#10 クズの都会生活
トムリア・ゾロア連合王国ゾロアート市。日本からこのアマルテアの地に来てから早三ヶ月。キミヒコはこの都市で何不自由なく暮らしていた。
ゾロアート市は連合王国が成立する前、旧ゾロア王国の首都であっただけのことはあって、なかなかの都会だった。
最初の一ヶ月はシノーペ村という田舎村での経験から、都会といえど不自由な暮らしを強いられるのではとキミヒコは心配をしていものだが、まったくの杞憂に終わった。
クリスの紹介してくれた高級宿は、上下水道完備のうえ、電気・ガスの代わりに魔力を利用した設備が充実している。魔力という謎のファンタジー概念を利用した各種道具で、夜中に明かりに困ることはないし、温かい風呂にも毎日入ることができる。さすがにテレビやオーディオ機器のようなものはないが、娯楽関係は歓楽街が素晴らしく充実しており、キミヒコも毎晩繰り出しては酒場や娼館を渡り歩いている。
そして今晩は娼館の新規開拓を試みる予定だ。その英気を養うため、キミヒコは宿の食堂にいた。高級宿だけあって食事や酒のグレードは高い。
晴れ渡る空、暖かい日差し、頬をなでる心地よい風。それらを堪能しながら、グラスに注がれた琥珀色の液体をあおる。
「うーん、マンダム」
上機嫌にキミヒコがひとりごちる。
日の高いうちから飲む酒は最高だな。この世の勤め人どもは仕事に精を出しているという事実が、さらにいい気分にさせてくれる。
窓から外を眺めれば往来を行く人々が見える。現在は平日の日中だ。きっと仕事に勤しんでいるのだろう。今度は店内を見渡すと年若い給仕が配膳を行なっている。厨房ではコックも働いていることだろう。
生活のため、ストレスを抱えながらも働き続ける彼ら。なんの不安も心配もなく、昼間から酒をあおる自分。実に美しいコントラストだ。芸術的でさえある。
働きもせずに優雅な生活を送っているという事実が実に心地よい。
優越感に浸るキミヒコに相席の男が話しかける。
「いやー。こんなにご馳走になっちゃって悪いっすね、キミヒコさん」
「フッ、いいってことよ」
相席の男の言葉に、鷹揚に返す。
「代わりと言ってはなんだが……、わかっているな? ジョージ」
「うっす、任せてくださいよ。キミヒコさんの要望どおりの店はバッチリ押さえてあります。きっと気に入りますよ」
今晩の遊行の準備に抜かりはない。夜の街の案内人として、玄人の遊び人をキミヒコはスカウトしていた。
「万一趣味に合わなくても大丈夫なように三つも店を押さえてあります。今日は最高の夜をお約束しますよ。うひひ」
「うむ、いい仕事ぶりだ。ヒモ男なのにいい心がけじゃあないか」
自身のことを棚に上げてキミヒコが言った。
確かにジョージという男はヒモである。女性に貢いでもらった金で夜の街を遊び歩くような男だ。遊び人として板についており彼の夜の街の案内は確かなものだった。それゆえ、キミヒコはこうして昼飯を奢ってあげたり、いい店を紹介してもらった場合は代金を肩代わりしてあげたりもする。
「いやあの、キミヒコさんもヒモなのでは……」
そんなジョージであるがキミヒコにヒモ男呼ばわりされるのは釈然としないらしく、おずおずと反論を口にする。
「おいおい、一緒にしてくれるな。ホワイトとはそういう関係じゃない」
「は、はあ……」
ジョージはいまいち納得していない様子だ。それを見てキミヒコがやれやれといった具合に口を開く。
「ふう、しょうがない奴だな。何度も説明してやったろ? ホワイトは自動人形だぞ。俺の人形が収入を得る。これはもはや俺が収入を得ているも同然。よって俺はヒモじゃない。はい、証明終了」
「そ、そっすね……」
若干引き気味にジョージが相槌を打ち、ヒモだのなんだのといった話題を切り上げた。
ため息をついて、ジョージは葉巻を懐から取り出した。マッチも取り出して火をつけようとしたとき、キミヒコが口を出した。いつになく剣呑な雰囲気だ。
「……葉巻はやめろ」
「え? ああ、すんません。嫌いなんでしたっけ」
「ああ。煙が……ちょっとな……」
キミヒコは葉巻が嫌いだった。理由は自分でもわからない。喫煙者ではなかったが、嫌煙家というわけでもなかった。以前はこんなに嫌うことはなかったはずなのに、なぜか煙に忌避感があった。
ジョージはキミヒコに言われて、特に文句を言うこともなく葉巻を懐にしまいこんだ。
そんなやりとりをしていると、いつの間にか給仕の女性がキミヒコたちのテーブルの近くまで来ていた。
「ご歓談中に失礼いたします、キミヒコ様。ロビーでお連れさまがお待ちです」
給仕が端的にそう告げる。どことなく、視線がキツイ。ヒモ男のジョージのせいだろうとあたりをつけて、キミヒコは素知らぬ顔で返事をする。
「ん、ここまで通してくれたまえ」
承りました、とだけ言って給仕の女の子がいったん下がっていく。
「お、ホワイトちゃんですか?」
「そうらしい。このくらいの時間に仕事が片付くとか言ってた気がする」
そんな話をしているうちに、給仕の子がホワイトを連れてきた。
給仕の隣を歩く姿を見ると、その小柄さがわかる。隣を歩く給仕の胸のあたりまでしか背丈がない。そして相変わらず服も髪も肌も白い。白くないのは、キミヒコの姿を捉える金色の瞳とその手に持つ皮袋、そして嫌味な言葉を放つ薄紅色の唇だけだ。
「昼間から酒盛りとは……。相変わらずいい身分ですね」
