#15 政治ニュース
キミヒコが拠点としている、いつもの喫茶店のいつものテーブル。
そこでキミヒコは何事か、コーヒーの入ったカップに向けて呟いている。カップの取っ手には人形の糸が括り付けられていた。
「――まーた政変か。対策本部のお歴々も、飽きないねぇ……。今度は誰が追い落とされたの?」
『ギルド長です。昨日の会合で、彼の一派は失脚しました。今はナッテリー事務局長が主導する体制になりつつあります』
「政権交代早いな。副市長が失脚して、今度はギルド長も失脚かよ」
糸電話で通話している相手は、カージナルだ。彼は現在、対策本部の人員として働いている。
リシテア市がこの状況になってからも、カージナルとの関係は続いていた。今もこうして、対策本部の内情をキミヒコに伝えてくれている。
――えー。なに言ってんですか、シモンさん。絶対歳上のお姉さんの方がいいですって。僕の同年代とか、ひどいもんですよ。キャンキャン喚いてばかりで……。
――それ、ネオ君の元パーティメンバーの話でしょ。お姉さんはお姉さんでいいけど、若い娘には若い娘の良さがあるんだって。
通話の最中、妙な雑音がキミヒコの耳を打つが、努めて気にしないようにする。
「ナッテリー事務局長……確か、連盟機構の人間だったな。リシテア市に来てたのか」
『ええ。都市が結界で覆われる前日に、視察に来てました。抜き打ちの視察だったのですが……』
「巻き込まれたか。ついてないな。事務局長っていや、相当なエリートだろうに……」
しみじみとキミヒコが呟く。
連盟機構は、アマルテアに存在するギルドのほとんどが加盟している国際NGOである。
この組織における事務局長という地位は、生半可なものではない。エリートの中のエリートといって差し支えない立場だ。
そんな人物が、魔獣災害で危機を迎えつつあるこの都市の視察に来て、折り悪く巻き込まれることになった。
キミヒコは少し、同情した。
――一回りは歳下の女の子に、甘やかしてもらったり、翻弄されたり……要するに、上位者として振る舞ってもらう。これにより、歳上だとか、男だとかのプライドは破壊される。これがな、脳を揺さぶってな、最高に心地いいんだ……!
――うーむ、なるほど……。それ、僕も味わってみたいけど、僕より歳下だと……うーん……。
――ふっ、こればかりは年長者の特権さ。
事務局長について考えていると、またも変な会話が耳に入る。
自身のこめかみに青筋が浮かびそうになるを、キミヒコは感じた。
『それで、ナッテリー事務局長なんですが――』
「あ、カージナルさん。ちょっと待ってて。……ホワイト、いったん切れ」
キミヒコの指示に、ホワイトは「はい」とだけ言って、通信を切る。
通信が切れたことを確認してから、キミヒコはスウっと息を深く吸い込んだ。
「……おいうるせーんだよクズども! 今真面目な話をしてんだよ! 猥談はあとでやれこのカスどもがッ!!」
深く吸った空気を一気に吐き出す勢いで、怒鳴り散らす。
怒声の向く先は、別テーブルで談笑していたシモンとネオだ。
「いやいや、これも未来志向の大事な話ですって。生きる希望がなければ、こんな地獄みたいな都市ではやってけないでしょ?」
「猥談を壮大な話にすり替えてんじゃねーよ。いいから黙ってろ。次に俺の通話を中断させたら、ブッ殺すからな」
口答えするネオに脅しを入れてから、今度はホワイトに「繋げ」と短く告げる。
人形の糸が明滅し、カップのコーヒーの水面が揺れた。
「……ん。すまない、待たせたな」
『いえ……。それで、ナッテリー事務局長についてですが――』
若干、苦笑するような雰囲気を滲ませてから、カージナルは話を再開させた。
話の続きは、対策本部において新しい体制を築いた、ナッテリーという人物について。
とはいえ、ナッテリーは連盟機構から来た人間だ。カージナルもその人となりについては、それほど多くは知らなかった。
とりあえずわかっているのは、静かな雰囲気の女性であること。ハンター上がりの武闘派ではないこと。そして、年齢不詳であること。
