#28 最後の生贄
「そうですか……『星の涙』の起動条件。最後の生贄は……そういうことでしたか……」
「すべては私の無能が招いたことだ。許してくれとは言わないよ、騎士オルレア。必死に戦ってくれた君は……いや、君たちは私を憎むべきだ」
夕暮れ時、王城の一室で、騎士オルレアは一人の男と面会していた。
この部屋に押し込められるようにして佇む初老の男は、この国のかつての王だった。
「私は、アルブレヒト陛下がその命を惜しんでいたのだと聞かされ、それを信じてしまいました。陛下が惜しんだのは自身の命ではなかった。最後の生贄は、あまりに惨すぎる」
「もう陛下ではない。今の私は、生贄としての役割を振られた老人にすぎない。そして、自らの命が惜しかったのも本当のことだ。ただの一つも、君に誤解はない」
王だった男、アルブレヒトが淡々と言う。その声には諦観の念が見え隠れする。
そんなアルブレヒトに対し、オルレアが声をかけようとして、部屋の扉が開かれた。
「……閣下」
入ってきたのは、オルレアの従騎士レナードだ。ノックもなしに入室した彼に、オルレアの顔が厳しいものとなる。
無礼に腹を立てたのではない。レナードは急報を伝えにきたのだと、すぐにわかったからだ。
アルブレヒトとの面会は、王国の現政権の目を掻い潜って行われている。オルレアの従騎士たちは、そのサポートをしていた。
「気取られたか? ……いや、そうか。始まったのか」
従騎士が報告を入れる前に、オルレアは察した。
アルブレヒトへの接触が露呈したわけではない。もっと、急を要する内容。
帝国軍が動き出したのだ。
「はい。帝国軍の航空隊が飛来しました。加えて、王都郊外の丘で、帝国軍の魔術師部隊の布陣が完了したようです。攻性魔法陣による発光が確認できます」
「早いな。拙速は巧遅に勝るというが……さすがは、アマルテア最強の軍隊か……」
案の定、帝国軍の襲来を告げられ、オルレアはぼやく。
開戦してからこの王都まで到達するまでの、帝国軍の行軍速度は並ではない。
帝国軍は兵力を複数に分割し、相互に支援をさせながら、複数の経路で機動。そうしておきながら、設定された場所と時間には少しの乱れもなく再集結する。
帝国軍の高度な組織力が、安定した分進合撃と、それによる高速の戦力機動を可能としていた。
だが、そんな敵の強大さに慄く言葉とは裏腹に、オルレアの瞳には強い意志がこもっていた。
そんな彼女を、アルブレヒトは静かに見据える。
「行くのか?」
「はい。……陛下、お世話になりました」
「オルレアよ、君の決断の行く末を、私に祈らせてくれ。……幸運を願っている」
アルブレヒトの言葉にオルレアは一礼して退室する。その歩みには、恐れやためらいはない。
最後の戦いに向けて、騎士はただ前へと進んでいく。
「最後の生贄がわかった」
足早に歩を進めながら、オルレアがレナードに言った。従騎士に向けての言葉というよりも、それは独白に近いものだ。
「赤子だ。赤子の無垢なる祈りが、流星を呼ぶのだそうだ」
主の言葉に、従騎士が目を剥く。
すでにアーティファクトの起動のため、多くの人間が犠牲となっている。この上そんな犠牲が必要なのかと、絶句しているようだった。
現段階で生贄となった人々の多くは、ビルケナウ市からの避難民たちだ。オルレアたちが帝国軍相手に遅滞行動を繰り返して、ようやく王都まで逃した人々だ。
執拗な追撃を繰り返す帝国軍を相手に必死に戦い続け、ようやく王都へ帰還した時に聞かされた避難民たちの末路。今思い返しても、オルレアははらわたが煮え繰り返る気分だった。
そして、今回の件である。
現政権から聞かされていた、アーティファクトの起動条件は欺瞞だった。犠牲となるのは、すでに生贄として捧げられた避難民たちと前国王のみ。そう聞いていた。
しかし現実には、流星を呼ぶには最後の生贄が必要で、それは本来、大人たちが守ってやらなければならない赤子たちだった。
「生後一年以内の赤子が、おおよそ百か二百……。まだ無事なはず。どこにいるか、探せるか?」
「お任せください。……閣下は?」
「レオーネ様の下へ行き、その心算を問いただす」
オルレアのその言葉には、彼女の激情が乗っていた。
◇
王城の謁見の間。その玉座には若き王、レオーネが座っていた。傍には彼の最側近である騎士ストラングが控えている。
