#1 口裂け天使
「どうぞ、こちらでございます」
リシテア市ハンターギルドの職員に連れられて、同ギルドが管理する施設内をキミヒコは歩いていた。少し後ろをホワイトもついて歩いている。
ここはギルドの魔獣研究のための施設で、本来であればギルド職員以外は立ち入り禁止だ。ギルド会員のハンターでも普通は入れない。そんな場所である。
「……ずいぶん、歩くな」
「この施設の最奥ですので……。今回の新種のことは、行政の方から緘口令を敷かれています。キミヒコさんも、くれぐれも内密にお願いします」
「わかってる。通行証を餌にしてまで、俺を呼んだくらいだからな」
施設の奥へ奥へと歩きながら、案内の職員とそんな会話を交わす。
今回のギルドからの依頼は、新種の魔獣の討伐だった。
この依頼を請け負うかどうか、まだ正式な返事はしていない。明らかに危険な仕事だからだ。
ギルドと折り合いの悪いキミヒコをわざわざ呼んだことからも今回の依頼の危険性は窺えたが、その報酬からも危うさが感じ取れる。金銭的な報酬もかなりのものだったが、それ以上に価値のあるものが提示されていた。
まさか、ギルドの通行証をいただけるとはな。連盟機構の特権を報酬にするって……。まあそれだけ、ヤバイ仕事なんだろうけど。
金に困っていないキミヒコからすれば、金銭をいくら積まれてもギルドからの仕事など受ける気にはならない。それを見越してのことだろう。今回の依頼で、金銭以外に通行証と呼ばれるものが提示されていた。
各国に存在するギルドは、その運営母体がそれぞれ異なる別組織である。だが、魔獣という脅威に対抗するため、ギルド同士のつながりを強くする必要があった。そのためにあるのが、アマルテアハンターギルド連盟機構という組織だ。アマルテアの地にある、国家の枠組を超えて存在する大規模NGOのひとつである。
大抵のギルドは国家の承認を得て、この機構に加盟している。
今回の報酬である通行証。ギルドパスとも呼ばれるそれは、この機構から発行されているものだ。アマルテアに存在する国家の八割方で有効で、戦争中だろうがなんだろうが、大抵の関所がフリーパスになる。おまけに鉄道や公共馬車も現地のギルドのツケ払いで乗車可能。本来、機構に所属する人間か各ギルドの長くらいしか所持できない代物である。
今までキミヒコは国境を越える際、通常の手続きを踏むこともあれば、賄賂や教会のコネを使ったり、強引に密入国したりと、あの手この手で移動してきた。新しい手段として、この通行証が使えるというのは悪い話ではない。
そんな通行証を餌にしてまでキミヒコを呼ぶ必要がある仕事。さてそれは、いったいどんなものなのか。
キミヒコが思いを巡らせながら歩いていると、目的地に到着したらしい。
その部屋の扉には、ここに来るまでに何度もみた「関係者以外立ち入り禁止」の文字が書かれている。
「この部屋です。……繰り返すようで恐縮ですが、この中で見たことは――」
「他言無用、だろ? 心配するな。その辺は心得てる」
キミヒコの言葉に職員が無言で頷き、その扉を開ける。入り口は二重扉になっているらしく、職員はそのまま中の扉も開けて部屋に入っていく。
部屋に入る職員に続きキミヒコも入室すると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
冷蔵室か。はてさて、鬼が出るか蛇が出るか……。
部屋はどうやら冷蔵室のようだった。どこにでもあるわけではないが、この世界にも魔石を動力とした冷蔵庫というものはある。
職員から渡された備え付けの防寒着を羽織り、冷え冷えとした部屋の中を歩いていくと、奥の一角にシートに包まれた何かがあった。
このシートに包まれた何かが、今回ここに足を運んだ理由らしい。職員がそれに近づき、シートをめくる。
「これが、今回の討伐対象の新種の魔獣です」
職員が言いながら、シートの中にあったそれを指さす。