年齢不詳というのもよくわからない話だが、いまいち外見から年齢を想像できないらしい。だが、連盟機構の事務局長ということから考えれば、二十代ということはないだろう。おそらく四十代以上。よほど若く出世したならギリギリ三十代でもありそうではある。
「……ふぅん。落ち着いた感じか。そんなエリートだから、権力志向の鉄の女、みたいな雰囲気かと思ってた」
『一見して、そういう感じではないです。とはいえ、私は対面で話をしたこともないですし、あくまでただの印象ですよ』
「まあ、それはそうだな」
カージナルの言うとおり、出会って数日、しかもろくに話したこともない人物の内面などわかるはずもない。しかも、ああした立場の人間ならば、腹の内を隠すことなど容易にしてみせるだろう。
「で、さ。ここからが大事なんだけど、その女、天使学派とはどうなんだ?」
キミヒコが現在一番気がかりな部分を問う。
対策本部は天使学派とはよろしくやっている関係。そういう話を、カージナルから提供された内部情報で、キミヒコは知っていた。
しかし、その情報はすでに古い。対策本部が天使学派と蜜月関係だったのは、副市長が主導する体制の頃の話だ。市長が外遊中で都市にいないため、当初は副市長が対策本部を仕切っていた。
副市長は天使学派の影響をもろに受けている人間だ。彼は「官民、そして教会と合同でこの困難に立ち向かおう」だとか「天使学派への不当な差別などしている状況ではない」などと綺麗事を並べ立てて、天使学派の息のかかった人間を組織内にはびこらせていた。
そしてその副市長はすでに、ギルド長により追い落とされ失脚している。
ギルド長は副市長とは逆に、権力を掌握すると組織内から天使学派の排除を強行。だが、それにより内部からの反発を生み、今回の政変で彼もまた失脚した。
ギルド長……連盟機構と仲が悪かったのか? 密かに応援してたんだけどなぁ……。次のやつは期待できるかどうか……。
キミヒコとしては、対策本部は天使学派との関係を絶ってほしいと思っている。このままでは、今回の異常事態の主犯と目されるデルヘッジを始末するのに邪魔だからだ。
それゆえ、新たな指導者となった、ナッテリーという人物の天使学派に対するスタンスは重要だった。
『ナッテリー事務局長のスタンスは、ギルド長の姿勢と同じです。すでに排除された、天使学派の息がかかっているとされた面々の復帰は、認めないようです』
「組織内の掃除は?」
『そこまではしないようです。いえ、多分もう、必要ないんでしょう。ギルド長は相当強引に事を進めましたから……。冤罪も多かったと思います』
カージナルの語った内容に、キミヒコはホッと息をついた。とりあえず、天使学派とは距離を置く路線を継続しているらしい。
だが、今回の政治闘争の顛末に、キミヒコの中で一つの疑念が芽生えた。
「……そうすると、ギルド長の失脚は既定路線か……?」
『既定路線……? どういうことです?」
「対策本部の内部粛清を派手にやってもらう……要するに汚れ仕事はギルド長に任せて、膿を出し切ったと判断してから、前任を追い出したという体裁にして引き継ぐ。こうすれば事務局長の新体制は、内部の反発を少なくしつつ、天使学派を排除できる」
『なるほど……ありそうな話です。ギルド長の一派は失脚しましたが、彼らは対策本部の籍は失ったものの、それ以上の重い処分は下されていない……』
キミヒコの推察に、カージナルは感心したように同調した。
そしてその推察のとおり、今回の政変がプロレスであるというのなら、悪い話ではない。
「それで、そのナッテリー事務局長とやら。俺について、なんか言ってたりする?」
対策本部との関係をどうするか決めるため、キミヒコはさらに踏み込んだことを聞いていく。
自意識過剰みたいな問いかけではあるが、対策本部がキミヒコを意識していないということはないだろう。事実、副市長が実権を握っていた頃は、鬱陶しいくらいに協力の要請が来ていた。
『ギルド長と同じですね。あちらからの連絡を待つ、と。それだけです』
カージナルからは予想どおりの返答がきた。
副市長が失脚し、ギルド長の体制になってからは、キミヒコへの勧誘はピタリと止んでいた。ギルド長は、ギルド会員であるキミヒコの性格をそれなりに理解していたらしい。
