#20 ビルケナウ市の休日
ビルケナウ市から、王都へ向かう途上にある宿場町。
命からがら、燃え上がるビルケナウ市から逃れてきた避難民たちで、その宿場町は埋め尽くされている。
その町の宿の一室に、騎士オルレアはいた。
部屋には王国軍の武官やら従騎士やらがいるが、皆一様に顔を青くしている。ビルケナウ市が焼かれたこともあるが、それ以上にオルレアに怯えていた。
オルレアの放つ怒気は、その身から滲む魔力に乗って、部屋にいる全員を恐れさせている。
「それで、姫様は?」
「空襲前に、王室御所から移動しています。民間の商家の屋敷を徴発して、そこで待機していました」
「護衛は?」
「近衛が十人。柔軟に対応できるよう、魔術師も数名、含まれています」
「その十人の所在は?」
「……全員、不明です」
従騎士のレイが、オルレアの短い質問に淡々と答えていく。
オルレアの怒りの発端は、メリエス姫の遭難である。
帝国軍の空襲前に、彼女はすぐさま王室御所から、民間の建物へと移された。敵の爆撃は軍施設や城壁、行政施設を狙って行われると予想されていたからだ。
しかし、帝国軍は市の全域を無差別に爆撃。都市は燃え上がった。
駐屯していた王国軍はビルケナウ市を放棄。迫り来る帝国軍と市街戦を行なうことはなく、明け渡した。
都市から逃げる民草を支援しながら後退し、こうしてこの宿場町に集結しているというのが現状だ。
そしてこの場に、メリエスはいない。こういった事態にあって、真っ先に脱出していなければならない貴人であるにもかかわらずだ。
王国軍がビルケナウ市を放棄する際、彼女はとっくに脱出しているとの報告をオルレアは受けていたのに、それは誤報だった。メリエスが逃げ遅れた事実に、オルレアは愕然としている。
本人の意思と増援の近衛兵たちの名目のため、メリエスはビルケナウ市に留まっていたのだが、オルレアは後悔していた。こんなことになるのなら、無理やりにでも王都へ帰すべきだった。
「閣下、どうか落ち着いてください。帝国軍とて、貴人の扱いは心得ているはず……です。姫様の身柄は――」
「これが落ち着いていられるか! 貴様らいったい何をやっていた!? 姫様はだな……!」
従騎士レナードの言葉にオルレアは激昂した。
レナードとて、メリエス姫の安否は楽観視できるような状態ではないと理解している。
空襲で命を落とした可能性は十分にある。
生き残って帝国軍に捕らえられたとして、丁重に扱われるかも不明だ。帝国軍は無茶苦茶なことをやったばかりであるし、人質としてメリエス姫を差し出すという提案の際は取り付くしまもなかった。
とはいえ、このままだとオルレアが暴走して、単身ビルケナウ市に乗り込むなどと言い出しかねない状態だ。
従騎士が二人がかりで、どうにかオルレアをなだめていると、部屋の扉が開かれた。
入ってきたのは青い髪の女性。先立って王都へ移送されていたはずの、騎士アンビエントだ。
「アンビエント卿!? 回復したのか!」
喜色を浮かべてオルレアが言う。
「あはは……。どうにか落ち着けてね。半病人のままではあるけどさ」
力なく笑いながら、アンビエントはそう答えてみせた。
聞けば、どうにか自分で自分の精神をコントロールする術を身につけたようだ。とはいえ、まだまだその術も不安定なうえ、常にその魔術を使用している状態なので他の魔術を行使することができないらしい。
「そうか……すると、騎士位は……」
「いやぁ、騎士はもうクビだって言われたよ……。そんな状況じゃないから、騎士位はまだ返してないけどさ」
アンビエントが寂しげにそう言った。
騎士としての力は失ったものの、数少ない友人がこうして辛い時に来てくれた。その事実が、オルレアの心を癒し、落ち着かせた。
自身の不甲斐なさで都市を守れず、我が身より大事にしてきたメリエスすら行方知れずとなってしまった。
それにより自分自身と帝国軍へ向けていた怒りを、オルレアはいったんは忘れることができた。
そんなオルレアの様子に笑みを浮かべてから、アンビエントは口を開いた。
「姫様のことだけど、いい知らせがある」
◇
ビルケナウ市の一角。比較的、火災の被害の少ないその区画は帝国軍が接収し、将兵の仮住まいとして利用されていた。
憲兵隊が昼夜を問わず哨戒しているため、治安もいい。
