#8 道すがら
ガルグイユ島には山が多い。島の中央から西の海岸までには、南北を分断するような山脈が存在している。ここを抜けるための山道、その道中に、馬車が一台停まっていた。
休憩中らしいその馬車の近く、山道の脇のやや開けた場所で向かい合う影が二つある。
エミリアとホワイトだ。
「そ、それでは……いきます!」
そう言うエミリアの手には、木剣が握られている。
両手で握りしめられたそれを高く掲げて、対面に立つ白い自動人形に向けて振り下ろした。
人形はそれに対して、全く反応しない。
必要がないからだ。
エミリアの振るった木刀は、人形の鼻先を掠めたが、地面に叩きつけられるだけに終わった。模擬戦とはいえ、仲間への攻撃に気が引けたのだろう。だが、そんなエミリアに対して、ホワイトはまったく遠慮がない。
攻撃に失敗して隙だらけのエミリアの鳩尾に、人形の拳が叩き込まれた。
急所への情け無用の一撃に、エミリアは膝から崩れ落ちる。
「い、いたた……。ホ、ホワイトちゃん……も、もう参ったから。私、ちょっと、もう立てな……え? ちょ、あの——」
弱音を口走るエミリアだったが、今度はその顔面に人形の拳が容赦無くめり込んだ。
悲鳴を上げながらエミリアは吹っ飛ばされていき、地面に転がる。そしてそのまま気を失ったのか、ピクリとも動かなくなった。
「お前……いつもながら、無慈悲だよな……」
二人の模擬戦を眺めていたキミヒコが言う。その言葉にホワイトは「そうでしょうか?」と返して首をかしげた。
「……殺してねーだろうな?」
「大丈夫ですよ。言われたとおり、あの女の強度に合わせて加減してあります」
「ピクリともせんが?」
「脳を揺らしましたから、それでです」
地面に転がされたエミリアの下へと向かいながら、二人でそんな会話を交わす。
エミリアの横まで行き、キミヒコはその様子を確認する。確かにホワイトの言うとおりで、彼女は脳震盪らしき状態で白目をむいていた。
ホワイトの攻撃が直撃したはずだが、こいつ硬いな……。常人なら……いや、たとえ騎士でも、ただでは済まない一撃を受けたのに。……この小娘、やっぱり化け物か。
魔眼で視力を強化して、エミリアの状態を監査したキミヒコが心中でそうこぼす。
脳を揺さぶられて意識こそ消失しているが、彼女には外傷が全くない。先程、顔面に打ち込まれたホワイトのパンチは、魔力の乗り具合から見て、常人であれば首から上がミンチになる一撃だった。
エミリアは魔力でその身体を強化している様子はない。彼女の頬に触れてみるも、その感触は柔らかく、普通の人肌だ。それにもかかわらず、この防御力である。
謎めいているのは、防御力だけではない。
キミヒコは視線を移し、今度は彼女が振るった木刀を見る。新品同様の綺麗な状態のそれには、魔力が浸透した形跡はない。
……普通、魔力を使える人間は、魔力を身体や武器に纏わせたり、術式にして飛ばして攻撃する。だが、こいつは全くそういうことをした様子がない。なのに……。
そんなことを思いつつ、今度はエミリアの木剣から、それが振るわれた先に目を向ける。つい先程、ホワイトの鼻先を掠めて木剣が振り下ろされた場所だ。
そこには大きな地割れができていた。木剣の鋒が打ち付けられた位置から、おおよそ十メートルもの長さで、地面に亀裂が走っている。なかなかに深い割れ目で、地表からは底が見えないほどだ。
「……魔力無しで、この威力か」
「なんらかの力……我々が感知できない未知のエネルギーが働いているのは確かです。振るわれた木剣の質量と速度だけで、この威力は不可能ですから。魔力も乗っていませんでしたし」
「なぜか木剣にも傷一つ入ってないな。フツーに考えたら、折れるどころか粉々なはずだが」
「そうですね。なにか、超常の神秘が働いているのでしょう。あの女の防御力もそれが所以でしょうね」
エミリアの纏う神秘についてホワイトと共に検証していると、馬車から小さな人影が向かってきた。
馬車の御者を任されている先住民族の男、スミシーだ。
「キミヒコさん。そろそろ出発しないと、日没までに山道を抜けられませんが……」
「ん……わかった。ホワイト、エミリアを馬車に放り込んでおけ」
キミヒコの指示に人形は「畏まりました」と言って、エミリアを担いで馬車へと向かっていった。
