ヌクサ
ヌクサは侯爵令息で外務大臣の息子だ。母親譲りの紫の髪に青い瞳を持っていた。
物心ついた時から父は各国を飛び回り屋敷にはほとんど帰って来なかった。だから、幼少の頃はたまに会う父を時々泊まりにくる親戚の誰かだと思っていた。それは、母が父に冷たかったからかもしれない。疲れて帰ってくる父を母はいつも他人のように扱っていたから。
父がジョージ陛下の側近であったため、ヌクサはケルン王子の遊び相手兼側近候補として、幼少の頃から城に通うことになった。
そこで会ったのが、騎士団長の甥リスマと国務大臣の息子ヘークタ、財務大臣の息子ヨーインだった。三人とヘークタの妹ハーマとは毎年ある時期になると母に連れられ王都の西に広がる森で会うことがあり顔見知りだった。すぐに三人と仲良くなった。特にヘークタとヨーインと何か通じるものを感じヌクサは親しみを覚えた。
四人とも得意なことが違い、良い友達であり競争相手だった。その中に時々ヘークタの妹、ケルンの婚約者ハーマが加わることがあった。
西の森で会うハーマはとても可愛い女の子だった。人見知りをするらしくヘークタの後ろに隠れる姿はとても可愛らしかった。けれどケルンの婚約者となってからのハーマは会うたびに光が消えていくような人形を相手しているような感じがした。ヌクサはそんなハーマが怖かった。だから、近づかないようにしていた。
だから、学園でソファタを虐げたと聞いてホッとした。人としての感情がまだ残っていたんだと。だけど、ソファタを虐めたことは許せなかった。
ソファタはヌクサのコンプレックスを優しく癒してくれる人だ。リスマのように運動神経に優れていなく、ヘークタのように賢くない。ヨーインのように計算が早くなかった。父のように人付き合いが上手くなく、話したいことも話せない。そんなヌクサの良いところを見つけてくれて、誉めてくれたのがソファタだった。
けれど、母にソファタのことを話したらいい顔をされなかった。それどころか、近寄らないように言われた。
ヌクサは母の言葉を無視した。ソファタは優しくて素晴らしい女性だと信じていた。
だから、確認しなければならない。マリスク皇子の言葉が本当かどうか。そして、調べなければならない。魔具に捏造が出来るのかどうか。
ソファタがヌクサの女神であることを証明するために。
ヌクサは前を歩くリスマとヘークタの後ろを決意を持って付いていった。
学園の事務所で聞くと簡単にその場所は分かった。魔具を管理している小屋は校舎から離れた場所にあった。
リスマが扉を叩こうとした時、話し声が聞こえた。覗き込むと窓が開いているところがあり、そこから中の声が漏れているようだ。三人で窓の近くに移動する。
「これが一年前のものです。けれどそれより前から行われていたようですね」
事務的な淡々とした男性の声。管理人の男性が一人いると聞いていた。
「何故分かる?」
もう一人、誰かがいる。
「周りに映っている者たちがまた。という表情をしてます。こんな表情をするということは、見慣れているということでしょう」
ヌクサたちは頷き合った。ソファタが虐げられ始めたのは一年以上前からだ。それは合っている。なら、記憶の魔具は正確にその時起こったことを録画しているということ?
「まるで転ばされたように座り込んだな」
「ええ、それで如何にもそうされたと騒げば」
「騒ぎを聞き付けた者たちがそれを信じるというわけか」
「被害者が嘘を吐くはずがない、加害者は罪を認めない、と普通は思いますから」
ヌクサは信じたくなかった。捏造が最近なら分かる。マリスクの相手でハーマがソファタに関わることが少なくなった。今までのハーマの罪を問えなくなるかもしれないから。けれど、マリスクが来る半年も前、一年も前からソファタが捏造していたなんて信じたくなかった。
「まるで二十五年前を観てるようです」
怒りと悲しみを含んだ男の声だった。
ヌクサは男性の言葉に首を傾げた。男性と一緒にいる者も不思議に思ったみたいだ。
「二十五年前?」
「はい、箝口令が敷かれていて、この国ではその話をするのもあのお方の名を口にするのも禁止されています」
「我は帝国の人間だ。関係ないだろう」
「さようでございますね。この国に生を受けたことさえ抹消された女性の話を、あのお方のことを話しましょう」
静かに男が語った話はヌクサたち三人にとって衝撃的だった。お互い血の気が引いた顔を見合わせてしまう。信じられなかった。だが、嘘を吐いているようには思えなかった。
ヌクサは直ぐ様この場を離れたかった。箝口令が敷かれている話だと言っていた。話してはいけないのなら、知ってもいけない。知ってしまったのなら、どんな刑を受けることになる?
ヌクサは足を動かそうとするが、その場に縫い付けられたように動かない。
部屋の中では無情にも会話は進んでいく。その声をヌクサの耳は拾い上げていく。
「で、その女性は?」
「存在しなかったことにされて、帝国との国境付近に放逐されるはずでした。二十日間待ちました。騎士たちが毎日辺りをくまなく捜索し、私は馬車の側で疲れた体を休ませていただく準備をしていました」
男性の声が低く怒気を含んでいく。
ヌクサは足に力を入れたがやはり動かせない。鉛のように重たい。これ以上は聞いてはいけない。戻れなくなる。いや、もうすでに戻れなくなっている。
「国の者から連絡がありました。放逐された翌日に帝国とは逆の西の森で野獣に食い殺された水色の髪の女性の遺体が発見された、と」
ヌクサのすぐ近くで息を飲んだ音がした。
「水色の髪? ホーラス侯爵の関係者か?」
男性が失笑したように感じた。
「現当主の姉君、ハーマ様の伯母に当たる方が綺麗な水色の髪をしていらっしゃいました」
ヌクサはヘークタを見た。ホエシーヌ家当主に姉弟がいたとは聞いたことがない。ヘークタも知らなかったようで目を見開いて固まっている。
「ハーマ様の伯母君? なら、ハーマ様を婚約者に据えるはずが…」
声の主の言う通りだ。王家と問題があった女性の姪をわざわざ王子の婚約者に選ぶはずがない。
ヌクサもそう思った。だから、偶然なのだと。
「迷信とされていますがこの国の水の乙女の伝説があります。水色の髪の乙女がこの国を救ったという。今の王家の権威は落ちています。伝説にあやかりたいのもあるのかもしれません」
水の乙女の話はヌクサも知っている。絵本の、童話の話だと思っていた。この国を救った伝説の話だとは知らなかった。
「それにあのお方はエリタ様の妹君のような存在でした。あのお方の面影があるハーマ様が次期王妃ならばエリタ様もこの国に無理は、いや無体なことはしないと思われたのかもしれませんね」
ヌクサたちは茫然とそこに立っていた。小屋からはいつからか声は聞こえなくなっていた。窓も閉められ中に人がいる気配もなくなっていた。
「ちち、に…。父上に確認してくる」
ヘークタが走り去っていく。
「俺たちも行こう」
リスマの言葉に頷いてヌクサはその場を後にしたが、ケルンたちに何を話したのか、いつ屋敷に帰ってきたのか覚えていなかった。
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