#14 夜警
用事を済ませ、拠点に戻る道すがら。
キミヒコは鼻歌を歌いながら、歩いていた。
「ノルマ達成。ちょろいもんだぜ」
そんなことを呟くキミヒコの後ろを、ホワイトがついて歩いている。
「あんなの、仲間に引き入れる必要あります?」
事がうまく運び上機嫌なキミヒコに、ホワイトが水を差す。
「今のこの都市、安全地帯がないからな。お前を、俺から引き離してどこかに差し向けるのができない。だから代わりに働いてもらう。そうでなくとも、居てもらうだけで拠点の防衛になるしな」
「あの男である必要は?」
「天使学派とやり合ってくれそうな、腕の立つやつ。心当たりはあいつだけだったし。まあ、性格にだいぶ問題あるけど、馬鹿ではなさそうだしいいだろ。意味もなく、俺たちを敵に回す真似はしないはず」
「理由はそれだけですか?」
「……どういう意味だ?」
しつこく質問を繰り返すホワイトに、キミヒコは聞き返す。
「あの姉と弟に、なにか、含むところがあるのでは?」
姉と弟。アミアとネオになにか思うところがあるのか。そう問われて考えてみる。
含むところがないといえば嘘にはなる。
宗教に狂った碌でなしの親の下で育ち、それに反発しつつも自立できた姉弟。
自身の境遇と重ねて、羨望とも同情ともつかない念を覚えていることを、キミヒコは自覚していた。
今でこそ、姉の方は塞ぎ込んでいるし、弟の方は破滅的な快楽主義に陥っている。だが、この都市からの脱出の目処がたち、未来への展望が開ければ、関係が改善されることもあるだろう。
それを楽観的な予想であると理解しつつも、キミヒコはそうなればいいとも考えていた。
「……お前には正直に言うけどさ。確かに、含むところがないではないよ。だけど、それだけで物事を決定しているわけでもない。情実人事ができるほど、俺たちに余裕はないからな」
キミヒコの本音に、ホワイトは「そうですか」とだけ言って、それ以上この話題に触れることはなかった。
それから、二人で赤い月に照らされるこの都市の大通りを、静かに歩き続けた。
帰る場所、拠点にしている喫茶店まで、あと半分。そんな距離のところで、ホワイトの糸がキミヒコの眼前で揺れた。
「敵か?」
「不明です。人間の集団がそこの角の先にいます」
「集団? 巡回している行政とかギルドの連中か?」
「いえ、全員素人ですね。武器は携行していますが、魔力が使えそうな人間は一人もいません」
素人の集団。そういうことであれば、特に回り道をする必要もない。
友好的な相手なら情報交換ができるし、敵対的な相手でも、襲ってきたなら返り討ちにしてやればいい。その場合、物資を巻き上げることもできる。
「このまま行くぞ。相手が攻撃的な意思を見せたら、即座に殺れ。あ、でもその場合、最低一人は生かしておけよ」
「畏まりました」
現在、この都市において、殺人のハードルはかなり低い。キミヒコもその例に漏れず、容赦無く殺人の許可を与えた。
ホワイトが先行する形で歩みを進め、件の曲がり角に差し掛かる。
そこには数人の男たちがいた。ホワイトの前情報のとおりで、各自で武器は携行しているものの、魔力の流れは素人のそれ。口裂け天使と戦えるような雰囲気ではない。
「おい! あんた何者だ!?」
黙って観察していたキミヒコに、向こうもようやく気が付いたらしい。鋭い声が飛ぶ。
「怪しい奴だな。こんな時に、そんな小さな女の子と二人だなんて……」
「い、いや待て……。その小さい子は、多分……」
キミヒコを詰問しようとした一人を、別の男が制止する。ホワイトの正体に心当たりがあるようだ。
「あんた、もしかして人形遣い……か?」
「そうだけど」
キミヒコが素直に身を明かすと、彼らの間でどよめきが起こった。
人形遣いといえば、それなりに名が売れている。今のこの都市で、ハンターほどありがたい存在はいない。
現金なもので、彼らの態度は一気に柔らかくなった。
「最上位のハンターが、こんなところでどうしたんだ? 対策本部とかで仕事をしてるんじゃ……」
「ああ、ちょっとした用事があってね。出かけてたんだよ。ていうか、そちらさんは? こんな集団で何やってんの?」
有力なハンターは皆、対策本部に属しているので、キミヒコもそうであると彼らは勝手に思っているらしい。
あえてそれを否定したりせずに濁してから、今度は逆に相手について尋ねる。この集団のリーダー格らしき男は、朗らかにキミヒコの質問に答えてくれた。
「俺たちは自警団さ。見回りをしてるんだ」
「……見たところ、全員素人さんだけど。危なくない?」
