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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.6 タクティカル・アトランティカ
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#11 生臭坊主

 ゲニキュラータ司教の主催するミサには、それなりの参加者がいた。

 しかし、いかにも付き合いで渋々来ました、という雰囲気の人間が多い。キミヒコもその一人である。嫌悪の表情を隠そうともしない者や、司教の聖句朗読中に居眠りする者もいた。


 そしてミサが終わるなり、せいせいしたとばかりにさっさと帰る人間の多いこと。聖堂に残ったのが、キミヒコとホワイト以外は司教に囲われている少年たちだけなあたりに、彼の人柄が窺える。


 退室していく人々を眺めながらぼんやりしているキミヒコに、近づく人間がいた。

 ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている老人。その格好から、言語教会の司教の位階にあることがわかる。


 老人の名は、ゲニキュラータ。このガルグイユ島北部地域を、実質的に支配している男である。


「いやはや、お待たせしました、キミヒコ殿。今日は来ていただいて感謝しますぞ」


「いえ、お構いなく。司教には便宜を図っていただいていますから」


 言って、キミヒコは席を立つ。

 その様子に満足げに司教は頷き、先導するように歩き始めた。キミヒコがそれに続き、ホワイトもそれに従う。


「……おや? そういえば、あの付き添いの娘さんはいらっしゃらないのですね」


 聖堂を後にして、しばらく歩いてからそんなことを司教は言ってきた。


 司教の言うとおり、今はエミリアはいない。

 どうせ碌でもない話しかないだろうとキミヒコは思い、この手の陰謀や策謀にうるさいエミリアには留守番を命じていた。一応護衛として派遣されていたのでエミリアは渋ってはいたものの、最終的には引き下がった。本心では彼女も行きたくはなかったのだろうと、キミヒコは思う。


「ええ。一応、護衛という名目で連れてはいますがね。司教の下へ出かけるのには不要でしょう。……それに私には、コレがいますから」


 キミヒコはそう言って、ホワイトに笑いかける。人形はそれを受けて、コテンと首を傾げた。

 その様を見て、キミヒコはますます機嫌良さげに笑った。


「なるほど。まあ、その人形がいれば、護衛なぞ不要でしょうなァ……」


 人形とキミヒコを交互に見ながら、ゲニキュラータは言った。その声には、恐怖の色がかすかに滲む。


 ゲニキュラータという聖職者は、性根が腐っている。キミヒコはそう思うが、それでも人間的な感性の部分ではまともなようだった。ホワイトのことを恐れるのは、正常な人間性を持っている証明でもある。


