#16 新型魔獣災害対策本部
リシテア市ギルド庁舎。現在そこは、新型魔獣災害対策本部が設置され、このリシテア市を救うべく、役人やギルド職員が働いていた。
対策本部が設立した当初は、使命に燃え、職務に邁進していた彼らだったが、今はどうにも陰鬱な空気が立ち込めている。
このリシテア市に口裂け天使が湧き出してから、もう何日も経過している。だというのに事態は解決しないどころか、その糸口も見えていない。
この絶望的な状況に、職員たちの精神は徐々に蝕まれつつあった。
そんな暗い空気に包まれたこの庁舎内にあって、あまり悲壮な雰囲気を感じさせないような人間もいる。
応接室にいる二人の人間、キミヒコとナッテリーはそうだった。
「よく来てくれたね、大佐。歓迎するよ。本来なら盛大にもてなすところなのだが……あいにく、茶すら満足に用意できない。申し訳ないね」
「お構いなく。……懐事情が苦しいのは、どこも同じでしょう」
社交辞令を交わしながら、キミヒコは眼前の女性を観察する。
あまり女性的とは言えない起伏に乏しい身体。腰まである黒髪はよく手入れされているものの、どこか陰鬱な印象を受ける。そして明らかに血色の悪い、青白い肌。
ナッテリーという女は、とにかく不健康な見た目をしていた。
だが、キミヒコが魔眼をとおして見たところ、彼女の魔力に澱みはない。戦いをする人間の魔力性質ではなく、一般人に近い。彼女の魔力の流れは静かで平常そのものだ。現在の状況に、いささかも不安を感じておらず、普段どおりのコンディション。そういうふうに、キミヒコには見えた。
とはいえ、本当に具合が悪い可能性もある。キミヒコは一応の社交辞令をすることにした。
「どうも、お疲れのようですね」
「そう見えるかい? 心配無用だよ。私はいつでもこの顔色なんだ。困ったことにね」
ナッテリーの顔色の悪さについてキミヒコは気遣いをしてみせたが、彼女は気にした様子もない。本当にこれで平常通りなのかもしれない。
「……連盟機構の事務局長と伺っていますが……ずいぶんと、お若いですね」
キミヒコのその言葉どおり、ナッテリーはずいぶんと若く見えた。年齢不詳とは聞いていたが、本当に何歳なのかわからない。二十代でも全然通じる外見だ。
「おいおい、それを君が言うかね? 私よりずいぶん歳下のはずだが、それで大佐だろうに」
「大佐といっても、名誉大佐ですよ。実権は何もない」
「十分すぎるさ。我らが帝国で、連盟機構の事務局長と軍の名誉大佐では、格付けに大きな差がある。明確に君の方が上だ」
「私は生粋の帝国臣民ではないので、その辺の感性は理解しかねます」
持ち上げられて悪い気はしないものの、どう考えてもナッテリーの方が立場は上だろうとキミヒコは考えていた。
大佐などと言われているが、キミヒコのそれはただの称号に過ぎない。対してナッテリーは、複数の国家のギルドをまたにかける巨大組織の偉い人なのだ。比べるべくもない。
名誉大佐が偉いのは、文民統制が崩壊し軍がやりたい放題のシュバーデン帝国でのことでしかない。
「それにしても……やはり、事務局長はシュバーデン帝国の方だったんですね」
「出身ではある。が、シュバーデン帝国の人間、というには語弊があるよ。連盟機構の人間は、国家に所属しない」
「建前上は、そうなのでしょうね」
「ふふ、建前か。まあ、それはそうだね」
自身の立場と出身国との関係を、ナッテリーは否定しなかった。
当たり前といえば当たり前の話か。非政府組織といったところで、列強の影響力は強いだろうな。
心中でそんなことを思うものの、シュバーデン帝国の影響力が強いのはキミヒコにとっては良いことだ。
キミヒコの持つ、かの軍事大国とのコネクションが、有利に働くだろう。
「さて、大佐。前置きはこれくらいにしておこうか」
「ですね。我々には、悠長にしていられるほどの余裕はない」
前振りを終わらせ、ここから本題に入る。
言わずもがな、本題とはこの都市の異常事態について、互いに協力できることがあるかの話だ。
「単刀直入に言うが、私に協力してほしい、大佐。あなたが抱えている問題について、私も協力を惜しまない」
「……一応、確認しますが、この対策本部ではなく、あなた個人に協力してほしいということでよろしいですか?」
「その解釈で問題ないよ。大佐は別に、リシテア市に思い入れがあるわけでもないだろう? この都市のために働けとは言わないよ」