人型の体躯、長い金髪、そしてその背から生えている一対の純白の翼。これだけの特徴を並べると、綺麗な天使のようだが、実際にはそんなに上品なものではない。
その体長はおおよそ二メートル。首と腕が異様に長く、首から下は白い羽毛に覆われている。その顔に目のような器官は見当たらず、その口は大きく裂け、鋭い牙がずらりと並んでいた。
なんとも気味の悪い、キミヒコが今まで見たことも聞いたこともない魔獣だった。
左目に埋め込まれた金色の瞳を使って魔力の存在を探るが、検出できない。完全に死んでいるらしい。
「……突然変異型か」
不気味な死骸に目を向けながら、キミヒコが呟く。
突然変異型とは発生区分による魔獣の分類である。
この世界に存在する大多数の魔獣は他の生物と同様の繁殖方法をとる。雌雄がつがいになり生殖活動を行ない増えていく種類もいれば、スライムのように分裂による無性生殖をする種類もいる。
それらと一線を画すのが、突然変異型である。
文字通りの突然変異個体であり、その多くの発生原因は不明だ。特殊な魔力の被曝によるものだとか、人為的な実験によるものなど、そういった発生原因を突き止めることもあるにはあるが、大抵は謎に包まれている。
「すでに死んでるみたいだが……他の個体もいるってこと?」
当然の疑問をキミヒコは口にした。
突然変異型はその発生要因が特殊なことから、単一個体であることが多い。
だが、それが死んでいるならキミヒコが呼ばれるはずはない。他にもいるのだろう。
「……口外無用でお願いしますが、これは寄生型かつ群体型の魔獣です」
「寄生かつ群体……?」
あまり魔獣の特徴としては聞き慣れない単語に、キミヒコが問い返す。
「この死骸は、魔獣に寄生された生物の成れの果てです。宿主の肉体を変異させ、体のコントロールを完全に奪ってしまいます」
「群体というのは?」
「……こちらをご覧ください」
キミヒコの質問には答えず、職員はこの部屋の棚の一つを指さす。
棚には瓶が並べられており、中身は液体標本らしい。白い芋虫のような何かが中で浮いている。
「これが、この新種の魔獣の本体です。手前に並べられているのが魔石になります。……暫定的ですが、我々はこの寄生型魔獣を羽根蟲と呼称しています」
職員の言葉どおり、それぞれの標本の前には砂つぶのような何かが飾られていた。この小さな粒が魔石なのだろう。そして羽根蟲の名のとおり、この芋虫たちには、その管状の体の側面に白い線毛が規則的に生えている。その姿は羽根のように見えなくもない。
「なるほど、まさしく寄生虫か。……で、群体というのは?」
再び同じことを問うキミヒコ。
「ここに並べられている羽根蟲は、全てそちらの死骸から摘出したものです。この無数の羽根蟲が共同で、あの異形の変異体を操作しているようです」
「……この気持ち悪い芋虫が、宿主に潜り込んで群れを作って、あの気持ち悪い天使みたいなのを操っていると。群体というのはそういうことか?」
「そうなります。各個体が宿主の体内で分散、協調してその体を制御しているようです。加えて言うと、別の宿主に入っている個体とも協調できるらしく、この天使のような魔獣の群れを形成します」
淡々と語られるその内容に、キミヒコは内心でこの仕事への意欲が減っていくのを感じた。
この気持ちの悪い芋虫に寄生され、あの異形の天使が群れをなしている光景。想像するだけで気持ちの悪くなる絵面だ。
「……都市近郊の湖で、野生動物が元となったであろう群れを駆除しました。これらの標本はその際に回収したものになります」
「野生動物が元か。具体的に宿主はなんだ? ……人間にも寄生可能なのか?」
「宿主は特定の種に限らないようです。哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類への寄生は確認済みです。魚類や昆虫、甲殻類への寄生は確認できませんでした」
「人間は?」
