#23 魂の所在は?
小さな部屋に、小さなカゴがいくつも並べられている。中にはネズミが一匹ずつ入り、元気に餌を食べていた。
蝋燭の灯りで朧げに映るその様子を、キミヒコが頬杖をつきながら眺めている。
「おいホワイト。どうだ?」
「A群は全ての個体で体内の蟲が増殖中。B群とC群は健常。この二つの集団に有意な差は見られません」
「A群は何匹生き残ってたっけ?」
「十匹中、三匹は変異の兆候があったので殺処分しましたね」
ホワイトの言葉に、キミヒコは大きく息を吐いた。
A群は羽根蟲を植え付けた集団。
B群も羽根蟲を植え付けた集団だが、こちらは普通の羽根蟲ではない。アミアの体内から採取した羽根蟲だ。
最後のC群はプラセボ。なんの処置も施していないネズミの集団である。
急遽行なった実験のため、用意できた検体は多くないし十分な検証時間もない。だが、とりあえずこの結果を信じるならば、アミアの体内の羽根蟲には寄生能力がないことになる。
油断はできんが、一つ、懸念が片付いたか。しかし、どういうことだ? アミアの羽根蟲は、見た目からして明らかに他と違ってたが……。
アミアの状態について、さまざまな考えを巡らす。
本人から話を聞いたところ、アミアが羽根蟲を入れられたのは、天使学派のどこかの研究施設だ。
そこで入れられた羽根蟲が特殊なものだったのか。あるいは、アミア自身が特殊な体質で、羽根蟲を制御下に置いているのか。
とにかく彼女の羽根蟲は特異なものだった。
普通の羽根蟲と比べ、寄生能力はないし、より羽根のような見た目になっていてフワフワしている。血液の代わりに体内を巡っているらしく、アミアの生命活動はこれにより維持されているらしい。おまけに異常な再生能力もあり、宿主が怪我をしても、羽根蟲たちが即座に治癒を施す。
そして、条件は不明ではあるが、宿主を変身させることもある。宿主の瞳と髪の色が金色になり、その背からは翼が生えて、化け物じみた膂力を発揮する。
「もう完全に人外だよな、あいつ……。いや、最初からそうだったんだろうな」
アミアの現状について、キミヒコが独りごちる。
彼女は天使学派の実験棟の出身だ。産まれた時から人外だったのだろうと、キミヒコは思う。
アミアは今まで人間とほぼ変わらない状態だったが、今回、妙な処置を施されて覚醒した。
天使学派の目的は相変わらず不明だ。
アミアは魔人として驚異的な能力を身につけたが、天使学派への憎悪も凄まじい。手駒としては到底扱えないだろう。
羽根蟲にしてもそうだが、なんのために造り出したのか、依然として不明のままだ。
考えを巡らすキミヒコだったが、ふと、ホワイトがこちらを見ているのに気が付く。こういうのはたいてい、何か言いたいことがある時だ。
「どうした?」
「このネズミはどうします?」
「もう用済みだ。処分しろ。特に、中にいる羽根蟲は念入りにな」
「では、ネズミはそのように。それと、あの女の処分はどうします?」
ホワイトが言う。
あの女、とは当然、アミアのことだ。この人形からすれば、彼女はネズミと同列に語られる存在のようだ。
「今はまだいい。まだ……」
「本当にいいんですか? 慎重派を気取るのも結構ですが、いつもいつも後手に回ってますよね」
「逆に聞くけど、お前、本当にやばければ勝手に始末するだろ。お前から見て、アミアはどうなんだよ?」
そう言ってキミヒコは話を逸らした。
ホワイトはそれを察していたかもしれないが、それでも主人の疑問に淡々と答える。
「こちらに対する敵意や殺意は感じられません。今のところ、変異の兆候もありませんね」
「あいつ、翼が生えたりしてたけど、口裂け天使の変異とはまた違うんだよな」
「貴方が言う変異は、中の寄生虫が主導のものでしょう? あの女の場合、あの女が主体になって中の蟲を使って変身しています。この二つは全然別物です」
