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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.5 天使たちのノスタルジア
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#29 カリストの地、その頂の座

 窓という窓に暗幕がかけられた、暗い部屋。

 広々としたその部屋には七つの祭壇が円形に配置され、それらの上には燭台が置かれている。


 そしてその七つの燭台の中央に、キミヒコはいた。正装を身に纏い、腕を後ろに組んで、直立している。傍らにはホワイトが寄り添うように佇んでいた。


「――そういうわけでして、皆様方におかれましては、ぜひ、この魔人について、ご一考いただければと……」


 恭しく、キミヒコが言う。


 キミヒコが言葉をかけた先。正面にあるやたらと豪奢な燭台は、沈黙している。代わりに、別の燭台の火が揺らめいた。


『貴公の献身とその働きには、目を見張るものがある。しかし、な。魔人を匿えとは……冗談を言う』


 燭台の火が揺らめくと同時に、しわがれた老人の声が発せられる。

 ここでない、遠くの地。カリストにあるゲドラフ市からの声だ。声の主は、言語教会の大司教である。


『然り。我らは獅子身中の虫を駆除したばかり。ようやく綺麗な身の上になったところで、そんな毒を飲めとはな』


 今度は別の燭台の火が揺らめいて、そんなことを言う。今度の声は老婆の声。この声の主もまた、大司教の位階を持つ、上位の聖職者だ。


 キミヒコの周囲にある燭台は、ゲドラフ市にいるらしいこの会合の出席者に繋がっている。いずれの人間も、大司教以上の位階を持つ大物である。


「確かに、毒は毒です。が、その毒も、適切に用いれば薬となりましょう」


 そんな大物たちを前にして、少しも臆した様子を見せずにキミヒコはそう言ってみせる。


『適切に使えれば、な。だが報告どおりならば、その毒、貴公も持て余したようだが?』


『それに、現在は沈静化していたとして、暴走の可能性はゼロではなかろう。匕首(あいくち)として呑むには危険が過ぎる』


 燭台の火が揺れると同時に、老人たちの声が響く。いずれも、否定的な言葉だった。


 例の魔人。アミアの話が出るまでは、キミヒコのことを散々に褒めちぎっていた大司教たちだが、その功績を以てしても魔人を匿うのは否定的らしい。戦力としては申し分ないのだから有効活用すればいいと言っても、難色を示している。


 嫌味な老人どもめ。美味い汁を吸わせてやったんだから、これくらい大目に見ろよ……!


 表面上は涼しい顔のキミヒコだが、胸の内はこんなものだ。


 今回の件、キミヒコとしては自分の仕事ぶりは上々だと自負していた。

 アーティファクトの回収をそつなくこなしたうえ、天使学派がこの事件を引き起こした証拠は全部押さえて教会に引き渡したのだ。

 そのおかげで、天使学派という教会の分派がやった悪事は完全に隠蔽することができた。今回の事件で言語教会が一番気を揉んでいた点は、あっさりと片付いたわけだ。

 そのうえ、素早い状況把握のおかげで他の勢力を出し抜いて、最高の初動を決めることもできた。現在、リシテア市は復興のため周辺の国家やら都市から資金を集めているのだが、それを主導する復興委員会は、そのほとんどが教会の息のかかった面子で固められている。

 リシテア市が復興するのにどれほどの年月がかかるかは定かではない。だが、復興した暁にはさぞ立派な教会都市と化していることだろう。


 そうした次第で、キミヒコの働きぶりを絶賛していた教会のお偉方だったが、それでも魔人という爆弾は抱えたくないらしい。

 今の時期は特にそうだろう。キミヒコもそれは承知している。


『貴公も知っていよう? 枢機卿団の招集がかかっている。継承の時は近い』


 大司教の一人が、案の定なことを言い始めた。


 継承の時。それは、現教皇が死ぬ時。そして、言語教会の教皇職は終身制である。要するに、新たな教皇の選出時期が迫っているのだ。さらに面倒なことは、現職の教皇は後任を指名することはできない。

