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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.5 天使たちのノスタルジア
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#10 夜の始まり

 夕暮れ時、リシテア市ギルドのエントランスに、少女の二人組がいた。ネオの元パーティメンバーの二人だ。

 二人は今日、一仕事を終えて、その処理のための手続きが終わるのを待っている。もうずいぶんと待っているが、いまだに受付から声はかからない。


 以前はこんなに待たされなかった。ネオという稼ぎ頭がいなくなった途端、ギルドの対応は悪くなっていた。


 そのこともあってか、少女の片割れはイライラとした表情を隠そうともしない。

 対して、もう一人の少女。彼女の方は青い顔をしており、額には脂汗が滲んていた。


「ねえ、大丈夫? ひどい顔色だけど……」


 相方が心配そうに尋ねてくる。


 軽く手を振って「大丈夫だよ」とだけ言うが、頭痛と吐き気はどんどんひどくなってくる。

 このところ、彼女は最悪の気分が続いていたが、今日は特にひどい。


 パーティのリーダー、ネオを追い出してからというもの、良いことがない。報酬に釣られて受けたギルドの仕事はうまくいかないし、今日は明らかに体調がおかしい。


「見てよあれ。人形遣い、また揉めてるよ……」


 苛立ちが多分に含まれた声に、顔を上げる。相方の視線の先を見れば、彼女の言葉どおり、人形遣いとその人形がいた。ギルド職員、それもかなり地位が高そうな職員たち複数に囲まれて、何事か話をしている。


 揉めている、と言われるだけあって物々しい雰囲気だ。


 ――知りませんよ。契約も結んでいないのだから、私には関係のないことだ。


 ――しかし、このままではリシテア市は……! 


 ――大勢の人間が命を落とすことになります。あなたには人の心がないのか?


 ――人の心? それで身を危険に晒すくらいなら、そんなものは願い下げですね。


 距離はそれなりにあるはずなのだが、やけにクリアに、会話が頭に入ってくる。


 苛立ち、焦燥、嫌悪、そして怒り。

 言葉を通じて、そんな負の感情が頭の中に入ってきて、ぐるぐると渦巻く。


「あの男、最低よね。たまたま、あの人形を手に入れただけで、本人はなんにもできないくせに、偉そうにしてさ。みんなのために頑張ろうとか、思わないのかしらね」


 嫌悪に満ちた相方の言葉も、頭の中に妙に響く。

 それに返事をしようとして、気付いた。頭痛がいつの間にか治まっている。


「ネオも結局、仕事は受けなかったし……。男のくせに、都市の危機に立ち向かうとか、そういう気概はないのかしら?  ああいう、だらしない人たちがいるから、都市が封鎖されるような事態になっちゃったのよ。まったく……」


