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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.6 タクティカル・アトランティカ
149/186

#0 プロローグ

 その昔、若い男女が、ドナウ川の川岸を散策していた。二人は恋人同士だった。

 仲睦まじく散歩する二人だったが、その道中、川辺に咲く小さな花を見つける。

 恋人のために、男はその花を摘もうとして岸を降りたが、足を滑らせてしまった。

 男は騎士であり、この時、重い鎧を身につけていた。そのため、泳ぐこともできずに水中へ沈んでいく。その際、彼は手にした花を彼女に投げて『私を忘れないで』と叫んで川底へと消えた。

 残された女は、男の墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名前とした。

 この花こそが現在において、勿忘草(わすれなぐさ)と呼ばれる花である。


「ふぅん……。勿忘草(わすれなぐさ)って、そういう由来なんだな。あの花、西洋が原産だったか……」


 本を片手に、キミヒコがつぶやいた。

 キミヒコがいるのは、とある喫茶店のテラス席だ。爽やかな朝の日差しを浴びながら、読書を楽しんでいる。


「花を摘もうとして川で溺れ死ぬなんて、なんとも間抜けな話ですね。まあ、フィクションなんでしょうけど」


 同席しているホワイトが言う。


 この人形はキミヒコの持つ本を覗き込んだりはしないが、一緒に読んでいたらしい。赤紫色の糸が、キミヒコの読んでいる本のページにまとわりついている。

 この人形は、糸で文字を読む。


「それはどうかな。大筋は創作なんだろうが、全部が全部、フィクションとは限らんだろう」


「物語の舞台からして架空のものなのに? ドナウ川なんて、聞いたことないですけど」


「……いや、実在の河川だ。確か、ヨーロッパの……ドイツとかオーストリアとかを流れてたはず」


「よーろっぱ?」


 首を傾げる人形に、キミヒコは笑みを浮かべる。

 ホワイトがわからないのも無理はない。ヨーロッパ、それにドイツにオーストリア。いずれも、キミヒコが元いた世界、真世界の地域や国家の名称だ。


「ヨーロッパ、な。あれだよ。俺がいた世界の区分みたいなものさ。ドイツとかオーストリアはそこにあった国」


「ああ、そういうことですか。その本は教会からの貸し出しでしたね」


 ホワイトは納得したように頷いてみせる。


 人形の言うとおりで、キミヒコの手にある本は、言語教会からの貸し出し品だった。

 言語教会は真世界について、あれこれ調べている研究機関でもある。こうした本を所蔵していても不思議はない。


 キミヒコとしては暇つぶし用の本が欲しかっただけで、真世界について調べようなどという意図はなかった。だが、教会は変に気を利かせてくれたらしく、こういう珍しくて貴重な本を貸し出してくれたようだ。


