#22 天使転生
あの日。父が来て、アミアを連れていった日。弟が父を罵倒し、それについて諌めて喧嘩になってしまった日。
アミアが父に連れられてきたのは、避難所ではなかった。天使学派の施設だ。
どんな施設かはわからない。
地下にあって、病院みたいな匂いがする場所だった。
――避難所に行く前に、健康診断をやる。
父に言われて、納得はした。
現在、このリシテア市で猛威を振るっている魔獣は、動物に寄生するらしい。自身の喫茶店を根城にするハンター、キミヒコとシモンからアミアはそう聞いていた。
すでに寄生されているかどうか。確かめるというのは自然なことだろう。
そうして連れてこられたこの施設だったが、そこからのことをアミアはよく覚えていない。
いつの間にか意識が朦朧となり、夢を見ているような、そんな感じだった。
――皮下に注入してから一時間が経過しましたが、適合変化なしです。アレルギー反応もなし。体内動態もプラセボとの有意差はありません。
――S35も駄目か。予備ではそうそう上手くはいかんな。やはり、正規の素体での失敗は痛かったな。
――どうします? 継続しますか? まだこれから適合する可能性もありますが……。
――いや、他にも回収した予備はいる。経過観察はS35の養父にやらせればいい。
朦朧とした意識の中で、そんな会話が頭の中に残った。
S35、素体、養父。前の二つは自分のこと。最後の一つは父のこと。それくらいしか、アミアには理解できない。
しばらくして、意識が明瞭になったときには、アミアはあの礼拝堂にいた。
かつて、ここには何度も連れてこられたことがある。天使学派の集会のためだ。あまり、良い思い出はない。
そんな場所で、アミアは毛布の上で横になっていた。
――せっかく、お役に立てると思って連れてきたのに、失敗だったか。
――仕方ないわね。ネオもそうだけど、あの素晴らしい教えに否定的な子だったし……。
――それでも、儀式のための一助になればと思ったのだが……。ああ、早く審判の時が訪れないものだろうか……。天使様による終末……約束の時……。
隣から父と母の声が聞こえる。アミアの意識が戻ったことに気が付いていないらしい。
いろいろと喋っているが、アミアを心配するような言葉は一つもない。
天使がどうとか、救いがどうとか、そんな話ばかりだ。健康診断とやらで怪しげな処置を施された娘への心配など、まるでなさそうだった。それどころか、役立たずだの失敗作だの、そんな言葉が聞こえてくる始末。
アミアは目を閉じ、何も聞こえない振りをした。
私は何も聞いていない。何もされていない。何も……何も……。
そう信じ込んで現実から目を背け、しばらくして。
――よーし。これでこのリシテア市も少しは浄化されたな!
――狂信者どもめ、ざまあみろだ。
知らない男たちの声が耳に入る。
いつの間にかアミアは眠っていて、そして目覚めたようだ。
覚醒したアミアの目に映る世界は、まるで変わっていた。
礼拝堂が焼けていた。すでに火はほとんど消えているが、まだ煙は屋内に漂っているし、パチパチという火の音も微かに聞こえる。
火事の中、自分は呑気に眠っていたらしい。
アミアがそれに気が付いて、また別の疑問が湧いた。
周囲がそんな状況であるのに、どうして自分は無事なのだろうか。
それについて考えていると、不意に、男の一人と目が合った。先程から聞こえてきた会話から考えて、彼らがここに放火したのだろう。
それに思い至った途端、アミアの中で何かが切れた。
「お前がッ! お前がッ! お前がッ! お前らがッ!!」
いつの間にか、アミアの前は血で染まっていた。
眼前の男たちを、ただひたすら殴って、蹴って、引きちぎって。泣き叫びながら、暴力の限りを尽くす。
放火犯たちは断末魔の悲鳴をあげる暇もなく、全員死んだ。
鏖殺を終えて一息ついていると、手に違和感を覚える。見てみれば、両手の指という指が折れて曲がっていた。ひどいのはちぎれているものもある。
血は出ていない。血の代わりに傷口から漏れているのは、白い羽根だった。
羽根はまるで生きているかのように蠢き、傷口を覆っていく。そうしてしばらくして、フワフワの羽根が手から離れると、折れた指もちぎれた指も、元どおりになっていた。
「ふ、ふふ……どうなってるのよ……。おかしいでしょ、こんなの。……ねえっ! おかしいよ! お父さん、お母さん!!」
アミアが叫ぶ。
どこかにいるはずの父と母を探し、彼女は飛び回った。比喩ではなく、本当に飛んでいる。
背中からバサバサと羽ばたくような音がして、狭い屋内でありながら、アミアの意のままに宙を舞うことができた。
そうして、黒焦げの礼拝堂を探索していて、ついに発見した。
礼拝堂の出入り口の一つ。外からバリケードか何かで封鎖されているらしいそこに、死体がたくさん転がっていた。逃げようとして、煙に巻かれて動けなくなり、焼死したらしい。
その中に、見覚えのある顔が、二つ。アミアの父親と母親だ。
焼死というよりは、煙による窒息死だったのだろう。他の死体に比べ外傷は少なく、顔の判別は容易だった。
そんな両親の変わり果てた姿を見て、アミアの内に湧き上がったのは、悲しみではなく怒りだった。
「死ね死ね死ね死ね! みんな死ね! 全部死ね!!」
すでに事切れた両親を、アミアは踏みつけてぐしゃぐしゃにした。
私のことを心配して助けに来たって言ったのに。勝手に変な実験体にして、勝手に失敗作にされて、それで自分たちだけ逃げようとして……!