 司教はホワイトの方を極力見ないようにしながら、あれやこれやと歩きながらキミヒコに話しかけてくる。

 遠回しな表現を多用してくるためわかりにくいが、話の内容は一つだけ。


 帝国軍が動かなくて困ってる。それだけだ。


 なーんで歩きながらこんなこと話すかね。昼にも散々言ってきたけど、俺に言われても困るんだよなぁ……。


 辟易とした思いを抱えながらも、やんわりとした表現で要請を断り続けた。

 だが、それでもなお司教は食い下がってくる。

 帝国軍が司教の意に沿う形で動いてくれれば、この島の実権を手中に収めるのは容易い。それゆえに、この老人も必死だった。


 島の平和のためにだとか、非道を働いたカイラリィを放置はできないだとか、心にもない理由づけをしながらキミヒコに頼み込んでくる。


「——そういうわけで困ってましてな。島の平和のためにも、キミヒコ殿にもひと肌脱いでもらえればと……」


「まあ、司教のお心はわかりますがね。ですが、私は名誉称号こそ持っていますが、軍に籍はありませんので」


「いやいや、そんな謙遜なさらずとも。ウォーターマン中佐と懇意にしているという話ではないですか。どうか一言、キミヒコ殿から、言っていただけるだけで——」


 鬱陶しいお願いをしつこく続ける司教に、いい加減にキミヒコも苛立ちが募ってくる。


 そもそも、こういった話は然る場所でするべきだろう。歩きながらするような話題ではない。

 それでも、そういった感情を表に出さずに、辛抱強く司教の後をついて歩いていると、ようやく目的地に到着した。


 先程、ミサが執り行われていた聖堂の、すぐ近く。似た形状の少し小さな建築物があった。

 ここは、この都市の旧聖堂だ。

 今は言語教会の行事には使われておらず、ゲニキュラータが管理している。私物化した、と言いかえてもいい。


 そしてそんな旧聖堂の、礼拝室だった場所。

 かつては厳かな祈りの場所だったここに、扇情的な衣装を身に纏う女たちがいた。


「ささ、どうぞどうぞ。そちらにおかけください」


 娼婦らしき女二人が両端にいる華美なソファ、その真ん中に座るよう、司教の地位にあるはずの男から勧められる。

 キミヒコが腰掛ける前から、司教は対面のソファに座り、その両脇には美少年が二人いた。ソファの背後にさらに三人。それぞれ、死んだ目で控えている。


 少年たちの気を知っているのか定かではないが、老人は両隣の少年二人を、怪しい手つきで撫でまわしている。

 この老人、先程のミサでは、清貧を尊び、姦淫を咎めるようなことを言っていた。それが、舌の根も乾かぬうちから、これである。


「この女どもは、帰ってもらっても?」


 エミリアを連れてこなくて良かったと安堵しながら、平静な声色でキミヒコは言う。


 女遊びは嫌いではないが、それはプライベートでやることだ。そして、今、この時この場は、キミヒコにとってプライベートな時間でも空間でもない。


「……聞いてのとおりだ。君たち」


 司教に言われ、女たちは素直に退散する。女のプライドを傷つけられたとか、そんな雰囲気はない。

 これ幸いとばかりに、足早に退室していった。


「そこの少年たちも、必要ですかね?」


「彼らは、私を良く助けてくれますので……」


 目を泳がせながら、司教が言う。


 それを受け、キミヒコは黙ったままホワイトに目配せする。主人の意を受けた人形の糸が、ゲニキュラータへとまとわりついた。

 怪しく明滅する魔力糸に、老人は怯え、顔を青くして、震える。


 だが、それだけだった。


 殺人人形の恐怖を体験してなお、少年たちを下げる気はないらしい。口を閉ざしたまま、隣の少年に抱きつくように縋りついている。ついでに殿部を撫でまわしている。


 こ、このジジイ……なんでこんなところで頑ななんだよ。変なとこで根性あるな……。


 呆れとも感心ともつかない感想を抱きながら、キミヒコは再び、ホワイトにアイコンタクトを送る。


 糸が蠢き、ゲニキュラータの身体から離れていく。

 糸の恐怖。人間性を冒涜する、人形の意志。それから逃れた司教は、ホッと息をついた。そして、すぐさま元の調子を取り戻し、キミヒコに語りかけてきた。


「あ。キミヒコ殿、もし良ければ、一人か二人、都合しましょうか?」


 一人か二人、とは彼の囲っている少年たちだろう。ゲニキュラータの顔には下卑た笑みが貼り付いている。


「結構です」


「そ、そうですか。では飲み物を……」


 言って、司教は背後に控えていた少年に何事か指示を出す。

 それからすぐに、飲み物がキミヒコの前に置かれる。グラスに注がれた橙色のそれは、オレンジジュースかカクテルのように見えた。

 ホワイトに視線をやると、すぐさま糸電話で返事がきた。


『甘味料で誤魔化していますが、アルコール度数40パーセントです』


 キミヒコは甘党だ。カクテルも割と好きな方だ。このあたりの情報は、司教の耳に入っていたようだ。

 酒と女で酔い潰し、言質でもとる算段だったのだろう。


 こいつ、ある意味凄いな……。ホワイトに脅させたのに、性懲りもなくこれか。この不屈のガッツはどっからくるんだ……。


 心中でそんな感想を漏らしつつ、平静な表情のまま、キミヒコは口を開いた。


「アルコールも結構。明朝、ここを発ちますのでね。……君、水をお願いしてもいいかな?」


 酒を運んできた少年にそう言えば、彼は頭を下げてから、テーブルの上のグラスを回収して、また奥に引っ込んでいった。


「それにしても、難儀な時に来ましたなァ……」


 さっきまでの、キミヒコの険悪な態度など、まるでなかったかのように司教が語り出す。


「まったくです。美しい島だと聞いてましたが、この有様ではね」


「ああいや、島の情勢もありますが……聞いてませんか? ゲドラフ市での、アレです」


 司教の言葉に、ああそっちの話かとキミヒコは彼の言いたいことを理解した。


 あーはいはい。昼に会った時は、遠慮してたわけね。他の面々がいたからか。一応、言語教会の内部の話だからな……。


 この島の情勢、とりわけ、帝国軍がどうこうの話は前振りで、言語教会の話が本題だったようだ。


「……猊下が倒れた、とは聞きました。どうなることやら、心配ですね」


「まったくです。とりわけ、あなたは敬虔な信徒であられますからな。悲痛なお心が、私にも伝わろうというものです」


 意味不明なことを司教は言うが、キミヒコはとりあえず重々しく頷いておく。


 会話の内容のとおり、言語教会の教皇の病が悪化して倒れたという話は、キミヒコも知っていた。だが、特段、興味もないニュースだった。


 教皇、倒れたらしいが……でも死んだわけでもないしなぁ……。死ぬ死ぬってずいぶん前から聞いてるけど、全然死なんし。教会は大騒ぎだけど、今回もどうなるかねぇ……。


 言語教会教皇は、三年くらい前から余命半年などと言われていた。それを受け、次期教皇となるべく、枢機卿たちは政治闘争を激化させている。それなのに肝心の教皇はちっとも死なないので、陰謀合戦は長引き、勢いを増す一方だ。キミヒコの知り合い、エーハイム枢機卿も野心をあらわにして活動している。