帝国軍の攻撃に城内の兵士たちが慌ただしく動き回る中、現在この国の実権を握る男レオーネと騎士オルレアの謁見が行われていた。
「騎士オルレアよ。今がどんな状況かわかっているのか? 悠長に卿の謁見を受けている余裕はないのだが」
開口一番に、レオーネが言う。その声には不快感が滲んでいた。
王都が帝国軍から攻撃を受けている真っ最中であることもそうだが、オルレアの用件をおおよそ察していることもその理由だろう。
「あのアーティファクト、『星の涙』の最後の生贄についてお話があります」
案の定のオルレアの言葉に、レオーネの顔が歪んだ。
「ふん……父と会ったか。耄碌したな、あの男も……」
「お考えを、改めていただくことはできませんか?」
「そんなつもりはない。やらねば、やられる。それだけのことだろうが」
アーティファクトの起動の是非。それを問いただすため、オルレアはここに来た。
レオーネが簡単に翻意するわけもないが、オルレアとてそう易々と引き下がるつもりはない。
「赤子を犠牲にしてでも、ですか? 正気じゃない」
「すでに何人生贄にしたと思っている? いまさら引くことなどできんよ」
「あなたは……いえ、我々は、無辜の民を守ることもできず、あまつさえその命を生贄とした。このうえ、赤子まで生贄に捧げるなど……。そこまでして、いったいなにが得られるのです?」
すでに生贄に捧げられた人々に加え、前国王に赤子たち。彼ら全てを犠牲にしたとしても、勝利とまではいかないだろうとオルレアは考えていた。
現在、王国内に侵攻している軍勢は、帝国軍全体からすればほんの一部に過ぎない。仮に現在の侵攻軍の撃滅に成功しても、帝国は新たな侵攻軍を編成する余裕がある。
「現在侵攻中の帝国軍を打ち倒さねば、王国に未来はない。……卿が守ろうとしている、赤子も大勢死ぬだろうよ」
「かもしれません。ですが、このまま生贄にすれば確実に死んでしまう。いえ、私たちが殺すのです。そうまでして、帝国軍と戦うのですか?」
「……降伏しろとでも言う気か?」
「はい。残念ですが、軍にはもはや、帝国軍と戦える力はありません。降伏も、無条件に近いものにはなるでしょうが……」
事ここに至り、降伏を提言するオルレアに、レオーネは鼻白んだ。
「奴らの慈悲に縋るのか? 連中が何をやったか、知らぬわけでもあるまい」
「帝国軍とて、アーティファクトの存在を知ったから、ああしたのでしょう。それを放棄してみせれば、降伏交渉は可能です」
「馬鹿を言うな。連中は今まさに、この王都に向けて攻撃を仕掛けているんだぞ。竜騎兵の爆撃も攻性魔法陣の砲撃も、市街地だろうが見境なしだ」
レオーネの言うとおりで、帝国軍は苛烈な攻撃を王都に仕掛けてきている。
王国軍は飛来した竜騎兵を迎撃する防空戦力もなければ、丘陵地帯に陣地を構えた特科部隊を排除できる戦力もない。
やっていることといえば、アーティファクトの破壊に来るであろう敵を待ち構え、城下で剣を研ぎながら待機しているだけだ。
「帝国軍の目的は明白です。アーティファクトの起動に伴う発光が、敵を刺激しているのです。……アーティファクトを我らの手で破壊し、それをもって城下の盟といたしましょう」
「あれを破壊したところで、連中は止まらんよ。……今の奴らは疑心暗鬼だ。我々が『星の涙』の残骸を渡したところで、安心しないだろうさ。降伏交渉など、こちらの時間稼ぎと勘繰られるだけだ」
話は平行線であり、双方折れる気配はない。
そうしているうちに、謁見の間に来訪者があった。伝令兵だ。
彼はレオーネの下へと足早に向かい、何事か報告を入れる。
その様子を見て、オルレアはおおよその状況を察したようだ。黙って立ち上がり、レオーネに背を向ける。
「どこに行く?」
「敵を出迎えに……。『星の涙』を連中に破壊させるわけにはいきません。我らの手で破壊します。それでようやく、交渉の席が用意できる」
それだけ口にして、オルレアは謁見の間を出ていった。
「……よろしかったので?」
無言でオルレアを見送るレオーネに、黙って話を聞いていた騎士ストラングが問いかける。
「放っておけ。もはや、なるようにしかならん。『星の涙』の起動が早いか、連中がここに乗り込んでくるのが早いか、あるいは……」
レオーネは最後までは言わなかった。
ただ疲れたとばかりに息を吐く。その様子は、まだ三十代であるにしては、ずいぶんと老け込んだものだった。