朗らかにそんなことを言うナッテリー。
その言い分からして、彼女もまた、リシテア市のために命をかけて仕事をしようなどとは考えていないことが窺えた。
「具体的に、あなたの目指すところは? 私にどんな協力を求めているのです?」
「この都市からの脱出。それ以上の目的はない。……大佐には正直に言うが、私は、運悪く巻き込まれただけの人間だ。連盟機構の所属として、最低限の仕事はしよう。が、それ以上のことをするつもりはない」
ナッテリーの飾らぬ言葉に、キミヒコは「なるほど」と一言だけこぼした。
彼女のスタンスは理解できるし、共感も覚える。
この都市からの脱出が第一優先……まあ、当然か。事務局長まで上り詰めて、こんな縁もゆかりもない場所で、理不尽に死にたくはないだろうな……。
彼女の目標はキミヒコの目標と合致する。
羽根蟲を根絶するだとか、市民の皆様を守るとかではなく、脱出が優先。要するにこの都市の結界をどうにかするのが最優先事項ということだ。
市民の安全が第一優先で、そのために協力しろなどと言われていたら、キミヒコはあれこれ理屈をつけて、この場を後にしていただろう。
「このタイミングでの来訪。天使学派がここから排除されたのを知ったからだろう? 連中は大佐にとっても敵。と、私は考えているが、どうかな?」
「その推測は正確なものです。こちらも単刀直入に言わせてもらいますが、私はデルヘッジ司教の居場所を探しています。心当たりはありますか?」
「現在、司教がどこに潜んでいるかはわからない。だが、それを知ってそうな人間と、その人間の居所は知っている」
ここまで話をしていて、キミヒコは腹を決めた。
このナッテリーという女と協力するのが、得策だろう。会ったばかりで、まだとても信用できる人間ではないが、現状を打破するためには必要なことだ。
「……お互い、持っている情報を擦り合わせましょうか」
「そうだね。私たちは、手を取り合えそうだ。生き残るためにも、そうすべきだろうね」
このやりとりを皮切りに、二人は情報交換に入った。
まずはナッテリーから、対策本部で掴んでいる羽根蟲についての情報を話す。
すでに知っている情報も多かったが、興味を惹かれるものもあった。この新種の魔獣と天使学派との関わりについてだ。
「そうですか。やたらと人間に寄生している羽根蟲が多いと思っていましたが……。やはり、人為的なものでしたか」
キミヒコがぼやく。
羽根蟲の寄生経路は、変異体である口裂け天使が宿主に植え付けることだ。要するに、口裂け天使に直接襲われなければ、寄生の心配はない。
であるはずなのに、今も続くこの夜、その始まりの日に大量の市民が口裂け天使へと変貌した。
それについてキミヒコはずっと疑問に思っていたし、自身の知り得ない寄生経路があるのかと警戒していた。
「ああ、間違いない。天使学派がやったことだ。経口摂取ではうまく寄生できないらしいが、耳とか鼻とか肛門とか、あるいは傷口なんかに潜り込ませれば、宿主に気付かれずに寄生させることができる。そもそも、羽根蟲を造ったのは連中だ」
恐ろしいことを、ナッテリーが言う。
寝ている隙とかに、耳とか鼻に羽根蟲を入れられるとか、最悪だな……。
嫌な想像をして、キミヒコの顔が引き攣った。
「あの日、天使学派の大規模な集会があった。おそらく、その時にばら撒いたんだろう。信者相手なら、どうにでもできる」
「連中の関与。確かなことですか?」
「間違いない。天使学派の研究員を捕まえて、拷問にかけた」
「奴らの目的は?」
「依然不明だ。末端の研究員は、真理の探究が目的なんだと。研究するのが好きなだけで、研究成果の使い道など知ったことではないらしい」
残念そうにナッテリーが言う。
教会にはマッドサイエンティスト気質の人間が結構いる。富も名声もいらない、研究だけできればいいという類の人間だ。
羽根蟲を作出し、ナッテリーの手の者に捕まったのも、そうした人間のようだ。
「末端の研究員には、天使学派の目的は伝えられていない……ということですか」
「ああ、そうらしい。一応、上の連中が何を考えているのか、聞いてはみたが……」
言って、ナッテリーはいったん言葉を切った。
そうしてしばらく、視線を宙に向けていた彼女だったが、ため息を一つついてから、口を開いた。
