#4 パニックホラーの予兆
「キミヒコさん。私たちは今、本当に困ってるんです。リシテア市の状況、理解しているんでしょう?」
ギルドの一室。キミヒコはそこで催促を受けていた。内容はもちろん、新種の魔獣、羽根蟲の討伐依頼を受けてほしいという話だ。
リシテア市まで足を運んだものの、いつまで経っても依頼を受けないキミヒコに、ギルドは業を煮やしているらしかった。
「お願いします。あなたが頼りなんです……!」
「えー。そんなこと言われてもなー」
現在、キミヒコに頼み込んでいるのは、ギルド職員の受付嬢だ。
ギルド職員の花形である受付嬢。その中でも特に見目が良い者を選んだのだろう。かなりの美人だ。
そんな美女が、上目遣いで頼み込んでくる。
だが、キミヒコの態度はつれないものだ。
「あの新種を全部綺麗に駆除するなんて、こいつでも無理だって。どこにどれだけいるのか、ギルドもわかってないんだからさ。なあホワイト」
「やれ、と言われればやりますけど」
「……こいつ、ちょっと自信過剰なんで。とにかく、無理なものは無理だから」
現時点で、依頼を受けることはできない。
美人に必死に頼まれようが、ホワイトが自信満々だろうが、キミヒコの主張は変わらない。
「だいたいさぁ……今回の依頼、終わりが見えないんだけど。変異体を何体ぶっ殺したら、とかさ。明確な終わりを設定してもらわないと、受けるに受けられんよ」
「それは……このリシテア市の安全が確保されるまで――」
「はっきり言うけど、俺はこの都市と運命を共にする気はない」
いざとなれば、この都市を見捨てて逃げる。キミヒコはそう言っている。
「な、なら、どうしてこの都市まで来たんですか? このままじゃ、リシテア市は……。どうしたら依頼を受けてくれるんですか?」
「ギルドが呼んだから来たんだよ。それだけでも感謝してほしいところだ。……で、なんで依頼を受けないって、そりゃ、成功する目処が立ってない仕事はできないからだよ」
報酬は悪くない。教会の依頼のカモフラージュにもなる。そういう意味では受けてもいいのだが、なかなかそこまで踏み切れない。
一度引き受けてしまえば、いざというとき、この都市からの脱出が難しくなってしまう。契約上、敵前逃亡は許されないだろう。
「こいつを暴れさせれば、あの気持ち悪い寄生虫やら口裂け天使やらを、殺してまわることはできるさ。でもそれで全部の駆除は無理だろ」
キミヒコが続けて言う。
ホワイトは強い。最強である。そう信じている。しかし、そうであったとしても、今回の仕事は厳しいものだ。
広範囲に散らばる対象を、漏れのないように始末するには、どうしても時間がかかる。対象の増殖スピードと駆除のスピード。どちらが速いかは微妙なところだ。
加えて、キミヒコ自身の安全性の問題もある。
「……羽根蟲はいったい、どこまで広がってる? まさか、もう市内にいるんじゃないだろうな?」
「そ、それは……詳細は私にも知らされていません。機密情報ですので……。あなたが依頼を受ける決断をしたなら、現時点で判明している情報は全て開示されるはずです」
キミヒコの疑念に対する返事は、若干、声が上擦っていた。
この女、知ってやがるな。すでに市内も安全じゃないってことを……。
カージナルからの情報で、キミヒコはすでに市内にまで羽根蟲が入り込んでいることを知っていた。主な生息域は都市近郊の湖とされているが、もはやどこにいても不思議ではない。
おまけに、近隣都市も水際対策を始めて、関所の通行に制限がかけられつつある。
状況はかなり悪くなっていると見るべきだろう。
「……羽根蟲の研究を進めて、なにか画期的な作戦でも考案してから呼んでくれ。勝算があるのなら、協力するのもやぶさかじゃない」
「い、いや、ですから……そのためにも、キミヒコさんの協力が必要で……。討伐以外にも実地調査などを助けていただけたら……」
「他にも人を集めてるんだろ? そういうやる気のあるやつとか、行政とかと協力してなんとかしてくれ。……ま、そういうわけだから。進展があったら呼んでね。バイバーイ」
これで話はおしまいとばかりに、キミヒコは席を立った。
◇
ギルドの催促を受け流し応接室を後にしたキミヒコは、ギルド庁舎の廊下で人と話していた。
買収したギルドの職員、カージナルとだ。
「キミヒコさん。あなた、受付嬢たちからすごい評判が悪いですよ」
「だろうな。でも俺は悪くないだろ。ちょっと顔がいいからって、それが有利に働くと思ったら大間違いだっての。女のプライドを傷つけられたとか、そんな逆恨みをされても困る」
カージナルの言葉に、苦い顔をしてキミヒコはそう返す。
このところ、ギルドは選りすぐりの受付嬢を取っ替え引っ替えで、キミヒコの下に送りつけている。見え見えな色仕掛けに、キミヒコは辟易としていた。
今日の話はまだマシな方で、露骨に夜のお誘いをされたこともある。怒鳴り散らして退席することもしばしばだった。