 そうなれば当然のごとく発生するのが、後釜狙いの権力闘争である。


 現在、この集会に出席している面々は、一人の枢機卿を次期教皇にしようとしている。

 魔人の隠匿は、この派閥の足枷になりかねない。スキャンダルが敵対派閥に暴かれれば、教皇への道筋は閉ざされるだろう。


 ……やっぱ駄目か? それならそれで、仕方ない。見逃すくらいはしてやれるが、俺にできるのはそれくらいかな……。


 キミヒコがアミアについて半ば諦めかけていたとき、この場で最も豪奢な燭台、キミヒコの真正面にあるそれの火が揺れた。


『良いでしょう。その魔人、私の責任の下で保護しましょう』


 舌足らずな、幼い少女の声。

 その声がした途端に、周囲はピタリと静まり返った。


 部屋は静寂に包まれているが、先ほどまで文句を垂れていた大司教たちの動揺が、キミヒコにも伝わってくる。今し方の声を発した燭台以外の、六つの燭台の火が不安げに揺れていた。

 そして動揺しているのは、大司教たちだけでなく、キミヒコもだった。


 ……え、マジ? エーハイム枢機卿、本気なのか……?


 先の声の主は、エーハイムという女性のものだ。幼い声に反して、その身分は枢機卿。大司教の上で、これより上の位階は教皇だけだ。

 彼女は次期教皇の有力候補の一人で、この派閥の長でもある。そして、空間に干渉する魔術が使える。


 今のこの集会も、彼女の空間魔術により執り行われている。テレポートなどが使えるわけではないようだが、それでも、カリストとアマルテアとの距離間で、少しのタイムラグもなく通信ができるのは、並大抵のことではない。


「……エーハイム枢機卿。宜しいのですか?」


『構いません。メドーザ市で匿おうと思います』


 エーハイムが本気なのか、聞き返すキミヒコに彼女はそう返した。


『あの都市には、キミヒコさんのおかげで、教会騎士もいます。滅多なことにはならないはず』


 燭台から、続けて言葉が紡がれる。


 メドーザ市はアマルテア最西端にある都市だ。以前にここで、キミヒコはドラゴン狩りの仕事をやったことがある。そして、その仕事で入手した魔核晶を教会に献上した。エーハイムの言う教会騎士は、この魔核晶により叙任された騎士である。