「まあ、俺たちじゃ魔獣の相手はできないけどさ……。だけど、あの蟲が入ってるかもしれない、ネズミとか鳥とか、そういう小動物を駆除したり、閉じこもってる人間の安否確認をやったりしてる」
そう言って、男はネズミ取りの罠やら殺鼠剤やらを見せてくれる。ちょうど今、仕掛けている最中だったらしい。
ネズミを駆除したところで焼け石に水だと思うが……。まあ、当人たちが満足なら、放っておくか。
キミヒコは心中でそうこぼしながらも、表向きは感心したような表情をしてみせる。
その様子に、男たちは気を良くしたらしい。聞いてもいないのに、自分たちの活動について語り出す。
そんな男たちにキミヒコは適当な相槌を打った。
「ああ。それから、都市の裏切り者を探したりとかもしてますね」
大した情報もなさそうだと、そろそろ切り上げようかと考えた矢先。剣呑なワードがキミヒコの耳に入る。
「……裏切り者?」
「ほら、あのカルトだよ。あいつらが、俺たちのリシテア市を滅茶苦茶にしたんだ!」
「ああ、なるほど。天使学派か。まあ連中、いかにも怪しいもんな」
「そうなんだよ! あのカルトどもは――」
自称自警団の面々が、天使学派がいかに悪どい集団なのかを力説する。
あれやこれやと色々言うが、その内容は客観的にみて根拠に乏しい。いづれの話も天使学派が今回の騒動を引き起こしたという証拠にはなり得ない、半ば陰謀論のようなものだった。
天使学派は、まあクロなんだろうが……こいつら、いい加減だな。デマとか簡単に信じたり、あっさり扇動されるのは、こういう連中なんだろうな。
久しぶりに市内を歩いて、そこで見てきたことを反芻しながら、キミヒコは思う。
今日はたくさん、死体を見た。
口裂け天使にやられたらしい、食い散らかされた死体。この異常事態に絶望して、自ら命を絶ったと思われる死体。それから、集団からリンチを受けたらしい死体。
最後のケース、集団暴行も色々だ。
強盗だったり強姦だったり、単純に欲望を満たすためというのが多いパターンだが、そうでないのもある。
特徴的でよく覚えているのが、ひとつあった。
十字架に磔にされた死体。さんざんに暴力を振るわれたうえ、火炙りにされた無惨な亡骸。その側には書き置きがあった。
天誅。
ただ一言、それだけが、小汚い木板に殴り書きされていた。それはいやに、キミヒコの記憶に残っていた。
「――そうか。君たちもご苦労様だな。……じゃ、俺は行くから。気を付けてな」
「ええ。キミヒコさんも、どうぞお気を付けて。このリシテア市のため、共に頑張りましょう」
自称自警団の面々に笑顔で見送られ、キミヒコはその場を後にする。
しばらく歩いて、彼らの姿が見えなくなってから。
「貴方」
「なんだよ」
それまで静かにしていたホワイトが、何事か問いかけてくる。
「手駒が欲しいと、そう言っていましたね」
「そうだな」
「あれらは手駒にはならないんですか? 戦闘力はからきしですが、天使学派に敵対しています。捨て駒にでもすればいいのでは?」
ホワイトの提案に、キミヒコはすぐには答えなかった。
スウっと目が細まり、その瞳には冷たい色が宿る。
「……俺のいた世界の軍人、ハンス・フォン・ゼークトってやつの言葉に、こういうものがある」
ホワイトの質問には答えず、キミヒコは話し始めた。
「有能な怠け者は指揮官、有能な働き者は参謀に向いている。無能な怠け者は、下っ端の兵士にすればいい」
「では、無能な働き者は?」
「処刑するのが、軍組織のためだそうだ」
「なるほど」
キミヒコの語る組織論に、ホワイトはわかったふうな相槌を打つ。
この人形が、人間の組織についてきちんと理解しているかは怪しいものの、理論としてとりあえずは納得がいくらしい。
「……ま、これはジョークみたいなもんで、本当にゼークトが言ったのかは定かじゃないが」
「えぇ……。貴方の話は、相変わらずいい加減ですね」
「相変わらずってなんだよ。いちいちうるせーな。……だが実際、余計なことをする奴は死んでもらった方がいい。味方にするなんて論外だ」
「さっきの連中は、そういう分類ということですか」
「まあ、そういうことだ」
キミヒコの言いたいことを、ホワイトは正確に理解したようだ。
ホワイトにうまく話が伝わったことで、キミヒコは機嫌良さげに、人形の頭にポンポンと手を当てる。
「……貴方。説明が回りくどいですね。結論だけ言えばいいのでは?」
「ふふん。相変わらずお前は、情緒がわからん人形だな」
小馬鹿にしたようにそう言うキミヒコだったが、その手は人形の頭を優しく撫で続けている。ホワイトもそれを嫌がることはなく、主人の方へと身を寄せる。
人形の絹のような白い髪が、赤い月明かりを反射しながら、サラサラと靡いた。




