#35 黄金瞳
言語教会という宗教組織は、このアマルテアの地において、非常に強い影響力を持つ団体である。政治に関与しないという建前はあるのだが、実質的に支配していると呼べる都市すらある。
そうした、教会領だとか教会都市などと揶揄される都市の一つ。
その都市にある公園。黄色く染まったイチョウ並木の遊歩道を、散策する二人組がいた。キミヒコとホワイトだ。
落ち葉により黄色い絨毯が敷き詰められたようなその道を、ゆったりと散策している。
二人は帝国を離れ、この都市に滞在していた。
今次戦争において、教会が帝国に肩入れしているのは明白である。だが表向き、教会は中立の立場を表明しているため、この都市は中立都市として機能していた。戦争の当時国の外交官たちが集まって、益もない交渉を続けているらしい。
だがもう、そんなことはキミヒコたちには関係ないことだ。この都市に足を運んだのは、先の仕事での教会からの報酬受け取りのためである。
目的の報酬受け取りはもう済んでおり、今は疲れを癒すため、この都市でのんびりしていた。
「貴方、目の調子はどうですか?」
人形が主人に問いかける。
その質問はこれまで、幾度となくされてきたものだ。心配性な人形に、キミヒコは苦笑する。
「問題ない。イチョウ並木が、くっきり見えるよ」
右目を手で押さえながら、キミヒコが答える。
少し前まで、眼帯に覆われていたキミヒコの左目。失明したはずのその目は、今は眼帯が取り払われ、目の前の光景をしっかりと捉えていた。
その瞳は、以前と異なる色に染まっている。
眼前に広がるイチョウの黄色よりも、透明感のある金色。ホワイトの瞳に似た、金色の瞳だった。
「はあ……すげーよな、これ。視神経が完全に死んでるって話だったのに、どうやって見えてるんだろうな」
キミヒコが感嘆の声をあげる。
失明したはずの左目が、正常に機能している理由。それは、先の傭兵仕事の、教会からの報酬によるものだった。
「その左目に埋め込まれた水晶体が、取り込んだ光を、貴方の脳に投影しているのです。魔力を介在させることでね」
ホワイトが言う。
その言葉どおり、キミヒコの左目にはこの都市で受けた手術により、教会特製の水晶体が埋め込まれている。
それにより、キミヒコは左目の視力を取り戻し、ついでに瞳は金色になった。
当初、瞳の色は元の色にする予定だったのだが、手術を担当する聖職者から「黄金の瞳は縁起が良い」ということでゴリ押しされ、こうなった。
黄金の瞳は、縁起がいい……か。
あの聖職者に言われたことを思い返し、ホワイトを見る。
この人形の瞳も、金色だ。
ホワイトの瞳の色についてなど、あまり深く考えたことはない。だが、この人形は、神がキミヒコのために用意した存在だ。瞳の色も、何か理由があるのだろう。
金色の瞳の由来を、あの聖職者に聞いておけばよかったかもしれない。
そんなことを考えながら、ホワイトを見つめていると、その周囲にゆらめく何かが見える。
魔力を感知できる人間の多くが、恐れ、嫌悪する、魔力の糸だ。それが、キミヒコにも見えるようになっていた。教会の手術により、左目の視力は以前よりも格段に強化されたうえ、魔力を視覚的に捉えることも可能になった。
「お前の糸……他の連中はいろいろ言うけど、そんなに悪くないよな。むしろ……」
むしろ綺麗だ。
そう続けようとするが、どこか気恥ずかしい感じがして、キミヒコは言葉を止めた。
ホワイトの魔力の糸は、その時その時で色彩を変化させる。
今は、どこか秋を感じさせる、葡萄のような赤紫色をしていた。その色は均一でなく、所々で濃淡があり、濃い色の部分には金色の粒子のようなものがキラキラと輝いている。
その艶やかな色彩に、キミヒコは見惚れる。
「それは、貴方が視覚のみで魔力を捉えているからでしょう。魔力の感知は、もっと感覚的なものなのです。……もっと見ますか?」
そう言って、人形は糸を蠢かせる。
糸がキミヒコの手足に絡みつき、怪しく明滅した。
「いや、お前の糸はこれからいつでも見られるだろ。それよりさあ……お前、このデートの趣旨、覚えてる?」
「私の情操教育のためでしたっけ? 意味不明なんですけど」
心底どうでも良さげに、ホワイトが言う。
その言葉どおり、今やっている散策はこの人形のためでもあった。
「……ここの見事なイチョウ並木。この公園の目玉らしいんだが、ちょっと見てみろよ」