「……貴方の故国、日本とやらも、そのヨーロッパに?」


「俺の故郷があったのは東アジアって地域だよ。ヨーロッパからは全然遠いな」


 異世界にいながら、アジアだのヨーロッパだのそんな地理的な話をしても、まったく意味もないことだとキミヒコは思う。もといた場所、真世界への未練など、もうないからだ。

 だがどうして、この人形との無駄話の時間は、心地よいものだった。


「——アフリカがここ、アメリカ大陸がここ。で、ここにオーストラリアがある」


「ふむふむ……」


 簡易的な地図をメモに描いて、キミヒコはホワイトに教えてやる。


 二人の間に、穏やかな空気が流れる。


 ここは、アマルテアにおける列強国家の一つ、シュバーデン帝国。現在戦時下にあるこの帝国の首都、帝都ザンスパインにキミヒコたちはいた。

 帝国は現在戦争中であり、前線では多くの将兵たちが死に物狂いで戦っているだろう。

 そんな戦地での状況とは裏腹に、今現在、帝都の朝は爽やかなものだった。


 そしてそんな朝を満喫しているキミヒコだったが、人形の糸が跳ねるのが目に映る。ホワイトの魔力糸が、何かを検知したらしい。


「どうした?」


「憲兵です」


 主人の問いにそう返事をして、人形は指をさす。

 そちらに視線を向ければ、確かにこちらに向かってくる人影が見えた。二人組の軍人。服装を見るに、ホワイトの言うとおり憲兵のようだった。


「そこの男、何を読んでいる? 確認させてもらう」


 二人のうち、上官らしき男が、こちらに来るなりそう言った。いかにも軍隊らしい、高圧的な物言いだ。

 キミヒコは特に反抗することはなく、「どうぞ」と言って素直に本を手渡した。上官らしい男はそれを黙って受け取り、部下にそのまま渡す。


「お仕事は? 身分証はありますか?」


 部下の男が本の内容を調べているのを横目に、上官の男が質問をしてくる。キミヒコの応対が素直なためか、その口調は若干和らいでいる。


「休暇中でね。身分証はこれでいいかな?」


 そう言って、キミヒコは上着をめくり、自身の襟元が見えるようにする。その襟元には階級章が付けられていた。

 それが指し示す階級は大佐。高級将校といって差し支えない身分である。

 とはいえ、キミヒコは現職の軍人ではない。これは名誉大佐という、以前に傭兵仕事で授与された称号だった。


 だが、この憲兵二人にはそんなことはわからないし、名誉大佐でも遥か上の身分であることに違いはない。想定外の出来事に、憲兵たちは目を見開いた。


「し、失礼いたしました! 大佐殿とはつゆ知らず……。おい、検分はもういい。お返ししろ!」


「いや、いい。貴官らの職務だろう? そのまま続けてくれ」


「はっ! では、少々お時間をいただきます!」


 ビシッと敬礼をして、憲兵が言う。


 少々時間をいただく、などとは言うが、さっさと切り上げたいのが彼らの本音だろう。キミヒコの読んでいた本が非合法図書だとしても、名誉大佐の身分であればどうにでもなる。

 まったくの無駄な仕事、それも目上の人間に対してのものだ。気まずいどころではない。


「貴官もご苦労だな。朝から見回りとは、感心する」


「恐縮であります! 大佐殿!」


「ん……。近頃は後方もキナ臭いようだ。いっそう、職務に励んでくれ」


 内心悪いことをしたなと思いつつ、キミヒコは労いの言葉をかける。

 憲兵たちを引き留めたのは、聞きたいことがあったからだ。


「さて、職務中にすまないが、少々聞きたいことがある」


「はっ! 小官に答えられることでしたら、何なりと」


「……近頃、妙な思想本が出回っていると聞く。憲兵隊の活動はそれが原因か?」


 キミヒコの質問に、憲兵は答えるべきか逡巡する。だがそれも一瞬のことで、素直に口を開いた。


「おっしゃるとおりで、革命などという妙な思想が、反乱分子の間で流行しているそうです。我々はそれを検挙すべく、行動中であります」


「その革命思想とやらは、敵性国家からの差し金か?」


「それは小官には判断致しかねます。ですが、最近検挙した人間に、連合王国から来たという者が複数いるようです」


 憲兵の男はハキハキと答えてくれる。軍隊らしく、簡潔な言い回しだ。


 連合王国……ね。まだ、面と向かって喧嘩を売ってきてはいないが、水面下では色々やってるからな、あそこはさ……。


 トムリア・ゾロア連合王国という列強の一角が、帝国に対して敵対的な意思を持っていることをキミヒコは知っていた。この列強は、帝国軍内部にスパイを送り、情報を第三国に流していた。

