#10 この世は悪しか栄えない
「あー疲れた。まったく、偉い人の話ってのは、どうしてこう長いかねぇ。なあ、エミリア」
カレンとの会談の後、ゲニキュラータ司教をはじめ、あちらこちらの有力者との会談を終えて、用意された部屋でキミヒコは息をついていた。
とりあえず、ネイティブ・オーダーを北部の人間たちに認めさせることには成功した。この後は、南部での戦闘に組織として参加し、名声を高めていくというのが基本方針だ。
キミヒコとしては、ホワイトを戦闘に参加させる気は全くないため、もう自分はお役御免だと考えている。この後は、ルセリィのお手並みを拝見しつつ、エミリアの監視を続けるだけだ。
そして現在、その監視対象であるエミリアは、憤然とした表情で黙りこくっていた。
「おーい。どうしたよ?」
「……キミヒコさんは、おかしいと思わないんですか?」
いかにも不機嫌ですというエミリアに、キミヒコは「何が?」と聞き返す。
「どうしてここに、カイラリィの人間がいるんですか!? それも、北部の人たちは平然と談笑してました! お酒も飲んで!」
エミリアが声を荒らげてそう言った。
彼女が憤っているのは、キミヒコも会ったカイラリィの人間についてだった。
「あー……あれね。別におかしくないでしょ。捕虜交換の交渉で来たって、言ってたじゃん」
「一緒にディナーをして、お酒を飲んで、握手までする必要ありますか!? キミヒコさんまでやってましたし!」
「コネは大事だぞ。顔を繋いでおくことは無駄じゃない」
そう言ってキミヒコはなだめるが、エミリアは納得できないらしい。
南部で血みどろの戦いをやっている相手と、北部では仲良く会談をしているというのが、彼女の目には良くないものに映ったようだ。
まー実際のところ、北部の連中、保身のためにカイラリィにも媚を売りはじめたんだろうな。帝国軍が味方になって勝利確定と思いきや、あいつら全然動かないもんなぁ……。
そんな考察もできてはいたが、エミリアには言わない。余計に怒るのは目に見えている。
「カイラリィは敵でしょ!? 南部では兵士たちが必死に戦ってるのに、おかしいじゃないですか!」
「潔癖だなー……。じゃあ何? カイラリィの人間とは交渉もせずに皆殺しが正しいと、こっちの捕虜は見捨てるのが正しいと、そう言いたいのか?」
「そ、そうじゃないです! だけど……!」
言葉を切って、エミリアが顔を伏せる。
現状について、歪なものを感じているものの、それをうまく言葉にできないようだ。
「だけど……おかしいじゃないですか。ガルグイユ人の南部の人たち、命懸けで戦ってるんですよね? なのに、その敵とあんな、パーティーみたいなこと……」
「政治屋ってのは、そういうもんなの。むしろ仕事熱心で感心するよ」
「その政治をやる人たちの指示で、戦争をやって、死んでいく人もいるのに……変だよ、こんなの……」
「その政治屋の指示で、これからお前も戦場に送られるんだぞ。わかってる?」
キミヒコがそう言えば、「わかんないです」と言ってエミリアはうなだれた。
こいつ、絶対向いてねぇ……。政治とか駆け引きとかじゃなくて、戦争に向いてない。何も考えず、上に疑問も持たず、ただ戦うことができれば良い兵士になるだろうけど、このメンタルじゃなぁ……。
ここ数日、エミリアという少女を観察してきてわかっていたことだが、改めてキミヒコはそう思った。
ルセリィは、この純朴な娘を、本当に戦場に送り込むつもりなのだろうか。
エミリアは身体的には強靭だ。戦場に放り込んで、剣を振り回させることができれば、死体の山を築くだろう。
だが彼女は、ホワイトのように振る舞うことはできそうにない。人殺しについて全く疑念を抱かぬ、この殺人人形のようには。
同じソファに腰を落とし、こちらへと頭を預けるようにしているホワイトを見ながら、キミヒコはそんなことを考えていた。
「それに、どうして帝国軍は動かないんです? キミヒコさんは知ってるんじゃありませんか? あのカレンっていう暗黒騎士と密会してましたよね?」
今度は耳の痛いことをエミリアは口にした。
「密会とか言うなよ。なんか怪しいみたいじゃん」
「実際、怪しいですよ。私を同席させませんでしたし」
「……連中に会ったのは、ルセリィの指示だよ。文句はあいつに言え。内容が知りたければ、それもあいつに聞けばいい」
ルセリィの名前を出せば、エミリアは黙った。
