#3 珈琲哲学
昼下がり。
キミヒコは市内にある、小洒落た雰囲気の喫茶店にいた。
店の看板にはハーブティーカフェと銘打たれている。その看板のとおり、ハーブティーが売りの店だ。
キミヒコはこの店で、砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーを飲みながら、ダラダラとくつろいでいた。隣の席にはホワイトが座り、静かに佇んでいる。
「あの……キミヒコさん。いったい、いつまで居座ってるつもりなんでしょうかね? 仕事とか大丈夫なの?」
のんびりしているキミヒコに、声がかかった。
声の主はこの喫茶店の店主だ。二十代になるかならないかといった年頃の女性で、名前はアミア。スレンダーな体躯に、若干青みがかかった黒髪をうなじの辺りで結んでいる。
端正な顔をしているが、細身な体躯も相まって、どことなく中性的な雰囲気を醸し出していた。
この都市に来てから、キミヒコはこの店にはよく顔を出すため、彼女との関係は多少、気安い。
「えー、いいじゃん。俺は客だぞ。きっちり注文もしてるだろ。……あ、コーヒーおかわりね。砂糖とミルクはいつもどおりで」
キミヒコの言い分としては、客なのだから文句を言うなというところだ。しっかり金を落としてもいる。
だが、彼女の言い分もわかっていた。なにしろ、半日近く居座っているのだ。
おまけに、この店のメインの客層は若い女性である。
最奥のテーブルに座っておとなしくしているし、ホワイトもいるので、悪目立ちはしていない。が、この店で少々浮いている存在なのは否めない。
「……いや、いいんだけどさ。ここ、いちおうハーブティーのお店なんだけど。何回も来てるのに頼んだことないよね。一回くらい、ハーブティーどうかな? 今日の私のおすすめは――」
「いや、俺、コーヒー党だから」
ご自慢のハーブティーを勧めるも、にべもなく断られ、アミアは肩を落とした。
「わかった、わかりましたよ。だけどコーヒー党って……。キミヒコさんに出してるの、砂糖とミルクの味しかしないんじゃないの……?」
ブツクサと文句を言いながらも、アミアは注文のコーヒーを用意すべく、店の奥へと引っ込んでいく。
「貴方、よろしいので?」
アミアの後ろ姿を見送りながら、空になったマグカップを弄んでいると、ホワイトからそんなことを聞かれる。
「なにがだ?」
「出て行かないんですか?」
「いや、いいだろ。この店に俺がどれだけ金を落としたと思ってるんだよ。優良客だぜ。アミアだってわかってるよ。さっきのは言ってみせただけさ」
「この店のことではなく、この都市からのことですよ」
ホワイトの指摘に、キミヒコは目を細めた。
「いつもなら、こんな都市からはすぐさま脱出しそうなものですが。危ないのは嫌だとか言って」
ホワイトの言うことはもっともだった。
この喫茶店では和やかな空気が流れているし、このリシテア市全体も落ち着いてはいる。だが、この都市が危うい状況なのを、キミヒコは知っていた。
市民が穏やかに過ごしているのは、緘口令が敷かれているからで、実際にはいつどうなるかわからない状況だ。
あの新種の魔獣、羽根蟲はすでに市内でも発見されている。ネズミだとか野鳥だとかに寄生していたらしい。変異体はまだ現れていないが、唐突に市内のあちこちから湧き出してくる可能性もあるだろう。
こういった情報は、あの買収したギルド職員、カージナルからすぐさまキミヒコに伝わるようになっていた。
「しょーがねーだろ。教会には借りがあるし、今後も付き合いがある。ギルドの通行証も……まあ、なくてもいいが、魅力的ではあるからな」
「教会に借り……? 今後の付き合い? それはあれですか。薬を都合してもらった件ですか」
ホワイトの言葉に、キミヒコはグッと言葉を詰まらせた。