 相方の少女の愚痴は続くが、こちらはそれどころではない。


 なにか、妙なのだ。


 頭痛はなくなったが、気持ち悪いのは残っている。だが、ただ気持ち悪いのではない。変な幸福感がある。


「ま、結局は行政とか強いハンターの人とかが、どうにかするでしょ。都市が壊滅するなんてこと、あるわけ……え、ちょ、どうしたの?」


 義務感に突き動かされて、立ち上がる。


 ナニカが体の中で蠢いて、気持ち悪くて、幸福だった。

 これを、分けてあげなければならない。これは義務だ。――として当然の責務なのだ。


「分けてあげなきゃ。分けて、分け、わ、わわわけけけけ――」


 口から言葉がついて出るが、思うように舌が回らない。

 世界がグルグルと回転している。視界が上にいったり下にいったりで安定しない。


 そんな有様ながら、歩行に問題はなかった。


 まっすぐに、歩く。

 向かう先はあの男。人形遣いのいる場所だ。


「ん? お前は確か、ネオの所の……」


 こちらの接近に気が付いたようで、人形遣いの声がした。


 その声の方に向けて、手を伸ばす。それと同時、それまで上下左右にブレていた視界が、明瞭になる。

 視線の先、人形遣いと周囲のギルド職員たちが唖然としていた。


 なぜだろう。彼らの方が身長は高かったはずだが、見下ろす形になっている。


 だがそんな疑問は、どうでもいい。些細なことだ。これから彼らに分けてあげる、この幸福に比べれば。


 まずはあの男。人形遣い。


 そうして伸ばした手。つい数分前に比べ何倍もの長さになった腕。その先が、人形遣いに到達する直前。

 三つの金色が見えた。


 三つの金色の瞳が、こちらを見ていた。


 一つは人形遣いの左目。

 あとの二つは、悪魔の人形の両眼。あの人形がいつの間にか――。


「ヘあ……?」


 口からは変な声が、伸ばした腕の肘先からは鮮血が、それぞれ漏れ出た。


 まったく知覚できないうちに、伸ばした腕の先が切断されていた。そしてそれは痛いはずなのに、痛くない。痛いという感覚がない。


 なにがなんだかわからなくなって、四肢を無茶苦茶に動かそうとする。

 そうするとどういうわけか、背中からも何かが動かせる感覚があって、バサバサという音がした。


 だが、その音はすぐにしなくなった。

 いつの間にか、自身の体が仰向けに倒れている。それで背中の何かを動かせなくなったようだ。

 立ちあがろうにも、立てない。いつの間にか、両足がちぎれてしまっていた。


 目に映るのは天井。そして、人形の小さな足。靴の裏側。

 それが最後に見た光景だった。



 しんと静まり返ったエントランスに、粘質な音が響いている。

 グチャグチャと鳴り響くその音の発生源は、ホワイトだ。人形が執拗に、羽根蟲の変異体、口裂け天使の死体を踏み躙っている。


 あまりの光景に、先程までキミヒコの周囲にいたギルド職員たちは絶句している。ギルドに来るや否や、キミヒコを取り囲んでどうにか契約を結んでもらおうとあれこれ言ってきた彼らだったが、もうそれどころではなさそうだ。


「……おい。もっとスマートにできないのかよ」


 いつまでも続く、あまりに陰惨な光景に、キミヒコが声をかける。


「はあ。スマートかどうかはわかりませんが、これで最後です」


 言って、人形はすでに原型を留めていない死体をさらに踏みつけた。ぐしゃりと音がして、血潮が跳ねる。

 人形の足はもちろん、そのスカートも赤黒く染まっていた。


「これで、全部の蟲を潰しましたよ」


 どこか満足げにホワイトはそう言った。


 差し当たり、危険は排除されたと見て良さそうである。

 できることなら、こんなに接近される前に始末してほしいところだが、致し方ないことだ。宿主の少女は三流とはいえ、ハンターだった。

 彼女はホワイトの糸を避けようとしただろうし、仮に糸が触れても彼女の魔力に紛れるため羽根蟲の捕捉は困難である。


 そこまで考えて、はたと気が付く。この少女は確か、二人組だった。


 急ぎ周囲を確認すると、一人の少女と目が合う。

 彼女はそれまで放心していたらしいが、キミヒコの視線に気が付くと弾かれたように駆け出した。


「おい動くなッ!! 変な動きを見せたら殺す!」


 キミヒコの怒鳴り声が響くと同時、人形が少女に向かって跳ねた。

 背中から押し倒され、少女は悲鳴をあげる。


「ホワイト、殺すな。拘束しておけ。暴れるようなら、骨の二、三本は構わんぞ」


「い、いやッ! 離せ、離してよ! あたしは関係な――」


「黙らせろ」


 主人の冷酷な一言に応え、人形はその手を少女の口に突っ込んだ。


 舌を手掴みしたらしい。少女は苦しそうに手足をばたつかせる。


「いくつか質問をする。テメーの相方、どこで寄生されたか心当たりはあるか? ……ホワイト、口から手をどけてやれ。あとばっちいからこれで手を拭いておけ」


 そう言ってから、懐からハンカチを取り出し、ホワイトに手渡す。

 人形が唾液で濡れた手をハンカチで拭っている間に、少女は呼吸を落ち着けたらしい。


 タイミングを見計らって、キミヒコは再度口を開く。


「心当たりは?」


「あ、あたしたちは悪くない! ギルドの仕事を受けただけで――」


「黙れ。次に俺の質問以外のことを口にしたら、死んでもらう。……もう一度聞く。心当たりはあるか? まずはイエスかノーで答えろ」


 再度の質問に、少女は黙って首を縦に振った。

 どうやら、心当たりはあるらしい。


「次。簡潔に、その場所だけ言え」


 変わらぬ冷たい声で、キミヒコは質問を重ねる。ゆっくりゆっくりと、一つ一つ聞き出していく。


 どうやら彼女ら二人は、ネオが抜けたあとにもハンターとしての活動をやっていたそうだ。しかも、羽根蟲の案件に足を突っ込んでいた。

 ネオの実力が評価されてギルドから話を持ちかけられたはずなのに、彼抜きで仕事を受けたらしい。


 その結果、数日前に受けた羽根蟲の生息域の調査の依頼で、口裂け天使に追い回されたようだ。幸い、直接攻撃を受けることもなく逃げ帰ることはできたらしいが、その際、足に傷ができていた。

