#4 モーリシャス島とフローレス島の生き残り
ガルグイユ島の、とあるビーチ。
そこのビーチパラソルの陰で、キミヒコは砂浜に横になっていた。ホワイトの膝を枕にしてくつろいでいる。
「貴方。ガイドが来ましたよ」
「ん……。ちゃんと酒は持ってきてる?」
「そのようです」
ホワイトの言葉に、キミヒコは重い腰を上げた。
立ち上がって軽く伸びをしていると、小さな影が二つ、近づいてくるのが、キミヒコにも見えた。
「どーもどーも。キミヒコさん、お待たせしました。冷えたビール、お持ちしましたよ!」
島の観光のため、キミヒコがガイドに雇った男が朗らかに言う。その手には氷が入った容器があり、その中にビールの瓶が入っている。
この男、スミシーは観光目的で雇われたただの現地人なのだが、キミヒコの視点からするとずいぶんと特徴的だった。
顔が変とかそういうことではない。小さいのだ。身長が低すぎる。おおよそ、1メートルあるかないかという低身長だ。
さりとて子供というわけでもない。年齢的にはキミヒコと同じくらい。
彼はこの島の先住民族の人間なのだ。この島に大陸から人間が渡ってくる前から住んでいる先住民族は、皆このくらいの身長なのだとか。
「ご苦労様、スミシーくん。ほいチップね」
「ありがとうございます! ほれ、プルクラくんも」
スミシーはキミヒコのチップを喜んで受け取り、自身の相棒にも礼を言うように促す。
しかし、彼の相棒、プルクラはスミシーの後ろに隠れて出てこない。失礼な態度かもしれないが、仕方がない。
プルクラは鳥だった。
ずんぐりとしていて、鳥にしては大きく、スミシーより少し小さいくらいのサイズ。特徴的な大きなクチバシを持っていて、ヨタヨタとノロマに歩く。それでいて飛べない。
キミヒコも知っている、有名な絶滅種。ドードー鳥そのものだ。
「おいプルクラ。鳥の分際で、客に舐めた態度をとってくれるな」
「怯えてるんすよ。キミヒコさん、ドードーを食べたりするから……」
鳥に向かって食ってかかるキミヒコに、スミシーがなだめるようにそう言った。
彼の言うとおり、キミヒコはこの島に来てすぐ、ドードー鳥を旅館のシェフに料理させて、食べた。この島では食料としては一般的ではないためシェフは渋っていたが、金を積んで料理させた。
それを知ってかどうかわからないが、プルクラはキミヒコには懐いてくれない。
「いや、だって、一度はドードー鳥とか食べてみたいじゃん……。食ったらまずかったけど」
「だからおいしくないって言ったのに……」
「煮込み料理で食べたけど、肉は硬いし、脂はきついし、鶏の方がはるかにうまいな」
周囲の反対を押し切って食べておきながら、勝手な品評をするキミヒコに、プルクラが鳴き声を上げる。さながら抗議しているようだ。
そんな鳥の様子に、キミヒコは鼻を鳴らしてから、ジョッキに注がれたビールをあおった。
あー冷えた炭酸が染みるなぁ……。ほんのちょっぴりだけど、シュワシュワする。この世界、コーラもラムネもねーからな……。
この世界には炭酸飲料というものはない。唯一例外が、キミヒコが今飲んでいるビールくらいだろう。
ビールは発酵過程で炭酸ガスを生じるので、まっとうに作られたビールは最初から炭酸が入っている。もちろん、元の世界で飲んだビールやコーラほどの強い炭酸ではない。
デッキチェアに腰かけながら冷えたビールを楽しんでいると、それまでキミヒコと距離をとっていたドードー鳥が、ホワイトにまとわりついているのが目についた。
白い衣服の端をついばんだり、身を寄せて羽毛を擦り付けている。ホワイトのことを気に入っているようだ。
しかし、そんな鳥に対して、人形は無反応だ。完全に無視をして突っ立っている。
「ほぉ……ホワイトには懐いてるんだな。このノロマ鳥は」
「殺します?」
「いつもいつもなんでそういう結論になるんだよ!? どうせつつかれたって痛くも痒くもないんだから、放っておいて差し上げろ」
ホワイトの苛烈な発言をたしなめ、キミヒコはビールをあおる。
直立したままドードー鳥にまとわりつかれる人形を眺めながら、ビールを楽しむキミヒコだったが、あることに気がついた。
「あれ? そういやスミシーは?」
「誰か人に呼ばれたようです。ビーチを離れてますね」
「ガイドが勝手にいなくなるなよ……。ま、このプルクラくんが代役か」
言って、キミヒコが笑った。
自分が何かを言われたのを察したのか、ドードー鳥はキョトンとしている。