「……スミシー」
ホワイトに続いて、馬車へと戻ろうとするスミシーに、キミヒコは声をかける。彼は「はぁ、なんでしょう?」と怪訝な顔で返事をした。
「お前、エミリアのあの異常性……知ってたか? 族長の親戚だったよな」
キミヒコの問いに、スミシーは「いえ……」と言って首を横に振る。その顔は若干、青い。
彼はエミリアが族長一家で世話になっていることは知っていたが、彼女の能力については知らなかったようだ。まさか身近に、こんな異常な存在がいたとは思わなかったらしい。
「ふぅん……ルセリィのやつ、隠し事が上手なもんだな……」
感心したように、キミヒコが呟く。
そんなキミヒコに、スミシーはどこか疑うような視線を向けていた。
「なんだよ?」
「キミヒコさん、気分はどうですか? 馬車酔い……なんですよね? いちおう……」
スミシーの言うとおりで、キミヒコは今、馬車酔いで気持ち悪くなって、それで馬車を停めて休憩中ということになっている。
もちろん、嘘だ。
エミリアの能力を測るため、ホワイトと模擬戦をやらせるための時間作りである。
キミヒコはスミシーの問いに答えることはなく、ただ肩をすくめてみせてから、馬車へと向かっていった。
◇
「……貴方。この島でバカンスとか言ってませんでしたか? もうすでに、その計画は破綻しているように思えますが」
出発した馬車に揺られているキミヒコに、ホワイトがそんなことを言ってきた。
人形の言葉に、キミヒコは苦い顔だ。
ホワイトのセリフは的を射ていて、キミヒコはこの島の戦乱で一旗あげようという勢力に与している。今は他勢力への外交交渉のため、島の北部に向けて移動中。バカンスとは程遠い状況である。
「うるせーな……。仕方ねーだろ。帝国軍がこんなにやる気ないとは思わなかったんだよ。あいつらがカイラリィ残党を、さっさと皆殺しにしてくれればさぁ……」
ゲンナリしたようにキミヒコが言う。
島への渡航を打診しにウォーターマン将軍の家にお邪魔した当初、帝国軍の目的はこの島に逃げ込んだカイラリィ残党の抹殺だとキミヒコは思っていた。その想定は間違ってもいなかったのだが、正確でもなかった。
将軍に作戦資料を見せてもらってその認識の齟齬を悟ったのだが、結局キミヒコはここに来た。
帝国軍の目的はすぐに済む可能性もあったし、この島が荒れて快適な環境でなくなったのなら部隊と一緒に引き上げればいい。そう楽観的に考えていたのだ。
カレン……あいつ、可愛い顔して、結構エグいことをやりやがる。戦乱の火種を煽りに煽ってるな、あの女……。
懇意にしている将軍の孫娘、暗黒騎士カレンのやり口を、キミヒコはそう評していた。洋上の艦隊はまた別なのだが、上陸部隊を仕切っているのは彼女だった。
これから会いに行く相手なのだが、なかなかどうして、やり手のようだ。自分たちは一切剣を振うこともなく、情勢を引っ掻き回している。しかも麾下の部隊や艦隊への補給も現地人たちにやらせているらしい。
「だいたいですね。戦乱が嫌なら、他に選択肢はあったでしょう。例えば、言語教会の庇護下の都市であれば、戦場になることはないのでは?」
帝国軍について思いを巡らすキミヒコに、人形がさらに小言を続けてくる。
「教会の直轄地はちょっと……。あいつらとはもう距離を置きたい」
「では、大陸のどこか山間部の、自給自足の可能な集落などは? 戦略的に無意味な地域であれば、特に問題はなさそうに思えます。魔獣が出ても、私が対処しますし」
「そういう田舎は嫌だ。陰湿な村社会とかもう勘弁。遊ぶとこはないし、町内会とか隣組とか消防団とかやりたくないし、クソみたいな監視社会だし……」
「えぇ……」
あれもやだ、これもやだと言うキミヒコに、ホワイトはさも呆れましたと言わんばかりだ。
「……貴方。もうそんななら、俗世との関わりを絶つしかないのでは?」
「なんでだよ。俺は平和的かつ文化的な暮らしを、働かずにしたいだけなの。いい服を着て、酒も葉巻も嗜んで、歓楽街に遊びに行きてーんだよ」
「他者で形成された社会の恩恵に与りたいのに、その暮らしに他者の人格を介在させたくないと」
「あのな、極端なんだよお前は。ゼロかイチしかないのかよ。ほどほどに薄めの人付き合いして、ほどほどにたくさん遊べればそれでいいんだよ」
