#2 グレートゲーム
「なるほど。例の革命思想とやらは、言語教会の、あの迷惑な社会実験の産物だったか……」
得心がいったという表情でウォーターマンが呟いた。
リシテア市での事件で、首謀者の司教から今際の際に聞き出した『レーニンの実証実験』。マルクス主義を基に計画されたらしいこの社会実験を、言語教会は持て余している。
この情報は、この将軍の興味を大いに引いたようだ。
「今朝、帝都の憲兵に聞きました。革命思想とやら、連合王国から流れているらしいですね」
「……断定はされていないが、おそらくはそうだ。となれば、教会の実験場に選ばれたのは連合王国か。あそこは、無理な統合をやって政情不安だから、そこにつけ込まれたな……」
「そうですね。トムリア王国とゾロア王国が連立したのは、もう百年以上前なのに、未だに揉めています」
キミヒコの言葉には実感がこもっている。
連合王国の反体制分子の陰謀に巻き込まれたのは、この世界に来てすぐのこと。散々な目に遭って、連合王国を後にしたのだ。
「……今回の土産話は、どうでしたか?」
これで話はおしまい。この情報提供で、先程のキミヒコの頼み事を聞く気になっただろうか。
そう思ってウォーターマンの様子を窺えば、彼は満足げに頷いた。
「大いに満足したよ。やはり、言語教会は信用ならない。参謀総長はどこまで連中と繋がっているのか……」
「参謀本部の動向は、将軍には伝わりませんか」
「ああ。例の、あの馬鹿みたいな構想に反対したからな。私は煙たがられている。……倅からもな」
将軍の口にした構想とは、参謀本部の壮大な野望のことだ。
パックスインペリアーナ構想。
帝国軍参謀本部が夢見るこの計画は、武力によりアマルテア全土の覇権国として帝国が君臨し、新たな世界秩序を形成するというものである。
シュバーデン帝国の軍事力が頭一つ抜けているとはいえ、あまりに大それた絵空事だ。こんな構想、大多数の他の列強が黙って見ているはずはない。
キミヒコはそう思っていたし、現役の将軍であるウォーターマンもそうらしい。
パックスインペリアーナ……馬鹿な夢物語だ。しかし、カイラリィを脱落させて、第三国を引き入れて自陣営を形成して……参謀本部もよくやる。存外、いい線までいくかもな……。
心中でこぼしたキミヒコの言葉どおり、帝国軍は現在まで戦争を優勢に進めている。
アマルテアに存在する、列強と呼ばれる国は、七つ。
そのうち一つ、カイラリィ帝国は今次戦争をすでに脱落、崩壊した。
そして、その崩壊したカイラリィの利権を餌にすることで、列強の一角、ゾリディア帝国が傘下の衛星国と共にシュバーデン帝国側に立って参戦。これによりシュバーデン帝国を盟主とする陣営が形成されるに至る。
対して敵方は、残る列強のうち三つがゴトランタ共和国を盟主とする陣営を形成。徹底抗戦の構えだ。
残る最後の列強、トムリア・ゾロア連合王国だけは、今次大戦には参戦していない。しかし、かの国は帝国に対して敵対的だ。参戦こそしないものの、ゴトランタ陣営に露骨な援助を行なっている。
単純に考えて、この凄惨なグレートゲームは、二対四のプレイヤーで行われているということだ。
「さて……横道に逸れたが、話を本筋に戻そうか。ガルグイユ島に行きたいのだったな。君は」
拡大する戦争、そしてそれを采配する列強国について思いを馳せているキミヒコに向けて、ウォーターマンがそう言った。
「海上作戦群への同行はまったく構わない。参謀本部には君を推しておく。件の軍事作戦のオブザーバーとしてな」
「オブザーバー……ですか?」
「後で作戦資料を見せよう。……まあ、名目上のことだよ。現地に到着したなら、観光でもバカンスでも、好きにしてくれていい」
オブザーバーということは、今回の帝国軍の軍事行動を見守る立場にあるのだが、それはただの方便のようだ。
キミヒコとしては、もう軍事作戦などこりごりである。この辺は将軍も承知しているので、任せておけば問題はないだろう。
「島に着いたなら、君は自由だ。だが、ひとつ頼みもある。これは、この話を即答できなかった理由でもある」
差し当たりの目的を達成できてホッとしているキミヒコに、ウォーターマンが不穏なことを言う。
あー……。そんな難しいお願いでもなかったのに、もったいぶったのは、やっぱ何か理由があんのね……。
胸の内で嫌な予感を抱えながらも、キミヒコは表情を崩さず、視線で話の続きを促した。
「件の作戦、猟兵隊の部隊を送ることになっている。……隊長は、私の孫娘だ」
ウォーターマンにしては歯切れが悪く、その口からそんなことが語られた。
この将軍の孫娘。カレンという人物をキミヒコは知っている。
ウォーターマンとの交流をする中で、知り合った女性だ。
「ほぉ……それはそれは。あのカレン嬢が……。本人の希望なので?」
「それもあるが、倅が推した。私は反対だった」
「なるほど、お目付役ですか。これはまた、大任ですな。私に務まるかどうか……」
面倒な頼み事に、キミヒコはそう言った。
カレンという孫娘を、この男が大事にしているのは、キミヒコも知るところだ。大方、彼女を手助けしてやってほしいとかそんな頼みだろう。
