#13 エピキュリアン
「な、なんでよネオ! あたしたち、仲間だったでしょ!? あの子だってもう死んじゃって、もう二人だけなんだよ!?」
「いや、仲間だったって。過去形でしょ? いまさら、そんなこと言われてもなぁ」
キミヒコが目的地の店に到着すると、なにやら入り口で揉めていた。
ネオと、彼の元パーティメンバーの少女だ。
「あ、あんた……いい加減にしなさいよ! 知り合いの女の子が困ってて、ちょっとは助けようとか思わないわけ!?」
「いやー、でも今の僕は、このお店を守らなきゃだし?」
「そんな水商売の女たちの方が、苦楽を共にしたあたしより大事ってこと!?」
「うん。もちろん」
透き通るような純粋な瞳で即答するネオに、少女の方は絶句している。少し離れた所で見ていたキミヒコも、彼のあまりの変貌ぶりに唖然とした。
――ネオくんかっこいい!
――私たちを守ってー!
店の中からは嬢たちが、キャアキャアとネオを囃し立てている。声援を送る彼女らの表情からは、切羽詰まったものが見え隠れした。
ここはネオが用心棒として働き、維持されているらしい。彼がいなくなれば、どうなるか。彼女たちはそれをよく理解しているようだ。
しばらく様子を眺めるキミヒコだったが、結局は少女の方が諦めたらしい。
肩を落とし、トボトボと帰路につくその背中を横目に、ネオへと声をかける。
「よっ、久しぶり。面倒なのに絡まれたな」
「あ、キミヒコさん。お久しぶりです。途中で見てるのは気付いてたんですけど、取り込み中だったんで、すみません」
「気にするなよ、通りがかっただけだし。……なんか、ずいぶんと元気そうだね、君」
「ええ! 毎日充実してますよ! これもひとえに、キミヒコさんのおかげです!」
朗らかな笑顔でネオが言う。
虚勢を張っているわけでもなく、本当にそう思っているらしい。この地獄みたいな環境で、実に晴れやかな笑顔を見せてくれる。
正直、ちょっと気持ち悪いとキミヒコは思った。
「……さっきのは?」
「あーなんか、ギルドとか行政の方で戦える人間を集めてるみたいで、僕を連れてくるよう言われたみたいですよ」
ギルドとか行政の方。ネオがそう言うのは、新型魔獣災害対策本部のことだろう。リシテア市の行政とギルドが合同で、この異常事態に対処するために立ち上げたものだ。
「対策本部か。だがあの小娘程度の実力じゃ、あそこには置いてもらえないと思うが」
キミヒコのその言葉どおり、対策本部はおいそれと入れる組織ではない。
この都市の備蓄物資を優先して回してもらっているので、ここに入りたい人間は大勢いる。だが、その多くは門前払いだ。
この都市の命運を決める組織なので、人員には相応の能力が求められる。ハンターであれば、それなり以上の実力と信用が必要だろう。
ネオと同様に、キミヒコもお誘いを受けたが、故あって固辞している。
「たぶん、僕のことを当てこんで置いてもらってるんじゃないですか? だから勧誘に必死だったんでしょ」
完全に他人事みたいな雰囲気でネオが言う。
傲慢にも思える発言だが、キミヒコとしては納得のいく話だ。
彼はこの風俗店の用心棒として働いているわけだが、ここの状況は悪くはなさそうだ。チラリと見ただけだが、嬢たちの顔色は悪くない。食事は取れているし、眠れてもいるらしい。
この都市の現状を考えれば、ただの風俗店でこんなことはあり得ない。
見た目麗しい美女や、良い気分にさせてくれる美酒。そんなものをいくら取り揃えたところで、今のリシテア市ではまともな生活は望めない。
必要とされるのは暴力である。
そして、十分なそれを、ネオは持っているようだ。
「まあ、あんな奴のことはどうでもいいですよ。さあさあ、キミヒコさん、どうぞ中へ。きっとみんな歓迎してくれますよ」
「……そうだな。少し、お邪魔させてもらおうか」
正直、中に入るのは乗り気ではない。店側から歓待はされるだろうが、それに付随して、お願い事も山ほどされるだろう。
キミヒコからするとそれは面倒なことでしかない。
それに、ここに来た目的はネオの引き抜き。要するにこの店の生命線を奪いに来たのだ。
さてどうやって店の話をいなしつつ、ネオの引き抜きまで話を持っていこうか。それを考えながら、キミヒコは店に足を踏み入れた。
◇
店の一室。小さな従業員用の休憩スペースで、キミヒコは葉巻をふかしていた。
人形遣いという戦力を取り込もうという、店側の必死のアプローチを袖にし続け、キミヒコはここで休憩している。この部屋にはキミヒコの他に、当然のようにホワイトもいる。人形の背には筒状の荷物があった。