「貴方、ドードー鳥を妙に気にされてますね。初めて見た時は、世紀の大発見みたいなことを言ってましたし」
「……真世界で見つけてれば、本当に世紀の大発見だったんだよ」
「こんな鳥が?」
「こいつはあっちじゃ絶滅してるからな」
ドードー鳥について、キミヒコはホワイトに教えてやる。
この鳥は、絶滅種として非常に有名だ。もし、真世界で生存個体を発見しようものなら、世界的なビッグニュースになるだろう。
「なるほど。よくわかる話です。飛べなくて足も遅い。そのうえ警戒心がなくて頭も悪そうです。こんな劣った生物は、生存競争に敗れるのが道理というものでしょうね」
「生存競争っていうか、元々の生息環境に人間が来たからだけどな……」
ホワイトのドードー鳥に対するあまりの言い草に、キミヒコが若干のフォローをいれる。
実際、こののんびりした鳥は、西洋人に発見されるまでは、孤島で静かに暮らせていた。
「ということは、あの先住民族の種族も、真世界では絶滅しているとかですか? あんなに小さいヒト属の動物はいないみたいですね」
「いや……それは……もしかしたら、そうかもな。真世界じゃ、俺たちホモサピエンス以外のヒト属は絶滅してるし」
人間のことをナチュラルに動物扱いしているホワイトに引きつつも、その推測に一定の理があるとキミヒコは思った。
確かに……ここの先住民族は俺たちとは別の種族なのかも。東京の国立科学博物館で見た、なんとかっていう原人の復元模型も、あんな体格だったな……。
かつて、博物館に行ったときのことを思い返して、キミヒコはそんな考察をする。
このガルグイユ島の先住民族の体格は、人種的な違いの範疇を超えている。別種のヒト属の生物と考えるのは自然だった。あるいは遺伝的な小人症かもしれない。
ちなみに、大陸に住んでいる人間は、キミヒコと種族的には近いように見えた。顔立ちや髪の色に真世界以上のバリエーションがあるが、ここの先住民族に比べると、真世界の人類とほぼ同じだ。
真世界の絶滅種たち。それらに対しての物思いにふけっていると、件の先住民族のガイドがこちらに向かってくるのがキミヒコの目に映る。
どこか、気まずそうな雰囲気で、急いで走ってきている。急いで、といっても身長が身長なので、ペースは遅い。
「キミヒコさん、その……あの方がまたお会いしたいと……」
走ってきて息を切らしながら、スミシーが言った。
スミシーの言葉に、キミヒコは顔を顰めた。
「またかよ。断っといて」
「あの、いえ、私、族長には世話になってて……親戚ですし……」
スミシーの言う族長とは、このガルグイユ島の先住民族の長のことだ。話があるのは、族長からではなく、その娘の方である。
現在、この島は実質的な支配者、カイラリィ帝国が崩壊した影響で、各勢力が決起して政情不安な状況が続いている。
この機に乗じて、先住民族も一旗揚げたい。そういう話だ。
族長の娘はとにかく好戦的で、キミヒコに力を貸してくれと、何度もしつこく勧誘に来ていた。
「はぁ……もう、仕方ねぇな……。会うだけだからな」
キミヒコは早々に折れた。
すでに何度も断りの返事をしているのだが、彼女は族長の娘という立場だ。あまり無下に扱うわけにもいかない。
ま……とはいえ先住民族だしな。別にいい加減に扱っても問題はないだろうが……万が一、まかり間違って連中が天下を取るって可能性もあるしな……。
あまり恥をかかせるような真似をして、恨みを買いたくないというのがキミヒコの考えだ。現在のこの島の主導権争いで、先住民族が天下を取る可能性だってある。
とはいえ、その可能性はあまりに低いとも思っている。
先住民族の肩身は狭い。
元々、この島は彼らだけで暮らしていたのだが、ある時、大陸から人間が渡ってきた。彼らは勝手にこの島をガルグイユ島と名付けて、勝手に暮らし始めた。そしていつしか、自分たちをガルグイユ人と呼称するようになった。
身体は小さいし魔力の扱いもできない先住民族は、あっという間に島の支配者の座を追われてしまう。もう何世紀も前の話なのだが、ここから先住民族の苦境は始まった。
時を経て、さらに事態を複雑化させる事件が起こる。ガルグイユ人たちの後に、ある集団が島にやってきたのだ。カイラリィ帝国の人間たちである。
彼らは島に来るなり、列強国の武力にものを言わせて、この島を完全に制圧した。当然、ガルグイユ人たちは反抗するのだが、カイラリィ帝国に敵うはずもない。
島にはカイラリィの総督府が置かれ、かの国の植民地となった。