 アミアは超危険な魔人ではあるが、騎士が監視についているのならある程度の安全は担保される。

 それに、あの都市はこの派閥の支配下にあるといってもいい。色々と融通の利く、都合のいい場所といえた。


 どうやらエーハイムは、本気で魔人を匿う気でいるらしい。


『……私は一度、過ちを犯しました。気狂いの魔女に、大司教の免状を与えてしまった。私の不得の致すところです』


 エーハイムが、この場にそぐわぬ幼子の声で、言葉を続ける。

 その独白は、彼女の過去への悔恨だ。


 エーハイムはその昔、ある父娘に、大司教の免状を与えたことがある。その親子は二代に渡り、大司教としてメドーザ市で教区長をやった。

 彼女の言う魔女とは、その娘の方のことである。それを、キミヒコは知っていた。


『ですが、その過ちも、こうしてキミヒコさんとの縁に繋がったのであれば、必要なことだったのでしょう。その魔人もまた、そうした縁になるやもしれません』


 エーハイムの言う縁。それはキミヒコへの枷とも受け取れる。

 悪い言い方をすれば、アミアを人質に、キミヒコを動かそうということだ。

 鬱陶しいことこの上ない話なのだが、それについて考えるよりも、キミヒコには思うことがあった。


 気狂いの魔女……か。眼球収集が趣味のサイコパスだからな。そう言われてもしょうがないよな、あいつ……。


 雪降るあの街での記憶が、キミヒコの脳裏によぎる。

 枢機卿から魔女と呼ばれた女性と、ピアノの先生をやったり、冬空の下で天体観測をしたり。

 キミヒコは彼女のことが嫌いではなかった。もしかしたら、好きになれたかもしれなかった。


 だが結局、彼女は死んだ。全ては思い出の中だ。


『と、いうわけで、魔人のことは任せてください。私としては、キミヒコさんとは今後とも良いお付き合いをさせていただければと思います』


 エーハイムの言葉に、キミヒコは過去から現実へと引き戻された。


 相変わらず、大司教たちは沈黙を守っている。派閥の長であるエーハイム枢機卿が決定したのなら、彼らが異を唱えることはないだろう。

 そんな度胸は、大司教たちにはない。エーハイムという女の恐ろしさは、キミヒコも知っている。


「……願ってもないことです。枢機卿とはこれからも、ぜひ、懇意にさせていただければ幸いです」


『ふふ……では、今後ともよろしくですね。……どうでしょう。キミヒコさんも、一度はゲドラフ市にいらしては? 歓待しますよ」


「高い所は苦手なもので。山登りはご容赦ください」


 そう言って、エーハイムの誘いをかわす。


 この枢機卿の現在いるゲドラフ市は、カリストの地にある。アマルテアからカリストに渡るには、間に連なる大山脈を抜けなければならない。

 大山脈の最高峰は標高一万メートルを超える。ヒマラヤをも超える高さだ。

 登頂する必要はないにせよ、それでもこの山脈を越えるのはとてつもない労苦である。おまけに凶暴なドラゴンが多数生息する超危険地帯だ。


 キミヒコとしては、そんな危険な旅は絶対に御免被りたいところだった。


「まあ、私のことは置いておくとしてですね。件の魔人、アミアについてですが――」


 そう言って、キミヒコは話を切り替えた。

 エーハイムがアミアの保護に乗り気らしいので、ここで色々と要求を通す腹づもりだ。


 アミアが生きるうえで必要になる、金、居場所、安全。このうち安全は、今この場で保障された。だが安全が保障されても、牢屋に繋がれての軟禁生活では意味がない。

 彼女がメドーザ市で仕事をして、普通の人間のように生きていけるようにするためのあれこれを相談しようということだ。


 エーハイム以外の出席者たちは皆、アミアにある程度の自由を与えることに難色を示していたが、結局、キミヒコの要望は概ね通った。

 エーハイムがゴリ押ししたからだ。


 あまりの厚遇ぶりに、キミヒコは逆に、恐怖を覚えた。


 この枢機卿は、善人ではない。情に厚い人物でもない。幼児の姿をしているらしいが、外見どおりなわけもない。

 この場にいる誰もが、それを知っている。


 過去にこの枢機卿と面会した人物から、キミヒコは話を聞いたことがある。それによれば、エーハイムは、その当時、十年以上前も幼児の姿だったらしい。そこからさらに又聞きにはなるが、半世紀前も同じ姿だったとも聞く。

 年齢不詳といえば、最近知己となったナッテリーもそうだが、こちらはエーハイムに比べればまだ理解できる範疇だ。

 魔人であるアミアは化け物で間違いないが、この女も大差ないとキミヒコは思っていた。

 そしてそんな人物に、必要以上に近づきたくない。そうも思っていた。


「……私が言うのもなんですが、こんなに色々と許可をしていただいてよろしいので? 件の魔人の親族に借りがあるので、こうして枢機卿にお頼みしてはいますが……」


 たまらず、キミヒコはそんな言葉を口に出す。

 だがエーハイムは「いえいえ、いいんですよ」などと上品に笑いながら返すだけだ。


 タダより高いものはない。そう信じるキミヒコからすると、彼女の態度はただただ不気味だった。


『そう心配なさらないでください。我々がするのは、黙認だけ。結局、満足な人生を歩むかどうかは……ええと、アミアさんでしたっけ? 彼女が自分でどうにかすることです』


「まあ、それは、そうでしょうが……」


 エーハイムの言うとおりで、教会がするのはメドーザ市において、アミアを普通の人間として自由にさせることだけだ。生活の援助などは一切しないし、万が一、魔人として暴れたなら容赦無く始末する。