そんな区画の中にある一棟の家屋で、陽気な笑い声が響いていた。
「ひひ、あはははっ。ざまあないな、ミルヒ。この間の失敗で、将軍に怒られたって聞いてるぜ」
「ぐっ……こ、この……。し、失敗はしてない! 作戦は成功したし、私は悪くないでしょ!? 将軍だってそれで怒ったわけじゃないし!」
「空の上までノコノコやってきたオルレアを、取り逃がしたんだろ? 爆装した部隊に被害が出たって聞いてるけど? この間の肴のお礼、ゴチになりまーす」
この間の意趣返しとばかりに、キミヒコはミルヒを小馬鹿にしながら、酒を飲む。
ミルヒは顔を真っ赤にして悔しがっている。
「取り逃がしたのは怒られてないって言ってるでしょ!」
ミルヒのその言葉に、キミヒコは怪訝な顔をする。
彼女がウォーターマンの下へと呼び出され、猟兵隊の隊長を巻き添えに叱責されたという話をキミヒコは知っていた。しかし、その叱責の原因は、先の作戦で航空隊に被害が出たことによるものではないらしい。
「じゃあ、いったいなんで怒られたんだよ? お前の所の隊長も、連座で叱責されたとか聞いたけど」
キミヒコが聞くと、ミルヒは言いづらそうにモジモジし始めた。
その様子を見て、碌でもない理由であろうことをキミヒコは察した。もうこの話題を切り上げようとするが、それより先にミルヒが口を開く。
「出撃前の気付けの一杯が、バレちゃった……」
えへへ、と照れ笑いをしながら、ミルヒがそんなことを言う。
気付けの一杯とはなんだ。そんな疑問が頭に浮かび、しばらく考えてから思い至る。
「は……? え、お前、もしかして酒飲んでから出撃したの!? 飲酒運転ってこと? 馬鹿なのかよ!?」
「馬鹿じゃないもん! だってしょうがないじゃん! アルコールを体に入れておかないと、手が震えるんだよ!?」
キミヒコは絶句した。
毎回毎回、翌日が仕事だろうが関係なしに酒を浴びるように飲むミルヒだったが、まさかここまでとは思っていなかった。
「それもう依存症じゃん……。悪いこと言わないから病院行けよ」
「うぇぇ……。どうしてキミヒコさんまでそんなこと言うの? 隊長にも、この侵攻作戦が終わったら軍病院にブチ込んでやるとか怒鳴られたし、みんな私に冷たい……」
自身がいつも、人形に言われていることを棚に上げてのキミヒコの忠告に、ミルヒの目尻に涙がたまる。
ミルヒはこの有様だが、本来、猟兵隊の隊員、暗黒騎士たちは貴重な人材だ。キミヒコが雇われたのも、騎士オルレアとの戦闘で彼らを喪失するのを避けるためという理由がある。
それほど大事にされているのに、飲酒して飛竜に乗って、墜落でもしたら目も当てられない。ウォーターマンが激怒するのも当然といえた。
「なんで私の部屋で酒盛りをしてるんですかね、あなたたちは……」
騒いでいる酒飲み二人のそばに来て、ラミーが呆れたように言った。
その言葉のとおり、この部屋は軍からラミーにあてがわれたものだった。部屋どころか、家屋を一軒丸ごとが彼に提供されている。
「いいじゃないか。やってる酒場がないんだからさ」
「そうだよ。エリート参謀様はこんないい部屋をもらってるんだから、私たちにも使わせてよ」
「ペーペーの尉官のくせに、少佐殿に逆らうのか? これはいけませんなぁ」
キミヒコとミルヒの言い草に、処置なしとばかりにラミーは肩をすくめた。
そんなキミヒコたちに近づく人物が一人。
つい先日、ラミーとキミヒコにより助け出された少女、メリーだ。普通の町娘のような格好で、煤けてしまったロングヘアーは肩口のあたりで切り揃えられている。
彼女はラミーに保護される形で、この家に住んでいた。
「あの……今の話。騎士様と、その……戦ったと……」
おずおずとそんなことを問いかけるメリー。
どうやら、キミヒコとミルヒの会話の中に出てきた、騎士との戦いについて聞きたいらしい。
「ああ、騎士様……騎士オルレア、ね。……こいつ、あの女にいいようにやられてな。護衛対象の部隊を、損耗させられたんだとよ」
キミヒコが答える。
その言い草に、ミルヒはふくれっ面だ。
「その騎士様は……?」
「仕留め損ねたよ。乗ってたグリフォンを始末して、油断した……。地面に落ちる前にトドメを刺すべきだった……。ていうか、仕留め損ねたのはキミヒコさんもでしょ!?」
今度はミルヒがメリーに説明する。