そして、キミヒコの頼みが渋られた理由も、なんとなく察した。
ウォーターマン家は、その家中の事情で今回の作戦人事にすでに口出ししている。カレンをそれなりのポジションにつけてやる情実人事ということだ。これに加えて、勝手な都合で外部の人間をオブザーバーとして参加させるのだから、現場の反感を買うだろう。
だが結局、将軍はそれを飲み込んで頼み事を聞くことを決めたようだ。
「お目付役か。そこまで大きなことを望みはせんよ。ただ、あの娘が頼ってきたなら、手を貸してやってほしい」
「知らない仲でもありませんから、それは構いません。ですが……素直に頼ってくるような御人でもないでしょう」
「承知している。だからこそだ。あれの性格上、滅多なことでは君を頼るまい。滅多なことが起きたなら……という話だ」
「そういうことでしたら、お任せください。まあ、将軍もご承知でしょうが、彼女は優秀ですから。私の出る幕はないでしょうね」
そう言って、キミヒコは結局話を了承した。
同行してカレンから目を離すな、というような頼みなら断っていたが、これくらいなら問題はない。というより、島に着いたならさっさと帝国軍とは離れる予定なので、面倒をみることはないだろう。
「しかし……なぜ彼女を猟兵隊に? 家柄を考えれば、あまり良いキャリアとは思えませんが」
「それも、私は反対だった。本人の希望だよ。……もはや、英雄と呼ばれる人間が剣を持つ時代ではないのだがな」
どこか寂しそうに、帝国軍の老将はそう言った。
帝国軍における猟兵とは、他の国家における騎士に相当する兵種である。内外で暗黒騎士とも呼ばれ恐れられている。
そんな猟兵であるが、騎士文化の名残があるため、佐官までの出世は異常に早いものの将官にまではなれない。加えて、帝国軍ではあくまで暴力装置として彼らを運用するため、上位の指揮権は与えられないことが多い。
単純な個人戦闘力で憧れや畏怖の対象になる存在ではあるが、キミヒコからすれば、帝国軍という組織でキャリアを積むには不適格に思える。それこそ、ウォーターマン家の人間の進路としては奇妙だ。
そして案の定、この将軍はそれに反対だったようだ。
「騎士という存在は、もう時代にそぐわない。安全で静かな事務室で、淡々と指示を出し、戦場を……いや、戦争そのものを動かす。そういう時代が訪れる。いずれな」
「私には想像もつきませんが、恐ろしいことです」
「そう言いつつも、君はすでに心得ているだろう。……だから、こんなことを頼めるのだ」
どうも、ウォーターマンには過大評価されているらしい。そのようにキミヒコは感じていた。
先進的な思想の持ち主と思われているらしく、妙な信頼をされている。
「倅もそうだが、あれも血の気が多くていかん……」
「良いではありませんか。若いということです」
「君も十分に若いはずだがね……。あの娘にも、君のような落ち着きがあれば、私も安心なのだが……」
「心配性ですね、将軍」
キミヒコの言葉に、ウォーターマンは苦笑して頷いた。
「君には笑われそうだが、そうだな。身内に甘いのは否定できん」
「いえ、好感が持てますよ。世辞抜きでね」
珍しく、キミヒコが混じりっ気のない本音を漏らした。
家族に優しいのは良いことさ。俺の家なんて、マジで最悪だったからな……。
自らの境遇、家族関係。それらの苦い記憶が、ウォーターマンの孫煩悩な態度を好意的に感じさせていた。
「しかし、そんな将軍がカレン嬢を私のような人間に任すのも変な話です。私という人間は、世間では守銭奴だのエゴイストだの、散々な言われようですからね」
「世評など、当てにはしていない。実際、君は世間が言うほど情の薄い男でもないからな」
ウォーターマンの言葉に、キミヒコは首を傾げた。
キミヒコ自身、世間の評判はそれほど間違っていないと思っている。この将軍の前でも、情を優先した行動をとった覚えはない。
「……彼を処分した私が言うのも、なんだがね」
続くウォーターマンのその言葉に、キミヒコは思わず顔を歪ませた。
この将軍との接点ができた、傭兵仕事。それで参加した戦役で、キミヒコはある参謀と親しくなった。
彼は死んだ。軍に反抗したからだ。
軍法会議に連れていったのはキミヒコで、その軍法会議で処断したのは目の前の老将である。
その際、キミヒコは彼を助命しようとあれこれやった。結局は無駄に終わったのだが、そのことが、将軍のキミヒコという人間の評価に影響を与えていたようだ。
「例の話、君が望むなら、まだ進めるつもりだ。無理にとは言わないが」
黙っているキミヒコに、続けてウォーターマンがそう言った。
あの話、まだ生きてたのか……。何度かカレンと話をする機会があったのは、そういうわけかい。
今まで、件の孫娘と交流することがあったのだが、その理由にキミヒコは得心がいった。
以前、この将軍は孫娘との婚姻で、キミヒコを婿入りさせようと誘いをかけてきたことがある。一度は断ったのだが、将軍はまだ諦めていないらしく、機会を作って二人を引き合わせていたようだ。
「今度の作戦で、カレンとも話す機会があるだろう。まあ、気が向いたら言ってくれたまえ」
そう言って、帝国の名家、ウォーターマン家の先代当主は、話を締めた。