 それでも破格の対応なのだが、キミヒコはもう深く考えるのをやめた。


 あー……もう別にいいか。この妖怪女が何考えてるか知らんけど、アミアを出汁にして図々しいこと言ってきても、俺は突っぱねるだけだし……。


 実際、交渉結果は上々で、あとは銀行やら何やらにキミヒコが口利きしてやれば、アミアは喫茶店でもなんでもできるはずだ。

 そうと決まれば、こんな魑魅魍魎の巣窟にもはや用はない。キミヒコはさっさと話を切り上げるべく口を開いた。


「えー、それでは、私の方からは以上になりますので、これにて失礼させていただければと……」


『おや、まだ会議は続きますよ。これから、リシテア市復興委員会の人事の話もあります。どうです? キミヒコさんも一枚噛みませんか?』


 用件を終えてさっさと帰ろうとするキミヒコを、利権の話をチラつかせてエーハイムは引き留める。


 リシテア市復興における利権は、キミヒコにとっても魅力的ではある。それなりの要職に就けば、各方面からじゃぶじゃぶ賄賂が入るだろう。

 だがこれ以上言語教会に依存するのは、キミヒコとしては避けたかった。


「いえ、もう十分に良くして頂きましたから……。お気持ちだけ頂いておきます」


『ふむ……まあ、無理にとは言いませんが』


「どうか私にはお構いなく。皆様、リシテア市のこととか、市長のこととかで、忙しいでしょう?」


 早くこの場を後にしたくて、キミヒコはそう言った。


 市長のこととは、一族郎党を引き連れ逃げ出した、リシテア市の市長のことだ。現在、キミヒコがいるこの都市に滞在している。

 どうも彼は、リシテア市の復興に一枚噛みたいらしく、言語教会に色々働きかけているらしい。


『市長? リシテア市の元市長ですか。彼はもうこの都市にはいません。この世にもね』


 エーハイムの言葉に、キミヒコは息を呑む。


 ま、まさか、もう消したのか? 奴が天使学派とズブズブだって話は、今したところだぞ。市長の悪行の有無は関係なく、邪魔だからすでに殺ってたってことか……。


 リシテア市行政が、市長を初めとして、天使学派と癒着していた報告は、アミアの話の前、つい先程したばかり。

 その報告が上がる前から、邪魔者はあっさりと始末されていたようだ。


「……早いですね。結構なお手前で……」


『彼だけではない。彼の妻、子供、親、兄弟。皆、もういません』


 なんてことないかのように、エーハイムが言葉を紡ぐ。


 族滅である。市長の子供などはまだ幼かったはずだが、この女に情け容赦というものは存在しない。


「……なるほど。リシテア市の未来は安泰ですな」


 キミヒコはそれだけ言うに留めた。

 その言葉を受けて、エーハイムは笑った。心底可笑しそうに。


「では、お先に失礼させて頂きます」


『おっと、そうでしたね。ではキミヒコさん、どうぞ息災で。またお話しできる日を、楽しみにしています』


 エーハイムの名残惜しそうなその言葉と共に、部屋の燭台の火が全て消えた。部屋に、暗闇が満ちる。


 少しして、カーテンが開けられる音がした。部屋に光が差し、明るくなる。窓際に待機していた聖職者たちが、暗幕を開けたようだ。

 歳若い聖職者の女性が、キミヒコの下へと歩いてくる。


「お疲れ様でした、キミヒコさん。どうぞ、お水です」


「ありがとう。頂くよ」


 キミヒコは彼女の気遣いに礼を言って、トレーに乗っていたコップを受け取った。


 水を持ってきてくれた女性は、尊敬の眼差しをキミヒコに向けている。

 このアマルテアの地には、大司教すら数えるほどしか存在しない。枢機卿ともなれば、平の聖職者からすれば天上人といって差し支えない存在だ。

 そんな枢機卿と直接言葉を交わしたキミヒコに、畏敬の念を抱いているらしい。


 憧れの枢機卿様か……。生臭い利権の話とか、薄汚れた殺しの話とか、碌でもないことしか喋ってないんだけどな。ま、下々の連中には知るよしもないか……。


 コップの水に口をつけながら、心中でそうこぼす。


 先程までキミヒコがお偉方と会話していた場所は、エーハイムの空間魔術により、半ば亜空間と化していた。おかげで、外側に待機していた教会のスタッフには、どんな会話がされていたのか聞こえていない。


「水、ありがとう。冷えていて美味しかったよ」


 そう言って、キミヒコは空になったコップを差し出した。

 キミヒコが思っていた以上に、喉は乾いていたらしい。コップの水はすぐになくなっていた。

 飲み終えたコップを受け取ると、聖職者の女性は深々とお辞儀をして、この部屋の儀式の後片付けに戻っていく。


 その背を見送る主人に、人形が口を開いた。


「……貴方、お疲れのようですね」


「ああ、そうだな。だいぶ疲れたよ。帰ったら膝枕してくれ」


「いいですけど、私の膝は硬いですよ」


 ホワイトの言葉に、キミヒコはフッと笑う。そして、「それでもいいさ」と返事をしてから、その人形の頭を優しく撫でた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  人造天使アミアちゃん健在!  良かったというか意外だったというか。  死んじゃうのかと思ってました。  ついでにシモンさん&コロちゃんも健在!(ついでに?) [気になる点]  ネオも健…
[一言] 結局いちゃこらしてるよこのダメカップル! しかし何ですね、どうやら今章はハッピーエンドで終わりそうですね。 エーハイムとかいう化け物が出てきましたが。 …アデラインがもう少しまともならなぁ。…
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