「ああ、まったくいい身分だぞ。お前のご主人様だからな。で、どうした? 仕事が終わったなら部屋に行っていればいいのに、わざわざロビーで待ってるなんて」
嫌味を華麗にスルーして用件を聞く。一緒に昼食をとりに来たというわけではないだろう。この人形は食事を必要としていない。
「部屋にいないからロビーまで行ったんですよ。これを渡しに来ました。……前もって伝えてあったはずですが?」
「ああ、そうだったかな」
そういえば、今日は続けて仕事があるからその合間に受け取った報酬を渡しにくるとか、そんな会話をしたことを思い出した。ホワイトに気のない返事をして、皮袋を受け取る。なかなかよい仕事をしてきたようで、皮袋はずしりとした重みがあった。
ふと、周囲から視線を感じた。キミヒコへ向けられたものではない。ホワイトへの視線だ。
ジョージや給仕の女の子、さらには周りの客もホワイトのことが気になるらしく、チラチラと視線を送っている。
ホワイトが注目を集めるのはわからない話ではない。白一色の奇抜な装い、人間離れした美貌、透きとおるような美しい声。ぱっと見ただけでは人形には見えないため、貴族のお姫様とか言われても違和感がないだろう。
こうした注目は、キミヒコとしては高級車を見せびらかすような感覚で、悪い気分ではなかった。
キミヒコが軽い優越感に満足している中、この人形は衆人の目を惹きつけているこの状況の下、よくとおる声でこうのたまった。
「今晩は娼館巡りの予定でしたね。私の今日の稼ぎは全部お小遣いにしていいですけど、性病には気をつけてくださいよ」
ホワイトの発言に、場がしんと静まり返る。先程まで賑わっていた食堂の空気は完全に凍りついた。
……こいつ、わざとか? わざとやったのか? 金の詰まった皮袋を渡してからのこの発言。これでは俺が一回り以上年下の少女に金を貢がせ、その金で風俗に向かうクズ野郎と思われてしまうではないか。
キミヒコは内心の焦りを表に出さぬよう平静を装いつつ、チラリとジョージを見る。ジョージは窓へ顔を向けてグラスをあおり、目を泳がしていた。心なしか顔が青いように見える。案外気は小さいらしく、頼りになりそうにはない。
給仕の子を見やる。路上で酔っ払いの吐き散らかした汚物を見つけたかのような目をしていた。仕事中に客をそんな目で見るなと言いたくなったが、さすがのキミヒコもこの場は堪える。
他のテーブルにも視線を這わす。皆一様にキミヒコたちのテーブルの方を見てヒソヒソと話している。声のトーンから察するに、ポジティブな話題ではないだろう。
この状況をどうするべきか。誤解を解くためとはいえ、下手に言い訳を並べるのはまずい。必死こいて言い訳して無様な奴だと思われるのがオチだろう。誤解が解けることはなさそうである。
ここはやはり、なんでもないことのように受け答えをしてやりすごすか。周りの奴らとて、いつまでもこちらに聞き耳を立てるほど暇ではないだろう。
そう腹を括り、キミヒコは口を開いた。
「案ずるなホワイト。病気の心配がありそうな、安っぽい所へは行かないからな。心配してくれるなら、もっとグレードの高い娼館へ行けるように気張って稼いでくれ」
ジョージが口に含んでいた飲み物を吹き出した。口に含まれていたであろう飲料が窓ガラスへ拭きかかる。そのためだろうか、室内の全員が唖然とした目でこちらを凝視している。
窓ガラスを汚しやがって。注目を集めたくないのに、まったく余計なことをしてくれる。
ケホケホとむせているジョージを尻目に、キミヒコは内心で舌打ちする。
「はあ。私はもう行きますね。これからまたひと仕事ありますので」
「おう、頑張ってこいよ。……あ、給仕さん。こいつ入り口まで連れてってやって」
とりあえずの会話を終え、出口までのエスコートも付けてやる。これでこの場は乗り切ったと、キミヒコは安堵の息を吐いた。
「……。ホワイト様、どうぞこちらへ」
給仕はまるでキミヒコを無視するかのようにして、ホワイトの案内に移る。
……態度悪いな。まったくプロ意識がなってない。俺が寛容だからよかったものの、クレーム案件ですよこれは。
「キ、キミヒコさん、すごい。すごいよ……あんたは」
ジョージが恐れ慄き、キミヒコに言った。キミヒコとしてはよくわからない反応だったが、とりあえずは調子を合わせることにする。
「ふふん、今更気がついたのか。この俺の気高さによ」
「いや、なんていうか、俺なんてまだまだだったんだなって」
なにか、いつになく深刻な様子だった。ジョージはそのまま俯いて黙り込む。
どうしたんだ、こいつ。
キミヒコがなんと声をかけようかと考えあぐねていると、ジョージは唐突に意を決したように語り出した。
「俺、自分のことをどうしようもない奴だと思ってた。社会になじめることなんてもうないって、そう思ってた。けど、あんたみたいな男でも普通に生きていけるんだな。社会は許容してくれるんだ。こんなにやさしい世の中なら、俺だって、社会復帰くらいできるよな。……俺、真面目に働くよ」
「……は?」
その夜の遊行はキミヒコ一人でとなった。店についてはジョージが教えてくれたので楽しく遊べたのだが、キミヒコが奢るといってもジョージは来なかった。女との関係も清算して真面目に生きていくとのことで、礼まで言われた。
いったいなぜ感謝されたのか、キミヒコにはさっぱりわからなかった。




