#34 フルーツバスケット
王都にあった高級宿の一つ。そこは現在、帝国軍に徴発され、宿が丸ごと、負傷兵の療養施設となっていた。
その建物の一室。将校のための個室となっているその部屋に、キミヒコは向かっていた。扉の前でノックをして、「どうぞ」と返事があってから入室する。
「おーっす。ミルヒ、元気にしてるかー」
言いながら、部屋に入る。
ベッドの上には、ミルヒが上半身を起こして来訪者を出迎える姿勢だ。その頭には、包帯が巻かれていた。
「ああ、キミヒコさんか。なに、お見舞い?」
「そうだよ。ほら、お見舞い品も持ってきたぞ」
キミヒコがそう言って、その手にあるバスケットを掲げる。中身はフルーツの盛り合わせだ。戦争でボロボロのこの国では、なかなか見られない高級品である。
「将軍からいっぱい貰ってな。俺だけじゃ食べきれないから、一緒に食べようぜ」
「へえ……さすが将軍。リッチだねぇ……。ありがたくいただくよ」
バスケットの中の果実の一つを投げ渡すと、ミルヒはそれをキャッチして、そのまま齧り付いた。
品のないことだと内心で笑いつつも、キミヒコもそれに倣う。ベッドサイドの椅子に腰掛け、リンゴに似た果実を、皮も剥かずに丸齧りにする。
甘い果汁が、口の中に広がった。
「おいしいね、これ」
「ん、そうだな」
その後はしばらく、二人で他愛もない会話をしながら、果実の味を楽しんだ。
「……怪我の調子はどうだ?」
果実を食べ終え、一段落ついてから、キミヒコが問いかける。
言わずもがな、ミルヒの頭の怪我の具合についてのことだ。
先の作戦の際、ミルヒは無茶な攻撃をやって、頭部を負傷した。敵の分厚い防空網に突っ込んでそうなったと聞いている。その働きのおかげで空挺降下は成功し、王城へ部隊を侵入させることができた。
たが、事前に策定されていた降下ポイントは他にもあったらしい。この女は、あえて危険な場所に特攻をかけたというわけだ。
「ああ、これ? なんてことないよ。ちょっと頭にかすっただけ。足の骨も、ヒビが入ってるとかなんとか言われたけど、大袈裟なんだよね。飛竜から降りるまで、気が付かなかったし」
ミルヒは、どうでも良さげにそう言うだけだった。
自身の命への執着が、あまりに感じられない。
そして、足の怪我のことを、キミヒコは今この場で知った。きっと毛布の下の脚はギプスで固定されているのだろう。
「それだけ、大事にされてんだろ……。素直に心配されておけよ」
色々、言いたいことはあるものの、キミヒコはそれだけ言うにとどめた。
ミルヒの怪我は、頭の裂傷と足の骨折のみで、命に別状はないらしい。ここで療養していれば、特に問題はないだろう。
そして、その怪我以上に、キミヒコには気になることがあった。
「……なんかさあ、ちょっと、酒臭いんだけど」
この部屋に入ってから、ほのかなアルコール臭が、キミヒコの鼻についていた。
「えー。キミヒコさん、私のことをアルコール依存症とか言っておいて、自分もこんな昼から飲んでるの?」
おどけたように、ミルヒはそう言う。
キミヒコはそれに応えることはなく、ただ黙って、彼女を見つめた。
それを受け、ミルヒは若干気まずそうに、目を逸らす。
「おいおい……医務官に怒られないのか? というか、どっから持ち込んだんだよ……」
「アルコールなんて、その辺にいくらでもあるでしょ。それに、バレなきゃ問題ないよ。バレなきゃね」
そう言いながら、ミルヒが視線を向けるのは、部屋に備え付けの医療キットだ。
中には、消毒用アルコールが入っている。
薄めて、飲んでるのか。ガチの依存症だな……。どうせすぐバレるだろうが、後で医務官に言っておくか……。
