#6 漆黒の剣
「へえ、すごい! その歳でそんなに活躍するなんて、ネオ君、優秀なんだね」
「あ、いや、そ……そんなことは……」
「謙遜しちゃって、可愛い〜」
ネオが顔を真っ赤にして縮こまっている。彼の前のテーブルには、琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれ、隣には綺麗なお姉さんが座っている。
キミヒコに連れられ、ネオが来たのは酒場だ。酒場、とはいうものの、この店のメインは酒ではなく女性店員の接待である。ついでに宿泊施設もある。そういう場所だ。
あーあー、初心すぎだろこいつ。女の子を二人も侍らせていたはずなのに、指一本触れてないんだろうな。あの女どもに寄生されてんのか……。
呆れたような、それでいて同情もしているような、そんな視線を向けながら、キミヒコはグラスをあおった。
同じテーブルにかけているものの、キミヒコが飲んでいるのはただの水である。本日は休肝日だ。
最初は当然のように酒を頼もうとしたのだが、隣にいるホワイトにじっと見つめられて断念していた。
店の嬢に可愛がられているネオを尻目に「ちょっとトイレ」とだけ言って、キミヒコは席を立つ。ネオはもういっぱいいっぱいの状態らしく、キミヒコが席を立ったことなど気付いていない。
そんな彼を尻目にテーブルから離れてから、店のボーイに目配せをする。
太客への対応は素早いもので、すぐさまキミヒコのそばまでやってきた。
「いかがされましたか? キミヒコさん」
「俺が連れてきた小僧、あの嬢を気に入ったらしい。一泊、いける?」
「もちろんです。すぐに部屋を手配します。キミヒコさんは今日はどの娘に――」
「俺はいい。今日は仕事で来た」
仕事で、という部分を強調しながら、キミヒコは懐から硬貨を取り出し押し付けるように渡す。硬貨の種類とその枚数に、ボーイは目を瞬かせた。おおよそ、相場の三倍はある。
「ついでにこいつも受け取れ。お前の分と、あの嬢の分のチップだ」
そう言って、追加でチップも弾んでやる。
キミヒコの大盤振る舞いに、ボーイは訝しげな表情を浮かべた。
「……ご要望は?」
「あのガキから、聞き出してほしいことがある。まず――」
キミヒコは手早くボーイに指示を出す。
ネオを利用するうえで必要そうなこと。それから、件のアーティファクトについて。
後者については期待していない。だが、あの少年は幼少よりあのカルト教団と関わりがある。なにか手掛かりでも掴めれば儲け物というところだ。
当然のことながらこれらの指示は、キミヒコの目的を悟られぬよう、この店の従業員たちにはぼかした伝え方をしてある。
「……かしこまりました。やってみます」
「任せた。まあ、聞き出せなければ、それはそれでいい。あいつに妙なことを悟られるなよ」
「心得ております」
「……ん。じゃ、俺は戻るから」
言って、キミヒコは踵を返して歩き出す。
そのまま元いたテーブルに戻ろうとしたが、なんとなく、一服したくなった。
葉巻を咥え、ホワイトに火をつけさせる。
「あれこれやっていますが、面倒なことですね。聞きたいことがあるなら、私が痛めつけて吐かせますけど?」
葉巻をふかすキミヒコに、ホワイトがそんなことを言う。
回りくどいことをしている自覚はある。とはいえ、堂々と聞き込み調査などをすれば、天使学派に気取られる恐れがある。ただでさえ、キミヒコは警戒されているのだ。
それに、ネオという少年の背景次第では、今後も彼とは付き合いがあるだろう。
「あのなぁ……あいつにはいろいろ協力してもらう予定なんだよ。暴力的なことはやめろ」
「協力? 従わなければ殺す。それだけ言えば済みそうですが」
「君ねぇ……」
バイオレンスな人形の提案に、キミヒコは呆れ顔だ。
命がかかった場面では、そういったことに躊躇はない。だが現状はそこまでではないし、この仕事も絶対に成功させなければならないわけでもない。
この人形の暴威は、自らの身の安全のためだけに機能すればいい。今のところ、キミヒコはそう思っていた。
「……さて戻るか。どうなってるかな、あいつ」
葉巻を一本吸い終わり、ホワイトを連れてネオたちの下へと歩く。
ネオが緊張していたのは、彼自身が初心なこともあるが、ホワイトという恐怖の源が近くにいたこともあるだろう。キミヒコとともに、ホワイトが席を外したことで、彼はどうなったのか。
「なんか二人とも、僕に仕事を受けるのは当然って……! 正義のためだとか、故郷のリシテア市のためだとか。男の僕が率先してやるべきとか、おかしいでしょ!? おまけに人形遣いがけしからんとかって、ギルドの受付に頼まれて安請け合いして……あの人形、超怖いのに。なんで僕が、僕が……!」
戻ったキミヒコが目にしたのは、嬢によしよしされながら、日頃のストレスをぶちまける少年の姿だった。
やはりというべきか、パーティメンバーの少女二人から損な役目を押し付けられていたようだ。アルコールの入った赤ら顔で、嗚咽混じりに愚痴を吐き散らかしている。