 だが、キミヒコはあまり関心がない。誰が教皇でも関係ないと思っていた。


「次期教皇、誰になるやら。ゲドラフ市は今、大変らしいですなァ」


「聞いてはいます。ですが、私は聖職に就いているわけでもありませんから。口を出すことではないですね」


「またまた。よくもおっしゃる。……エーハイム枢機卿にお会いしたと、聞いてますよ」


 ゲニキュラータの言葉に、キミヒコは沈黙で答えた。


 人形遣いが、エーハイム閥にいるというのは、教会内ではそれなりに知られてはいる。

 だがそれは、キミヒコとしては、あまりおおやけにはしたくない事柄であったし、詮索されるのも忌避感がある。


 キミヒコの心中を察したのか、ホワイトの糸が不穏な色彩に染まり、再びゲニキュラータへと寄っていく。


「いや、その、私もですね……是非、エーハイム枢機卿のお力になれればと、常日頃から考えておりまして」


「……なるほど」


 どうやら、ゲニキュラータはエーハイムに取り入りたいらしい。


 そういやこの変態、聖職者だった……。あまりに当然のように権力者の椅子に座ってるから、忘れそうになる……。この島での栄達も、言語教会での出世の足がかりってわけか。


 本来、言語教会の人間は俗世の政治とは関わってはならないとされている。だが、そんな決まりは守っている聖職者の方が少ないくらいで、この老人もその例に漏れない。

 司教は、この島のとある有力者の人間に、この北部の勢力の中心に立ってくれと頼まれ、何度も断った末に、引き受けた。そういう筋書きで、ゲニキュラータは北部の実権を握っている。当然の如くそんな与太話を信じる者はいないのだが、建前としてそうなっている。


 そしてゲニキュラータの真の望みは、教会での返り咲きらしい。この老人はこの島出身のガルグイユ人ではあるものの、一時は大陸に渡って、司教の位階を手にした。そこからこの島に戻ってきたわけだが、それは本意ではなかったようだ。本人からすると都落ちのような感覚なのだろう。

 それで、どこかの派閥に与して、アマルテアのどこかの教区のポストを得たい。そういうことだ。


「エーハイム枢機卿こそ、次期教皇にふさわしい……の、では、ないかと……私は常々……」


 沈黙するキミヒコに、ゲニキュラータはたどたどしくも、そんなおべっかを並べ立てる。


 ……よく言う。教会内での地位が築ければ、誰でもいいんだろうにさ。しかし、それで取り入ろうという先が、よりにもよってあの女か。あのやべー女のこと、こいつどれくらい知ってんのかな……?


 キミヒコの中で、エーハイムという枢機卿の人物像は、冷淡なマキャベリストだ。政敵は当然として、ちょっとした邪魔者も排除する。やり方はいつも、徹底的な根絶やしだった。一族郎党を皆殺しにしてしまうのだ。女子供、挙げ句の果てには赤ん坊にさえ、全く容赦がない。

 そしてそれは、同派閥の身内に対してさえそうだった。エーハイム閥の人間は、いつでも粛清の恐怖に怯えている。


 言語教会自体が悪の総本山のようなものだとキミヒコは思うが、エーハイムはその中でも頭抜けた悪党だとも思っていた。

 そんな人間と知ってか知らでか、必死に取り入ろうという司教に、キミヒコはフッと笑った。


「まあ……構いませんよ。枢機卿には、よく伝えておきます」


「お、おお……! では——」


「ただし、私も、司教については気分よく伝えたいのでね……。帝国軍だとか先住民族だとかではなく、私の気分です。……わかりますよね?」


 話をとおしてほしければ、自分の気を損ねる真似はするな。より直裁的な言い回しをするならば、島の勢力争いの中でキミヒコ個人に対して不利益な行動を取るな。なお、帝国軍やネイティブ・オーダーについてはどうでもいい。そういう内容だ。


 キミヒコの言葉に、司教は黙って頷いた。

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― 新着の感想 ―
やっぱりこの作品の、キミヒコとそれを取り巻く様々が本当に面白くて好きです!特別ドラマチックではない話こそ、というとちょっとアレですけど、派手さのない話で面白いと本当に満足感が高いですね!いや無駄に根性…
キミヒコがエーハイムと懇意にしているのはどういう理由なのか楽しみ エーハイムしか拾ってくれなかった可能性もある けど言語教会の錚々たる関係者は誰もかれもホワイトの存在があってもキミヒコに壁のないコミュ…
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