そんなことを考えつつも、キミヒコは心中の思いが表に出ないようにする。ミルヒをからかうような表情を作り、軽口を叩くことにした。
「やれやれ、困ったやつだ。この作戦が終わったら、病院に行って、酒をやめて、真人間になるって、約束しただろ?」
「いやしてないよ! 勝手に話を作らないでよ!」
キミヒコの冗談じみた言い方に、ミルヒは憤慨したようにそう言った。
だが、その表情には安堵の色が見て取れる。怒られることを恐れていたのかもしれないし、失望されることを怖がっていたのかもしれない。
いずれにせよ、これ以上追及する気はない。キミヒコはこの話題を切り上げた。
会話は、先頃行われた、キミヒコと将軍の会食についてのものになっていく。
「玉の輿だねぇ……。将軍の家、ウォーターマン家は、帝国でも指折りの名家だよ」
キミヒコが婿入りを勧められたという話を聞いて、ミルヒが言う。
「へえ、そうかい」
「……気のない返事だね。受けないの?」
「言ったろうが。こんな戦争からは、もう足抜けするってな。俺は軍人をやるつもりはない」
降って湧いた縁談について、キミヒコはそう言い切った。
ウォーターマンに配慮してすぐに断りはしなかったものの、腹は決まっていた。
そして、今後のことであれば、自身のことより気になるのはミルヒのことだ。
「ミルヒは……」
彼女に尋ねようとして、言い淀む。
おおよそ、ミルヒの今度のことなど察してはいる。軍隊、いや、戦場から離れるつもりなど、彼女には一切ないだろう。
「……私は、なに?」
ミルヒが、話の続きを促す。
あまり乗り気ではないが、結局、キミヒコは話をすることにした。
「いつまで……こんなことをやってるつもりなんだ?」
「どういう意味? 軍をやめろっての? ……私の実家みたいなことを言うんだね」
案の定、反発される。
切り上げようとも思ったが、こうなるとわかっていて、この話を始めたのだ。キミヒコはこの話題を続けることにした。
「死ぬまでやるつもりか? このままやっていれば、お前は長生きできないように思える。帝国のやってる戦争は、簡単には終わらんぞ」
「いや、終わるでしょ。このままカイラリィを始末して、その後に、戦力をゴトランタ戦線に集中させれば……」
ミルヒはそう言いながらも、自信なさげだ。帝国と敵対しそうな列強の一角、連合王国のことが、頭に残っているらしい。
新たなる列強との、さらなる戦争の予感。それを、彼女も感じているようだ。
「ゴトランタの次は、連合王国ともやりあう気か? いや、連合王国だけじゃない。帝国の覇権を容認する国が、そんなにあると思うか?」
キミヒコの言葉に、ミルヒは答えない。
ただ黙って、聞いている。
「帝国は、軍部が完全に暴走しているように思える。俺は文民統制が必ずしも正しいとは思わない。だが、帝国軍は……」
そこまで言って、口を閉ざす。
言葉がその先に続くことはなく、場に沈黙が降りた。
「……軍隊批判でも、するつもり? ラミーさんみたいにさ」
しばらくして、沈黙を破ったのはミルヒだった。
ラミーを引き合いに出して、そんなことを言う。
「俺はあいつみたいに、潔癖じゃない。ただ、嫌なことは、なるべくやりたくないだけだ。人間誰だってそうだろう? お前も含めてな」
「私は嫌なことなんて、しているつもり……ない」
「嘘をつけ。不本意なことばかりやらされたから、そんなふうになったんだろうが」
そう言われて、ミルヒは顔を伏せる。そうしてから、口を結んで、そっぽを向いた。
やれやれ……。こいつ、本当に子供っぽいよな。ま、歳相応といえば、それまでか。
拗ねたような雰囲気の彼女に、内心でため息をつく。