確かにキミヒコは教会とはよろしくやっている関係である。政治的な話だったり、金回りの話だったり、ホワイトがやらかした事件の揉み消しだったり。いろいろと融通を利かせてもらっている。
だが、ホワイトが言いたいのはそれらのことではない。
「痛風、尿路結石、あと虫歯……。いつもいつも、不摂生はやめてくださいと言ってるのに……」
嘆くようにホワイトが言う。
このところ、キミヒコは普段からの放蕩生活が祟ったのか、ホワイトが言うような病気をやっていた。命に関わるものではないが、とにかく痛くて仕方がなかった。
そんな折、教会から鎮痛剤などを処方してもらい、ことなきを得たという経緯がある。ついでに、虫歯になった親知らずの抜歯もやってもらっている。
「だいたいですね。その片目もどうしてそうなったか、忘れたんですか? 命がかかった場面ではやたらと臆病なくせに、どうしてそう普段からの生活が不健康なんですか」
「い、いや、だってさ……俺、まだまだ若いつもりだし、多少、食生活とか乱れても大丈夫な気がするし……。つかおかしくね? 仮にも魔法とかある世界なんだからさ、万能薬とかエリクサーとか、そういうのないわけ?」
「あるわけないでしょう。いい歳して、そんなメルヘンなこと言わないでくださいよ」
歌って踊れて魔獣も殺せるメルヘン人形からそんなダメ出しをされ、キミヒコは渋い顔だ。
だが実際、この世界では病気をやれば大変な目にあう。故郷日本のような医療設備はないし、保険制度もないのだ。
それゆえ、言語教会との関係は重要となってくる。教会の医療技術は、この世界では抜きん出ていた。
また病気が再発したときのため、良好な関係維持に努めなければならない。
「不摂生が祟って、また変な病気になって、貴方が痛みでのたうちまわっても、私は手を握っていてあげるくらいしかできません」
「わ、わかった、わかってるよ。心配かけて悪かったな。食生活は気をつけるって。痛風も尿路結石も、もう大丈夫だろ……多分……」
小言を繰り返すホワイトに、自信なさげにそう返すキミヒコだったが、ふと、人影が近づくのが見える。
いつの間に入店していたのか、それはシモンだった。
「よっす。待たせたな」
「おお、来たかシモン。首尾はどうだ?」
「まあまあだよ。それなりだ。ま、その辺は飯食ってから話す。……で、さぁ」
そう口にしながら、シモンはキミヒコの対面の席に腰掛ける。
「なんか、痛風とか尿路結石とか聞こえたんだけど」
続くその言葉に、キミヒコはバツの悪そうな表情を浮かべる。
それを見て、シモンは呆れ顔だ。
「……マジかよ。おっさんの病気じゃん。お前、そんな歳じゃなくね?」
「うるさい黙れ。病人を馬鹿にするな。あれ本気で痛いんだからな」
「えぇ……。てか、太ってもいないのに、なんでそんな病気に……」
シモンはそう言うが、そんなことはキミヒコが知りたい。
いや、医者からは言われているのだが、認めたくなかった。
「言語教会のヤブ医者は、体質だとか抜かしてた。……高い金払ってんだから、二度とならないような治療をしろって話だよな」
「まず酒を減らせよ。あとコーヒーって良くないらしいぜ。体の中に石ができやすいとかなんとか」
「お前まで、ホワイトみたいなことを言うのはやめろ」
シモンのお節介にそう返すが、その声に張りはない。
痛みでのたうちまわった記憶が脳裏で蘇り、キミヒコの気力を減退させていた。
「キミヒコさん、話は聞かせてもらったよ」
いつの間にか、アミアが立っていた。その手のトレーには、キミヒコが注文したコーヒーが湯気を立てている。
シモンとの会話が聞こえていたらしい。良い考えがあるとばかりに、アミアは口を開いた。
「注文のコーヒー持ってきたけどさ、ここはやっぱり、特製の薬膳ハーブティーを――」
「ええい、大きなお世話だ! 俺はコーヒーがいいの! いいからそれをよこせ!」
「はいはい……。もうどうなっても知らないからね。……あ、シモンさんは注文どうする?」