そしてさらに、この場にはもう一人。ネオがいた。
「あーあ、もったいないなぁ……。遊び人って聞いてたんですけど、どうしちゃったんです? キミヒコさん」
この状況で、下半身に正直すぎるお前がおかしい。そう言って反論してやりたかったが、キミヒコは堪えた。
「ここに来たのは、別に用事があったんだよ。そういうのは、プライベートなときにやるもんだ」
「あれ? ここには通りがかっただけって、言ってませんでした?」
「ああ。確かにそう言った。さっきはな」
キミヒコの言葉に、ネオは何かを察したらしい。纏う魔力が変容した。
警戒が五割、動揺が三割、あとは怯えか……? まあこいつ、俺には従順な雰囲気出してるけど、ホワイトへの警戒は怠らないからな。
キミヒコの左目、金色の瞳孔が収縮して、ネオの魔力からその心理状態を分析する。
「まーそう怖がるなよ。何しろ、リシテア市はこの有様だ。俺も色々、考えることはある。ここに来るまでにも、あの化け物に何度も襲われたし……な。そっちはどうだ?」
ネオを落ち着けるように、努めてなんでもないかのような口調で話題を振る。
「羽根蟲の変異体、口裂け天使でしたっけ? まあ、一体や二体なら、僕一人でもどうってことないです」
「何体始末した?」
「ええっと、今までで……二十体くらいかな」
意外と多い討伐数に、キミヒコの目が細まる。
口裂け天使は市内にはびこっているものの、屋内に閉じこもっているのならそこまで襲ってくることはない。
「多いな。そんなにここ、襲われる?」
「ここの護衛だけじゃなくて、物資の回収とか行きますから」
「そんなことまでやってんの? 頑張るねぇ」
「僕が頑張らなきゃ、お姉さんたちが飢えちゃいますからね。それに、頑張ったら頑張っただけ……うへへ……」
だらしない顔をしながら言うネオに、キミヒコは呆れた顔をする。
それから益もない会話をしばらく続けた。
……前置きはこれくらいでいいか。本題に入る前に、邪魔者を追い払うとするか。
そろそろ雑談を切り上げ、本題に入る。そのための前準備をするため、キミヒコはホワイトに視線を向けた。
「……どうしました? 貴方」
「ドアを開けろ。乱暴に、でも、壊さないようにな」
指示を受け、ホワイトがツカツカとドアの前まで歩く。そして入り口の前まで来ると、ドアを乱暴に蹴り開けた。
大きな音を立てて、開け放たれたドアの向こう。この店の従業員の男性が尻餅をついて唖然としている。
「なにか用事か? 俺になにか、含むところでも?」
「あ、いえ……」
「感心しないな……。痛くもない腹を探られるのは、俺も正直、いい気がしない」
キミヒコのドスの利いた声に、彼は「すみませんでした」とだけ言って慌てて退散した。
その様子を、ネオはただ冷静に眺めている。
「……人払いをして、これからが本題ということですか?」
「まあそうだ。……ざっくり言うけど、ネオ、俺たちと組まない?」
キミヒコの提案に、ネオはすぐには答えない。
しばらく思案する様子を見せてから、おずおずと口を開いた。
「俺たち、とは?」
「俺ともう一人、魔獣使いのハンターが、アミアの喫茶店を拠点にして活動している。会ったことあるよな? シモンって奴だけど」
「活動っていうのは、具体的に?」
「生き残りのための活動だよ。この都市からの脱出するため、あれこれやってる」
「脱出? 目処はあるんですか? そういうの、対策本部とかの仕事なんじゃ……」
「対策本部は駄目だ。あいつら、天使学派とズブズブだからな。……俺らはこれから、あのカルトに喧嘩を売る予定だから、手を貸せ」
天使学派という単語を聞いた途端、ネオの纏う空気が、それまでの腑抜けたものから変わった。その目にははっきりと攻撃的な意思が宿っている。
「俺がリシテア市に来たのは、言語教会に雇われたからだ。天使学派は、教会本流から疎まれてる。……これ以上の話は、お前が俺たちと手を組むと決めた後だ」
天使学派との対立は、ネオにとってはプラスの判断材料だ。彼はあのカルト組織を憎んでいる。
それを知っているから、キミヒコは教会と自分の関係をあっさりと話した。
「ギルドに頼まれて、この都市に来たっていうのは……」
「それは方便。カモフラージュだよ。場合によっては、本当にギルドの依頼も受けても良かったけどな。……まあ結局、本命の仕事一本に絞ったってわけ」
あっけらかんとそんな話をするキミヒコに、ネオは訝しげな顔をしている。
偽装工作みたいな真似をしてまで隠してきた目的を、あっさり話すキミヒコに警戒しているらしい。
