#2 天使学派
言語教会における天使のイメージは、真世界におけるステレオタイプの姿とおおむね変わりない。純白の翼を持つ、神の御使い。
だがこの世界では、真世界における天使像にないキャラクター付けもある。それは瞳だ。
この世界における天使は、金色の瞳を持つとされていた。
「なるほど。天使の瞳は金色で、この左目はそれにあやかったものと」
左目を手で押さえながら、キミヒコが言う。
今いる場所は、リシテア市言語教会のとある施設。その応接室だ。
「縁起がいいからと、瞳の色をそのようにしたのならば、そういうことでしょうね。施術を担当した者は、良い仕事をしたと思いますよ」
対面に座るキミヒコに、朗らかにそう語るのはデルヘッジ。短い白髪に、こけた頬。丸メガネをかけた、老紳士といった風貌の男だ。
彼は言語教会において司教の位階を持ち、このリシテア市における教区長を務めている。そして、天使学派の創始者であり指導者でもある。
現在キミヒコは、リシテア市の教会を訪れ、デルヘッジと面会をしていた。当然、ホワイトも同伴しており、傍に控えている。
「私としては、以前と異なる色合いなので、どうにも違和感が拭えないのですが。片目だけ色が違うというのも……」
「おや、そうですか。それならどうです? いっそもう片方、右目の色も合わせてみては」
軽い調子でそんな提案をするデルヘッジに、キミヒコは愛想笑いを浮かべながらやんわりと断った。
元の色に戻すのではなく、両方変えてしまえというのが、いかにもこの司教らしい。
本題の前振りで、キミヒコの左目についてや天使についての雑談をしていたのだが、それだけでデルヘッジの天使への思い入れの強さを感じさせた。天使学派というカルト集団を立ち上げただけはある。
「……さて、前振りはこの辺にしましょうか。キミヒコさん。あなたの御用向きは、いったいなんでしょう?」
平坦な声色で、デルヘッジが本題を切り出す。
声も表情も平静そのものだが、わずかに魔力が揺れ動くのがキミヒコの目に映る。どうやら少々、緊張しているらしい。
キミヒコがこのリシテア市に来た理由についての警戒か。あるいは、その背後で佇む人形の魔力の糸のためか。それはまだ、わからない。
「いやいや、そんなに大袈裟なものはないですよ。今回ここに顔を出したのは、ただの挨拶みたいなものでして……。私、これまでもそうだったのですが、仕事で新しい都市を訪れた際には、必ず教会に顔を出すようにしてますのでね」
「仕事……ですか」
「ええ。ギルドから指名依頼がありまして」
この都市に来たのはギルドから依頼があったから。この教会に顔を出したのは挨拶のため。そう説明して、デルヘッジの猜疑心を逸らそうとする。
「……なかなかの難題を抱えているようでしてね。まだ請け負うかどうか悩んでいるのですが……いざというときは、ぜひ、司教のご助力をお願いしたく……」
欺瞞を重ねるように、キミヒコが嘯く。
こんなことを言っているが、本命の仕事はギルドの依頼ではない。ギルドの依頼も、報酬は良いので余裕があればこなしてもいいと思ってはいる。だが本当のところは、言語教会からの頼まれごとを隠すためのカモフラージュの意味合いが強い。
教会からの依頼は、天使学派に対して敵対的なものだった。内部粛清といってもいい内容だ。今、目の前にいるデルヘッジという男を、場合によっては始末するようにとすら言われている。
疑われてるな。まあ、こいつもさすがに、教会の上層から睨まれてることは察知しているか。やることはやってるからな。
素知らぬ顔でデルヘッジと会話しながら、そんなことを思う。
言語教会の上層部は、お世辞にも褒められた集団ではない。だが、天使学派はそれ以上である。
その実態はまさしくカルト宗教そのもので、信徒に無理な献金をさせて何人も破滅させている。ありがたい聖本やら、悪霊を祓ってくれる天使像やら、そんな怪しげな物品を販売しているらしい。もはや詐欺師の集団である。