そしてそれは、ナッテリー事務局長も同様だろう。
『それから……人形遣いのことが会議で話題になった際のことですが、大佐は話のわかる人間だと、そうも言っていました』
続けてカージナルから語られた内容に、キミヒコは一瞬思考が停止した。予想外の単語が入っていたからだ。
カージナルの言う大佐とは、シュバーデン帝国軍名誉大佐のことだろう。キミヒコの肩書きの一つである。
かつて、かの列強国で傭兵仕事をした際に授与された名誉称号だ。
――大佐……ってなんですかね? シモンさん。
――軍隊の階級だったと思うぞ。列強の中でも軍事改革が進んでいる国では、そういう階級制度が採用されてるらしいぜ。
――へー。キミヒコさんって、ハンターだけじゃなくて軍人もやってたんだ。意外っすね。
聞き耳を立てていたらしいシモンとネオが、あれこれ勝手に喋っている。
キミヒコがギロリと睨みを入れてやると、彼らは露骨に視線を逸らして静かになった。
『大佐……というのは、キミヒコさんのことですよね? おそらく』
「事務局長の出身、どこか知ってるか?」
キミヒコは自身のことについて詮索されるのが、好きではない。
事務局長が言った大佐とはキミヒコのことで間違いないが、それについて肯定も否定もせずに質問で返す。
それについてカージナルは「いえ」と短く返して、この話題は終わった。
俺を大佐と呼ぶってことは、ナッテリーとかいう女は、帝国に縁があるのは間違いない。一度会ってみるのも、悪くはないか……。
対策本部、ひいてはそこのトップである、ナッテリーという人物との付き合い方を考えているキミヒコだったが、その思考は唐突に中断された。
喫茶店の入り口からものすごい音がしたからだ。
ガシャンという衝撃音と共に、この喫茶店に入ってきたのはシモンの魔獣であるコロだ。外にいた獲物を、室内へと引きずり込んだようだ。口裂け天使が大蜘蛛の巨大な牙を突き立てられたうえに、電撃を流し込まれている。
口裂け天使の悲鳴と翼をバタつかせる音。そして、電撃が弾ける音と肉が焼ける音が、室内に響いた。
「ちょ、駄目だってコロちゃん! ペッしなさい! ほらぺッ!」
シモンが慌てた様子で、この場で食事を始めようとするコロから、獲物を引き剥がそうとしている。
「うわぁ……。シモンさんのコロちゃん、有能ですけど、マジ気持ち悪いっすね」
他人事みたいにそう言うネオだったが、彼もやることはやっている。
巨大蜘蛛に捕らわれてなお、まだ息がある口裂け天使の首を長剣ではね、その首を屋外へと蹴り飛ばした。流れるようなその動作に、まるで澱みはない。
口裂け天使は完全に絶命し、その中にいる羽根蟲も牙の毒と電撃で死に絶えただろう。
危機は完全に去ったはずだが、シモンはまだ騒ぎ続けている。喫茶店内の喧騒はなかなか収まらない。
「うるせー連中だな。お前ら、さっき俺が言ったこと覚えてる? 死ぬ覚悟はできてるな?」
「いや不可抗力だろ!? コロちゃんは口裂け天使をやっつけたんだぜ!?」
「コロちゃんは行儀がいいよ。静かに食事をしててさ。だがお前はどうかな?」
口裂け天使の死骸をようやくコロから引き離し、息も絶え絶えのシモンに向けて、キミヒコが意地悪を言う。
「食べさせちゃ駄目なんだってば! これ元は人間かもしれないじゃん! 人間の味を覚えさせたら……」
「あ、なるほど。まかり間違って、無実の人間を食っちまったら殺処分か。まあ見た目からして危険生物だしな」
「お、おま……お前がそれ言う!? その人形の方が百倍ヤバイでしょ! 前科何犯あるんだよ!?」
「前科一犯だろうが百犯だろうが、ホワイトは可愛い。コロちゃんは怖いし気持ち悪い。これが民意だ。それが全てだろ」
キミヒコの言い草に、シモンは絶句している。
「いや民意て。僕からすればコロちゃんの方がまだマシ……いえ、なんでもないっす」
ネオが異を唱えようとしたらしいが、キミヒコのひと睨みで彼も黙った。
冗談じみたやりとりを終えてから、カージナルと通信中だったことを、キミヒコはようやく思い出す。
「おっと、すまないカージナルさん。ちょっとトラブってね」
『いえ、ご無事で何よりです。それにしても……』