「てか、なんでハニートラップみたいなの仕掛けられてんの? あれってそんなに有効なのか……?」
「まあ、ハンターって刹那的な方が多いですから。それに、キミヒコさんは女好きみたいなふうに思われてるらしいですよ。ほら、夜の街でよく遊んでるとか……」
「金を払って、その分楽しんでるだけだ。プライベートはプライベート、ビジネスはビジネス。色仕掛けでどうにかなるわけないだろ」
「そういう、公私を分ける姿勢は良いと思うんですけどね……」
キミヒコの言葉に、カージナルは苦笑いだ。
「……で、前振りはこのくらいにして、なにかいい話はあるか?」
「良い話はないです、正直。悪い話ならありますが……」
暗い顔をしてカージナルが言う。
キミヒコは無言で続きを促した。
「昨日、調査のため、湖の下流の一つを調査をしていた一団が帰還しました。その際、あの口裂け天使を発見。襲われたそうです」
「……そいつらは?」
「同行していたハンターの一人が、羽根蟲を植え付けられました。今、ギルドの研究棟に収容されています」
カージナルの話に、キミヒコは無言のまま思案する。
ギルドの研究棟は病院としての機能もある。だが、収容されたハンターは、治療を受けるわけではないのだろう。羽根蟲の生態調査のため、サンプルとして生かされているか、あるいは安楽死か。
どちらがマシな末路だろうかと考えているキミヒコに、カージナルがさらに状況を説明する。
「同行のハンターたちは四人パーティだったのですが……無事な三人が、なにがなんでも仲間を助けろと、ギルドと揉めています」
「できんの? そんなこと」
「具体的な容態はわかりませんが……まあ、外科手術で取り除けるようなら、揉めてはいないでしょうね……」
他人事ではない話を聞いて、キミヒコは気が滅入った。
寄生されれば、まず助からないだろう。あの気持ちの悪い、口の裂けた出来損ないの天使みたいな醜悪な姿になってしまう。おまけに意識も乗っ取られるらしい。
寄生された人間の末路について考えていると、キミヒコはふと思いつくことがあった。
「……人間が羽根蟲を植え付けられて、それで変異した場合。それって区分としてはどうなるんだ? 魔人ってやつか?」
魔人。それは、魔獣の人間バージョンのような存在である。
その身に魔石が内蔵され、魔獣の戦闘力と人間の知性を併せ持つ、大変に厄介な存在とされている。しかも、知性があっても大抵は人間に敵対的だ。
もっとも、その存在が確認されることはほとんどない。キミヒコも見たことはない。
「いえ、魔人にはならないですね。今回の件で人間が変異した場合、その知性は著しく退行しますし、見た目も人間からはかけ離れたものになりますから。危険度もそれ単体では魔人には程遠いですし」
カージナルの回答に、キミヒコは「ふぅん」と返す。
念の為に聞きはしたが、予想はしていたことだ。
まあ、それはそうか。あの口裂け天使は、知性のカケラもなさそうな見た目だしな。それに魔人って、超強いらしいし……。そうそう、何体も駆除できないだろうしな。
魔人について考えるのをやめ、キミヒコは懐に手をやり葉巻を取り出し、人形に火をつけさせて一服する。
カージナルにも一本、葉巻を渡そうとするが、彼は手を振って断った。
「葉巻、吸わないんですよ」
「へぇ……健康的でいいね」
「娘ができてから禁煙しまして……。自分でも、よくできたものだと思います」
カージナルのなかなかの父親ぶりに、キミヒコは遠い目をした。
そのまま、ぼんやりと葉巻をふかす。
「……キミヒコさん。逃げなくて大丈夫なんですか?」
おずおずと、カージナルがそんなことを尋ねてくる。
「おそらく、リシテア市は、もう……。近隣都市からは封じ込めを受け始めていますし、市民に隠すのも、そろそろ限界です。パニックになるのが先か、あるいは市内が羽根蟲と変異体で溢れるのが先か……。いずれにせよ、そうなってからでは……」
意外なことに、カージナルは心配をしてくれているらしい。
キミヒコは苦笑しながら、隣にいるホワイトの頭に手をやる。
「俺にはこいつがいるから、まだ大丈夫」
言いながら、ホワイトの頭を撫でる。
この都市に来てから、ホワイトは片時も離れることなく、キミヒコのそばに控えていた。今現在もそうしているように。
「パニック状態の群衆だろうが、口裂け天使だろうが、こいつがいれば関係ない。ここからの脱出はわけないことだ。それに関所も問題ない。フリーパスになるよう、教会から圧力をかけてもらってある」
その言葉のとおり、ホワイトがいれば脱出の障害はない。口裂け天使の強さはそれなりだが、群れで襲い掛かられてもホワイトならば瞬殺できる。パニック状態で、暴徒と化した市民も同様だ。
そして関所については、教会を通じてすでに手を回してあった。アーティファクトの捜索状況がどうあれ、いよいよとなれば脱出してもいいという言質もとってある。