「その『ほどほど』というのが難しいのです」
やいのやいのと人形と戯れているキミヒコだったが、ふと、自分たちに視線が注がれているのに気が付く。
同じ馬車に乗っている、エミリアだ。ホワイトのパンチをくらって失神していた彼女だったが、馬車が出発してしばらくして、意識を取り戻していた。
「……どうしたよ?」
「いえ……ホワイトちゃん、よくしゃべりますね。私が話しかけても反応がないのに……。容赦もないし……」
「そういうことか。気にしなくていいよ。こいつはそういう奴だから」
手をヒラヒラさせて、キミヒコが言う。
エミリアはキミヒコたちが組織に入った当初から、ホワイトには積極的に話しかけていた。そして当然のごとく無視をされていた。仲良くしようと努力をしているらしいが、それは全く実を結んでいない。ついさっきも、模擬戦だったとはいえ、鳩尾と顔面に情け無用の鉄拳を振るわれている。
ホワイトは他人に対しては基本的にノーリアクションだ。話しかけられても返事はしないし、大抵のことは無視を決め込む。
ただ唯一、キミヒコに害を及ぼすと判断されれば話は別だ。そう判断され攻撃対象と見做された場合、キミヒコが止めない限り、その対象は確実に死を迎えることになる。
「……エミリアくん。そういや君、この人形怖くないの?」
「え……? 怖いわけないですよ。これから一緒に戦う仲間じゃないですか」
「さっきぶっ飛ばされたのに?」
「そ、それは……まあ、模擬戦でしたから……」
魔力を正しく知覚できる人間にとって、ホワイトは恐怖の対象だ。人形の纏う魔力の糸が知覚する相手の人間性を刺激して、そうなるらしい。
魔獣狩りのハンター、軍の正規兵、それから騎士。それらは皆、この人形を嫌悪し、恐れた。
だが、エミリアは違うらしい。
「エミリア。お前さん、魔力は見えるか?」
「いえ……見えないですね。というか本当にそんなものがあるのか、私は半信半疑なんですけど……」
「あるぞ。ホワイトの糸が、お前の身体にまとわりついてる。本当に見えない?」
「糸……?」
エミリアが怪訝な顔をしながら、身体をペタペタ触って確かめる。
キミヒコには、彼女がすっとぼけているようには見えなかった。
……本当に見えてないらしいな。まあ俺も、眼球にこの瞳を移植してようやく見えるようになったし、異世界人は魔力の才能とは無縁なのかもな……。
そんな考察をしながら、キミヒコは自身の左目に力を入れて、エミリアを見る。この左目には、言語教会の手術により、魔力を感知できる水晶体が埋め込まれている。
金色の瞳孔が収縮し、その機能により彼女の魔力を計測するが、やはり以前と同じく凡人のそれだった。
「……キミヒコさんのその左目。なんか……ちょっと、普通じゃないですよね」
「かっこいいでしょ? オッドアイってやつだよ。金色の瞳は縁起もいいし、さ」
エミリアはキミヒコの魔眼、ひいてはその視線に、不審なものを感じ取ったようだ。勘が良いことである。
だが、キミヒコが適当に誤魔化せば、彼女はそれ以上何も言わなかった。
普段に比べて、今日はずいぶんと聞き分けが良い。ホワイトとの模擬戦も、渋々ではあったが引き受けてくれた。
ルセリィの指示か、あるいは誰かを傷つけたくないという思いからなのか、エミリアはその力をなかなか振るおうとはしない。エミリアの力を測るため、今までも何度か模擬戦の誘いをしていたのだが、毎回断られていた。
それが、なぜか今日だけは引き受けてくれている。
「なんか、今日は俺に遠慮がちだな。どうしたんだ?」
エミリアの態度についてそう問いかければ、彼女は言いづらそうに顔を伏せた。
言いたくないなら無理には聞かない。
そう思って、キミヒコは返事を急かすこともなく、懐から葉巻を取り出して咥える。
ホワイトに火をつけさせて煙をふかしていると、エミリアがおずおずと口を開いた。
「その、昨日の会議で、キミヒコさん……」
所在なさげに口に出された言葉に、キミヒコは得心がいった。
昨日の会議。ルセリィと事前準備をしてから臨んだそれは、第三者から見ても、あまり褒められたものではなかっただろう。
あの時、新参者としてトップのルセリィから紹介されたキミヒコだったが、その反応は冷淡だった。
本当に自分たちのために戦ってくれるのか。そんな疑念が透けて見えたのだ。
