#15 戦場の異世界人
ガルグイユ島南部での解放軍とカイラリィの戦いは、今現在、一つの砦がその中心地となっていた。
この砦は、島の中心から南部に向かって流れているブラキ川のほとりに立てられており、川の名前からとってブラキ砦と呼ばれている。
平時は関所としても機能していたこの砦は、川にかけられた橋の向こう、カイラリィ勢力圏側に立っており、解放軍の渡河を阻んでいた。
カイラリィの手により、すでに橋は落とされているものの、この橋のかかっていた部分はかなりの浅瀬で、川の流れも緩やかだ。騎兵はもちろん、歩兵でも十分に渡河が可能である。可能なのだが、敵も当然、それを阻止にかかる。
過去に何度か、解放軍は渡河を試み、失敗していた。
初回は、正面からの力押し。
数に物を言わせて、犠牲を払いながらも飛んでくる矢や魔法を潜り抜け、向こう岸に橋頭堡を築くところまではいった。だが、あと一息のところで一部の部隊が勝手に撤退を始めた影響で、総崩れ。解放軍という集団の悪い部分、指揮系統が統一されておらず、各組織が自主性を持っている所。烏合の衆としての側面がもろにでた。
なお、勝手に撤退を始めた部隊とそこの管轄の組織は解放軍内での会議で吊し上げをくらい、全責任を押し付けられ粛清されている。
二回目は別の渡河点からの回り込みだ。
水深があり流れも強いが、騎兵ならば渡河が可能な場所が、砦から離れた所にあった。
主力部隊が砦前の渡河地点で陽動のための夜襲を仕掛け、別働隊の騎兵が闇に乗じて渡河を敢行する。そういう作戦だった。
これも結局、失敗する。情報が敵に漏れていたのだ。騎兵たちは渡河をした直後、敵に急襲され全滅した。
一応、情報を漏らしたとされる人物たちは、この敗戦の後に粛清されてはいる。が、彼らが本当に裏切り者だったのかは怪しいところである。
解放軍という集団において、足の引っ張り合いは頻発事項なのだ。
その後も何度か挑戦するものの、いずれも失敗。惜しいところまではいくものの、あと一歩がどうにもならない。
そして、今もまた、解放軍はブラキ川の渡河に挑戦していた。
今回は一回目と同じく、小細工なしの力押しだ。
そして、この攻撃における一番危険な配置、先鋒はネイティブ・オーダーの面々が担っていた。ルセリィの根回しによるものである。
現状、発言力が皆無のネイティブ・オーダーがこの大任を得ることができたのは、ルセリィの努力によるものもあるが、この役目を誰もやりたがらなかったことも大きい。
なにしろ、渡河中には敵の攻撃を一身に受けるのだ。今のエミリアたちのように。
「走れ走れ走れ走れ……!」
震える声が、エミリアの耳を打つ。
高い声だ。一緒に駆けているいるはずのネイティブ・オーダーの面々は、皆、男性だ。先住民族ゆえに小柄な男たちだが、声はきちんと男性の低い声のはずだった。
「走らなきゃ、走らなきゃ、走らなきゃ……!」
誰の声だろうと思って、意識すれば、何のことはない。
エミリア自身の口から、言葉は漏れていた。
「あと少し……あと少し、あと少し!」
自らに言い聞かせるように、祈るように、エミリアは駆ける。
対岸から放たれる矢や魔法の光弾が、エミリアの視界に入る。何度も何度も入ってきて、エミリアの心に恐怖を植え付けていく。だが、彼女は前から目を逸さなかった。
怖いからだ。目を背けて、自らの周辺を視界に入れる方が怖いからだ。
エミリアたちは、今回の攻撃の先鋒だ。彼女以外にもこのブラキ川を渡ろうと走る面々がいた。ネイティブ・オーダーの男たちもいた。
その存在が、今は感じられないのだ。
み、みんな、ちゃんとついてきてくれてるかな……? ちょっと、私、速かったかな。みんな小柄だから、だから遅れて……。そ、それとも、まさか……まさか……。
そんなことを考えた瞬間、エミリアのすぐ横に、川岸から放たれた魔法の光弾が着弾。水飛沫が上がり、エミリアをずぶ濡れにする。顔まで水浸しだ。