「……人為的な終末を引き起こして、天使の救済を待つとかなんとか。妄想も甚だしい話だが……聞けたのはそれくらいだね」
心底呆れたというふうに、ナッテリーはそう言った。馬鹿馬鹿しい内容故に、口に出すのをためらっていたらしい。
「ああ、連中のカルト教義ですか。信者を洗脳して資金集めをするための」
「そう、信者を騙すための方便というやつだ。結局、上の連中の目的はわからずじまいさ」
天使学派の教義は、よくある終末思想だ。終末の日、救われたいならお布施をしろ。そんな内容のありがちなカルトの教義である。
それは資金集めのため、あれやこれやと脚色された方便にすぎない。ナッテリーの考えに、キミヒコも同意見だ。
「連中の研究で造り上げたのは、生体兵器といっていい代物だ。それを使ってどこぞの列強に取り入るとか、よからぬことを企んでいるのだろうよ」
肩をすくめてそう言って、ナッテリーは話をしめた。
これ以上憶測を重ねたところで意味はないだろう。それはキミヒコも同意するところだが、どうにも気になることもあった。
「天使学派の研究……か」
「何か、気掛かりが?」
ぼやくキミヒコに、ナッテリーが問いかける。
「……私の調べた限りのことですが、言語教会の有する研究資材の販路での、連中の購入履歴に妙な所はありませんでした。信者から集めた献金の行方も、わかりません」
「金の流れか。わかった、それもこちらで調べておこう。……それにしても、言語教会の販路にアクセスできるということは……」
「お察しのとおりです。私のクライアントは、言語教会です」
キミヒコの言葉に、ナッテリーは顔をこわばらせた。
言語教会が警戒を要する組織というのもあるが、彼女が排斥した天使学派は言語教会の一部というのも理由だろう。もっとも、天使学派は教会の本流からは疎まれているのだが。
だがナッテリーはその辺の事情は知らないらしい。慎重に言葉を選ぶようにして、キミヒコに確認を入れてきた。
「……差し支えなければ、その内容を聞いても?」
「こんな状況ですし、構いませんよ。まあ、教会内部のゴタゴタと言いますか――」
ナッテリーを安心させるためにも、キミヒコは事情を説明することにした。
本来、ペラペラと話していい内容ではない。だが、もうそんな事を言っていられる状況でもない。
こんな仕事を振ってきた言語教会が悪いのだと、キミヒコは開き直っていた。
「そうか、言語教会は……そうか……。難儀な仕事を受けてしまったようだね、大佐」
「本当ですよ。一生遊んで暮らせる財産を持っていても、しがらみというのはどこまでも付きまとうものです」
キミヒコの苦笑まじりのその言葉に、彼女は「わかるよ」と言って頷いた。疲れを滲ませたその声色に、彼女の本音が窺えた。
「それにしても、アーティファクトか……。この大規模な結界は、それによるものと考えて良さそうだな」
「……無用な心配でしょうが、念の為。このこと、口外無用でお願いします」
「心得ているさ。私も言語教会とは浅からぬ縁がある」
そう言ってから、ナッテリーはしばらく考え込むような仕草を見せる。
アーティファクトについて、なにか気付いたことでもあるのか。キミヒコが尋ねようか考えていると、彼女の方から先に口を開いた。
「そのディアボロスというアーティファクト、今になって教会が所在を掴んだ理由。大佐はわかるかい?」
「いえ、まったく」
「……我らが帝国と、カイラリィとの戦争。現在どうなっているか、知っているかな?」
唐突に話が飛んで、キミヒコは訝しげな顔をする。
シュバーデン帝国とカイラリィ帝国の戦争。それはかつてキミヒコがシュバーデン帝国に傭兵として雇われた際、その傭兵仕事にも関係のある戦争だった。
キミヒコが直接、この戦争に関与したわけではない。キミヒコが参加したのは、シュバーデン帝国がカイラリィ帝国への進軍経路を確保する目的で、第三国に侵攻した軍事作戦だ。
この傭兵仕事でキミヒコは大金を得ることができたものの、散々な目にもあった。
嫌な記憶を思い出して、キミヒコの顔が若干歪む。
「君が教会の依頼を受ける少し前に、帝国軍はカイラリィの首都を陥落させた」
キミヒコの返事を待たず、ナッテリーが話を続ける。
カイラリィの首都が陥落。それについては結構なことだとキミヒコは思う。
だがそれが、今の状況にいったいどんな関係があるのか。それについて少し考えて、思いつくことがあった。
