#9 追放者
デルヘッジとの会話から数日後。
リシテア市の空気は変わっていた。陰鬱なような、閉塞感のあるような、あるいは殺気立っているような、そんな雰囲気。
原因は明らかだ。つい先日に行政から市民に向けて出された通達。市民が都市外に出ることを制限する、このお触れが理由だ。
正式にこの通達が出る前から、リシテア市は市民が外に出ることや、逆に市外から人が入ってくることに制限がかけられていた。市民には理由が伏せられているが、羽根蟲の封じ込めのためである。
人の往来や物資の流通。それらが滞ることで、市民の生活に支障が出始め、不満が高まってきていた。
そんなときに、この通達である。期限は未定なうえ、その理由も伏せられている。
市民たちは当然、動揺した。
役所は抗議デモやら何やらでごった返し、商店には物資の買い占めのための人間が殺到している。
そんなリシテア市の、とあるカフェ。
このカフェの店主、アミアは荒れていた。
「なんでこんな……おかしいでしょ!? なんとかしてよ、キミヒコさん!」
「そ、そんなこと言われても……」
アミアに泣きつかれて、キミヒコはしどろもどろにそう返す。
彼女が狼狽しているのは、外の市民たちのような理由ではない。
食料や金の無心、あるいは都市外への脱出の手引き。そういう話なら、キミヒコは冷たく断るだけなのだが、今回はそういうことではなかった。
「ネ、ネオが……弟が、あんな駄目人間になるなんて……! キミヒコさんが悪の道に引き込んだんでしょ!?」
話の発端は、彼女の弟、ネオだった。
キミヒコはかねてより計画していた、天使学派実験棟への襲撃にネオを引き込むため、彼を探していた。
常ならギルド職員であるカージナルに聞けば、すぐに居所がわかるのだが、どうも最近はギルドに顔を出していないらしい。
そうした次第で、ホワイトも引き連れ、アミアの下へと顔を出したのだが、店に来た途端に彼女にこうして絡まれることになっていた。
彼女の弟、ネオは、キミヒコが夜のお店に連れていってやったことがある。それが原因で、どうにも良くない状況になっているらしい。
「まあまあ、いったん落ち着けよ。アミアがちょっと潔癖なだけなんじゃないの? 俺は一回遊びに誘っただけだぞ。ちょっと遊ぶくらいの方が健全なんだって」
「ちょっと遊ぶとか、もうそんな次元じゃないんだよぉ……」
心底困ったという顔で、アミアが状況を語り出す。
つい先日、ネオがアミアの下へ一人でやってきた。聞けば、一文なしで、丸一日なにも食べていないということらしい。
いったい何があったのかと、アミアはそれはそれは心配をして、ご馳走を振舞ってやった。それで一息ついたところで、無一文となった理由を聞き出して愕然とした。
なんとネオは、夜の店、要するに風俗に大ハマりしてしまい、全財産を使ってしまったとのこと。おまけに、また遊びに行くための金を貸してくれなどと姉に言う始末。
当然、アミアは金を貸しなどしなかった。だがネオは、姉が金を貸してくれないとなると、今度は街金を頼ってしまった。
飢えてはいけないと、アミアは弟の衣食住の世話をしてやっている。だが、ネオはあちこちから金を借りては遊びに行き、借金はどんどん膨らんでいるとのこと。
「えぇ……。てか、闇金もよくそんなに貸してくれたな。これまで真面目にハンターやってたから、その信用のおかげか……」
アミアの話を聞いて、キミヒコがぼやく。
ネオを夜の店に連れていってから、それほど日数は経っていない。にもかかわらず、これほどの借金を重ねるとは、よほどの豪遊をしているらしい。
あーあ。それまでまったく遊んでこなかったから、反動でエグいことになったのか。あいつ、なんかちょっと、危うい雰囲気あったもんな……。
最後にネオと会話をした際のことを思い出し、キミヒコはこの状況に至った経緯を理解した。
「借金は私が立て替えてあげればいいけど、これ以上増えたらそれもできない。キミヒコさんが変なことを教えてこうなったんだし、どうにか協力してよ……」
「い、いや、俺の責任じゃなくない……?」
「わかってる、わかってるよぉ……。本人の責任なことくらい、わかってる。でもこんなのあんまりだ。お父さんとお母さんだけでも大変なのに、弟までこんな……。あんなに真面目ないい子だったのに……!」
アミアはもう涙声になっている。
彼女の苦境は理解できる。金をたかりにくるのは弟だけではないのだ。
