#17 姉弟と兄弟
キミヒコたちが拠点にしている喫茶店。
いつものテーブルに腰掛けるキミヒコだったが、その顔は不機嫌そのものだった。対面にはネオが縮こまるようにして座っている。
「で、姉貴に出ていかれたと」
「はい……」
気まずそうなネオの様子に、キミヒコは大きなため息をついた。
今、この喫茶店にアミアはいない。キミヒコたちが留守にしている間に、出ていってしまった。
経緯はこうだ。
キミヒコたちが対策本部へと出かけてから少しして、ここに来客があった。
来たのはネオとアミアの父親である。彼は言った。
――アミア、ネオ。今まですまなかったな。私は親でありながら、お前たちを顧みることがなかった。罪滅ぼしをさせてくれ。
そんなセリフから始まり、彼は二人をどこかに連れ出そうとした。安全な場所で、二人を守ると言うのだ。
殊勝なことを言う父親をしかし、ネオは信用しなかった。
単純に父親に信を置いていないというのもあるが、それ以外の要因もある。
安全な場所に連れ出すと言った父は、手勢を連れていた。安全な場所とやらに向かうための戦力であることはわかる。だが、彼らはハンターや官憲というような類ではなさそうだった。
おそらく、天使学派の手の者だ。
父があのカルト集団と手を切ってはいないと感じたネオは、彼の胸ぐらを掴んで詰問した。
いったい何が目的なのか。自分たちをどこへ連れていこうというのか。
殴りつけてやろうかという勢いで問い詰めていると、それに待ったをかける人物がいた。アミアである。
父親を庇う姿勢を見せたアミアに、ネオはつい頭に血が上り、そのまま姉とも口論になる。
結果、喧嘩別れのような形で、アミアは父親と一緒に出ていってしまった。
「あのさぁ……。天使学派にこれから喧嘩売るって、俺言ったよね? 親が来たからって、そこに連れていかれるとか……」
「いや、僕は止めましたよ。でも姉さんが……」
煮え切らない様子で、ネオが言う。
ネオとアミアとの間に、両親へのスタンスで溝があるのはキミヒコも知っていた。ネオは両親を憎んでいるが、アミアはそうではない。
「本人の意思か。じゃあそれで、アミアが死んでも文句はないな?」
底冷えするようなキミヒコの言葉に、ネオは答えない。
一時期は姉のことなど忘れて、娼館の用心棒などをしていたというのに、ここ数日で情を思い出したらしい。
「ネオ。お前、自分の姉さんについてどれくらい知ってる?」
「え? なんです急に」
「いいから、言えよ」
唐突にキミヒコに話を振られ、ネオはとつとつと話し始めた。
年齢、誕生日、好きな食べ物、趣味等々。アミアについての事柄を、一つ一つゆっくりと語っていく。
だがその中に、キミヒコが確認したい事柄はなかった。アミアが養子であるという事柄だ。
「それだけか?」
「それだけって。他に、なにかあるんですか? なにを聞きたいんです?」
ネオはキミヒコの質問の意図がわからないようだ。困惑して聞き返してくる。
どうやら、アミアとは実の姉弟でないことを、ネオは知らないらしい。
教えてやるかどうか、キミヒコは一瞬悩んだが、話すことにした。特に隠し立てすることでもない。
「アミアは養子だ。お前と血のつながりはない。それについては?」
「……初耳です。本当なんですか、それ」
「天使学派の養子斡旋事業で、お前の親が引き取ったんだ。実験棟では、『S35』なんて呼ばれていたらしいな。……あ、心配しなくてもお前は実子だぞ」
キミヒコの言葉にネオは呆けている。想定外のことに理解が追いついていないらしい。
「じ、実験棟が、どうしてこの話に出てくるんですか!?」
「どうしてもなにも、養子斡旋事業は実験棟が主導してたらしいし。なんかの研究とか実験の一環なんじゃねーの」
「研究って、いったい……」
「さあ? でも羽根蟲とかを造った奴らだからな。もしかしたらあいつ、人間じゃなかったりして。心当たりとかない?」
キミヒコが聞くが、ネオは力なく首を振るだけだ。
そんなネオを横目に、キミヒコは葉巻を一服するため、懐から一本取り出した。隣に座るホワイトが、マッチで火を着けてくれる。
ま、もうどうでもいいか。アミアの正体がどうあれ、俺たちには関係ないし。デルヘッジを探して、結界を解除してからあのジジイをブチ殺すのが優先だな。
