホッと胸を撫で下ろし、従騎士に二、三の指示を出して下がらせた。
人形遣い。そう呼ばれる男がこの島に滞在しているのは、総督府の人間も知るところだ。
彼の従える悪魔の人形。もし仮に、戦場でその人形と相対したならば、それは死と同義である。騎士であっても逃れることはできない。
「人形遣いを、完全に敵に回したのは、痛いよな。簡単に暗殺できるような手合いじゃないのに、総督府の連中、先走りやがって」
デュクスが苛立ちを顕に、そう言った。
アルキテウティスもその苛立ちは理解できる。人形遣いは、絶対に敵にしてはならない。それは、この騎士兄弟の共通認識だった。
幸いなことに、人形遣いは当初、カイラリィ勢力に敵対的な意志を見せていなかった。シュバーデン帝国軍と一緒にやってきたにもかかわらず、軍と行動を共にすることもなく、観光地でバカンスをするだけだった。
そんな人形遣いに対して、総督府は暗殺を仕掛けた。騎士たちには黙ってである。そして当然のように失敗。最悪だった。
これには、さすがのアルキテウティスも頭を抱えた。
「言ってやるな……もう、済んだことだ」
「しかしよぉ、例の人形は、剣聖オルレアを殺ってる。あのオルレアをだぜ? 言いたかないけど、兄貴と俺とで二人がかりで挑んでも、勝負にすらならねーよ」
弱気にも聞こえる弟の言葉だったが、その見解はまったく正しいとアルキテウティスは思う。
ヴィアゴル戦役にて、例の人形はアマルテア最強と呼ばれた騎士オルレアを殺害している。
剣聖と謳われるオルレアの強さは、アルキテウティスも知っている。実際に会ったこともある。
あのオルレアを、戦いで破る。そんな化け物が存在している事実に、アルキテウティスは身震いしたものだ。
「だが、暗殺を仕掛けられてなお、人形遣いはこの反乱に関与してこない」
「……やっこさん、反乱軍にいるらしいが?」
「しかし、人形を差し向けてくる様子はない。シュバーデンとも距離を置いている。まだ、交渉の余地はあるかもしれない」
「そりゃあ、なんともか細い希望的観測だな」
苦虫を噛み潰したような顔をして、デュクスが言う。
「わかっている。だが、我々の現状は、奇跡に奇跡を重ねなければ打破できない。対処できない可能性については、もう切って行動する他ない」
「はぁ……。これがあの、アマルテアの千年帝国、カイラリィのなれの果てか」
デュクスのその言葉は、嘆くというよりはどことなく呆れた口調で発せられていた。
デュクスという男は、騎士でありながら、それほど国家に対する忠誠心は持っていない。それは兄であるアルキテウティスも知っていた。
だが、弟のそうした考えを否定することはなくとも、騎士アルキテウティスの考えは異なっていた。
「まだ、終わっていない。我らがカイラリィ帝国には、希望が残されている」
「……帝国復活の可能性は、ゼロじゃない。だが、ゼロでないだけで、希望なんて大それた言葉で呼べるほどでもない。兄貴、もう、カイラリィは……」
「たとえそれが、どんなにか細い可能性であっても、ゼロでないのなら、私はその可能性を追わなくてはならない。騎士としてな」
アルキテウティスは頑なだった。
他者に強要はしないが、騎士とはそうあるべきと考え、それを曲げることはない。
しかし、それが器用な生き方でない自覚はあるし、歳の離れた弟にはそうなってほしくはないとも思っている。
「デュクス……これは騎士アルキテウティスの矜持の問題だ。騎士デュクスとして、国家に殉じろとは言わん。お前は——」
「なら俺は、騎士としてでなく、弟として兄を手伝うだけさ」
快活に笑ってそう言ってくる弟に、兄は一言、「すまない」と寂しげに口にするだけだった。
◇
「あひゃひゃひゃ……! 死ねオラァ!!」
大笑いしながら、石を投げている女がいる。あどけない少女の容貌でありながら、その表情には狂気と憎悪が溢れんばかりだ。
ルセリィである。
彼女は今、ブラキ砦の城壁に吊るされたカイラリィ兵の死体に向けて一生懸命に石を投げていた。何度も何度も、いつまでもいつまでも、飽きもせずに続けている。
敵の死体を吊るしたのは、このブラキ砦を落とした解放軍だ。当初は、支配されてきた積年の恨みやら仲間を殺された恨みやらをぶつけるため、兵士たちが石を投げたりしていた。だが、今でもしつこくやっているのはルセリィだけだ。彼女の執拗さは、明らかに常軌を逸している。
周囲の兵たちも、見てはいけないようなものを見てしまったみたいな顔をしていた。
たまたま、ここを通りかかったキミヒコも、彼らと同じ感想だった。
「えぇ……何やってんの……?」
思わずそんな言葉が、キミヒコの口から漏れた。
その言葉が耳に入り、ようやくキミヒコの存在を意識したらしい。ルセリィが投石をやめて、キミヒコの方へと向き直る。
「あ。キミヒコさんもやる?」
「やらねーから。フツーにドン引きですから。つか、どんだけカイラリィが嫌いなんだよ」
「そりゃ、こんだけだよ……と!」
言って、ルセリィは拾った石を吊るされた死体に向けて投げつける。
石はかつてカイラリィの兵士だったものに当たって、肉片と体液が、にわかに散った。
「いや、これだけじゃダメだ。もっともっと……もっと……!」
城壁に吊るされ、無残な有様の死体を睨みつけながら、ルセリィは呟く。
その独白からは、ドス黒くも鮮烈な憎悪の炎が見え隠れする。
なんだこいつ……。カイラリィの兵士とか役人あたりに、慰み者にでもされたか?
そう考えるキミヒコだったが、それについて本人から聞こうとは思わない。
どうせ碌でもない話だろう。わざわざ他人の気の滅入るような不幸話など、聞きたくもなかった。
だからキミヒコは、深入りせずにさっさとここから立ち去ることにする。
「ま、好きにすればいいさ。だが、周りの目くらいはちょっとは気にしろよ。ここでのし上がるつもりなら、さ」
「りょーかいりょーかい。ちょーっと、お行儀が良くなかったみたいだからね。あと少しやって満足したらやめるよ。うん」
「……まーいいや。そんじゃ、邪魔したな」
言って、キミヒコはこの場を後にした。
「バイバーイ」などというルセリィの陽気な声に、振り返ることなく、手をヒラヒラさせて去っていく。
しばらく歩いて、ルセリィの姿が見えなくなってから。
「貴方」
ずっと無言で、主人の傍らにいた人形が口を開いた。
いつでもどこでも影のようにキミヒコに付き従い、ただ黙って見守ってくれているホワイトが意味ありげに問いかけてきた。
「ん? どうした?」
「あれは何をやっていたので? 死んでましたよね、おそらく」
どうやら、先程のルセリィの行ないについて、疑問を呈したらしい。確かにあれは、不毛かつ意味のない行為ではある。
「お前がそれ言う? いつもいつも、死んだ相手にまで追い打ち加えまくってるのにさ」
「そうでしたっけ?」
「こいつ……」
呆れた視線を向けながらも、その目はどこか優しい。キミヒコのそんな様子に、人形は首を傾げた。