すでに答えは察しているが、キミヒコは問いかける。
「……寄生された人間が、すでに何人か確認されています」
「そいつらはどうなった?」
「私は……存じません。ただ、適切な処理がなされたと聞いています」
若干気まずそうな職員の言葉に、キミヒコは鼻をならす。
適切な処理、ね。あれだけうじゃうじゃと全身に入り込まれれば、外科手術じゃ摘出できんだろう。何人かはサンプルとして生かされてはいるだろうが……。まあそうでもしなけりゃ、パンデミックの危険もあるか。
キミヒコとしては、ギルド、あるいは行政がやった仕事に文句をつける気はない。だが、今度は自分がその適切な処理とやらの対象になってはたまらない。
明日は我が身だ。聞くべきことを聞き、備えなければならない。
「寄生経路は? 経口か?」
「経口での寄生はそれほど心配ありません。この羽根蟲はそれ単体では非常に弱く、宿主の外では数分と生きられないようです。生肉を食べたりしなければ、生きたまま口の中に入ることはないです。もし仮に、生きたまま経口で摂取しても胃酸で死滅するでしょう」
「羽根蟲とやらはそうかもしれんが、卵とかは大丈夫か?」
「この寄生虫は卵生ではなく、分裂増殖するタイプです。宿主の体内のあらゆる場所で分裂増殖していきます。……ある程度増えたところで、宿主の肉体を変異させて乗っ取ります」
その説明にキミヒコは息をついた。
差し当たり、飲み物や食物での寄生の危険はないらしい。
「寄生経路はもっと直接的です。……あの変異した、異形の体を使って襲い掛かり、傷口から羽根蟲を植え付けます」
「ほお……。ということはだ。寄生された人間とやらは、都市近郊の湖で駆除に携わったハンターか」
「……ご明察です」
キミヒコの推察どおり、先の話に出てきた寄生された人間はハンターだったようだ。
俺に話を持ってきたのは、そういう理由もあるか。ホワイトなら、寄生の心配はないからな。俺は絶対近づかないし……。
そんなことを考えながら、当の人形に視線をやる。
ホワイトはキミヒコと職員の会話にまったく興味はないらしい。この冷蔵室用の上着をダボダボな状態で羽織りながら、フラフラと彷徨っている。
「現状、どれくらいの数がいるんだ?」
「現在調査中です」
「仮に寄生されたとして、潜伏期間はどれくらいになる?」
「……一時間とかからず変異する場合もあれば、一週間以上経っても潜伏し続ける場合もあります。ただ、潜伏している場合でも、宿主の体内で羽根蟲は増殖を続けています」
「変異体……あの口裂け天使の戦闘能力はどんなもんだ? ていうか、あの死体は二メートルはありそうだが、変異元の宿主によっては小さいのか?」
「まず、大きさについてですが――」
あれやこれやと質問を飛ばすキミヒコに、職員が現在わかっている情報を基に答えていく。
「調査中です」とか「不明です」などの返事も多かったが、おおよそ知りたいことは聞き終えた。もっとも、聞き終えたのはこの羽根蟲という寄生生物についての話だ。
キミヒコとしては、この職員の男に聞きたいことは他にもある。
今回、このリシテア市に足を運んだ理由の一つ。教会からの依頼にも関係のあることだ。
「……突然変異型の魔獣って、人為的に生み出されたのも結構いるらしいな。ゴーレムとかキメラとかさぁ」
「……それが、なにか?」
唐突にそんな話を始めたキミヒコに、職員の男は胡乱な目を向ける。
「駆除のためのハンター集めも結構だが、怪しいカルトの調査とかもした方がいいんじゃないの?」
続くキミヒコの言葉に、職員は黙り込んだ。
キミヒコの言う怪しいカルト。それは、この都市にある言語教会の支部のことだ。
リシテア市言語教会は、天使学派と呼ばれる教会内の分派が幅を利かせていた。この天使学派の教義は、言語教会の本流から著しく外れており、もはや破門スレスレの状態になっている。
そんな天使学派に対して、言語教会から差し向けられた刺客がキミヒコだった。