カイラリィのやり方は相当に手荒で、ガルグイユ人たちは圧政に苦しんだ。ついでに先住民族も苦しんだ。カイラリィは、先住民族もガルグイユ人もある意味平等に支配したのだ。
そして、今現在、カイラリィ帝国はシュバーデン帝国との戦争に敗れ、崩壊。
この島の総督府はまだ機能しているが、支配されていた人々がこの機を逃すはずもなく、各地で武装蜂起が頻発。ついでにシュバーデン帝国が軍隊を派遣してきて、もう滅茶苦茶。
そしてこの混乱に乗じて、どうにか先住民族たちの地位向上を目指そうというのが、族長の娘の計画である。
かの娘から何度も何度も説明を受けた内容だ。キミヒコとしては全然興味がないので断っているのだが、性懲りも無くまた来たらしい。
「てか、バカンスに来たのに、なんでこんな戦乱に参加しなきゃいけないんだよ……」
「いやあの、キミヒコさん。まさかこの状況で、本当にバカンスのために来たんですか? てっきり僕、何か他の目的があるのかと……。でも、ここ数日の遊びっぷりを見てると、なんか本気っぽくて怖いんですけど……」
「本気ですけど? 大マジでダラダラしに来たんですけど? 言っとくけど、大陸の荒れっぷりは、ここの比じゃねーからな」
「そうは言いますが……この間、暗殺者に狙われてませんでしたか? こんな有様でバカンスとか正気とは思えないのですが……」
「黙れ。思い出させるな。あれマジで最悪だったんだからな」
言って、キミヒコは身震いした。
今話題に上った、暗殺未遂事件。つい最近のことだ。
ある朝、キミヒコが宿泊していたリゾートホテルで目を覚ますと、どうも様子がおかしい。フカフカのベッドで寝ていたはずなのだが、なんだか、ヌラヌラとした感触がする。
身体を起こして、自らが寝ていたベッドを見た。そして絶叫した。
ベッドの上に、十か二十くらいに腑分けられた、人間だったと思われる物体が散乱していたのだ。
ひとしきり叫んだ後、ベッドの脇に立っていたホワイトを問い詰めると、「殺し屋が来たので始末しました」と人形は平然と答える。そして、「よく寝ていたので、起こさないように処理しました」などと、いかにも気を使いましたという具合に言ってのけた。
そんなトボケた相棒を張り倒したのは、まだ記憶に新しい。リゾート地に来ていながら、最悪な目覚めを体験してしまった。
あれは、カイラリィの手の者だろうとキミヒコは思っている。というか、それ以外に考えられない。
殺し屋らしき人間は、魔力操作に熟達していたとホワイトは言っていた。強盗目的のチンピラみたいなものではなく、ベテランハンターか軍の正規兵だろうとのことだ。
クソッタレのカイラリィめ……死に損ないの老帝国の分際で……。つーか、カレンたちが本気を出せば、カイラリィの総督府なんてすぐに潰せるだろうに。まあ、ここの制圧が目的じゃないから、そちらを優先か。カレンの手腕に期待だな……。
心中でそう独りごちてから、キミヒコは立ち上がった。
「で、あの娘さんはどこ?」
「いえ、今日はルセリィさんではなく、その部下を名乗る人が来てます」
「あ、そう。何度も断られたから、手法を変えてきたか。で、場所は?」
スミシーから場所を聞き出して、ここの片付けを任せて、キミヒコは歩き出した。その隣には、ホワイトがピタリと寄り添う。
「ホワイト、旅館で着替えてから行くぞ。お前も同席しろ」
「畏まりました」
「ん……頼りにしてる」
それだけ話してから、二人で歩く。
そして、海風を浴びながら十分ほど歩き、旅館に到着した。
宿泊中の海辺の旅館の門をくぐり、着替えをしようと部屋に向かう途中。それが目についた。
「……これは、勿忘草か」
受付カウンターに置かれている花瓶。そこには青くて小さな花が咲いていた。その青い花は、いやにキミヒコの目を引いた。
黙って花に魅入っている主人に、人形が問いかけてくる。
「勿忘草って、真世界では絶滅してるんですか?」
「いんや。普通にあるよ。ここに生えてるのと、変わりないはずだ」
キミヒコはそう返事をしてから、自分はどうしてこの花に気を取られたのか思いついた。
そういえば、帝都で読んだ本に逸話が載ってたな……。
この島に来る前、帝都でこの人形との語らいで話題に上ったのが、この花の逸話、名前の由来だった。
「私を忘れないで、か……」
キミヒコの呟きに、ホワイトが首を傾げた。
その様子に、キミヒコは「なんでもない」と言って笑いかけ、部屋に向かって再び歩き始めた。