「……この話、断った場合は?」
「別になにも」
若干青い顔で尋ねてきたネオに、キミヒコは平然とそう返した。
話を断ったら口封じで殺されるかもしれない。そう考えていたのだろう。ネオは露骨にホッとした表情を浮かべている。
だがそんなネオに、キミヒコは釘を刺すことを忘れなかった。
「ただ……お前が、俺の想像以上におしゃべりの馬鹿だった場合……」
脅すような声色で、そこまで言って言葉を切る。
ネオがキミヒコの情報を漏らした場合どうなるか。具体的な言及はまだしていない。だが、言わずともわかるのだろう。
人形の糸が明滅しながら、ネオにまとわりついている。ネオの顔色は真っ青になり、その額には脂汗が滲む。
「ホワイトは、俺が死のうがどうなろうが、活動を継続する。裏切り者は確実に、この世に産まれたことを後悔することになるだろう」
駄目押しとばかりに、さらなる脅しをかけるキミヒコに、ネオはただ黙って頷くだけだった。
「あの……その、ここでの話は決して漏らしません。けど僕、キミヒコさんも知ってのとおり、この店の用心棒をやってまして……」
しどろもどろにそう言うネオ。
一見して、キミヒコの話に乗り気でなくて、断る口実として、今の用心棒の仕事の話を持ち出したようにも見える。
だが実際には迷いがある。そうキミヒコは察していた。天使学派に積年の恨みをぶつけてやりたいらしい。
「この店の用心棒って、書面とかで正式な契約を結んでるのか? ギルドとか、あるいはどこかの公的機関が間に入ってるとか」
「いえ、そういうのはないです。ただほら、僕は武器を無くしてるんで。それを貸し出したりしてもらったり、働きに応じて食事とかサービスとか……」
どうやらただの口約束らしい。
無理もない話だ。この状況下で、書面を用意したり保証人を用意したり、そんな手間暇をかける余裕は店にはないだろう。
「じゃ、気にするな。ギルドとか行政が仲介していないんだろ? おまけに書面で契約したわけでもない。そんな口約束、ないも同然さ」
「で、でも、僕がここを守らなきゃ、遊べる店がなくなっちゃいますよ!」
「よく考えろ。風俗なんて他の都市にもあるだろうが。ここを脱出したら、俺がもっと大都会のいい店を紹介してやるって。な?」
渋るネオに、なだめすかすように、キミヒコは説得を続ける。
最後の、もっといい店を紹介してやるという言葉は、効果抜群だった。
「なるほど、一理ある。じゃあ別に見捨ててもいいか。これからお世話になります」
「……俺が誘っておいてなんだけどさ、切り替え早すぎでしょ。ちょっと怖いよ、君……」
ネオの変わり身の速さに、薄ら寒いものを感じつつも、当初の目的を果たしたことにキミヒコは安堵した。
「そんじゃ、ま、これからよろしくな。……ホワイト。荷物を渡してやれ」
そう言われ、人形は無言でその背の荷物を、ネオの方へと投げ渡す。
ネオは危なげなくそれをキャッチし、荷物を開けた。中から出てきたのは一振りの長剣だ。
「あ、これは……」
「ここに来る途中、質屋からもらってきた。お前ので合ってるよな?」
「ええ。確かに、僕の得物です」
言いながら、ネオは鞘から剣を抜き、魔力を通わせる。
スッと魔力が刀身に流れる様子が、キミヒコにも見えた。その流れはまるで淀みがなく、ネオの実力を窺わせた。
「やっぱり、愛用品は手に馴染む……。お金は――」
「気にするな。質屋が営業してなかったから、勝手にもらってきた」
「えぇ……。いいんですか? それ……」
「問題ねーよ。誰もいなかったし、この状況だ。廃業してるも同然だろ。ただの廃品回収だよ」
そうしてしばらく、愛剣の具合を確かめていたネオだったが、満足したのか鞘に収めた。
ハンターに限らず、魔力を武器に纏わせて使う人間は、自身の魔力に馴染んだ得物を大事にする。使い込んだ武器と新品では、使い心地がまったく違うらしい。
もっとも、ネオはそんな愛用品を、風俗代金のために質に入れてしまっていたのだが。
「……リシテア市から脱出したら、言語教会から報酬が入る。俺とシモンとお前で等分に山分けの予定だが……まあこの辺の話は後でしよう。天使学派の話もな。じゃ、先に俺は戻ってるから」
「姉さんの喫茶店ですよね? 了解です。後で向かいます」
「ん。……この店とうまく話をつけられるか? 俺がやってく?」
「いえ、心配には及びません。姉が心配だから少し様子を見てくるとか、適当言って、抜け出します」
ネオの返事に満足して、キミヒコはそれから二、三の話をしてから、店を出た。