 もしかしたら、その時に寄生されていたのかもしれない。彼女はそう言った。


「……それ、ギルドに報告は?」


 キミヒコの質問に彼女は答えない。ただ、肩を震わせている。


「おい答えろ!」


「だ……だって、報告したら隔離されて……。それに、ほんのちょっと、かすり傷だったから……! い、今まで、なんともなかったし!」


 涙ながらの弁明に、キミヒコは舌打ちで答えた。


 ギルドの隔離室に入れられることを恐れ、自分たちは大丈夫だと現実逃避をして、それでこのザマ。そういうことらしかった。


「グズが。……おいホワイト。どうだ?」


「シロです」


 ホワイトに確認を入れると、この少女の方は、羽根蟲の寄生はないらしい。人形の糸が、少女の身体をくまなくまさぐり、チェックをした。漏れはないだろう。


「そうか。解放してやれ」


「殺さないんですか?」


「どうでもいいよ、こんなやつ。実力もなければ、頭も悪い。ほっとけばそのうち死ぬだろ。……ずらかるぞ」


 吐き捨てるようにそう言うキミヒコに、ホワイトは顎に手を当てて首を傾げてみせる。


「明朝の予定では?」


「繰り上げる。すぐに行くぞ」


「例の職員はよろしいので?」


「もういい。そんな悠長は言ってられない」


 キミヒコがここに来たのはカージナルに会うためだ。明朝にこの都市を脱出するので、その誘いをしに来たのだが、もうやめにした。

 以前に断られたことであるし、この状況である。一秒でも早く、このリシテア市を後にするべきだとキミヒコは判断していた。


「あ、そうだ。シモンもまだギルドにいるはずだから、声をかけて――」


 シモンは使役魔獣の連れ出し申請に来ているはず。それについて言及しようとして、中断した。

 ドタドタという慌ただしい足音が、こちらに近づいている。


「全員動くな! 何があったか、聴取させてもらう!」


 来たのは、ギルド職員。それも武闘派の人員。ハンターあがりの、ギルド直属の暴力装置の面々だ。騒ぎを聞きつけて、ようやくやってきたらしい。


 ……面倒なのが来やがった。いちいち聴取なんぞ受けてられるかよ。


 エントランスにはギルドの職員たちの他には、受付待ちのハンターたちがいた。

 彼らは口裂け天使の唐突な出現には驚いていたものの、すでに落ち着きを取り戻している。その上で、面倒臭そうにしながらもおとなしく聴取を受ける姿勢だ。仕方ないことと割り切っているのだろう。


 そんな彼らを尻目に、キミヒコはホワイトを連れて、足早に出口へと向かう。


「お待ちください。お話を聞かせていただきたく……」


「詳細はそいつらに聞いてくれ。全部目撃してる。俺は急いでるんだ」


 案の定呼び止められるが、キミヒコはそう言って出ていこうとする。

 話であれば、先程までキミヒコの周囲にいて、一緒に口裂け天使に攻撃されかけた面々に聞けば済むことだ。


「……おおよその状況はわかります。変異体を討伐してくれたのでしょう? 報奨金もありますし、ギルド施設内での出来事なので追加の謝礼金も――」


「いらん。自分の身を守っただけだから。じゃ、そういうことで」


「いやしかしですね。我々としても再発防止のため、正確な情報が必要でして……」


「あのな。原因はギルドの管理が杜撰だからだ。いい加減な連中に仕事を回したからこんなことに――」


 イライラしながらも応対を続けていると、乱暴に入り口の扉が開け放たれた。

 見れば、一般市民と思わしき人間が数名、息も絶え絶えに駆け込んできている。


「た、助けてくれ! 人が、人が急に化け物に! 早くハンターを派遣してくれ!」


 入ってきた一人がそんなことを喚き散らす。

 すでに騒然としていたこのエントランスは、さらなる混沌に陥った。


 注意が逸れたのをいいことに、キミヒコはそっとその場を離れる。


「外はどうだ?」


「ん……あちこちで羽根蟲が一斉に変異したようです。パニック状態ですね」


 コソコソと移動しながら、外の状況を聞けば、案の定のようだった。

 以前、ホワイトから聞いていた意見。羽根蟲はタイミングを見計らって一斉に変異するのではないかという推論。それが現実になっているらしい。


「……裏口から逃げよう。シモンに糸電話で連絡を入れろ。大至急な」


「畏まりました」

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― 新着の感想 ―
[良い点] クズ野郎異世界紀行でバイオハザード見れるとは どんな作品でも、感染爆発して混乱が広がる様は見ものですねえ 人の本性が暴露されるの最高に好き
[一言] もうおしまいだよこのリシテア市。 シモンは上手く逃げ切れるのかな?コロちゃんは無事なんでしょうか。 コロちゃん無事じゃなければシモンも色々諦めてしまいそうで…
[良い点] カージナル気にして出発遅れたから緊急事態に巻き込まれて カージナルに会うためにギルド来てたから緊急事態に一足早く対応できそうなの キミヒコを象徴する流れだと思う 結局カージナルに会えなくて…
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