川の水は、彼女の双眼から溢れかけていたモノを押し流し、その痕跡を消した。しかし、胸中にすくう、不安と恐怖までは取り除いてくれない。
だがそれでも、彼女は進み続けた。
そして、そんなエミリアに敵は容赦がない。
目指す対岸、そこにいるカイラリィの兵たちが、弓と弩の狙いをエミリアに集中させる。
矢が、彼女に殺到した。
「な……なんだ!? おい、あれに魔法射撃を集中させろ!!」
降りかかる殺意に構わず前進を続けるエミリアの耳に、向かう先の対岸から、そんな声が聞こえる。
さっきまで無数に飛んできた矢は、どこにいったのか。そんな疑問を抱くエミリアだったが、そんなことを気にする間もなく、敵は次の攻撃を仕掛けてきた。
魔道士らしき兵たちが、その手の触媒をこちらに向け、発光させる。光はみるみるうちに強くなり、そのうちにエミリアの視界を覆い、弾けた。
目の前が真っ白に染まり、轟音が鳴り響く。
衝撃がエミリアの身体を揺らすが、彼女は倒れない。ただ、光と音に怯み、立ち尽くして呆然とする。
数秒の間、そうして突っ立っていたエミリアだったが、ザァという雨のような音に我に返った。
「どういうカラクリだ!? 今のが直撃して、なんで生きてる!?」
敵兵の中でも、指揮官のように見える男が、悲鳴のような声をあげた。
複数の魔導兵による、軍用の連結式魔術。それにより巻き上がった川の水が、雨のように降り注いでいる。そんな中、再び前進を始めたエミリアを見て、敵兵たちには動揺が走る。
だが、敵からは平然としているように見えたエミリアも、その内心はグチャグチャだった。矢が飛んでこようが、魔力の光弾が直撃しようが、エミリアは傷ひとつ負っていない。しかし、心は怯えていた。
自らを殺そうという、敵兵たちの意思に。ただ一人、敵陣に突出してしまい、殺意を一身に浴びてしまっている現状に。
だからエミリアは、現実から目を背けた。
飛んでくる矢も、光弾も、気が付かない、気にしない、見ないふりをして、ただ進んだ。
そうしてようやく、彼女は到達した。ブラキ川の対岸、カイラリィの勢力圏に。
「武器を捨て、投降しろ」
川を渡りきったエミリアを待っていたのは、敵のそんな言葉だった。
脇目も振らずに進んできたせいで、気が付かなかった。エミリアは敵地のど真ん中で、敵に囲まれていた。
「貴様、シュバーデンの暗黒騎士か? それとももしや、魔人なのか? たったの一人で、よくも——」
「う、うわああぁああああッ!!」
その兵士の言葉を遮るように絶叫し、エミリアは斬りかかった。
噴き上がった血飛沫を皮切りに、この場に恐怖が広がる。
エミリアは恐怖した。この戦場と、自身へと向けられる殺意に。カイラリィの兵たちもまた、恐怖していた。向かってくる理不尽な暴力に。
彼ら彼女らは、等しく恐怖していた。
しかし、恐れる心は平等だったものの、その生死については平等ではなかった。
エミリアが剣を滅茶苦茶に振り回すたびに、兵たちの身体が弾け、血と臓物が撒き散らされる。
きちんと訓練をやったはずだが、エミリアのその剣技は素人丸出しだった。そんな児戯にも等しい剣に、死線を潜り抜けてきた歴戦の兵たちが、理不尽に殺されていく。
彼らだって、ただ一方的にやられっぱなしではない。カイラリィの兵士たちの剣が、槍が、エミリアに殺到するも、その刃は彼女に一滴の血も流させることはなかった。
身につけていた革鎧も、衣服も、ズタズタにされているが、少女の皮膚に刃はまるで通じない。薄皮一枚裂くことができない。眼球や口の中を狙っても同様だ。
泣き喚きながら暴れ続ける少女の形をしたナニカに、包囲していた兵たちの恐怖がピークに達し、彼らが逃げ出すまで、そう時間は掛からなかった。
◇
剣戟の音が、遠い。
この砦を巡っての、解放軍とカイラリィとの戦いは、終結に向かっているらしい。
「私、なんで、ここに……?」
エミリアの口から、独り言が漏れた。その声は弱々しく、か細い。