弟が風俗に狂っているのであれば、両親は宗教狂いだ。それもハマっているのはタチの悪いカルト宗教、天使学派である。
この頭を抱える状況に、藁にもすがる思いで、キミヒコを頼っているのだろう。
「あー……その、なんだ。俺、実はちょっとした仕事をネオ君に持ってきたんだよ」
「仕事……?」
「そう。結構見込みありそうだったからさ、彼。俺の抱えてる仕事を手伝ってもらおうかなーって。大口の仕事だから、それくらいの借金は返せるし、それで勤労意欲を思い出せば、更生できる……かも」
キミヒコはそうは言うものの、見込みがあると思っていたのは、こんな状況になる以前のネオに対してだ。会ってみて、もう駄目そうなら、それまでのことである。
だがアミアにはそれが弟の更生の道筋に思えたらしい。
キミヒコの手を取り、何度も何度も「ネオを頼みます」と言ってくる。キミヒコは彼女の必死の眼差しから目を背けるようにして、了承した。
◇
「あ、キミヒコさんじゃないですか。その節はどうも、お世話になりました」
キミヒコが案内された部屋。お店の隣の小さな家、アミアの自宅の一室に、ネオはいた。
キミヒコが来るまで、横になっていたのだろう。髪がボサボサだ。目の下にはクマができていて、以前よりもやつれているように見える。
「ちょ、ちょっとネオ。あなた、またこんな時間まで寝てたの? もうとっくにお昼も過ぎてるよ」
「あー……ごめん、姉さん。ちょっと寝不足でさ……」
「寝不足って……昨日は何時に戻ってきたの? もう朝帰りはしないって約束したよね!?」
姉からの小言に、ネオは力なく笑って返すのみだ。
「ネオ! 今日という今日は――」
「ちょっとストップ」
アミアがそのままの勢いで説教を始めようとするが、その言葉はキミヒコにより中断される。
「とりあえず、俺が話をするってことでいい?」
キミヒコの言葉に、アミアは無言で頷き、おとなしく引き下がった。
「いったいどうしたんですか? 僕に何か用事でも?」
「ああ。ちょっとな……」
言いながら、キミヒコは手をひらひらさせて、アミアに部屋を出るよう促す。
アミアはそれに対して逡巡していたが、結局、キミヒコに一礼してから部屋を出ていった。
それを確認してから、今度はホワイトに目配せをする。
『大丈夫です。聞き耳は立てられていません』
糸電話により、ホワイトの声がキミヒコの耳に入る。
羽根蟲のことや天使学派についての話を、アミアの耳に入れたくない。そのため、念の為の確認をしたのだが、彼女は素直にこの場をキミヒコに任せたようだ。
「さて、ネオ君。姉さんから聞いたぞ。どうも、良くない状況らしいな」
「いやぁ、まあ、その……はい。お恥ずかしい限りです」
「別に説教をする気はない。それほどの付き合いもないし、俺はそういうのは好かんしな」
「はあ……」
アミアからはこの少年の更生を期待されているわけだが、キミヒコにそんなつもりはない。
重要なのは、ネオが役に立つか立たないか。それを確認し、使えそうなら利用する。それだけのことだ。
「ただまあ、アミアから頼まれた手前、いろいろ聞いておきたいこともある。お前、ハンター稼業はどうした? パーティは?」
そう問いただすキミヒコに、ネオは素直に近況を語り始めた。
要点は三つ。
その一。元いたパーティはやめた。
他のメンバー二人、あの少女たちと何やら揉めたらしい。パーティから抜けて、ネオは今、一人の状態だ。
その二。ギルドの仕事、羽根蟲の案件は受けていない。
ギルドはネオ個人でなく、彼のパーティに依頼する形をとっていた。ネオの脱退後に請け負ったかどうかはわからないが、もう彼には関係ないことである。
その三。ネオは今、一文なしだ。
アミアが語ったとおり、彼はキミヒコが連れていった店に通い詰めていた。一晩に一人というペースではない。一日で三人くらい指名することもあるらしい。
あの店はそれなりの高級店である。おまけに嬢に煽てられるがままに、高い酒だのなんだのをバンバン注文していたようだ。
こんなお大尽を続けていれば、彼の貯蓄がなくなるのもわかる話だった。
「まあ……あのパーティを抜けたのは、いいんじゃないか。あの女二人はどう考えても寄生虫だったし」
あっけらかんと自らのあんまりな現状を語ったネオに、キミヒコが言う。
なかなかの惨状ではあるが、パーティを脱退したことと、羽根蟲の案件を引き受けていないことは、キミヒコにとっては評価点だった。
