#9 田舎脱出
「クソが! お役所仕事にもほどがあんだろうが!」
村はずれの小川で、キミヒコが雄叫びをあげなから水面に向かって小石を力一杯に投げ込む。水切りのつもりで投げた小石は、一度も水面を跳ねることなく川底に沈んだ。
「ああああ、もう! なんにもうまくいかねえな、この世はよぉ!」
「いったい、いつになったらこの村を出ていくんですか? 出ていくと言ってからもう一週間ですけど。それと、水切り……でしたっけ? したり顔で始めましたけど、下手ですね、貴方」
言いながら、今度はホワイトが水切りに挑戦する。投げた小石は水面を何度も跳ねて、向こう岸まで飛んでいった。
「俺が知りたいよ、そんなことはさ。どうすりゃいいんだ……」
「小石の回転が足りないんですよ。それと、もう少し平べったい石を選びましょう」
「水切りのことじゃねーよ。ギルドの連中、絶対サボタージュしてるだろ。税金で食ってるくせにとんでもねえよな、まったくさあ」
ギルドへの恨みを込めて、もう一度水切りをしようと小石を投げるが、無情にも小石は跳ねることなく川底へ沈んだ。
ドラゴン退治が終われば、即座に正会員となりこんな田舎村からはさっさと出ていく。そのつもりでいたキミヒコだったが、その計画は頓挫していた。
監査員、クリスの審査はもちろん通過し、あとは細々とした手続きだけなのだがそれがとにかく遅い。審査委員会から口出しがあったとか、書類に不備があったとか、そんな理由を行くたびに説明され状況に進展はない。
人を急かしてドラゴン退治に向かわせておきながら、いったいどういう了見なのか。そう憤るが、どうにもならない。
こういったときは酒でも飲んで気を紛らわせるのがキミヒコの常ではあるのだが、酒場はドラゴン退治の晩に店のワインを無断で飲んだことにより出禁となっていた。
酒場に行けないとなれば、こんな村でキミヒコが楽しめることなどなにもなく、こうしてホワイトとともに川辺でぼんやりしている。
雑草を背にして寝転び、空を眺める。視界いっぱいに雲ひとつない青空が広がる。
「はあ……。青いなあ、空は……」
「そうですか。よくわかりませんが、そうなのでしょうね」
キミヒコのぼやきに、ホワイトがそう返す。
「わからないってなんだよ。……色盲か?」
「色盲どころか、私には視力がありませんので」
何気なく言うホワイトだったが、キミヒコは思わずギョッとする。ホワイトに視力がないなんて、今までまるで気が付かなかった。
「ちょっと待て。お前、目が見えないの?」
「ええ。ほら、このとおり。この眼球はただの装飾です。感覚器官としての機能はありません」
そう言って、眼窩に手を突っ込み、眼球を取り出すホワイト。手のひらにのせられた眼球、その中央の金色の瞳がキミヒコを見据える。
そうやって眼球を見せられても困るのだが、そういうものかとキミヒコはとりあえず納得することとした。
「視力なしで、今までどうやって周囲を把握していたんだよ」
「魔力糸ですよ。常に周囲に展開させているあれが、触覚としての役割を担ってます。振動を察知するので音も識別できますし、触れたものの質感なども感知できます」
魔力糸を対象に括り付けてその行動を把握したり盗聴したり、そんな使い方ができるのは知っていたが、完全に目や耳の代替器官になっているとは知らなかった。それに、身体の駆動や声の発音も魔力糸由来と言っていたことをキミヒコは思い出した。
「……なんでもありだな、お前の糸は」
「なんでもは無理です。味覚や嗅覚は備わってませんので」
「……そうか。お前以外の自動人形もそういう能力が使えるのか?」
「さあ? 自動人形といっても、皆が画一的に同じではないはずです。人形に魔力が取り憑いて勝手に動く、そういう魔獣を全部ひっくるめて自動人形と呼ぶらしいですから。誕生理由も様々ですし」
周囲からは散々言われているが、やはりホワイトは普通の自動人形とは一線を画する存在なのだろう。誕生理由からして神様がプレゼント用に作ったという、どう考えても普通ではない代物だ。ホワイトをぼんやりと眺めながら、キミヒコはそんな思考にふける。
しばらくそうしていると、キミヒコの耳にニャアニャアという鳴き声が聞こえた。そちらを見れば、いつだかここで見た猫がこちらへ向かってきていた。
呑気な猫だな。ホワイトに殺されかけたのを忘れたのか。
「……こっちに来ない方がいいぞ、怖い人形が見てるからな。ほら、しっしっ、あっち行けって」
そう言って、猫を追い払おうとするキミヒコ。
身振り手振りで追い払おうとしても、猫は気にした様子もなくこちらへと近づいてくる。