「なるほど、そういうことでしたか。もちろん、助力は惜しみませんよ。キミヒコさんは敬虔な信徒であると伺っていますからね」
キミヒコの内心を知ってか知らでか、穏やかな口調のまま、デルヘッジが言う。
その後も、互いに和やかなトークを続ける。
会談こそ穏やかそのものだったが、キミヒコはこの司教のことは全く信用していない。そして、司教もこちらを警戒したままだろうと思っていた。
「それにしても……いや、素晴らしい……。キミヒコ殿の人形はまさに、天使様を具象化したかのようなお姿ですな。これをデザインした方は、さぞ……」
不意に話題がホワイトの方へと飛んだ。デルヘッジが人形に視線をやりながら、そんなことを呟く。
「ふふ……私の人形が天使、ですか。まさか、司教がそうおっしゃるとはね」
「おや、意外ですかな」
「ええ、それはもう。この人形の糸が見える人間は皆、口を揃えて悪魔などと言うものです」
笑みを携えながらキミヒコが言う。
その言葉どおり、ホワイトは悪魔の人形などと言われている。天使について造詣の深いこの司教から、天使のよう、などと言われるとは思いもよらなかった。
それがなんとも滑稽で、つい笑ってしまう。
「その認識も、まあ、それほど誤りではないでしょう。キミヒコさんには失礼かもしれませんが……」
「ほう?」
「天使も悪魔も、大元は同じということです。……いや、恐怖の象徴という意味合いならば、天使の方が上かもしれませんね」
天使と悪魔に、そう大きな違いはない。なんとなく、その意味合いはわかる。言語教会の教義での定義は知らないが、どちらも神が創ったものというニュアンスだろう。
神の意に逆らって堕天した元天使だとか、異教徒の信奉する古き神々だとか、悪魔についての設定は色々ある。デルヘッジが言っているのは、どうやら前者のことらしい。
「天使の恐ろしい側面といえば……知っていますか? この世の終末は、天使のラッパで始まるそうですよ」
デルヘッジの言葉に、キミヒコの目が細められる。天使のラッパで始まる終末とやらに、聞き覚えがあったからだ。
ヨハネの黙示録か……? この司教は確か、カリスト出身だったからな。真世界について精通していても不思議はないか。
キミヒコの元いた世界、真世界における宗教のひとつ。アブラハムの宗教から派生した、かの世界宗教。その聖書の中に記された聖典のひとつが、ヨハネの黙示録だ。
キミヒコはかの宗教の信徒というわけではないが、あまりにも有名な終末論であるため、その内容は大雑把にではあるが知っていた。
「終末……ですか。この世の終わりを天使が告げるということは、それもまた、神の意思ということでしょうか」
何も知らないふりをして、キミヒコはそんなことを言う。
黙示録の時、天変地異やら戦争やら飢餓やらで世界は滅茶苦茶になり、なんやかんやあって最後の審判が始まり、信じる者は救われる。
キミヒコの乱暴な解釈だと、黙示録とはこんなところだ。
「そうですね。終末については、教会内でも解釈の分かれるところですが……。私の見解ですと――」
そう前置きをしてから、デルヘッジが終末とやらの説明をしてくれる。
聞けば、彼の言うところの終末とやらも、キミヒコの知見とそう変わりはないらしい。
「……なるほど、勉強になります。これでも、教会の方とはお話をさせていただく機会はそれなりにあったのですが、終末の話などは初めて聞きました。やはり、本場のカリスト出身の方は違いますね」
キミヒコが言う。
実際、この手の話は初めて聞いた。
そもそも言語教会の教義、聖句の中では、神のような存在が語られることがない。言語教会の教えは、他力本願を是とする仏教的なものだとキミヒコは解釈していた。こうした一神教的な側面は、今まで聞いたことがない。
もっとも、教会上層の実態は真世界の研究機関だ。聖句の教えなどは、表向きの建前でしかない。研究で得た真世界の知識として、ヨハネの黙示録も取り入れられたのかもしれない。