だが本当にひどいのはその後の方で、キミヒコが帝国軍の名誉大佐であること、今後の方針として島北部の反乱勢力に与する帝国軍と協調することが知れると、会議は紛糾した。
紛糾した、といってもこれはプロレスであるというのがルセリィの弁だ。根回しは済んでいたらしい。
しかし、何も知らない幹部たちがいたのも事実で、彼らは顔を真っ赤にして、キミヒコを含むよそ者たちを糾弾した。
彼らはできもしないことを散々に喚き散らしていた。ガルグイユ人もカイラリィの人間も、そして新たにやってきた帝国軍の面々も、全部追い出すのだと息巻いていた。しまいには、この戦乱が終わったら帝国軍ともどもキミヒコも出ていってくれるのかなど、面と向かって言ってくる始末。
はっきり言って、馬鹿にされようが罵倒されようが、キミヒコはどうでも良かった。彼らはルセリィが言うところの『声と態度だけでかい連中』だ。
おめでたい奴らだなとキミヒコは思う。
これから行なわれる交渉は、ネイティブ・オーダーという組織の命運をかけたものなのだが、それを理解していない。この仕事を任されたキミヒコを、ちょっとした小間使いくらいにしか彼らは考えていないらしかった。
「あー……まあ、連中はああいう感覚に飢えてるんだろ。俺みたいな、大陸出身者の身体の大きいやつを顎で使うとか、あいつらからすると痛快なんだろうなー」
「そ、そんなこと……! キミヒコさんだって、いずれは同志として認められるはずで——」
「顎で使われてるのはお前もだぞ、エミリア」
言葉を遮られ、唐突に話が自身の方へと向けられたことで、エミリアは目を白黒させた。
「お前みたいな組織の要に、椅子を運ばせたり、会議室の掃除させたり、普通じゃねーよ」
「いやでも、私も先住民族の里では比較的新入りだし……それにルセリィさんは……」
「トップのルセリィが口を出すと、角が立つんだよ。そうなればあいつの目のない所で、余計にいびられるぞ」
エミリアは不当に扱われている自覚が全くないらしかった。
彼女の身体能力は異常だ。攻守ともに、常人の能力ではない。
そして、そんなエミリアに対して、ネイティブ・オーダーの面々は平然と雑用をさせている。彼女の価値を理解していないのだ。あるいは、ルセリィにより秘匿されていて、その重要性を完全に知らないでいるのかもしれない。
あの馬鹿ども、よくこの化け物にキツくあたれるよな。俺なんか普通に怖いのに。まあ、どうせルセリィが手を回してるんだろうけどさ。周辺の勢力からこいつを隠すために……。
キミヒコの指摘にしどろもどろになっているエミリアを見て、キミヒコはそう思う。
ルセリィの作為的な態度と、その周辺の考えなしな者たちの態度。色々と推察はできるが、エミリアにそれを教えてやる必要もない。理解することもないだろう。
「まーあれだ。コンプレックスなんだろうな、きっと。小さい身体も、いびられ続けた歴史もさ。だから攻撃的なんだ。能力もないくせに、馬鹿だよなー」
「そんな言い方、ないです……。先住民族のみんなは、ただ、今まで弱さにつけ込まれて……」
「弱者は全員、根は善人だとでも言うのか? そんなわけないと思うがな」
エミリアは何か反論しようと言葉を探しているらしかったが、結局出てこない。
それを見るキミヒコの目は、冷ややかだった。
「……ルセリィは善人だと、お前は思うか? エミリア」
「当たり前です! 身寄りのない私に、あの人は本当に優しくしてくれたんです! それに、正義のために行動を起こしたんですから」
「……いいことを教えてやろう。この世の中に、正義なんぞありはしない。ついでに善人なんて存在もいないのさ」
「……あの人が、悪人とでも言うんですか? あなたに、ルセリィさんの何がわかるっていうんです!?」
ある一面においては、寝食を共にしているエミリアよりは理解している。そう言ってやろうとして、キミヒコはやめた。
この娘は、ルセリィを慕っている。虐げられてきた先住民族のために立ち上がったと、本気で思い込んでいるらしい。
それは欺瞞であるとキミヒコは知っている。だが、ルセリィの動機がどうあれ、結果として先住民族の地位が向上すれば、何も問題はない。その過程でどれほどの血が流れようが、結果が全てだ。