「ええっと、俺はね――」
アミアはシモンの注文をとると、再び厨房の方へと引っ込んでいく。
「……健気なもんだな。一人で店を切り盛りして、カルトにハマった両親の面倒みてんだからさ」
アミアの姿が見えなくなってから、シモンがぼやく。
キミヒコたちがこの喫茶店を贔屓にしているのは、偶然ではない。コーヒーや軽食の質も悪くないが、そういう理由でもない。
アミアの両親はカルト宗教にハマっている。キミヒコとシモンが探りを入れている、天使学派にだ。
「……ふん。子供から金を巻き上げる親なんざ、いっそ殺した方がいいと思うがな」
「苛烈すぎない? 親子の縁ってのは、そう簡単には切れんよ。そんな易々と、実の親は見捨てられないさ」
なだめるように言われたシモンの言葉に、キミヒコは反応を返さない。黙って、コーヒーに口をつける。
ミルクと砂糖の甘み。そして、ほんのりと香るコーヒーの風味が、キミヒコの心を落ち着けた。
「この店の売り上げ、どれだけ吸い上げられてんのかな?」
キミヒコの様子から、シモンはなにかを察したらしい。すぐさま話題を切り替えてきた。
「ええと、額にしてだな――」
シモンの疑問にキミヒコが答える。月々いくらの売り上げで、経費はいくらで、粗利がどれくらいなのか。そしてその利益がどれだけ、天使学派に流れているのか、具体的な数字を出して説明する。
あっさりとこの店の内情を喋るキミヒコに、シモンは唖然とした。
「え、マジ?」
「マジだよ。カルトって儲かるんだな」
「いや、そうじゃなくて、どうやって調べたんだよ。あの娘がペラペラ話すとは思えないが」
キミヒコはそれには答えず、宙を指で弾く。その指先が店内に蠢く人形の糸に触れ、ふわりとたなびいた。
糸は店の奥、事務室と思われる場所に伸びている。
「うっわ。やることがエグすぎない……?」
「帳簿とかをちょっと見せてもらってるだけだぜ。プライバシーを侵害する意図はない」
ホワイトの糸は、盗聴をしたり、触れることで文書を読み取ったりと、魔力を感知できない相手にはやりたい放題できる。
プライバシーは侵害しないなどとキミヒコは言うが、そんなものはないも同然だった。
「……あの娘を証言台に立たせるのか? あのカルトどもの弾劾の準備、してるんだよな?」
「さあ? ま、俺はカルト被害者のモデルケースとして、レポートを作成して提出するだけだ。どうするかは教会が決める」
キミヒコがこの店の経営状況やその金の流れを調べているのは、教会の依頼に由来する。天使学派を糾弾する材料を集めているということだ。
「……気を付けろよ。あの娘の弟はハンターだ。それも、結構な実力者らしい。バレたら面倒だぜ」
「知ってるよ」
シモンの警告に、キミヒコは短くそう返す。
アミアに弟がいて、その弟が優秀なハンターであるというのはキミヒコも知っていた。優秀なハンターなら、ホワイトの糸に勘づく可能性は高い。
「まあ大丈夫だろ。その弟はここ……というか、家族の下には寄り付きもしないよ。姉弟の仲は悪くないらしいが、あの親じゃなぁ……」
若干の憐れみの感情が、その言葉には込められていた。
親のエゴに、子供が振り回される。そういった話がキミヒコは大嫌いだった。
家の財産を際限なくカルト宗教に注ぎ込まれ、アミアとその弟は相当な苦労をしているらしい。わざわざ助けてやろうなどとは思わないが、同情心はあった。
「とはいえ、こんな仕事、無駄になる可能性もあるけどさ。……おい、どうなんだよ。そっちは」
なんとなく、心がささくれ立つのを感じて、キミヒコは話題を切り替える。
シモンは周囲に視線を這わせ、聞き耳を立てられていないことを確認してから口を開いた。
「……ほらよ。こいつが入信者の証だそうだ」
言いながら、シモンは懐からなにかを取り出し、テーブルの上に置いた。