キミヒコは会談の内容について、全てを報告する気はない。しかし、あの会談自体はルセリィの指示であることに間違いはない。
それに、正確には帝国軍も動いてはいる。情勢を不安定化させるために、工作員に分断工作をやらせたり、過激な思想を持つ集団に武器や資金を配ったり、やっていることは無茶苦茶である。
だがやはり、これを言っても彼女は怒るだけだろう。
さて、どーするかなー……。最低限の仕事はこなしたから、後はこの小娘を監視しつつ、ルセリィのお手並みを拝見しているだけでいいんだが……。
隣のホワイトの頭を撫でながら、キミヒコは今後の予定に思いを巡らす。
指の間をサラサラと流れる白い髪の感触を楽しんでいるキミヒコの耳に、ドアをノックする音が響いた。
誰だろうとドアに向かおうとするエミリアを、キミヒコは手で制する。
「出るな。あと喋るな」
小声でそう伝えたのちに、今度はホワイトに目配せをする。
『言語教会の人間ですね。武器の携行はありません』
ホワイトの使う魔力糸が、キミヒコの鼓膜を震わせ、可憐な声が脳に響く。
人形の得意技、糸電話だ。これにより、糸の届く範囲では盗聴、通信、密談はお手のものだった。
聖職者……ということは、あの変態司教の差し金か……。
キミヒコは来訪者に当たりをつけると、今度は不安そうな目をしているエミリアに向き直る。
「エミリア。窓際に寄って、外を警戒していろ。一言も喋るなよ」
外に聞こえぬ声量で指示を出せば、彼女は黙って頷いた。
その反応に満足げな笑みを浮かべ、「いい子だ」と小さく言ってから、ようやくドアの向こうの来客に声をかける。
「どうぞ。鍵は開いてますよ」
キミヒコの声を受けて、ドアが開かれた。
入ってきた人物は、見習い聖職者の格好をしていた。歳頃は十代前半に見える。整った顔立ちに、薄い化粧が施されており、美しい少女の容貌をしている。
だがしかし、この人物、性別は男である。
北部集団のトップ、ゲニキュラータという司教の趣味によるものだ。
「キミヒコ殿、夜分に失礼します。司教様の遣いで参りました」
「おや、司教殿の遣いの方でしたか。どうされましたか?」
「はい。司教様が是非、キミヒコ殿とお話をしたいと」
淡々と用件を告げる少年だが、目が死んでいる。
少年らしい、少し高めの声色は、平静で落ち着いたものだ。しかし、彼の目はとにかく死んでいた。
色々と絶望しているらしい。
彼はこの島の北部地域の支配者、ゲニキュラータ司教の、倒錯した趣味の犠牲者である。
なんで遣いの人間に、こんなのを寄こすかね。あの変態ジジイ、性癖をオープンにしすぎだろ……。
ゲニキュラータの少年趣味にドン引きしつつも、キミヒコはそれを表に出さぬよう努めながら、その後も事務的な会話を継続した。
「——では夜のミサがありますので、それにご参加いただく形でよろしいですか?」
「ええ。司教の聖句を拝聴させていただいてから、直接お話をお伺いします」
少年と事務的な応対を続け、最終的にキミヒコはゲニキュラータとの会談を了承した。
話がまとまるや否や、少年はさっさと退室していく。彼は最後まで、この世に絶望したような眼差しのままだった。
「……行くんですか?」
それまで言いつけどおりに黙っていたエミリアが言う。彼女の顔には、何とも言えない表情が貼り付いている。
「いや俺だって、あの少年趣味で性的嗜好異常の変態ジジイになんか、もう会いたくないよ。マジでさ」
「あ、良かった。キミヒコさん的にも、あの司教はアウトなんですね」
「アウトに決まってんだろ。あの変態ジジイがセーフなわけあるかよ。あいつもう、早く死んでほしい」
しみじみと、キミヒコはそう言った。
今日、まだ日が高い時間、カレンのセットしてくれた会談で、ゲニキュラータ司教にキミヒコは初めて会った。
そして思った。カレンと会った際に、彼女の口にしていた評価はまったく正当なものだった、と。
「でも、不思議です。キミヒコさんでさえ引くような人間が、どうして権力を握れるんでしょう……」
「俺でさえって……。まあ、世の中そういうもんだから。高潔な無能より、邪悪な有能の方が出世できるようになってんのさ」
「……じゃあ、司教は有能なんですか? 品性下劣な部分は置いておくとして」
「いや、それは……うん、まあ……ねぇ?」
なんとも煮え切らないキミヒコの返答に、エミリアは「やっぱり世の中おかしいよ……」と天を仰いだ。