羽根蟲か宿主か、どちらが上位の存在として身体を主導するかで、話は全然変わってくる。ホワイトはそう言っている。
確かに宿主側、人間の方が肉体を制御しているのなら、意味もなくこちらを襲ってくることはないだろう。
だが、アミアの精神状態は正常であるとは言い難い。
まず、記憶が怪しい。
アミアの両親について、最初にキミヒコが尋ねた時、彼女はその末路について知らないと答えた。だが、後になってもう一度確認すれば、火事で死んでいたので自分が死体をミンチに変えたと証言している。
嘘を言っていたような雰囲気はなかった。ただ、彼女の話は整合性が取れないことがままある。
さらには、その気性についても難ありだ。
落ち着いている時はなんでもないのだが、情緒不安定で唐突にキレることがある。そうなれば大惨事だ。彼女が泣き喚きながら副市長を撲殺したのは、キミヒコの記憶に新しい。
あの暴力が、こちらに向けられない保証はない。
「貴方、来ましたよ」
物思いにふけるキミヒコに、ホワイトが言う。
「……誰?」
「あの女です」
アミアがここに向かっているらしい。
ここは、彼女の喫茶店の倉庫だ。今は簡易的な動物実験のため使用している。彼女もそれは承知しているはずだが、なんの用だろうか。
そう考えているうちに、入り口のドアからノック音が聞こえる。ずいぶんと控えめな音だ。
「どうぞ」
「失礼するね……」
慎重に、ゆっくりと扉が開けられ、アミアが顔を出した。
その手のトレーには、サンドイッチと湯気が立ち昇るティーカップが乗っている。
「あの、夜食でもどうかなって。こんな夜中までお仕事で、疲れてるでしょ?」
夜食の差し入れに来たと、彼女は言う。今のリシテア市はずっと夜のためわかりにくいが、今は深夜の時間帯だ。
キミヒコはアミアの言葉に反応することはなく、無言でホワイトに目配せをする。
『異常は検知できません。こちらに害意はないようです。持ってきた食事も、その内容物に問題はありません』
ホワイトが糸電話で、現在のアミアの状態を伝えてくれる。
差し当たり、問題はなさそうである。そうキミヒコが判断しようとしたところで、人形が補足を加えてきた。
『ただ、体内の魔石は、変わらず膨張を続けています』
ホワイトの言うことは、キミヒコも認知している懸念事項の一つだった。
魔獣の体内にある魔石の大きさは、その魔獣の強さにおおむね比例する。大きい魔石の魔獣はそれだけ強いと考えてもいい。
アミアは、その体内に蠢く羽根蟲たちの持つ魔石とは別に、彼女自身の魔石が心臓の辺りにある。そしてそれは、膨張を続けていた。
日を追うごとに力を増していると、そういうことだ。
魔石が大きくなり続けるとどうなるか。魔石は一定の大きさ以上になると形状崩壊を起こし、今度は逆に小さくなる。この小さく萎んだ魔石を、魔核晶と呼ぶ。
魔核晶は騎士武装を作成する際に必要となり、戦略物資として国家の管理下に置かれるほど強い力を秘めた物質である。
今はまだ、アミアを殺そうと思えば、シモンでもネオでもそれが可能だ。だが、彼女が魔核晶を内蔵するレベルの魔人となれば、そうはいかない。
仮にそうなったとしてもホワイトであれば難なく始末はできるだろうが、それでも懸念事項であることには変わらない。
「ごめん。忙しかったかな……」
なかなか反応を見せないキミヒコに、アミアはしおらしくそんなことを言う。
「……いや、ちょうど一段落したところ。夜食、いただくよ。ただし、店のテーブルでな。ここはネズミ臭くてかなわん」
キミヒコの言葉に、アミアは顔をパアッと明るくする。「じゃあ、準備してるね」と弾んだ声で返事をして出ていった。
それを見送ってから、キミヒコは人形に向き直った。