しょうがないなと、キミヒコは手近にある小石を拾った。当てたりはしないが、これを投げて追い払う。そういうつもりで構えると、背後から声がかけられた。
「おいおい、猫に可哀想なことしないでくれよ」
「あん? ……なんだ、クリスか。あんたもご苦労だな。ギルドの連中の仕事が遅いせいで、いつまでもこんな辺鄙な所に待機でさ」
そちらを見やればクリスがいた。クリスもまた、キミヒコの会員登録の遅延の煽りを受けて、いまだに村に留まっている。
「ハハハ、俺はそんなに気にしてないさ。田舎暮らしには慣れてるもんでね」
「ん、そうなのか? ゾロアート市でハンターやってるんだろ?」
ゾロアート市はこの国で二番目の都市だ。鉄道だって通っている大都会である。
「……故郷がこんな感じの開拓村でな」
「ほぉ……。なるほどねえ。田舎から都会に出てきて成功したってことか」
「……ま、そんな感じだ。あのまま故郷にいたら、今頃はハンターじゃなくて木こりをやってたな」
木こり、ということはシノーペ村と同様の林業が中心の開拓村なのだろう。北部大森林と呼ばれるあの森はとにかく大きく、この手の村落はそこかしこに点在していた。
キミヒコがそんなことを考えている間に、クリスは猫の顎のあたりに手をやっている。ゴロゴロと気持ちよさげに猫が音を鳴らす。
「いやに可愛がるな。猫好きか」
「ああ、俺の爺さんが猫を好きでな。ネズミを捕ってくれるからだと」
猫をあやしながら、クリスが言った。
ネズミはこの世界においても嫌われ者らしい。
「……聞いたことないか? 今から百年近く前だが、この周辺で疫病が大流行してな。当時はこの辺りはすっかり開墾されていたんだが、村落が次々と壊滅して、結局はあの森に飲み込まれた」
疫病という言葉で、この世界に来た当初の廃村のことをキミヒコは思い出した。あそこは疫病によって壊滅したとホワイトが言っていた。
「その疫病の原因がネズミだったんだってよ」
クリスが言った。
疫病の原因がネズミというのはキミヒコにとっては理解しやすい話だ。細菌かウイルスか寄生虫か。どれが原因かは不明だが、それらを媒介したのがネズミだったのだろう。
だがこの世界、少なくとも連合王国を含むアマルテアと呼ばれるこの地方では細菌やウイルスなどの概念はまだなさそうだった。どうやってネズミが原因と特定したのだろうか。
「ネズミが原因ってのは確かなのか? なんでそんなことがわかる?」
「さあな。そういった専門知識はわからないが、当時の宮仕えの魔法使い様やら学者様やらなんかが調べた結果らしいぜ。ま、ネズミといっても都市部にいるようなヤツじゃなくて森ネズミらしいが」
魔法使い。この世界ではファンタジーらしく、そんな職業の人間もいるらしい。魔力を使っていろいろなことができるらしいがキミヒコは詳しくなかった。だがそんな人間がいるのなら、疫病の原因調査などもできるのだろうととりあえず理解した。
「まあそんなわけで、当時大規模なネズミ狩りが行われて、疫病は終息した。それに一役買ったのが猫ってわけ。だから、俺たちは猫を大切にするんだ……」
しみじみとクリスが言う。ずいぶんと故郷の仕事に思い入れがあるようだった。
「いやに実感がこもってるな」
「うちの爺さんがよくそんな話をしてくれてな。森を切り拓くのが我が家の使命だなんだとよく言ってたよ」
「使命ねえ。ずいぶんと大袈裟な言い方するんだな。それだけ木こり仕事に誇りがあったってことかい」
これはいまいちキミヒコには理解しづらい話だった。キミヒコの認識では木こりなどの林業は、危険を伴う一次産業だ。おまけにここでは魔獣という脅威もある。好き好んで就きたい仕事ではない。
「んー、まあ、そうだな。連合王国が成立する前、ここがゾロア王国だった頃は国家主導で森の開墾を進めてたらしいからな。当時の王家、ゾロア家のためなんだとさ。大した忠誠心だよ」
木こり仕事は当時の支配者、ゾロア家の指示によるものらしい。クリス自身が大した忠誠心と言うように、ゾロア家は民衆の人心掌握ができていたようだ。
「……結局は疫病で、それまでの開墾は台無しになったわけだが。ゾロア家とトムリア家が合一して連合王国になってからは、開墾事業に国は乗り気じゃないしな」
「そうなのか?」
「ああ、国がこの事業に乗り気なら、常駐のハンターはもっと腕利きが揃ってるはずだし、ドラゴンが出たなら軍隊を派遣してるよ」
そう言うクリスの言葉に、どこか不満の色が滲んでいるのをキミヒコは見逃さなかった。
「まあ、国の開墾事業の話なんてどうでもいいさ。キミヒコ、あんた、ゾロアート市に来る気はないか?」
クリスが唐突に話題を変える。キミヒコが不審に思ったのを察したのかもしれない。キミヒコも特に追及することなく、新しい話題に乗った。