こうなればもう、相手をするのは容易いものだろう。嬢の方は慣れたもので「辛かったね」だとか「ネオ君は偉いよ」だとか、適当な相槌を繰り返している。
「なかなか、楽しんでいるらしいな? 少年」
「はえ? キミヒコさん、今までどこに……ひぇっ」
キミヒコが声をかけたことで、ホワイトの存在に気が付いたらしい。ネオは小さく悲鳴をあげて、嬢に縋り付く。
その様子にキミヒコは軽く笑みを浮かべる。
「やれやれ。俺たちがいると、安心して楽しめないらしいな」
「あ、いえ、ごめんなさい。ちょっとびっくりしたと言いますか……」
「あー気にしなくていいぞ。そういう反応には慣れてる。実際、こいつはヤバイ奴に間違いない」
そう言ってキミヒコはホワイトの頭を小突いた。
ついさっき、拷問や脅迫を提言していたはずのこの人形は、自分が小突かれた理由がわからないらしい。コテンと首を傾けて不思議そうにしている。
その様子を見て、キミヒコは笑う。
「ふふ……。まあ、こいつはこの調子だからさ。俺は俺で楽しんでるから、そっちはそっちで楽しんでいてくれ」
そう言ってキミヒコは席を立った。
◇
翌朝。キミヒコはホワイトを連れ、昨日の酒場に向かっていた。
昨日はネオを置いてさっさと帰ってしまったが、果たしてどうなったか。それを確かめるため足早に歩く。
酒場に到着すると、店の前にはネオがいた。心ここに在らずといった具合に、ぼんやりと佇んでいる。
「やあ、おはよう。どうだったかな? 昨晩は」
キミヒコが朗らかに声をかけるが、返事がない。ネオは口を半開きにしたまま、虚空を見つめている。
「おーい。どうした? 大丈夫か……?」
続けて声をかけると、ネオはようやくこちらに気が付いたらしい。相変わらずぼんやりした雰囲気だが、キミヒコの方へと顔を向けた。
「……よかった」
「あん?」
「いやよかったですよ!! 今日という日を迎えることができてよかった! 生きることは素晴らしい!」
「お、おう。そりゃなによりだが……」
唐突に大声を出すネオに、キミヒコは引き気味だ。
そんなキミヒコの様子など気にも留めずに、ネオはマシンガンのように昨晩の体験がいかに素晴らしかったのかを語り続ける。
「ちょ、ストップストップ。わかったから少し落ち着け。ちょっとは場所と時間をわきまえよう。な?」
繁華街とはいえ、まだ日が昇ってすぐの時間だ。
キミヒコの指摘に、ネオは「あ、それもそうですね」とだけ言ってすぐさま平静になった。その切り替えの早さに、キミヒコは少しばかり不気味さを覚える。
「……ずいぶん酔ってたが、妙なこと口走らなかったろうな?」
「妙なこと?」
「ギルドの守秘義務を破ると、面倒だぞ」
キミヒコの言うことに得心がいったらしく、ネオは顎に手を当て昨晩のことを思い返している。
ギルドの守秘義務とは、羽根蟲のことだ。
「んー……と、大丈夫ですね。変なことは言ってない……はず。家族のこととか、プライベートな話はしましたけど」
ネオの話しぶりから、店はキミヒコのオーダーをしっかりとこなしたらしいことを察する。
心中で笑みを浮かべ、この後に店から詳細を聞こうと思っていると、ネオがさらに口を開いた。
「ああそういえば、変なことを聞かれたような……黒い剣がどうとか……」
その言葉に、キミヒコの目がスッと細まる。
キミヒコの捜索するアーティファクト『ディアボロス』は、漆黒の刀身を持つ剣の形状をしている。悪魔の名を冠するその剣は、時間の流れに干渉する力があるという。
「ああ、それはまあ、ハンター相手の定番トークだろうな。討伐した魔獣とかかっこいい武器とか、そういうの」
「はあ……。なるほど、そういうもんですか」
余計な勘繰りをされる前に、適当に誤魔化す。
詳細は後で店の人間から聞くとして、キミヒコの方からも簡単に尋ねることにした。
「しかし、黒い剣……ね。どんなもんだろうな。見たことある?」
「……ずいぶん昔、何年前だったか覚えてないですが、ミサかなにかで真っ黒な剣を見たような……。いや、剣だったかな。ナイフだったかも」
ミサとは、この都市の言語教会のものだろう。要するに天使学派主催の集会だ。
そこで見たことのある、黒い剣。お目当ての品の可能性は、大きい。
まじか。駄目で元々のつもりだったが……。信者相手に聞き込みができれば、もっと早く辿り着いてたかな。
想定外の収穫に、なんとも言えない思いが広がる。
アーティファクトの捜索が前進するのは喜ばしいが、ないということがわかった方がさっさと諦めることができた。
「そういえば、キミヒコさんはどうしてここへ? 昨晩は泊まったわけではなさそうでしたが……」
「ああ、忘れ物があってな。取りに来たんだよ。……じゃあ、俺は店に行くから。パーティメンバーには昨日のこと、うまく誤魔化しておけよ」
「あ、はい。ありがとうございました」
それだけ会話を交わして、キミヒコはネオと別れて店に入った。




