謁見室へ 後編
謁見室へ 前後編を投稿します。
角を曲がるとレイファの突き刺さるような視線はなくなった。人気のない廊下をシータの案内で歩いていく。
「この城にはあんな奴らしかいないのか?」
そう呟いたのはマリスクの友人であり護衛のサーティスだ。白い髪に黒の瞳、白豹の獣人のため耳が頭の左右についている。細身の身体には獣人特有の筋肉がついており、戦闘時にはそうとは見えない人離れした力を発揮する。マリスクより一つ下になるが一緒に学園に同学年として編入することになっている。そのため旅の道中、テンダにずっと勉強を詰め込まれていたため、その表情はとても疲れていた。
「全員(帝国に)帰さずに数人残した方が良いかもしれませんね」
深く息を吐きながら呆れた様子を隠そうとしないのはテンダ。腰まで長く伸ばした漆黒の髪は魔法使いの証。青い瞳はこの城での生活に不安しかないと語っている。マリスクより一つ上になるが、学業としてはもう全て習得しており護衛として彼もマリスクと同学年に編入することになっている。会う者、会う者、低能過ぎていっそ何も任せない方が楽なのではないかと思い始めていた。だが、全員一人で身支度くらいは出来ようにしてきたが、それでも人の手を借りなければいけないこともある。先行きの不安に出るため息は止まることがない。
「あれが槍の名手と云われているレイファ殿…………」
暗い声で呟いたのはソヤタ。マリスクの幼馴染で明るい茶色の髪と橙色の瞳を持つ青年だ。この中で唯一マリスクと同じ年だ。すでに剣士として帝国では名をあげていて、レイファと手合わせをすることをとても楽しみにしていた。それがあんな男だった…とショックが大きかった。武人は脳筋が多く細かいことには拘らず思い込みが激しい者もいる。だが、あれはないと騎士道を重んじるソヤタは首を小さく振っていた。
「……。レイファの思い込みが激しいのは昔からです。けれど、昔はもっとまともでした。あのように一人の女性に、それも未成年の者が悪いなどと言うことはありませんでした」
その声が悲しそうに聞こえたのはレイファがシータの元婚約者だったからか。報告書で分かっていたとはいえ、目の当たりにした元婚約者の変貌にシータも心を痛めているようだった。
「止まれ!」
従僕がパタパタと追い掛けてきた。急いで追いかけてきたのだから足音はまだ見逃そう。だが、マリスク、賓客がいる場で使う言葉ではない。
マリスクたちは身構えた。やっとシータの冷気が治まったのにまたゆっくりと溢れ出してきていたから。
「勝手に行かれては困るんだよ」
ホッと息を吐きながらすぐ後で従僕は足を止めた。マリスクたちが従僕の声で止まると思っているようだ。だが、シータは歩みを止めない。迷いもなく進んでいく。後ろで良かったと勝手に自己完結している従僕とはまた距離が出来てきた。
「止まれと言っただろう! なんで行くんだ!!」
従僕は慌ててシータを追い抜かし、立ち塞がるようにシータの前に立った。
「皆様をお待たせしているのでしょう?」
シータの冷気を含んだ声にマリスクたちは体を強張らせる。
この従僕の態度は。非常識極まりない。
「だから、場所を知らないだろ。他国の侍女が生意気な」
従僕は目を怒らせて乱暴にその腕を取ろうとした。それをサーティスが軽く払う。本当に軽く払っただけだった。城で働く者として最低の護身術を覚えていたら立っていられたくらい軽い力で。けれど従僕の体は簡単に宙に浮きドスンと床に落ちた。
「な、何をする!」
「この国は女性に対する態度もなっていないな」
サーティスが縦長の瞳孔を細めて従僕を睨み付けていた。それに震えながらも従僕はサーティスに向かって吠えた。
「じゅ、じゅうじんふぜいが、な、なまいきに」
パーン
従僕の顔が横を向いた。
「シータ、大丈夫か?」
人を叩く方も痛いと聞く。マリスクはシータの女性らしい手を心配した。
「ありがとうございます。このような者が城にいるなど、情けなくて…」
シータはあり得ないと首を横に振るとサーティスに深々と頭を下げた。
「城の者がとんだご無礼を。ラッスン家当主シータ・ラッスン、お詫び申し上げます」
謝られたサーティスは怯えた表情でシータ様のせいじゃないから…と尻窄みで呟いている。シータに怒られるより謝られる方が怖いと思っているのはマリスクたちの条件反射だ。自分が腑甲斐無いためにと言われた後に行われたシータのスパルタ教育はトラウマになるほど厳しかった。
「らっすん? シータ・ラッスン?」
従僕の顔から色が消えた。
「呼び捨てにされるほど身分が低くないと思いますが?」
シータは教育がなっていない従僕に分かるように息を吐く。ラッスン家は侯爵位を持っている。例え爵位が低くても年上の当主を賓客の前で呼び捨てなど作法になっていない。
「う、嘘だ、シータ・ラッスンは戻ってこないと…」
シータから懸命に距離をとろうとする。その姿にマリスクはこの城でシータがどんな伝説になっているのか気になったが内容が恐ろしそうで聞いてはいけないような気がした。
「誰がそんなことを。それにレイファ将軍は私をお認めになっていましたが?」
従僕はハッと目を見張る。レイファが恐ろしくてそんなこと気にしていなった。レイファは確かにこの侍女をシータと呼び捨てにしていた。そしてこの侍女もレイファと対等に会話していた…。
「謁見室は水の間。場所は分かります」
「だ、だが、しかし…、それは私の仕事で…」
壁にぶつかってもまだ後ろに下がろうとしながらも自分の仕事だと主張する従僕。言っていることと行動が伴っていない。
「それに皇子にジュリ様、王妃殿下の素晴しさをお話ししな…け……」
キーン
マリスクは凍りつくかと思った。それほどシータの冷気は低くなった。従僕は悲鳴をあげて怯えて壁に縋りついている。
「誰の素晴しさを?」
二オクターブほど低くなったシータの声に氷柱の幻が見えた。従僕は目をギョロギョロさせて逃げ場を探している。
「シータ、待たせている。早く行こう」
あまりにも寒すぎてマリスクは口を出してしまった。それにあの王妃がどう素晴らしいのかは招いていないのに帝国に来た時に十分過ぎるほど理解している。これ以上不愉快な情報はいらない。あの時以来、このエウテス国と国交を縮小した国は多い。それをこの従僕は知らないのか。知らないのだろう。だから、あの王妃を素晴らしいと言える。国交が縮小されたためにこの国では不都合が多く起きているのに。恐らく相手国が悪いということになっているのだろう。
「そうですね。あまりお待たせすると煩いのが格段と煩くなりそうです」
シータはこれからが憂鬱だと言いたげに息を吐いている。マリスクも同じだ。叔父のジョージ国王だけならいいが、これから行く場所には百害あって一利無しを地でいく王妃ジュリがいる。重くなる気を振り払ってマリスクは足を進めた。
マリスクたちがその場を離れた後、白目を剥いた従僕の体がゆっくりと床に倒れていった。ドスと音がしたが振り返る者は誰もいなかった。
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