「……リシテア市はかつて、カイラリィの一部でしたね」
キミヒコはその思いつきを、口に出した。
カイラリィ帝国は、歴史ある大国だ。老帝国などと呼ばれるだけはあり、千年以上も存続している国家である。
今でこそ滅亡寸前の有様ではあるが、かつては広大な領土を持っており、このリシテア市もその一部だった。十年ほど前に、当時カイラリィ帝国の飛び地だったリシテア市は、都市国家として独立している。
「察しがいいねぇ……。そう、ここはかつて、あの老帝国の一部だった。そして、デルヘッジ司教は、その当時からここの司教だった」
「司教はカイラリィと……?」
「何かしらかの繋がりはあったろう。カイラリィの首都を落とした際、かの老帝国が抱えていた国家機密は、教会にも流れた。……タイミングから考えて、そこから教会は件のアーティファクトの行方を察知したんだろう。推測だがね」
ナッテリーの推察は、キミヒコの腑に落ちる話だった。
シュバーデン帝国、というよりも帝国軍は、言語教会とよろしくやっている関係だ。教会から、真世界の軍事技術や軍事思想を供与されている。
その見返りとして、カイラリィの機密情報を教会に流すくらいはやるだろう。
カイラリィ帝国はデルヘッジ司教と繋がっていた……。そして、司教がゲドラフ市からアーティファクトを持ち出したことも知っていた……? いやむしろ、アーティファクトの持ち出しは、カイラリィが主導したのか?
ナッテリーの情報から、キミヒコの脳内であれやこれやと憶測が巡る。
思考の海に沈んでいたキミヒコの意識だったが、しばらくして考えても仕方がないことと諦め切り上げた。
どうせここで考えても答えは出ない。それに、この辺の事情については、クライアントである教会からの説明がなかった。知るべきではない事柄の可能性もある。
ナッテリーもこの話題をこれ以上広げようとはしなかった。
その後は、二人で必要な情報を交換し、互いの今後の方針を擦り合わせて、この対談は終わった。
◇
ナッテリーとの会合はつつがなく終了した。キミヒコがホワイトを連れ、ギルド庁舎の入り口まで戻ると、シモンが待っていた。傍には彼の相棒の巨大蜘蛛もいる。
「お疲れさん。どうだった?」
シモンの問いかけには答えず、キミヒコは無言で一枚の紙を手渡す。
「これは……住所か。まさか、司教の居場所か?」
受け取った紙に目をとおしたシモンが言う。
彼の言うとおり、キミヒコの手渡した紙には、この都市のとある住所がメモされていた、
「いや違う。だがそこに、あのジジイのお友達がいる」
「ふーん。じゃあ、これからカチコミか」
「いったん、戻ってからな。必ず生け捕りにしなけりゃならん。あの小僧と三人で、段取りを詰めよう」
キミヒコの言葉に、シモンは「りょーかい」と言って、その手のメモを投げ返した。
「ホワイト。メモの住所は記憶してるな?」
「無論です」
その返事に満足げに頷き、キミヒコはメモをビリビリに破り捨てる。
細切れになった紙の破片が風に乗り、赤い月の夜空を舞って、散っていった。
「さーてと、帰りますか」
「ん。そうだな。……なあキミヒコ」
喫茶店へと戻るべく、キミヒコが歩き始めると、シモンが神妙な顔で問いかけてきた。
「あの姉弟、どうなるかな?」
「さあな。……ただ、ネオのやつも、天使学派への恨みを晴らして、ここからの脱出が視野に入れば、先のことを考えるようになるだろ。今までは女に溺れて、何も考えないようにしていたんだろうさ。姉のことも含めてさ」
キミヒコの見立てでは、ネオがやっていたのは一種の現実逃避だ。目先の快楽を優先し、将来どうなるかなど考えていなかった。それに加え、色々と吹っ切れたことにより生来のドライな性格が露出し、ああなったのだろう。
「……そうだな。帰ってきてからは、ネオくんもアミアちゃんのこと、気にかけてないわけじゃなかったし。どう声をかけていいかわからんって感じだったな、あれは」
「ま……現状、しっかり働いてくれてるから、それでいいよ。将来のこととかは、あいつ自身が決めることさ」
「そういうふうに言う割に、お前……」
シモンはそこまで言って、続きを言い淀む。
視線で続きを促すが、彼は「やっぱなんでもない」と言うだけだった。
キミヒコもそれに「あっそ」と返事をして、それでこの話題は終わった。