 そのスパイを、キミヒコは故あって始末したことがあるのだが、それについての報告をあげていない。参謀本部にも、知り合いの将校にもだ。


 こうして帝都にいれば、名誉大佐の称号を使いその立場に沿うように振る舞う。だが、キミヒコはこの軍事国家に帰属意識を抱いてはいなかった。


 しかし、この革命思想の件には、興味もあった。


「……詳しく聞きたいが、この件はどこの管轄になっている? 軍か? それとも内務省?」


「詳しいことは、憲兵司令部にお問い合わせください。本件につきましては、内務省から軍の方へと管轄が移っています」


「ほぉ……内務省の手に負えないか。聞いておいてなんだが、私の耳に入れて問題のない話なのか?」


「大佐殿でしたら何も問題はありません。士官であれば開示されるはずです」


 憲兵の言葉に、キミヒコは「ふむ」と相槌を打つ。


 革命思想……レーニンの実証実験、か。しかし、連合王国との組み合わせは、奇妙だな……。


 件の革命思想とやらに、キミヒコは心当たりがある。


 現在、このアマルテアの地のどこかで進行中の社会実験の一つ、レーニンの実証実験。この巨大プロジェクトは、言語教会の主導の下、進められているらしい。

 レーニンの名を冠するこの実験は、その名のとおり、共産主義的な思想に基づき既存の権力構造を破壊するものだ。まさしく革命である。


 そんな危険思想を、帝国への嫌がらせとして、連合王国が送りつけているというのはいかにもありそうな話ではある。しかし、奇妙に思える点もあった。

 連合王国は列強の中でもかなり保守的で、封建主義が色濃く残っている。革命などという極左思想との相性は最悪な国家だ。

 それゆえ、キミヒコは連合王国の名前が出たことに心中で訝しんでいるものの、それを表に出すことはない。


 その後は憲兵たちと適当な会話をこなし、本を返してもらって、円滑に別れた。


「わざわざ、下っ端の憲兵から情報を収集する必要がありますか?」


 憲兵たちを見送って、彼らの姿が見えなくなってからホワイトが言った。


 ホワイトが言うことも、キミヒコにはわかる。この後、とある知り合いとの会食の予定がある。その人物は将官であり、軍の上層に位置する人物だった。

 当然、機密やら何やらは彼の方が詳しい。


「現場の生の声ってのも、貴重なもんなのさ」


 キミヒコはそう言って、人形の頭を撫でてやる。

 それを受け、人形の糸が蠢き、明滅する。


「今の二人組。お前への警戒はどうだった?」


「途中から、私の糸に気が付いたらしいです。心拍数が急上昇して、発汗もありました」


「俺の身分を明かしたからじゃねーの?」


「いえ。それから少しして、です」


「なるほど。俺に勘繰られない程度には、虚勢を張るのが上手いらしいな」


 感心したように、キミヒコが言う。


 あの二人組は、キミヒコが大佐であることを知った際には動揺が見てとれたが、その後は平静そのものに見えた。


 ホワイトは危険すぎるほどに危険な人形だ。魔力を扱える正規兵やハンターは、この人形を見ただけで、青い顔をするのが普通だった。悪魔の人形だなんだと、恐怖されている。

 そんなこの人形の危険性を察知しても、それを悟られないようにするくらいの根性が、あの憲兵たちにはあった。


「しかし、後方勤務とはいえ、お前を一目見てやばいとはならないか。魔力感知能力がそれなりの兵は、前線に出払ってるんだろう」


「確かに……あの軍人たち、戦士としてはお粗末でしたね」


「帝国の内情を見に来たが……余裕はなくなってきたらしい。ここも、いよいよ戦時下だな」


「何をいまさら。とっくの昔に戦時下でしょうに」


 呆れた声を出すホワイトに、キミヒコは苦笑した。


 シュバーデン帝国は、列強二国を相手に戦争を継続しながらも、どこか余裕があった。この国の軍事力は、アマルテアの中で抜きん出ている。

 しかし、戦争が長引くにつれ、その余裕も失われつつある。それを、この帝都で、キミヒコは感じとっていた。


「それで、帝都の内情を見て、結局どうされるんです? また傭兵仕事ですか?」


「絶対やらねー。もう戦争はごめんだ」


「戦争は嫌だと言ったところで、もうあちこちに飛び火してますが」


 ホワイトの発言のとおり、今、帝国がやっている戦争はあちこちに飛び火している。


 敵対する二つの列強のうちの片割れ、カイラリィを降した帝国だったが、残る一方、ゴトランタ共和国を倒す前に、新たなる列強が参戦した。ゴトランタの外交戦略によるものだ。帝国も第三国の自陣への引き入れのため、カイラリィの利権を餌に、他の列強を引き込んだりもしている。

 こうして、この大戦争に列強各国が介入した結果、現在、アマルテアに存在する国家群は、二つの陣営に分断されつつあった。連合王国のように、表向きは日和見を決め込んでいる国家も、水面下では策謀を巡らしている。


 戦域は広がり続け、戦場では毒ガスだの航空爆弾だのの新兵器が飛び交い、アマルテアの地はもはや地獄の様相を呈しつつある。


「全土に戦火が広がるのも、時間の問題では?」


「ふっ、まさにそれよ。ここに来た理由はよ」


「はぁ……。いったい、どうされるので?」


 人形の疑問に、キミヒコはニヤリと笑みを浮かべた。

長らくお待たせしました、新章です。

不定期更新となります。最低週一回は投稿の予定。

よろしければお付き合いください。

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― 新着の感想 ―
遂に新章突入! 舞台は再び帝国へ? 今章も楽しく読ませていただきます
連載再開待ってました 退廃的な世界が素晴らしいです
べ、別に更新なんて待ってたわけじゃないんだから! か、勘違いしないでよねっ!
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