ここは、ブラキ砦の中の一室だ。倉庫らしき暗くて、木箱が煩雑に置かれたこの部屋の隅で、エミリアはうずくまっていた。
砦の城門を単身で破壊して、乗り込んで、剣を振り回して。それで、エミリアはここにいる。
だがエミリアの口から出た疑問は、そんな直裁的な理屈では解消されなかった。
——行く必要もない戦場にわざわざ出向くなんて、ただのアホだろ。俺は絶対にヤダ。絶対行かねー。
この戦いに参加する前、あの男が言っていたセリフが、胸中で蘇る。
覚悟を決めて、これから戦地に向かおうという人間に向ける言葉ではない。あの時のエミリアにはそう思えて、彼に反発した。
でも、今は、少しわかる。
エミリアは傷一つ負ってない。血の一滴さえも流していない。
それなのに、これだ。
戦場で向けられた、本気の殺意は、それだけで少女の心をすくませていた。
顔を伏せ、瞼を閉じて、両手で耳を塞ぎ、エミリアはただ、時の流れが過ぎていくのに身を任せていた。
そうしてしばらくして、扉が開く音が、耳を塞ぐ掌を通り越して、エミリアの鼓膜を震わせた。
「失礼しまーす。……おや、んー? いないなー」
続いて、そんな声がして、エミリアは顔を上げた。
恐る恐る、積み上がった木箱の陰から顔を出し、入り口の様子を窺う。
扉の前には、ルセリィが立っていた。
「ちょっとキミヒコさん、本当にこの部屋? ……え、奥の方? 左の?」
糸電話で通信をしているらしいルセリィが、こちらに顔を向ける。
目が合った。
エミリアの姿を認めたルセリィが、破顔する。
その笑みは、普段、ネイティブ・オーダーの面々に見せる自信溢れる笑みでも、キミヒコ相手によく見せる冷酷な笑みでもない。
エミリアによく見せてくれる、朗らかで、優しい微笑み。
初めて会った時。父親を名乗る人間に犯されかけて、訳もわからずこの島に来た時。自分が生きているのか死んでいるのか、それさえ不明瞭で、ただ、喚き散らしていたあの時。
エミリアはルセリィに救われた。この微笑みを携える彼女に、心が救われたのだ。
「……エミリア、平気……では、なさそうだね」
「ルセリィさん……私……」
そばまで来たルセリィは、何も言わずにその両手を広げ、エミリアの頭をその胸に抱いた。
一見して、自らよりも一回りは歳下にも見えるルセリィの抱擁に、エミリアはなすがまま、身を任せている。
「どう? 落ち着く?」
「……うん」
「そっかそっか。エミリアはかわいいねぇ」
言いながら、ルセリィはエミリアをあやすように撫で続ける。
「ルセリィさん。あれから、戦いはどうなったかな……?」
しばらくされるがままだったエミリアが、ポツリと呟いた。
「我が方の大勝利だよ。敵はこの砦を放棄して撤退した。エミリアのおかげだね!」
「私……何かやりましたか……? 作戦とか、全然頭から抜けちゃって、無我夢中で、私……」
「ありゃりゃ、覚えてないの?」
ルセリィの言葉に、エミリアは黙って頷く。
そんなエミリアを胸元から離して、ルセリィは視線を合わせてきた。その顔には、先程までと異なる種類の笑みが張り付いている。
ニッと笑う、快活そうなルセリィの笑顔。さっきまでの優しい笑みとは違い、それにはどこか欺瞞が感じられる。エミリアにはそう思えた。
「単身で敵を蹴散らしまくるわ、砦の城門を破壊するわで、大活躍! 一騎当千とは、エミリアのための言葉だね! だから——」
「ルセリィさん」
言葉を遮るエミリアに、ルセリィは瞠目する。
普段から、エミリアはルセリィに従順だ。あまり、こういうことはしてこなかった。
「私は……あなたの、役に立てましたか……?」
「ああ、もちろん。私の気が引けるくらいに、君は私を助けてくれたよ」
「でも……でも私、もうわかんなくって、動けなくって……」
「何も考えなくていいんだ……何も……。だから、帰ろう。今はただ、ね」
そう言って、フッと笑うルセリィに、エミリアは黙って頷いた。