「ゾロアート市か……。そりゃ、俺だってこんな田舎からは早く出て、そんな都会に行ってみたいさ。でも手続きがさあ……」
「わかってるよ。……ゾロアート市のギルドにツテがある。時間がかかってるのはここの支部にやる気がないのもあるが、審査委員会のあるゾロアート市までの距離があるのも関係している。ここから出る予定なら直接行って手続きしてしまえばいい」
「そんなこと、できるのか? 言ってはなんだが俺は流民だぞ。関所を通過するのもひと苦労だ」
クリスは簡単にそう言うが、それができるのであればキミヒコだってこんな村でうだうだしていない。正確にはできなくはないが、金も手間も必要だ。この連合王国においては外国人の移動にはいろいろと制限がかかるのだ。
「ツテがあるって言ったろ。一筆、推薦状を書いてやるからそれでゾロアート市まで行けばいい。鉄道も使えるように手配できる」
「……理由はなんだ?」
キミヒコの目が猜疑に歪む。仲良くなったとはいえ、タダでそこまでしてもらえるはずはない。キミヒコはそう思っていた。
「……その人形の実力は……少々危ういが、戦力として申し分ない。あんたがハンターとしてゾロアート市で活躍してくれれば、推薦した俺にもそれなりの見返りがあるんだ」
「……ツテってのはなんだ? どんなコネを使おうってんだ?」
「ギルドのハンター審査委員会に知り合いがいるから、そいつに頼む」
「……」
クリスの言っていることの真贋を見極めようとするが、判断材料が乏しい。キミヒコはしばし黙って考え込む。
以前、クリスについて探りを入れようとホワイトに相談したことがあるが、魔力糸による監視はやめていた。ホワイトはクリスの実力を高く評価していたからだ。この村の田舎ハンターと違って魔力の感知能力が高く、下手な監視は感づかれる可能性が高いとのことだ。
「審査委員会か。ギルドの魔石取引の寡占を防ぐために、外部の人間を入れているって聞いたが」
とりあえず、クリスの話に乗る乗らないの判断はあと回しにして、適当な会話をすることにした。
「……そんなことをよく知ってるな。まあそれも結局、建前なんだがね」
「建前?」
「利権だよ、利権。審査委員会は役人のOBで固められてる。外部の査察とは名ばかりのことさ」
「ほぉ……。なるほどねぇ……」
要するに、天下りだ。わかりやすい話である。
日本でのことだが、警察OBが運転免許センターに天下りするなんて話はキミヒコも聞いたことがあった。
ファンタジー世界のくせに、ずいぶんと生臭いことだな。内心でそうひとりごちる。
「コネを使おうっていう人間が言うことじゃないが、この国はどこもかしこもそんなものさ。役人どもは腐ってるし、優遇されるのは旧トムリア家出身の派閥だ。碌なもんじゃねえ」
「……白昼堂々と体制批判なんてしていいのか?」
ここはどう考えても、人権やら言論の自由やらが保障されている世界ではない。もしかしたら他の国ではそうではないかもしれないが、この連合王国は封建社会の色が強いとキミヒコは考えていた。
当然、体制批判など役人に聞かれればまずいことになるだろう。打ち首すらあり得る。
「……おっと、すまない。俺もいろいろしがらみがあってな。ストレスが溜まることもある」
「そ、そうか……。まあ、話はわかった」
「で、どうする?」
クリスがこの話を受けるかどうか問いかける。
キミヒコはしばし逡巡したあとにこう答えた。
「ありがたく受けさせてもらうよ。俺もこんな所からはさっさと出ていきたいんでね」
「……そうか。いや、わかった。じゃあ早速、ギルドに話をつけてくるよ。明日か明後日には村を出れるぞ」
「早くね? コネを使うって言っても、その相手に連絡取らなくていいのか?」
ここには電話なんて便利なものはない。手紙の往復でもそれなりに時間はかかる。
「大丈夫。元から、今回の監査対象が有望な人間だったら青田買いするように言われてたのさ。本当は正会員の手続きが完了してから誘う予定だったんだ」
「ああ、そういうことね……。聞いたかホワイト。帰ったらここを出る準備をするぞ」
「やれやれ、ようやくですか」
クリスとの会話に一切口を挟まずにいたホワイトに、キミヒコが話を振る。相変わらずクリスのことを信用していないらしく、キミヒコとの間に自身の身を置いている。
「じゃあ、すまないが頼んだぞ、クリス」
「おう、任せとけ。……ゾロアート市でもハンターとして活躍してくれよ」
こうして、キミヒコとホワイトはようやくシノーペ村をあとにすることとなった。行き先はゾロアート市。トムリア・ゾロア連合王国において、王都に次ぐ大都会で旧ゾロア王国の首都でもあった都市である。