「司教は確か、アマルテアに渡る前はゲドラフ市にいらっしゃったとか」
「ええ。これでも私、ゲドラフ市聖歌隊の隊長をやっておりました」
「……驚きました。カリスト出身とは聞いていましたが、ゲドラフ市の聖歌隊の長だったんですか……」
「昔の話ですよ。……一時は、私も枢機卿……いえ、教皇になることを夢見たものです」
しみじみとそんなことを語るデルヘッジだったが、その来歴について、キミヒコはすでに知っていた。
このデルヘッジという男は、元はゲドラフ市で大司教をやっていた。それがどうして、この遠く離れたアマルテアの地に来て司教になっているのかといえば、政争に敗れたからだ。
言語教会の総本山であるゲドラフ市では、壮絶な権力闘争が常態化しているらしい。デルヘッジはそれに負けて、都落ちをしたうえ、大司教から司教に降格になったということだ。
それからしばらく、キミヒコはこの司教との会談を続けた。
ここに来たのは、顔をつなぎ、敵意はないことをアピールするためであって、会談の内容自体にそれほどの意味はない。
双方ともに、当たり障りのない会話に終始して、この面談は終了と相なった。
「それでは、今日はこの辺で……。お忙しい中、貴重なお時間を作っていただき、ありがとうございました」
「いえいえ。どうか気になさらず、いつでもいらしてくださいね。キミヒコさんの仕事がうまくいくよう、願っています」
最後に形式的な別れの挨拶をして、キミヒコは席を立つ。
そのまま、退室しようと扉を開けた際に、それは聞こえた。
「炎より産まれし者よ、我ら土塊の子に慈悲を……。原罪なき我らに、罪と罰を与えたまえ」
デルヘッジの祈りの言葉。
それは、彼の信仰心に向けられたものでも、キミヒコに向けられたものでもないようだった。
デルヘッジの視線は、キミヒコの傍にいるホワイトに注がれていた。
◇
「神は、炎から天使を創造し、土塊から人間を創った……。それに、ヨハネの黙示録、か……」
教会からの帰り道、先程の出来事を反芻するように、キミヒコが独りごちた。
「……よはね?」
キミヒコの独り言に、ホワイトが反応する。
「ヨハネの黙示録な。真世界の、とある宗教の聖典だよ。……教会の真世界好きも、大概だよな。いや教会というか、あの司教を含めた天使学派の連中か。ミーハーすぎる」
呆れたようにキミヒコが言った。
言語教会の教義は、神聖言語により紡がれる聖句が大元になっている。キミヒコが知る宗教観の中では、大乗仏教のそれに近い。聖句とは、念仏のようなものであるという認識だ。
そうした宗教観の中にあって、唐突にヨハネの黙示録のような話が出てきて面食らってしまった。
おそらくあれは、デルヘッジたち天使学派が自分たちの教義に、部分的に取り入れているものだろう。
天使学派は、いわゆる終末論を教義に持つカルト集団だ。
終末の日、天使様が救済に来て、自分たちを天国に送ってくれる。そういうありふれた、終末思想が根本となっている。
当然、この教義は欺瞞であるとキミヒコは考えている。デルヘッジら天使学派の幹部が、信者を騙して金をせしめるための方便だろう。
「……せっかく敵の首魁が目の前にいたのに、始末しなくてよかったんですか? 一秒で済みましたよ」
天使学派とデルヘッジ、そして教会からの頼まれごと。それらについて考えを巡らす主人に向けて、ホワイトが言う。
物事の全てを暴力で解決しようという、ホワイトのスタンスは相変わらずだった。
とはいえ、それで済むのであれば、キミヒコもすぐにそういう指示を出すだろう。暗殺はこの人形の得意技だ。
だが今回の仕事は、そう単純なものでもなかった。
「今はまだ、そのときじゃない。まだ、な……」
キミヒコはそれだけ言って、ホワイトの頭を撫でる。
主人の手のひらと、夕暮れの風が、人形の白い髪をたなびかせた。