どこか含みを持たせたような、カージナルの言葉にキミヒコは首をかしげた。そのまま黙って、続きを促す。
『なんというか……雰囲気が明るくて羨ましいです』
「えぇ……。これ、雰囲気が明るいと言えるのか……? ていうか、そっちは暗いの?」
『それはもう。暗いどころではありませんよ。この間も職員が一人自殺しましたし……』
対策本部の陰鬱な雰囲気をカージナルが語る。
先の見えないこの状況に、対策本部の面々も精神的に参ってきているらしい。
とはいえこちらも、暗いやつがいないわけじゃないけどな……。
そんなことを思いながら、視線を向けた先にはアミアがいる。彼女は相変わらずの調子だった。
ネオが帰ってきて少しは改善するかと思いきや、いまだに塞ぎ込んだままである。
見ているとこちらまで気が滅入ってきそうで、キミヒコは彼女から視線を外した。
「……近いうちに、そちらに顔を出す」
『私はどうします? 事務局長には伝えておきましょうか?』
「いや、いい。俺たちとは、他人のふりをしておいてくれ」
カージナルにその後も、いくつかの指示を出して、キミヒコは通信を終えた。
「結局、対策本部に行くのか?」
通信を終え、冷めたコーヒに口をつけるキミヒコに、シモンが問いかけてくる。
「ああ。俺たちも現状、手詰まりは手詰まりだからな。デルヘッジのジジイ、どこに隠れやがったのか見当もつかねぇ……」
うんざりしたようにキミヒコがぼやく。
キミヒコたちの目指すところは、この都市から生きて脱出すること。そのためには、都市を覆う結界を解除しなければならない。
結界を張ったのは天使学派らしいのはわかっている。それゆえ、その首魁であるデルヘッジか、結界の生成に使われているらしいアーティファクトをどうにか見つけ出さなければならないのだが、難航していた。
怪しい場所をしらみつぶしに捜索したが、デルヘッジもアーティファクトも見つけることはできていない。
結界で閉じ込められる前、キミヒコたちが襲撃を計画していた実験棟も捜索したが、施設内はもぬけのからだった。事務書類などは少しは残っていたが、大したものは何も見つからない。
退避のために引き上げたというよりは、最初から実験棟には研究所としての実態はないダミー施設。そういう雰囲気だった。
天使学派の研究所はどこか別の場所にある。キミヒコはそう考えていた。
「ここでダラダラしててもしょうがない。さっさと行くか。シモン、ついてきてくれ。ネオはここで留守番な」
キミヒコの指示に、シモンとネオは「うーっす」とか「あいさー」などと返してくる。気の抜けた返事とは裏腹に、二人の行動は迅速だった。
出かけるための装備やここを守るためのバリケードのチェックを、あっという間に済ませていく。
「おいネオ。そろそろ仲直りしておけよ」
バリケードの確認をしているネオの背に向けて、キミヒコが声をかけた。
仲直り、とは当然アミアとのことだ。
対策本部のあるギルド庁舎に行くには、ホワイトがいれば十分だ。キミヒコがわざわざシモンまで連れていくのは、姉弟水いらずで話をさせるためだった。
「えぇ……。いや、そう言われましても……。別に喧嘩したわけじゃないし……」
「お前、姉貴に世話になってたろ? 完全に腑抜けてたとき、飯食わしてもらったり、寝る場所提供してもらったりさ。そうでなくとも、姉弟なんだから、ちょっとは元気付けてやれ」
渋るネオにそう言ってやると、彼は口をあんぐりと開けて驚いている。
ネオだけではない。シモンも驚愕の表情を浮かべている。
さらには、この話の当事者であるアミアまでもが若干目を丸くしてキミヒコを見ていた。どんよりとした空気はそのままだが、彼女も話は聞いていたらしい。
「おいお前ら、なんだよその顔は」
「いや……キミヒコさんの口から、そんな気遣いみたいなセリフが出るなんて、むっちゃ意外なんですけど。びっくりした」
「ほざけ。いいから、アミアとよく話し合っておけよ」
それだけ言って、キミヒコはホワイトを引き連れ、喫茶店を後にする。その背には、準備を済ませたシモンとコロが続いた。
歩き去っていくキミヒコのその背には、アミアの視線がじっと注がれている。たが、キミヒコがそれに気が付くことはなかった。




