#1 会食
帝都の、とある大きな屋敷。
そこの一室、豪奢な食堂に、キミヒコはいた。
一点の汚れもない、純白のテーブルクロスの上に置かれた料理を楽しんでいる。
テーブルの対面には、老境を迎えつつある歳頃の男が座り、キミヒコと談笑しながら食事をしていた。
男の名は、ウォーターマン。帝国軍で将軍の地位にある人物だ。
かつて、傭兵仕事で帝国に雇われた際にできた、キミヒコの知己である。
ウォーターマンの後ろには、メイドや執事が何人も控えている。キミヒコの背後には、ホワイトが後ろに手を組み、直立して控えていた。
「見事な海鮮料理でした。これほどのものをご馳走いただけるとは……」
「君が来ると聞いてな。準備をさせておいた。満足してくれたようで、何よりだ」
コースのメイン料理を食べ終えて、食後酒を飲みながら二人でそんな会話を交わす。
この世界、魚料理は川魚ばっかりだからな……。海鮮料理は、本当に久々だ。うまかった……。
この世界で海産物は高級品だ。質の良いものは、牛肉よりも断然高い。
海には巨大な海洋魔獣が生息しているためだ。おかげで海路は簡単には使えないし、漁業もそう簡単には行なえない。
先程食した海鮮料理に思いを馳せているキミヒコのそばに、この屋敷の使用人が立つ。その手にはワインボトルがある。キミヒコのグラスのワインが半分ほどになったので注ぎにきたらしい。
キミヒコはワインの縁に指をかざし、断りのサインをする。それを見て、使用人の男は頭を下げて戻っていった。
「……ふむ。もう良いのかね?」
「ええ。十分に楽しませていただきました。……これ以上アルコールを入れると、真面目な話が苦ですからね」
キミヒコの言葉に頷き、ウォーターマンが手で合図をすると、部屋に控えていた大多数の使用人たちが退室していく。
残っているのは、体格が良かったり、魔力が漲っている者たちばかり。軍に属する者たちだろう。
帝国軍についての話題をしても、問題のない面子が残されたというわけだ。
「先に聞いておこう。何か、頼み事があるのではないかね?」
ウォーターマンが言う。
相変わらず、話が早い。
「……帝国軍の海上作戦群が動くと聞いています。私をそれに乗せていただきたい」
「ああ。ガルグイユ島に向かう、あれか……」
ウォーターマンが顎に手を当てながら、頷く。
ガルグイユ島。アマルテアの地にある内海、ダルマシア海に浮かぶ、火山島である。
ダルマシア海にある有人島の中では最大の島で、人口も小国程度の規模はある。
「あの島に行きたいのかね? 差し支えなければ、目的を聞きたいな」
「大層な目的はありません。なにしろ、大陸はこの有様ですから。血の気の多い喧騒から離れて、バカンスでもしようと思いましてね」
キミヒコが正直に言う。
ガルグイユ島は、カイラリィ帝国の支配下にあった島である。かつては皇族もたびたび訪れる、アマルテア有数のリゾート地だった。やんごとなき身分の貴人が、危険な船旅をしてでも行きたい場所ということだ。
ダルマシア海は、外洋に比べれば穏やかな海で、海洋魔獣も少ない方ではある。しかし、海の旅は危険であるのに変わりはない。キミヒコだって、軍の船でもなければ、絶対に行かない。ホワイトは無敵かもしれないが、船が沈めばキミヒコはおしまいだ。
「……なるほど。君らしい理由だ」
「根っからの平和主義者なものでしてね。このところ居心地が悪かったんですよ」
「ふっ……よく言う。しかし……確かに居心地は悪かろうな。ここの参謀本部も、人形遣いを引き込めと、私にうるさく言うくらいだ」
大陸でやっている血みどろの戦争が嫌で、南の島でバカンスをして、優雅にやり過ごす。それがキミヒコの計画だった。
帝国が軍事作戦を計画しているというのが鼻につくが、大事にはならないとタカを括っている。帝国は大陸で列強との戦争に一生懸命だ。こんな南の島での作戦になど、大したリソースを注ぎ込みはしない。
「しかし、どこで聞いたのかね? 件の島に、海上作戦群を派遣することを」
「ギルドの連盟機構に、伝手がありましてね。ハンターも同行するそうですね? その船旅に」
「やれやれ。外部の組織を使うと、これだ。参謀本部もなりふり構わずだな……」
今回の軍事作戦が部外者に漏れていることに、ウォーターマンがため息を漏らす。
キミヒコがこの情報を得たのは、ハンターギルド連盟機構の知り合いからだ。シュバーデン帝国支部の事務局長と、キミヒコはコネクションがあった。
「軍事作戦の詳細については知っているかね?」
「存じません。大方、カイラリィとの戦後処理でしょうけれど」
「まあ、そんなところだよ」
そう言ってから、ウォーターマンは顔を伏せて、腕組みをして思案に入った。
キミヒコの頼みを聞くかどうか、考えているらしかった。
うん……? そんなに悩むことかな……。別にそれほど骨を折るような頼み事でもないはずだが……。