ミルヒはまだ若い。子供と言える歳ではないが、大人と言うには早すぎる。キミヒコはそう思っていた。もっとも、これはキミヒコの中での基準であり、この世界の基準では、彼女は十分に大人の年齢ではあるのだが。
これ以上、余計なことを言っても、拗らせるだけだろう。
キミヒコは席を立とうと、足に力を入れた。
「どこに行くの?」
席を立つや否や、ミルヒが言う。
葉巻を吸うジェスチャーをしてみせ部屋から出ようとするが、その背に声がかかる。
「あの人形、どうしてる?」
妙な質問だ。
ホワイトは顔面を真っ二つにされた重傷者ではあるものの、キミヒコ以外が心配をすることはない。ミルヒも、その例に漏れないはずだ。
「顔面を固定して、俺の部屋でじっとしてるように言ってあるよ。たぶん、今も部屋でぼんやりしてるんじゃねーかな」
キミヒコのその返事に、彼女は「ふぅん」と返すだけだった。
質問自体に意味はなく、どうやら、キミヒコを引き止めたいだけらしい。
なんとも拙いコミュニケーションに、キミヒコは苦笑しながら、再び椅子に腰を落ち着けた。
「葉巻、ここで吸えばいいよ」
そんな提案をするミルヒに、キミヒコは首を振った。
「ここは病室で、患者も一人いるんだけど。……葉巻の煙も良くないが、アルコールも良くない。治るものも、治らなくなるぞ」
「へぇ……なんだ。私のこと、心配してくれてるんだ」
からかうように、ミルヒが言う。
「そうだよ、心配してる。……悪いか?」
そんな彼女の言葉を、少しの逡巡もなくキミヒコは肯定した。
常なら冗談じみた返しをするはずのキミヒコの返事に、彼女は虚を突かれたらしい。目を丸くしている。
「……そうなんだ。もう誰も、私のことなんて、心配してくれないと思ってた」
呟くようにして、彼女の口からそんな言葉が漏れ出る。
「誰もってことはないだろ。お前のとこの隊長とか将軍が怒るのは、ミルヒを心配してのことだと思うが」
「猟兵隊の戦力を心配してるだけだよ。そんなの……」
「贅沢なこと言うなよ……。心配するのに、理由がつくなんて普通のことだろ。部下だからとか、親子だからだとか、友達だからだとかさ。別にどれでも、結局はおんなじだよ」
そう言ってしまってから、キミヒコの中で疑問が湧いた。
自分が、この面倒臭い女を心配する理由はなんだろう、と。
キミヒコは他人のことなど、あまり心配したりするような性格ではない。赤の他人が、どんな不幸な目に遭おうが、心にさざ波一つ立たないだろう。
「その……さっきの話、なんだけどさ」
黙って思案していたキミヒコに、ミルヒが絞り出すようにして、話し始めた。
「もし……もし、私が軍を辞めるって言ったらさ。キミヒコさん、私を連れてってくれる? 私と一緒にいてくれるの……?」
縋り付くようなミルヒの言葉。
それに返事をしようとして、唐突にキミヒコの脳裏によぎるものがあった。
白い髪、白い肌、そして金色の瞳をした少女の顔。ホワイトのものだ。
それに引き寄せられるようにして、かつてした、ミルヒとの会話が、頭の中で再生される。
――昔、損得抜きで助けてやろうと思った奴がいた。そいつは地獄に落ちて当然みたいな女だったが、死んでほしくないと俺は思った。
――その人、どうなったの?
――死んだよ、結局な。
脳内でさまざまな感情が、ごちゃ混ぜになる。それらに戸惑い、キミヒコは言葉を紡げずにいた。
そうしているうちに、ミルヒは、色々と悟ったらしい。
「ふ、ふふふ……。冗談だよ。なんだかんだで、優しいね、キミヒコさん」
微笑を浮かべてそう言う彼女の目尻に、涙が溜まっている。
キミヒコは努めて、それに気が付かないようにした。それが、あの人形に取り憑かれた男にとっての、精一杯だった。