失望とも絶望ともつかない感情が、両親の遺体を踏みつけるたびに湧いてくる。そしてそれがまた、怒りの燃料となってアミアを突き動かす。
「私を、私が……よくも、この……! なんで……なんで私なの、なんでなんでなんで!?」
体の内側から込み上げてくる衝動に身を任せ、アミアは暴れ続けた。
殴って殴って殴り続けて。自身の手が砕けても、気にも留めずに拳を振るい続けて。それをしばらく続けて、ふといきなり、アミアは違和感を覚えた。
放火犯と両親を肉片に変えて、それで今は誰を殴っているのだろうか。
あれ……? 今、私がいるのって、お店……? 私の、ハーブティーの喫茶店……。
記憶が混濁して、今の自分が何をやっているのか定かでない。目の前の光景が、過去の体験のフラッシュバックなのか今現在の現実のものなのか、判断がつかない。
アミアの目の前の人間、血まみれになっているこの男は、この都市の副市長だ。天使学派に協力していたらしい。
行政の人間なのに、あんなカルト宗教と結託していた。
「やっぱり死ね! お前なんか、お前なんかッ!!」
◇
「連れて帰って、即これかよ」
「やはり、さっさと殺すべきでは?」
キミヒコとホワイトがそう会話をしながら、見ている先。そこで、金髪で金色の瞳をした女が、背中の翼をバサバサと羽ばたかせながら、中年男性を殴打している。
泣き叫びながら、アミアが拳を何度も何度も振り下ろし、副市長だったものをミンチに変えていた。
「うわぁ……アミアちゃん、やばすぎでしょ。副市長、事態が収束したら私財から謝礼金をくれるって、約束してくれたんだけどなぁ」
「諦めろ。……あーあ。もうメチャクチャだよ、まったく……」
平然とそんなやり取りをするシモンとキミヒコだが、二人は全く油断していない。
キミヒコの隣にはホワイトがピタリと寄り添い、シモンは距離を取って彼の使役魔獣と共に臨戦態勢だ。
「てかさ、今みたいに都市全体が無法地帯ならいいけどさ。ここから脱出してもあの調子じゃ、生きてけないだろ、あれ」
「ギルドのハンターが……いや、騎士が討伐に来るかもな」
「教会もやばいぞ。自分のところの分派がやんちゃして造った人造魔人とか、絶対消しに来るぜ」
キミヒコとシモンが今後のこと、アミアの悲観的な展望を語っていると、ネオがそれに反応してキミヒコの方へと向き直った。
さっきまで、突然の姉の凶行に放心していたのだが、ようやく我に返ったようだ。
「き、教会はキミヒコさんがなんとかしてくれません……? コネがあるんですよね? 姉さんは被害者なわけですし、うまく、こう、陳情してくれたりすれば……」
「いやいやいや、無理言うなよ。知らないかもしれんが、あそこは完全に悪の組織だぜ。被害者だからとか可哀想だとか、そんな考えが通用する連中じゃない」
キミヒコが告げる無情な現実に、ネオは頭を抱えた。
この期に及んで姉のことを諦め切れないらしく、「どうしよう、どうすれば……」という不安の言葉が口から漏れている。
実際、どうすればいいんだろうな。……いや、どうするもこうするもないか。もう、生かしておいてもしょうがない。
一度は後回しにしたものの、再びアミア殺害案の検討に入る。
そんなキミヒコに、意味ありげな視線が注がれていた。シモンがなんとも言えない表情でこちらを見ている。
「なんだよ、シモン」
「んー……お前が何を考えてるか、大体想像つくけどさ。どうするのか、後回しにしてもいいんじゃないか? ここに連れて帰ってくるまで、問題は起こさなかったんだろ」
シモンのその言葉は、キミヒコにとっては結構意外なものだった。
危険分子であるアミアをここに連れてきたのを、シモンはよく思っていないと考えていた。
「……合理性に身を委ねるのも、まあ、いいさ。だが、それだけだとメンタルが持たんだろ。ネオも、お前もな」
「はあ? 俺もかよ」
「キミヒコだって、アミアちゃんに死んでほしくはないだろ。本音ではさ。だからここに連れてきた。……ずいぶん前にも言ったけど、その人形に取り憑かれるなよ。人間は、死ぬまで人間を辞められないんだからさ」
シモンの言葉に、キミヒコはバツが悪そうに「わかってるよ」と言うだけだった。