「あんたも逃げたくなったら、言え。検問くらいはどうにかしてやる」
「いえ、私は……」
「……家族が心配じゃないのか?」
「あなたのおかげで、妻も娘も、これからの生活に問題はないでしょう。妻は強い女性です。娘も……立派に育てたつもりです。私がいなくとも、もう、二人で生きていけるはず」
カージナルの健気な発言に、キミヒコは鼻を鳴らした。
「ご立派なことで。……なんだかんだ、ここの職員連中は真面目だな。市長にも少し見習ってほしいものだ」
このリシテア市の市長は、少し前の外遊から帰ってきていない。近隣都市の防疫を考えれば、仕事で行ったのは本当なのかもしれない。だが彼は、家族や親戚を全部連れていった。つまりは、そういうことなのだろう。
それと比べれば、リシテア市ギルドの職員たちは真面目といってもいい。ギルド長をはじめ、全員が現状を認識しながら踏みとどまっている。
「……さて、そろそろ仕事の時間らしいな? カージナルさん」
煙を吐き出しながら、キミヒコが言う。
その意味がわからなかったのだろう。不審な目を向けるカージナルに、キミヒコは顎をしゃくってみせた。
その先に人影が、三つ。
装いからして、全員ハンターなのだろう。男が一人、女が二人。全員若く、少年少女といってもいい年齢だ。
三人パーティのハンターと思われる集団が、こちらへ歩みを進めている。
「あの、カージナルさん……で、よろしいでしょうか?」
先頭を歩く少年が、おずおずとそう尋ねる。
「ええ、そうですが……」
「ああ、よかった。件の依頼の、事前説明を予約していたネオです」
「おや、ずいぶんと早いですね。時間は確か……」
「すみません。前の予定が早くに片付いたもので……」
ネオという少年がカージナルと会話をしているが、その表情は固い。その少し後ろにいる少女二人の表情からは、はっきりと恐怖の色が見て取れる。
ホワイトのせいだ。
人形の糸。深い海の底のような、濃紺色をしたそれが、彼らを探るように蠢いている。
「……ホワイト。糸を引っ込めてやれ」
見かねて、キミヒコが指示を出す。
それと同時、糸がふわりとたなびき、彼らから離れていく。
「……どうも」
キミヒコの気遣いに、ネオという少年は軽く会釈をする。
それに軽く手を振って、場を離れるべく、キミヒコは歩き出した。
すれ違いざま、少女二人から視線を感じる。あまり、友好的でない視線だ。どうやら嫌われているらしい。だが、彼女らの方は、キミヒコからするとあまり興味のない相手だ。
一方、ネオという少年には関心があった。知り合いの、親族だからだ。
あれが、噂の弟か……。確かに、魔力の密度も濃いし、流れも静か。結構、やれそうだな。……他の二人は大したことなさそうが、ただの取り巻きか?
観察した三人組の魔力から、そんな推察をする。
行きつけのカフェの店主、アミアの弟であるネオという少年はそれなりのスペックはありそうだった。だが、他二人の少女の方はイマイチ。
それがキミヒコの即席の評価だった。
「なんか……どうも実力がチグハグな感じのパーティだな。ホワイト、お前の見立てはどうだ?」
カージナルと年若きハンターたちの姿が見えなくなってから、ホワイトに問いかける。
ハンターというのは、パーティを組んで集団行動をするのが多数派だ。キミヒコやシモンのような、単独行動を好むタイプの方が珍しい。
そして、ハンターのパーティというものは、おおむね同じくらいの実力で組まれるのが普通だった。
あの三人組はそういう原則からは、少々外れているようにキミヒコには思えた。
「そうですね。あの男を十とするなら、他の女たちは一か二くらいでしょうね」
ホワイトの分析もキミヒコのそれと大差はなかった。ネオとそれ以外では、どうも実力に乖離があるらしい。
だが、それだけのことといえばそれだけだ。そもそも、それほど接点のある相手ではない。
すぐにネオたちのことはキミヒコの頭から消え、代わりに思いつくことがあった。
「ちなみに、その計算だとお前はどれくらい?」
思いつきをホワイトに聞いてみる。
この人形の強さが、先ほどの少年たちとは隔絶しているのは理解しているが、数値化するとどのくらいか。なんとなく、気になった。
「百億くらいです」
ホワイトの言葉に、キミヒコは面食らう。
この人形が強すぎるくらいに強いのは知っているが、明らかに桁がおかしい。
「謙虚すぎましたか? 貴方が、私のことを自信過剰だと言うので、控えめな数字にしました」
ホワイトがいたって真面目な顔で、とぼけたことを言う。
この人形は物事を多角的に捉えるのが苦手だし、戦闘能力のような数値化できない事象の計算も苦手そうだ。常人なら足し算をするところを、掛け算でもしているかもしれない。
「ふふ……。お前は可愛いな。相変わらず……」
キミヒコはそう言って、笑う。
主人のその様子に、人形は首をかしげて、不思議そうにするだけだった。