「食事を摂ってくる。ネズミどもは処分しておいてくれ」
「一人で大丈夫ですか?」
「……お前の片腕を借りてくよ」
キミヒコがそう言うと、ホワイトは「はいはい」と言って自身の左腕を肘先から外す。分離した腕はキミヒコに飛びつくと、モゾモゾと服の中へと入り込んでいった。
もし、何かがあったとしても。このホワイトの腕一本で、本体が来るまでの時間稼ぎは十分だろう。
そのままキミヒコは席を立ち、ホワイトにひらひらと手を振ってから、部屋を出た。
赤い月明かりに照らされた廊下を歩き、店内に入っていく。
この喫茶店に通っていた際、キミヒコがいつも座るテーブル席。そこで、アミアが座って待っていた。
「あ、待ってたよ。こっちこっち」
ニコニコとしながら、アミアが言う。
テーブルを指でトントンと叩いて、着席を促している。相席をしたいらしい。
キミヒコは苦笑しながらも、彼女の要望どおりに席についた。
腰を落ち着けてから、アミアと談笑しながらキミヒコは夜食をとった。
「コーヒー党だったんだけど、案外、ハーブティーも悪くないな」
「ふふ……よかった。このハーブティーはね、リラックス効果があって、安眠効果もあって、それでね――」
和やかな会話をしながら、キミヒコは食事を楽しむ。
この都市の現状では、まともな食料は望めない。だが、そこは創意工夫でアミアはどうにかしたらしい。
ハーブティーもそうだが、サンドイッチにもハーブがふんだんに使われていて、久々にまともで美味しい食事を摂ることができた。
服の下で、人形の腕がモゾモゾと這い回るのを感じながらキミヒコは心が落ち着くのを感じた。
「ところでなんだけどさ」
リラックスしているキミヒコに、アミアが唐突に尋ねてくる。
「うん。どうした?」
「ホワイトちゃんの腕、どうしてそんなところにあるのかな?」
先程までの和やかな雰囲気から一転。緊迫した空気を纏い、その瞳を金色に染めて、アミアが聞いてくる。
なんでと言われれば、それはアミアが暴走した時に対抗するためだ。要するに彼女を信用していないということなのだが、そんなことを正直に答えられるわけがない。
「ねえ、なんで? なんでなんでナンデなんで?」
アミアの瞳は爛々と輝き、その髪も金色になりつつある。
さてなんと言い訳をしたものか。キミヒコは数秒考えてから口を開いた。
「あーこれね。ホワイトって、俺のこと大好きすぎるからさあ。今は仕事の後片付けを任せてるけど、食事とかプライベートな時間はなるべく一緒にいたいみたいな、わがままな部分もあるわけ」
口から出まかせを言うキミヒコを、アミアはじっと見つめている。
どうやらまだ納得していないらしい。
内心で冷や汗を流しながら、それをおくびにも出さずにキミヒコは続けた。
「あとアミアが美人だから、俺が取られるかもと思って警戒してるんだよ。うん」
「……あ、え、美人って」
「うん。美人、可愛い、料理もできるしハーブティーを淹れるのも上手だし、言うことなし。結婚するなら、アミアみたいな嫁さんがいいかな」
キミヒコのまるで心のこもっていないセリフに、アミアは両手を頬に当てて恥ずかしがっている。
よほど効いたらしく、瞳どころか髪も完全に金色に変わり、背中からは翼まで生えてバサバサとやっている。
いくらなんでも、チョロすぎだろこいつ。別の意味で不安になってきた……。
魔人としての戦闘形態に変身したアミアを前に、そんなことを思う。
戦闘形態といっても、先程までの不穏な空気は鳴りを潜めたうえ、ホワイトの糸や腕も彼女に敵意がないことを伝えてくれている。
とりあえずの危機は、やり過ごすことができたらしい。
ホッと息をついて、ハーブティーを口にする。だが、先程までと異なり、ハーブティーからは何の味も感じられなかった。