二つ返事で了承をもらえるとも思っていなかったが、ウォーターマンの態度にキミヒコはどこか引っかかりを覚えた。
島へ向かう帝国軍の部隊は、魔獣対策にハンターも同行させることになっている。自分の乗っている船が襲われれば、キミヒコも当然、ホワイトを戦闘に参加させるつもりだ。帝国軍に損のある話ではない。
別にここで断られても、キミヒコとしては今度はギルド経由で乗船するだけだ。この航海について教えてくれた、ナッテリーという連盟機構の偉い人に頼めば可能だろう。
だが、ここで了承をもらえるに越したことはない。
キミヒコは少し、土産話をすることにした。
「実は私、少し前にリシテア市に滞在していまして……」
「……リシテア市? 確か、新種の魔獣のせいで壊滅したあの都市に?」
「ええ。言語教会の依頼でね」
キミヒコの土産話、その内容を察知したのだろう。ウォーターマンの視線に、どこか剣呑なものが混じる。
帝国軍は言語教会とはズブズブの関係ではあるが、この将軍は個人的には教会を好いていない。あのいかにも怪しい組織について疑念があるらしく、前々から言語教会の動向について、キミヒコを通じて探りを入れていた。
「お前たちも下がれ」
キミヒコの頼み事をどうするかよりも先に、この土産話を聞くことにしたのだろう。ウォーターマンが、部屋に残った者たちにそう言った。
「いやしかし、大旦那様……」
「私は下がれと言ったはずだが?」
食い下がる家中の者に、ウォーターマンはギロリと睨みを入れる。
それを受けて、渋々といった具合に、全員が退室していく。その際、彼らが見るのはホワイトの方だ。不安な目で人形を見て、最後にキミヒコを見て、頭を下げて退室していく。
気持ちはわかる。
ホワイトという超危険な人形とこの家の大旦那様を同じ部屋に置いて、自分たちだけ退室することに後ろ髪を引かれる思いがあるのだろう。
そして、そういう麗しい忠誠心以外にも、気にかかることを彼らは言っていた。
退室した男は、将軍を旦那様ではなく、大旦那様と言った。家長に対してであれば、旦那様と呼ぶのが適切であるようにキミヒコには思えた。
「……家督を譲られたので?」
「倅に、禅譲を迫られてな。ヴィアゴル戦役の後、カイラリィを降してから帰還して、すぐのことだ」
不快そうに、ウォーターマンは鼻を鳴らした。
将軍はもう還暦を超えている。歳を考えれば、家督を譲っても不思議はない。
とはいえ、本人はまだまだやる気だったのだろう。軍人としても未だ現役だ。
「それで……リシテア市の崩壊に、君は居合わせたのだな?」
「ええ、そうです。ま、教会の名前を出した時点でお察しでしょうが、あの都市の壊滅は、教会のやらかしですね」
結論を言ってから、詳細な説明にキミヒコは移った。
例の新種の魔獣は、言語教会の一派、天使学派が造った人造魔獣だったこと。天使学派が持ち逃げしたアーティファクトの捜索のため、教会本流からキミヒコが差し向けられたこと。天使学派は、都市内にアーティファクトで結界を張ったうえで魔獣を放ち、リシテア市諸共に壊滅したこと。言語教会はその事実を隠蔽して、教会都市として再建すべくあれこれやっていること。
全部を話した。
「相変わらず……碌でもないな、教会は」
「その教会とよろしくやってる私が言うのもなんですが……ま、確かに碌でもないですね」
「……話して大丈夫だったのかね?」
「大丈夫じゃないので、内密にお願いします」
キミヒコがそう言えば、ウォーターマンは重々しく頷いてくれた。
とは言ったものの、正直、バレたところで別にな……。参謀本部あたりは、もう知ってるらしいし。
恩着せがましく教えておきながら、キミヒコの本音はこれだった。
例の都市壊滅事件の隠蔽工作には、キミヒコ自身も関わっている。その過程で、どこに真実が伝わっているのか、ある程度把握していた。
言語教会と帝国軍参謀本部は、蜜月の関係にある。将軍は知らないことだったらしいが、あの凄惨な事件の概要は共有されていた。
「で……まあ、この話は前置きなんですよ」
「……では、本題は?」
「実証実験について、です」
本題について切り出すと、ウォーターマンの眼光はさらに鋭くなった。
キミヒコは以前、ウォーターマンから『クラウゼヴィッツの実証実験』について教えてもらったことがある。
これは、言語教会の行なう社会実験の一種で、真世界の軍事思想と技術を帝国軍に供与し、それが社会にどのような影響を及ぼすか、観察しているというものだ。
「将軍は、レーニンという人物を知っていますか? かの軍人、クラウゼヴィッツの生きた世界、その後の時代にいた革命家です」
反応を見るに、土産話として問題なさそうだった。キミヒコは心中でほくそ笑んで、『レーニンの実証実験』について話し始めた。