言いながら、屈辱を思い出したのだろう。頭をかきむしりながら、ブツブツと独り言を呟き始めた。
「あの高度から落ちて、あいつどうして生きてるのよ? 死ねばよかったのに、死ねば……。ああ、死ね死ね死ね死ね死ね――」
危ない雰囲気を醸し出すミルヒに、メリーは完全に腰が引けている。
また始まったとキミヒコは呆れ顔だ。
いちいち相手にしていられないので、無視してグラスの酒を呷る。だが、グラスの中身はキミヒコが満足する前になくなってしまった。
「あ、メリーちゃん。俺が持ってきたワインボトル持ってきてくれる? キッチンに置いてあるから」
「彼女は給仕じゃない」
メリーを召使いのように扱おうとするキミヒコを、すかさずラミーがたしなめた。
「いえ、いいんですよ。ラミーさん」
そう言って、メリーはキミヒコの要望通りに部屋を出ていった。
その様子を見送ったのち、ラミーはため息をついてからキミヒコに非難の視線を送る。
「そう睨むなよ。仕事を与えてやった方が、あの娘も安心するというものさ。むしろこき使ってやれよ」
「もっともらしいことを言ってますが、建前ですよね? それ」
「別に建前でもいいだろ。嘘も方便というやつだよ」
「で、キミヒコさんの本音はどうなんです?」
咎めるような調子で、ラミーが聞いてくる。
別に取り繕う必要も感じないので、キミヒコは正直に答えることにした。
「俺たちは勝ち組の帝国軍で、あいつは負け組の王国の人間。俺たちは気を使われる側で、気を使ってやる方が間違いだな。むしろ、グラスが空になったら自発的にやるべきだろ」
「そういう言い方、傲慢ですね。嫌いになります」
いつの間にかメリーがワインボトルを片手に、キミヒコたちの傍らに立っていた。
口では嫌いになるなどと言いつつも、メリーは従順だった。立場を理解しているのだろう。
キミヒコの差し出したグラスに、黙ってワインを注ぐ。
「言い方の問題か? あ、グラスに注ぐときは、ボトルのラベルを上側にするんだぞ」
キミヒコが細かい注文をつける。ラミーは呆れた様子だが、メリーは黙って言うとおりにする。
グラスに赤い液体が、ゆっくりゆっくりと注がれていく。
手慣れていないのだろう。その手つきはたどたどしい。だが、どこか気品のようなものを感じられた。
この女、怪しいな。この年頃の娘なら、もっと泣き喚いたりして面倒臭そうなもんだが、こいつ……。
キミヒコはメリーという少女への疑念を、いまだ拭えずにいた。
カリスマとでもいうのだろうか。この娘から発せられる妙なプレッシャーが、キミヒコを警戒させた。
「……私は、ラミーさんに感謝しています。あなたは、私が恨みを持ち続けると言いましたが、これは本当です」
警戒されていることを察知したのか、メリーはそう言ってみせた。
そういう、他人の内心を見透かしたような態度が怪しいんだよ。ラミーの奴め、わかってるのか……?
キミヒコは心中でそう毒づく。
ラミーはこの娘に完全に絆されてしまっているらしく、この疑念を伝えたところで意味はないだろう。
「ラミーだけかよ。俺にも感謝してくれてもよくない? 瓦礫をどけて救出したのも、担いで医務官の所まで連れてったのもホワイトだぞ」
「ええ、そうですね。ホワイトちゃんには感謝してます」
「俺にもしてくれ。いや、道義上するべきだろ。もっと媚びへつらえよ」
「そういう、露悪的な所がなければ、もっと素直に感謝できるのですが……」
口ではあれこれ言いつつも、キミヒコはこの娘に感謝してほしいなどと思ったことはない。最初からそんなものには期待していないし、感謝されたところで得があるわけでもないからだ。
そんなキミヒコの心にもない発言にも、メリーは特に動じない。その受け答えに、恐れや憎しみといった負の感情はなさそうではある。
とはいえ、表面上のその態度をキミヒコは真に受けたりはしなかった。
腹の探り合いのような場に慣れていて、本心を表に出さないようにしている。キミヒコにはそう見えた。
「ちょっと! どうして誰も私の話を聞いてくれないの!? 猟兵隊のみんなも仕事の話しかしてくれないし、なんでみんな私に冷たいの!?」
唐突にミルヒが叫び始めた。
ブツブツと続けていた独り言に、誰も反応してくれなかったのが気に入らないようだ。
こうなると、ミルヒは大変面倒くさい。