「いやあ、抜けたっていうか、追い出されたんですよね」
「どっちでもいいよ。ちゃんと手切れ金は取ってきたか?」
「いやだから、追い出されたんですって。あんたなんか追放よ! とか言われちゃって」
「どういうこと……?」
よく意味のわからない話に、キミヒコは怪訝顔だ。
そんなキミヒコに、ネオはパーティを追い出された際のことを説明した。
話は簡単だ。パーティの金を持ち出して、その金で風俗で遊んで、それがバレて追放。
確かにこれでは、手切れ金の交渉などする余地はない。
「いや、あの、馬鹿なの? パーティ共用の金で風俗とか……。ていうか、よく金を持ち出せたな」
「そりゃ、宿とか税金とか、諸々の手配は全部僕がやってましたし」
「なるほど。財布の紐は、お前が握ってたのか」
ネオの説明にキミヒコは得心がいった。パーティの経理を担当していたのなら、金の使い込みなど簡単なことだろう。
だが一人納得するキミヒコに、ネオは首を振った。
「いえ、お金の使い道は合議制でした。多数決」
「多数決って……。三人組だったから、あの女二人に結託されたら、お前の意見は通らないんじゃないのか?」
「あー……まあそうかも。ていうかそうでした」
若干、バツが悪そうにネオが言う。
リーダーとしての仕事や雑務を強要されながらも、決済する権限なし。おまけに実力を考慮すれば、ハンターとしての仕事の比重も、ネオに偏っていただろう。
そんな環境に甘んじていたことに、ネオはいまさらながら、思うことがあるようだ。
「えぇ……どんだけお人好しなの……。いや、パーティの金で風俗行く時点で、もうお人好しでもないけど……」
呆れたようにキミヒコが言う。
こいつも馬鹿だが、この状況で追い出すとか、あの小娘二人も相当馬鹿だな。今はこんなでも、パーティで一番腕が立つのはこいつだったろうに……。
今はこの有様だが、ネオに実力はあった。
パーティの共用資金を使い込んだのは問題だが、追い出すのは自分たちの首を絞めることに他ならない。
現状、この都市から逃げ出すにはコネが必要だ。元パーティメンバーの少女二人に、それがあるとは考えにくい。
ネオ抜きで、この先どうやって生き残るつもりなのか。
キミヒコがそれについて考えていると、ふと気が付くことがあった。ネオは前に会った時は、彼の愛用の長剣を常に持ち歩いていた。店に連れていった際にも持参していた。
それが、今は見当たらない。
「……おい、得物はどうした?」
「ああ、あの剣ですか。お店に行くために、質に入れちゃいました。あと一週間で借金を返さないと、取られちゃいますね」
軽い調子でそんなことを言うネオに、キミヒコは驚愕する。
借金はまだいい。ハンター稼業をやっていれば返せない額ではないし、この都市の状況なら踏み倒しも視野に入る。都市が壊滅するような事態になれば、ドサクサに紛れてどうとでもできる。
だが、武器がないのはまずい。ハンターとしての仕事ができなくなるどころか、生き残れるかも怪しくなってくる。
「取られちゃいますね、じゃねーんだよこのボケカス! 状況わかってんのか!? もうこの都市は封鎖されてる。パンデミックまで秒読みなんだぞ。丸腰でお前この先どうすんの!?」
思わず声を荒らげるが、ネオはエヘヘと笑うだけだ。
こ、こりゃもう駄目だ……。完全に道を踏み外してる。明日の命より、今日の快楽のために生きてるよこいつ……。
愕然しているキミヒコだったが、急に服の裾が引っ張られて我に返る。引っ張られた方を見れば、人形が小さな手で、キミヒコのシャツを掴んでいた。
「……どうした?」
「ここに近づく人間がいます。カフェの女店主とあの魔獣使いの男です」
ホワイトが、こちらに近づく人間を探知したらしい。アミアとシモンのようだ。
シモンとはこのあとに、アミアの店で落ち合う予定だった。例の計画の打ち合わせのためだ。場合によってはネオも交えての打ち合わせだったが、その計画はもう、キミヒコの中では潰えている。ネオは当てにならない。
「キミヒコさん! 仕事仲間を連れてきたよ!」
「お、お邪魔します……」
部屋の扉が開けられて、二人が入ってくる。
シモンはどうやら、アミアに無理やりに連れてこられたような雰囲気だ。彼女としては、シモンも交えて、弟の更生のための仕事の相談をしてほしいというところだろう。