だからキミヒコは、「そうか。まあ、あいつはいい奴かもなー」とだけ言ってそっぽを向いた。その投げやりな言い方に、エミリアは文句があるらしかったが、それ以上は噛みついてこなかった。
彼女は「はぁ」と息を吐いてから、物憂げな表情になる。
「……私、ルセリィさんの護衛だったのに……。どうして、こんな仕事を振られたんだろう……」
「え? なんか不満なの? 外交使節の護衛とか、超重要任務じゃん」
「いや、だって……ホワイトちゃんがいるから、私なんていらないじゃないですか……。ルセリィさんは本拠地に残ってますし」
エミリアの言うとおり、ルセリィは今回の交渉に同席しない。
ルセリィの判断に問題はないとキミヒコは思う。
本来ならば、本気で交渉に臨むのなら、トップが出ていった方が良いに決まっている。が、先住民族は軽んじられているので、行ったところで冷たくあしらわれるだけだろう。
だから、あえてルセリィは全権をキミヒコに渡して交渉を任せた。なんなら、キミヒコが実質的に組織を牛耳っていると、相手方にはそう思わせた方がやりやすいくらいに考えているようだ。
小賢しい女だと思いつつも、キミヒコは素直に話を受けた。
帝国軍の動向を見ておきたいというのもあったし、自分以外の異世界人、エミリアに対して探りを入れる機会でもあったからだ。
監視と観察の対象であるエミリアは、怒ったり落ち込んだりせわしない娘だ。その能力を除けば、本当にただの少女だった。
今もまた、敬愛するルセリィに閑職に回されたのかと、勝手に思い込んで勝手に落ち込んでいる。
「……ルセリィは、お前に期待をかけてるよ。だから、この仕事に同行させている」
キミヒコの口から、慰めの言葉が出た。
言った後になって、似合わないことをやってしまったと、キミヒコは若干の後悔を覚える。
ごく稀にやってしまうこうしたお節介は、自身の悪癖だとキミヒコは認識していた。
「……どういうことです?」
「簡単に言うとだな、お前はいずれ上に立つ人間になるんだから、腹芸の一つや二つ身につけろと、そういうことだ」
キミヒコの言葉に、エミリアはポカンとしている。
自分が上に立つ。そんなことは、今まで考えもしなかったのだろう。先住民族の中でも、横柄な連中にパシリのように扱われていた事実からも、それが窺えた。
先住民族を全員まとめて素手で殺れる力があるのに、不遇な扱いでも何の不満も覚えてない……いや、不遇という認識すらない、か。悪意を知らない箱入り娘だったか、この程度では悪意と認識できない環境だったか……。
エミリアの様子から、その背景について、ひいては彼女が願いそうなことについて、キミヒコはあれこれ考察する。
「腹芸……駆け引き……。でも、私にはそんなの……」
「ま、そんなに気負うことはないさ。向いてないと思ったなら、きちんとそれを自覚できれば十分だよ」
不安を口にするエミリアに、キミヒコは心配性な娘だと苦笑した。
「上に立つと言っても、自分でできないとわかってることは、できるやつにやらせりゃいい。今回は俺が全部やるし」
「でも、ルセリィさんが私に腹芸を身につけろって、考えてるなら……」
「まー悩むのもほどほどになー。向き不向きってのも、あるからさ」
そう言うキミヒコに、エミリアは神妙な顔で頷いた。
その様子に満足して、キミヒコは今度は馬車の前方に視線をやる。
小柄な御者、スミシーの背中が、キミヒコの目に映る。
「そういうことだからね、スミシーくん。俺の直属として、君も目にかけてもらってるからね。……お前は他のチビどもとは距離を置けよ。俺の言うこと、わかるよな?」
「は……はいぃ……」
戦々恐々といった具合に、スミシーは顔を縦に振る。その隣には、彼の相棒のドードー鳥が寄り添っていた。
現在、スミシーはネイティブ・オーダーに入って、キミヒコの部下になっている。
散々ルセリィからのスカウトを取り次いだのだから、お前も当然入るよな。キミヒコからそう言われ、半ば強引に入れられていた。
こうして彼は、島の観光ガイドから、反動勢力のゲリラへと泣く泣く転身してしまったのだった。
「うんうん。素直でよろしい。君が従順なうちは、長生きできるよう取り計らおう」
キミヒコのその言葉に、スミシーは青い顔でコクコクと頷くことしかできない。
その有様に、彼の友達のドードー鳥が悲しげな鳴き声を上げた。