煙をふかしながら、今後の予定について思いを巡らす。
そんなキミヒコに、今まで黙って成り行きを見守っていたシモンが声をかけた。
「で、どーすんの? アミアちゃん、探しにいくのか?」
「どこにいるかもわからんのに、探しになんて行けるかよ。デルヘッジのジジイを血祭りにあげるのが先だ」
キミヒコとしては、アミアのことは優先度は低い。彼女はどこに行ったかもわからないうえ、本人の意思で出ていったのだ。この姉弟についてはそれなりに気をかけてはいるものの、それは余裕があればの話である。
現在の状況で、アミアについてどうこうするような時間があるのなら、デルヘッジやアーティファクトの捜索の方に時間をかけるのが正着だろう。
「おら、ネオ! これからカチコミに出かけるぞ。腑抜けてないで準備しろ」
「あ、ネオ君を連れてくんだ。俺は留守番?」
「ああ、ここは頼む。コロちゃんは目立ちすぎるからな。察知されて逃げられると、全部パーだ」
シモンとそんな会話を交わすキミヒコに、ネオは訝しげな視線を向ける。
「カチコミ……?」
「ああそうだ。デルヘッジの居所を知ってるかもしれない奴だ。生け捕りにして、聞き出す。……なんなら、天使学派の信者どもの避難所……アミアの居場所もわかるかもしれん。気合いを入れろよ」
待ちに待った、憎き天使学派への襲撃。ネオの纏う空気が一瞬にして変質するのが、キミヒコにはわかった。
姉のことでウジウジしてたのに、相変わらず切り替え早いな、こいつ……。
若干、気味悪く思うも、この少年のこの割り切りの良さは今は頼もしい。
この後、どこの誰を襲撃するのか、キミヒコは説明を始めた。
◇
「キミヒコさんって……」
「あん?」
襲撃先に向かって、キミヒコたちがリシテア市の大通りを歩いていると、おずおずとネオが話しかけてきた。
「てっきり、自分は安全な場所で留まって、人形とか他の人に指示を出すだけだと思ってたんですけど」
「合ってるよ、その認識で。だけど現状、一番安全な場所ってのはこいつの隣だからな」
そう言って、キミヒコは隣を歩くホワイトの頭を小突く。人形の頭がカクンと揺れて、白い髪がたなびいた。
「……その、すみませんでした」
「急にどうしたよ」
「姉さんのことです。ずいぶん、気を使ってもらったみたいなのに……」
殊勝なことを言うネオに、キミヒコは笑った。
「はは、ずいぶんしおらしいな。まあ、アミアのやつも、まだ死んだわけじゃない。お互い生きてりゃまた会うこともあるだろう。再会したら仲直りしろよ」
「姉さんは……僕が気にかけても仕方ないですよ。いつも歳上風を吹かせて、あんな状態になっていても、僕を頼ることはなかったです」
ネオはネオで、一応、あの状態の姉との対話を試みたらしい。結果はあの有様ではあるが。
「……姉とか兄とかはな、プライドがあんだよ。だから素直に泣きつけないの。優しくしてやれば、喜ぶはずだよ」
「なんです、それ。キミヒコさんの実体験ですか?」
「あいにく、俺は一人っ子だ」
嘘で誤魔化すものの、ネオの指摘は図星だった。
かつて、ここでない世界で。キミヒコは弟を頼ろうとして、結局できなかった。
苦い記憶が、キミヒコの脳内を巡る。
懲戒解雇で職を失い、失業手当は下りない。役所の福祉課に行けば、父母が裕福なのだからまずそちらを頼れと門前払い。
通院していた病院にも通えない。安定剤がなくなり、精神の平衡が保てなくなる。
にっちもさっちもいかなくなって、追い詰められたあの時。キミヒコはスマートフォンに手を伸ばした。助けを求めるためだ。
電話をかける先について、キミヒコは悩んだ。父か母か、弟か。
結構、電話したのは、仲の良かった弟ではなく、父だった。
――自業自得だ。馬鹿めが。
事情を説明して、言われたのがこの言葉だった。
それを聞いて本当に馬鹿だと思った。こんな男を頼るとは、馬鹿丸出しだ。
父は続けて何か言おうとしていたが、キミヒコはそのまま通話を切った。
それで、その後は――。
「どうしました? すごい怖い顔してますよ」
「……なんでもない。さっさと行くぞ」
それきり黙って、キミヒコは歩いた。ネオもそれ以上追及はしない。
会話が途絶え、静かに歩くキミヒコの隣を、ホワイトが寄り添うようにして付き従っていた。