「メリーくん。今日から君、ミルヒちゃん係ね。仲良くガールズトークでもしてあげて」
キミヒコが億劫そうな顔で、キラーパスを放つ。
唐突に面倒な役割を振られたメリーは、露骨に嫌そうな顔をした。
「え……いや、ミルヒさんはちょっと……」
「どうしてそんなこと言うの!? ひどい、ひどいぃぃ!」
ミルヒが泣きながらメリーに縋り付く。
これで本当に元騎士なのか。これで帝国軍の少佐が務まるのか。
そんな呆れた思いのまま、彼女らを横目にキミヒコは席を立った。そのまま壁際まで歩いていって、ラミーを手招きする。
それを見て、ラミーもまたその場を離れた。
「最近、身辺調査がきつい」
ラミーが近くに来るのを待ってから、キミヒコが呟いた。
その言葉に、ラミーは困り顔になる。
「その顔、なんか知ってるな。何があった?」
「……軍でなにがあろうと、自分には関係ない。あなたはそういう人なのでは? 別に、あなた自身がまずいことをしているわけでもない」
「たとえ清廉潔白であろうと、疑念を持たれたまま放置するのは良くないことだ。心当たりがなければ、特にな」
その言葉どおり、キミヒコは心当たりもないのに、どういうわけか憲兵たちに動向を監視されている。ホワイトの感知能力を駆使して裏を取ったので、何か疑われているのは間違いない。
しかし、その何かがわからない。
ホワイトに詳細な調査をさせようともしたが、憲兵隊はさすがのガードの固さで断念した。
「……疑われているのは、キミヒコさんだけではありません」
ラミーは喋る気はないらしい。
だがそれで、はいそうですかと引き下がるキミヒコではない。
過去、この世界に来る少し前。こういったことを放置して、それでキミヒコは冤罪をかけられた。
二度とああはならない。キミヒコはそう決意している。
「あの娘の屋敷、宮廷魔術師の家でもなんでもなかったぞ」
キミヒコはラミーを脅すこととした。
以前、メリーを助け出す際につかれた嘘をあげつらう。あの場ではラミーの言葉に納得していたキミヒコだったが、後々になって調査するとそれは虚言であった。
メリーの正体についても気にはなる。だがそれよりも、ラミーから軍の内部情報を喋らせることをキミヒコは優先した。
普通に考えるのなら、あの娘の正体は王国軍高官の親族か何かだろう。
王国軍の内部事情などを知っている可能性もあるのだから、本来であれば軍に突き出すのが正解だ。だが、ラミーにそのつもりはまったくなさそうだったし、彼がそう決めたのなら、もう自分の与り知らぬことだとキミヒコは考えていた。
「……軍内部に内通者がいるようです」
ラミーが観念したように語り出した。
この青年は、どこまでもあの少女に甘い。キミヒコが呆れるほどに。
かつての彼なら、軍の内部情報をこんなにあっさり話すなど、ありえないことだ。
「敵が知り得ないはずの情報文書が、ビルケナウ市に残っていました」
「帝国軍相手に情報を抜く連中にしては、情報管理が杜撰だな」
「同感です。カイラリィかゴトランタあたりの間諜が、王国へ情報を流していると思われます」
ラミーの推察にはキミヒコも同感だった。帝国と対立する他の列強が、王国の援助をしているというのはいかにもありそうな話だ。
「……俺はどの程度、疑念を持たれているんだ?」
「念の為、くらいのものです。外部の人間ですし、先の空襲でも事前に作戦内容を知らされていましたから、それでです」
「あの作戦、事前に漏れてたのかよ。それで、迎撃に航空戦力を用意していたのか……。その割に、ここは派手に燃えたな」
「空襲は察知されていましたが、無差別攻撃とはわからなかったようです」
ラミーのその言葉に、キミヒコは安堵した。
キミヒコは事前に作戦内容を知らされていたが、その内容は王国軍がつかんでいた以上の情報だ。ビルケナウ市を焼き払うことまで知っていた。
内通者は、空襲日時は知っていても焼夷弾による無差別攻撃までは知らなかったとするのが自然だ。
とするなら、キミヒコの嫌疑はそれほど強くはない。本当に念の為というところだろう。
当然、油断はできないので憲兵隊の動向は注視し続ける。あとは、変な疑いを持たれないように立ち回りには気を付けなければならない。
とりあえずはそれで問題はないと判断すると、キミヒコはこの話題を切り上げた。