無言でそれを手に取り、検分する。それは、金属製のアクセサリーだった。翼の形をあしらったペンダント。
キミヒコが見る限り、不審な点はない。左目で魔力検知を行なうも、異常は見られなかった。
念の為、ホワイトにも確認をさせる。
「……どうだ?」
「真鍮製ですね。特に魔術的な要素はありません」
魔力の糸をペンダントにまとわりつかせて、ホワイトが言う。
「ただの真鍮……か。馬鹿みたいな値段なんだけどな、それ」
キミヒコの指示で、天使学派に入信することになったシモンがぼやいた。
当然のことながら、入信したのは内偵のためだ。
「あとで経費として教会に請求するから、書面でまとめておけよ。……どうしたホワイト。まだなにかあるのか?」
ホワイトがまだなにか、このペンダントについて気にしている。真鍮製の翼の裏の方に、糸を這わせているのが、キミヒコの目についた。
「……翼の裏側に、なにか文字が彫られています」
「なんて書いてある?」
「わかりません。神聖言語ではないようです」
ペンダントを手に取り、翼の裏側を凝視すると、確かに何事か文字が彫られているようだった。小さすぎて普通は気が付かない。
キミヒコは右目を閉じて、左目だけでそれを凝視する。金色の瞳、その瞳孔が開き、その文字が鮮明に見えるようになる。
文字は、アルファベットだった。
「……ハレルヤ。全能者、主であられる神が、玉座に就かれた」
書かれていた内容をキミヒコが読み上げる。
幸い、書かれている言語は英語だったため、キミヒコでも読むことができた。
もっとも、読むことができたところで、特に意味はなさそうだ。真世界の宗教的な詩かなにかなのだろう。
「……読めんの?」
「ふっ……。俺の教養を以てすれば、容易いことさ」
キミヒコの軽口に、シモンは感心したような目を向ける。
「例のブツはどうだ?」
少々、居心地が悪くなって、仕事の話に切り替える。
「それはまだわからんよ。陰すら見えん」
「……アーティファクト『ディアボロス』か。本当にそんなもん、あるのかねぇ」
今回の依頼の面倒な部分に、キミヒコはため息をついた。
教会からの仕事での、最優先事項。それは、天使学派の悪事の証拠集めでも、その粛清でもない。
教会の総本山、ゲドラフ市から消えたアーティファクト。その捜索こそが本命だった。天使学派の実態調査などは、ついでの仕事にすぎない。
ディアボロスと呼ばれるアーティファクトがゲドラフ市から消えたのは、もう何十年も前の話だ。
それが最近になって、これを勝手に持ち出した容疑者が浮上した。デルヘッジ司教だ。もっとも、彼はまだ推定無罪である。
どういった理由で、デルヘッジが被疑者となったのかは知らされていない。とにかく、ディアボロスがこの都市にあるかないか。それを調べるのがキミヒコの仕事だった。
「存在が確定した段階で、デルヘッジ司教はギルティだ。即始末していいらしいが……」
「俺はやらんぞ。いくら積まれても、そこまでは無理だ」
「わかってるよ。俺だってそこまでやりたくない。ブツが確認できたなら、その回収と連中の粛清は教会に任せる」
キミヒコもシモンも、粛清みたいな汚れ仕事はゴメンだという意識は共通していた。そんなことは、教会内部でケリをつけてほしい問題だ。
とはいえ、いざというときは躊躇しない。まだ調査は始まったばかりで、状況はどんどん変化するだろう。例の新種の魔獣、羽根蟲と天使学派との関わりも不明なままだ。
「まあこの都市、いろいろとキナ臭い状況だからさ。ドサクサに紛れて、うまくやりたいもんだな」
現状、キミヒコはそう言うにとどめた。
「……俺はあの司教から警戒されている。引き続き内偵は頼むが、しばらく接触は控えたほうがいいだろうな」
「だな。……なにかネタを掴んだら、連絡はどうする?」
「そうさな……」
二人の密談は、アミアがシモンの注文の品を持ってくるまで続いた。