キミヒコがそう言うと、その左眼球に人形の糸が触れた。そして、眼球に埋め込まれた水晶体に絡みついていく。
本来、ホワイトには視力がない。
だが、キミヒコの左眼球に埋め込まれた水晶体の機能を共有することで、この人形は一時的に視覚を持つことができるようになった。
今も、キミヒコが見ているイチョウ並木の光景が、この人形には視覚的に認識できているはずである。
「黄色いですね」
主人に言われ、この公園のイチョウ並木を見ての感想は、ただその一言だけだった。
「……それだけ?」
「はい。他に何かあります?」
情緒のない人形の感想に、キミヒコは処置なしといった具合に首を振った。
せっかく視力を得ることができたのだからと、キミヒコはこの人形と一緒に、この都市の観光名所を巡っていた。だがホワイトは、現在散策しているような名所の景色や、絵画や彫刻のような芸術品に、まるで興味を示さない。
もっとも、元からそれほど期待してはいなかった。これだけのことで、この人形の感情や情緒が育まれるはずもない。
「せっかく、お前も視覚というものを獲得できたんだからさ。もっとこう……見たいものとか、ないのか?」
「貴方の顔が見たいです」
何か見たいものがないか尋ねれば、人形はすぐさまそう答えた。
またかよ。もう何度も見せたじゃん……。
そんなことを思いつつも、キミヒコは望みどおりにしてやることにした。この人形に自分の顔を見せるため、辺りを見回す。鏡の代わりになるようなものを探すためだ。
この人形に何か物を見せるには、キミヒコ自身がそれを見なければならない。顔を見せてやるのなら、なにか鏡のようなものが必要だ。
窓ガラスや池の水面など、自分の顔を映せそうなものを探すが、見当たらない。
どうしたものかと思案していると、ふと閃いた。
「ホワイト、ちょっと寄れ」
そう言うと、ホワイトはすぐに傍まで寄ってきた。
目の前に立つ人形の顎に手を添え、軽く引き、目を合わせる。
ホワイトの瞳の中に、キミヒコの顔が映り込んだ。それを、キミヒコの左眼球の瞳が、正確に捉える。
「見えます……。私にも、貴方の顔が……見える……」
人形がうわごとのように、呟く。その様はどことなく、恍惚とした雰囲気を醸し出している。
「……満足したか?」
しばらくしてからキミヒコが問いかけるが、人形は答えない。
キミヒコの左眼球に、糸がわらわらと群がっている。今見えている映像に、熱中しているらしい。
ホワイトはご満悦のようだが、いつまでもこうしていられない。
人形の顎にやっていた手を離し、キミヒコは再び歩き出した。
視界から主人の顔がなくなったことで、ホワイトは興味を喪失したらしい。眼球に絡みついていた人形の糸が解け、霧散していく。
勝手に映像を打ち切ったキミヒコに文句を言うこともなく、ホワイトはその隣に寄り添うようにして散策を再開した。
シャリシャリと音を立てながら、黄色い落ち葉の上を、二人して歩く。
「……ホワイト。顔はもう、大丈夫か?」
隣を歩く人形に、キミヒコが問いかけた。
聞いてから、またやってしまったと後悔する。この質問はもう何度もしたし、先程にホワイトの顔に触れた際にも、そこに傷跡のような感触はなかった。
左右に割られた人形の顔は、すでに完治している状態だ。
「またそれですか。顔はもう完全に修復されてます。見たとおり、触ったとおりですよ。まったく、心配性というやつですね」
「ぬかしやがる。お前も大概だろうが。左目のこと、何回聞いてきたと思ってる」
案の定、人形に呆れられ、先の発言を紛らわすようにキミヒコは言い返した。
実際、心配性なのはお互い様の話である。
左目の手術の後から、ホワイトから術後の経過についてはしつこく聞かれている。
今のところ、手術は完璧なようだった。視力に問題はないし、炎症なども起きていない。それに術後の感染予防で、帝国から得た大金を使って抗生剤も買い込んである。
そういえば、抗生剤の昼食後の服用がまだだった。
そんなことを思い出し、どこかで昼食をとろうと考えているキミヒコの目に、人形の糸が明滅しているのが映った。
「……どうした?」
「糸の警戒網に反応があります。要注意人物を感知しました」
「ほぉ……。どこの誰だ?」
問われ、人形が答えたのは、二人の人物の名前。
一人は顔見知り。もう一人は会ったことのない、名前しか知らない人間だ。
少し悩んだ後、キミヒコはその二人の下へ向かうことにした。