「……その話題は、大きい声では口にしない方が良いかと」
「ああ、そう。信者がそこらじゅうにいるわけね。ギルド内にも」
「察しが良くて、助かります」
職員が声を潜めてそう言う。
天使学派相手に、調査は入っているらしいな。まあそりゃそうか。天使様を信奉する連中だからな。この魔獣の形状は、いかにも怪しすぎる。
天使学派はその名のとおり、天使を信奉する集団だ。今回の新種魔獣の姿は、どことなく天使を連想させる。その生態といい実際のグロテスクな姿といい、信仰の対象になるような魔獣ではないが、一対の純白の翼は天使を連想させた。
天使学派とこの魔獣の関係について、なにか関連があるのかと勘繰るのは自然なことだった。
「内偵はどこまで進んでいる?」
「……迂闊ですよ。私が信者だったらどうするんです?」
「安心しろ。ちゃんと下調べはしてある。あんたの出身、家族構成、収入、ギルド内での立ち位置。全部リサーチ済みだよ、カージナルさん」
キミヒコの言葉に、カージナルと呼ばれた職員の男は目を剥いた。
「……この間、銀行に借入を断られて困ってるのも知ってるぞ。まあ、あそこはお勧めしないよ。俺がちょっと頼んだだけで、顧客情報を漏らしちゃうんだからさ。コンプライアンスとかガバナンスとか、どうなってんだろうな」
笑いながらキミヒコが言う。
その言葉どおり、キミヒコはこの目の前のカージナルというギルド職員の男のことを事前に調べていた。ギルド内部で袖の下を掴ませる相手を探していて、その候補がこのカージナルである。
今回こうして、ギルドから依頼の説明でカージナルが出てきてくれたのはラッキーなことだった。
「あんたが家族を疎開させた都市にある銀行。そこの支店長の名刺だ。それと一緒に俺の名前を出せば、無下にはされないよ。新天地での生活、いろいろと物入りだろう?」
その言葉とともに差し出された名刺を、じっと、ただ黙って見つめるカージナル。
「……私に、なにをしろと?」
「ギルドの内部情報、行政の動き、ギルド内の誰が天使学派の信者なのか話せ。知ってる範囲でいい。今のところはな」
「今のところ……?」
「銀行から門前払いはないと言ったが、その先のことはお前の働き次第だ。……妻と娘に、苦労はさせたくないんじゃないか?」
キミヒコの言葉に、カージナルはしばらく黙って考え込んでいる。しばらくして、彼は無言で頷き、キミヒコの差し出していた名刺を受け取った。
買収がうまくいったことに、キミヒコが口元を歪ませる。
「私を非難しないんですか? あなただけでない、ハンターたちを呼んだギルドの人間なのに、自分の家族だけは逃がすなんて……」
懺悔するかのようにカージナルが言う。
件の魔獣の情報を知り得る立場の人間たちの一部は、既にこの都市から逃げ出し始めているらしいことをキミヒコは知っていた。カージナルがその一人であることも。
今回の件、どうやらかなりまずい状況になっているらしい。羽根蟲については、今この場で知ったことだが、おそらく既に尋常でない数がいるのだろう。
都市の外から魔獣討伐のためにハンターを呼んでおきながら、自分たちは逃げ支度をしてるのだから勝手なものである。それも、一般市民には黙ってだ。
「……仕事だからとか、使命だとか、正義のためだとか。そんなもののために、自分や家族の命も危険に晒す、なんてやつの方が信用ならんよ。ある程度は利己的な人間の方が、付き合いやすい」
なだめるように、キミヒコが言う。
気分よく賄賂を受け取ってもらい、今後キミヒコのために働いてもらうための方便ではある。が、半分は本心でもあった。
自らの信条のため利益度外視で動く人間よりは、私欲で動く人間の方が、相互利益のある円満な関係を築きやすい。
「まあ、あんたのことはいいさ。なにしろ、把握しておきたいことが多くてな。いろいろ聞かせてもらうし、調べてもらう。わかったな?」
キミヒコの言葉に、カージナルは無言で頷いた。