キミヒコは嘆息して、とりあえずこの場を退散するための言い訳を考え始めた。
◇
ネオの部屋で、益もない会話をしばらく続けてから、キミヒコとシモンは喫茶店に腰を落ち着けていた。
「おいおいおい……。あれに仕事を任すつもりだったのか? やばくね?」
呆れたようにシモンが言う。
つい先程、シモンもネオの様子を確認している。彼に計画の一端を任せるのは、あまりに不安が大きい。キミヒコも同意見だ。
「やばいな。いや、マジでやべーよ。計画は頓挫したよ。……しゃーない。諦めてもう逃げるか」
「お、そうしようそうしよう。いつ出る?」
もうこのリシテア市から出る。キミヒコのその言葉に、シモンは待ってましたとばかりに喜色を浮かべる。
天使学派実験棟への襲撃。その計画準備のため、シモンはそれなりの手間暇をかけていた。それが無駄になったことよりも、ようやくこの危険な都市から逃げられることの方が嬉しいらしい。
「んー。今日はあと少しで日が沈むし、明朝でどうだ?」
「うーっす。もう俺の逃げ支度は済んでるから、後はコロちゃんを連れてくるだけだわ。じゃ、朝イチで脱出な」
シモンの使役魔獣、巨大な蜘蛛のようなあの魔獣は現在ギルドの畜舎にいる。今日のうちにギルドに申請をしておけば、明日の朝には市外に連れ出すことができるだろう。
「ん。じゃあ俺もギルドに顔出してこようかな。最後だし」
「え、なんで?」
「知り合いがいるからさ。一応、逃げるかどうか聞いてくる」
「あー、例の買収した職員か。律儀だなぁ……」
シモンと会話をしながら、サンドイッチを口に運ぶ。
変わらず美味しいサンドイッチだが、具材は以前に比べ少なめだった。この都市の物資の流通具合が反映されているのだろう。とはいえ、サンドイッチとしての体裁が整うだけ以上の具材は入っている。アミアの営業努力によるものだ。
都市がこんな状況でも、そして家族があの有様でも、この喫茶店を切り盛りしようと彼女は頑張っている。
ここから連れ出して助けてやろうとまでは思わないが、キミヒコはアミアに同情していた。
「はぁ……やれやれ……。あの親にして、あの息子ありだな。この一家、まともなのは娘だけか。アミアのやつ、拾われた子だったりしてな……」
「お、鋭いねぇ」
キミヒコがこぼした言葉に、シモンがしたり顔でそんなことを言う。
「お前、この前、天使学派の養子斡旋事業を気にしてたろ。養子のリスト、かっぱらってきたぜ」
怪訝な顔をしているキミヒコに、シモンがそう言って書類を差し出した。
黙って受け取り、目をとおす。
天使学派が斡旋してきた養子が、いつ、どこの家庭に送られたのかがそこには記されていた。
その中にはアミアの両親の名前があった。『S35』という女の子を引き取ったことになっている。年月日を確認すれば、この女の子は物心がつく前に引き取られ、現在は十九歳。アミアの名前はないが、『S35』とは彼女のことで間違いないだろう。
「……養子の名前じゃなくて、番号で管理されてるのか。実験レポートみたいな書き方だな」
キミヒコのその声に、嫌悪の色が滲んでいた。子供を番号で管理するやり方が、どうにも気に食わなかった。
「このリスト、どこで作成されたと思う?」
「もったいぶるなよ。言え」
「実験棟だよ。作成者の名前に見覚えがある。そいつは確か、実験棟の所属だった」
シモンの言葉に、キミヒコの目がスッと細まる。
この養子斡旋事業は、あまりにキナ臭い。
「養子斡旋事業の本部は、実験棟にあった。つまりこれは慈善事業じゃなくて、研究の一環で行なわれた……?」
「そう思えるな。どういう実験なのかはサッパリだが」
「この子供たちは、いったいどこから来たんだ? 本当にただの孤児なのか?」
「わからん。取ってこれたのは、このリストだけだ」
シモンもこれ以上知っていることはないらしい。
キミヒコは再び、資料へと視線を落とした。
しばらく黙ってリストを眺めていると、もう一つ、気になる点が出てきた。
「……早死にが多いな。大抵、十歳までには死亡か」
リストに載っている養子たちのリスト作成時点での状態について、備考欄に軽く記載がある。
何年何月何日に死亡。そういう記載がやたらと多い。
「……『S35』は存命。リスク因子発現は現時点において認められず……か。アミアは健康に見えたが、あいつはいったい……」
アミアの顔を思い浮かべながら、キミヒコはぼやいた。




